一人目ー第五章 6話 リョウセの滝
令和元年、おめでとうございます
翌朝。修太郎とカスミ、シャイナの三人はシュードの南部にある田舎道を歩いていた。その道は幅二メートルほどしかないほど狭く、両方が田んぼに挟まれているため踏み外せば田んぼに落下する。まぁ、そんなヘマをする人間はここにはいないが。
「馬車を降りてから結構歩くな。もう二十分くらい歩いてるが大丈夫か? カスミ」
道幅が狭いためか途中で馬車を降りて、ここまで歩いてきた。それからだいぶ歩いているため、修太郎はそんなことを尋ねる。
「問題ありません。この程度の距離を歩けないほど私は運動をしていないわけではありませんから」
カスミは無表情でそう返す。その表情に疲れは見られない。足取りもしっかりとしたものであり、彼女の言葉に嘘はないと修太郎は判断する。
「ならいいけどよ」
「カスミ様も相応に修練は積まれております。この程度の徒歩など運動の内にも入りません。見くびらないでください」
「へいへい」
窘めるようなシャイナの言葉を修太郎は適当に受け流す。何ともぞんざいな態度だがシャイナがそれを咎めることはなかった。
それから五分も歩くと道幅も広くなり、田舎の集落を彷彿とさせる小さな村が目の前に広がる。カスミたちは颯爽と中を突き進み、修太郎は街並みをぼんやりと見ながらその後をついていく。
不意に修太郎は足を止め、目を細めて右前にそびえ立つ建物を見る。
「何だぁ? あのでかい建物は……」
周辺の建物に比べて、あまりに大きなその建造物は目に止まりやすかった。思わず小さな声で呟くが、それを耳ざとく聞きつけたカスミが修太郎の問いに答える。
「あれはスコラ。端的に言えば学び舎です」
「ほぉ……」
適当に返してはおくが興味は全くなかった。異世界に学校がある。それに何の驚きもない。この世界は修太郎が元いた世界とは別の世界だが、同時に元の世界と何ら遜色ない文明を築いている。それに加え、彼の予想が正しければ学校くらいなくてはおかしいだろう。
強いて言うことがあるとすれば、都会に位置する場所にそれらしい場所がなかったことくらいだが、修太郎とてこれまで訪れた街の全てを把握しているわけではない。いろいろなことがあったために忙しかったこともあって、ほんのごく一部を回っただけだ。それ以外の場所にスコラと称される学校が存在していたというだけの話だろう。
どちらにせよ、修太郎の眼中にはなかった。彼が、今、興味があるのはスコラを抜けて五分ほど歩いたところにある荘厳な滝だ。
修太郎は目の前にそびえ立つ巨大な滝を感慨深そうな表情で見上げ、口を開く。
「こいつがその滝か」
「はい。ここが我々の目的地、リョウセの滝です」
カスミの返答に修太郎は曖昧に頷く。当然、ここは初めて来た場所だ。見覚えなどない。しかし、なぜかこの滝を見て懐かしく感じてしまう。この感情は一体何なのか。
(……ふん。また、自分に関する謎が増えたってか? ……ったく、何で自分のことなのに何も分からねえんだろうなぁ)
修太郎は内心苦笑しながらも滝を見続ける。この滝に今まで起こった不可解な出来事の謎を解くヒントがあるような気がしたからだ。しかし、どれほど凝視したところで何も分かりはしない。
「……修太郎? どうかしましたか?」
「ん? ああ、いや、近くで見るとでけえ滝だなと思ってな」
「……まぁ、そうですね。この滝はこの国でもっとも巨大ですから」
苦笑混じりに答えるカスミの言葉を聞いて、修太郎は頷く。これほどの滝は元の世界でもあまりお目にかかれない。
「修太郎様。こちらにも都合というものがありますので、もし、のんびりと眺めていたいのであれば、後にしていただけませんか?」
「あ? ああ。すまねえ。今、行く」
シャイナに急かされ、修太郎は二人の後を追う形で滝の横を通り抜ける。滝の横には人一人が通れる程度の大きさの穴があり、そこを抜けると中に大きな洞窟が広がっていた。
それはもはや巨大な部屋と言って差し支えない場所だった。修太郎から見て左前に虎の象があり、その額には青い宝石のようなものが埋め込まれている。また、奥には外には及ばないものの大きな滝があり、上の大きな穴から二十五メートルプール程度の大きさの窪みに大量の水が落下していた。その水量はかなり多く、とても件の窪みだけで留めていられるようなものではないと修太郎は思うのだが、水が溢れる様子はない。
まぁ、目に見えるところで対応しているわけではないと見るのが妥当だろう。
「ここで修行するってわけか」
大した光源もない洞窟を視力を強化した上で一通り見たところで確認の意を込めて、修太郎は尋ねる。
「その通りだ」
修太郎の問いに答えたのはカスミではなく、聞き覚えのない声だった。修太郎が振り返ると黒髪のカジュアルな服装をした青年が立っていた。ぱっと見は地味だが、相応の修羅場を潜ってきた修太郎には彼が相当な実力者であることが容易に見て取れた。
「初めまして……と言うべきかな? 俺はこの滝の管理人のようなものを任されている竹木獅子也という者だ。此度はカスミ殿の客人に修練をつけてほしいとの依頼を受けていたが、そこの彼がその修練希望者か?」
「はい、そうです」
竹木と名乗る青年の言葉にカスミが頷く。竹木は修太郎を値踏みするような視線で見る。修太郎はそれに眉をひそめるが、すぐに竹木はニカッと笑い、その視線を引っ込める。
「なるほど。君がユタル先生の仇を討ってくれた御仁か」
ユタル、というどこかで聞いたような名に修太郎は首をかしげる。だが、どこで聞いたのか、思い出すことができない。そんな彼をフォローするかのようにカスミが口を開く。
「一月ほど前にカザシ地区で起こった連続不審死事件があったのは覚えてますね? その最初の犠牲者のユタル・ノーメユラというおばあさまは普段はカザシ地区で、実はここのリョウセの滝の主任管理人の立場にあたる方なんです」
「ああ。俺としても上司であり師であり、母でもあったユタル先生を殺されたことには大変憤慨していてね。だから、君がその敵を取ってくれたことには感謝しているんだ」
それを聞いて、修太郎は内心嘆息する。何とも意外な繋がりがあったものだ。だが、同時に修太郎は得心がいった。連続不審死事件の下手人の木更津は人型の悪霊だ。その実力は悪霊の中でもトップクラスと称されており、ほんの少ししか戦闘していないがその片鱗を木更津は垣間見せていた。そんな彼の腕に傷をつけることができたのは、ユタル自身が相応の実力を有していたからだ。
そして、チラリと見ただけで相当な実力者だと分かる目の前の青年を部下として従えていたのならば、そのユタルという老婆もかなりの実力を持っていたことになる。当時は大して疑問を持っていなかったが、改めて考えてみればそれなりの理由というものが見つかるものである。まぁ、それに何の意味があるのかと問われれば答えることができない。今の今までユタルのことを完全に忘れていたことがその証左だ。
それに相当な実力者とはいっても、それはあくまでこの世界にいる人間にしてはの話だ。修太郎たちクラスや木更津たち人型と比べれば見劣りする。まぁ、比較対象がおかしいのだが。
「……とりあえず、早速その修練とやらをやらせてもらってもいいか?」
「ん? ああ、すまないな。無駄話がすぎたようだ。準備はできている。こっちに来てくれ」
竹木に案内され、修太郎はその後をついていく。行く方向は洞窟内部にある滝だ。竹木はズボンの裾を捲ることなく水の溜まっている窪みへと何のためらいもなく入る。それを見て修太郎は足を止めるが、竹木は振り向きざまに苦笑いをしながら口を開く。
「ああ。水に濡れることは気にしなくていい。この滝はかなり特殊でな。いかなる物質も濡れないようにできている」
「………………」
どういう滝だと突っ込みたくなったが、少なくともそんなことをする必要はなさそうだ。ここで竹木が嘘をつく理由もないだろう。そう判断した修太郎は一応ズボンの裾だけ膝まで捲り上げ、窪みの中に入る。水は臑のあたりまであった。予想よりかなり浅かったが竹木はこの窪みに足を入れたところを見ていたので驚くことはない。
竹木は滝の近くまで歩くと、傍で立ち止まる。そして、修太郎の方を向いて言う。
「君にはこの滝の中に入ってもらう」
「……それが修練か?」
「そうだ。内容を具体的に言うことはできないが油断しない方がいいぞ。これはなかなかどうしてしんどい修練だからな」
そう言われた修太郎は滝の方を見る。見た感じは何の変哲もない滝だ。しかし、確かに竹木の言う通り普通の滝ではないのだろう。中に入れば、相応の苦難が待っていると見てしかるべきだ。
だが、それがどうした? その程度で躊躇しているようではこの先を生き抜くことなどできはしない。何の足掻きもせずに死ぬことほど愚かなことはない。今さら、足踏みすることなどできるものか。
修太郎は何のためらいもなく滝の中へと進む。それに竹木は感心したかのように口笛を吹くが、修太郎は無視して、濡れることのない滝行を行う感覚で滝の中に入っていく。
滝が全身を覆った瞬間、修太郎の意識が曖昧なものへと変わっていく。薄れるとか、昏睡するとかいう次元ではない。凄まじい負荷が脳にかかっていることが分かる。修太郎は二、三歩進んだところでしゃがみ込み、頭を抱える。
状況は分からない。状況は分からないが、再び見覚えのない映像が流れてきた。
そこは妙に広い部屋だった。綺麗に整えられた大きな和室。広くて広くて多くの人間が周囲に跪いている高貴な部屋。その中心に自分はいた。
『………………………………』
子供を奉っていた男が目の前に鎮座するお偉いさんに己が息子の素晴らしさを説いている。顔は隠されているため分からないが、やけに上等な暖簾や広大な和室から見るに、目の前の相手は大君――天皇かもしれない。周囲の光景からして時代は平安辺りだと思われるので正確には分からないが、相手が相当な大物であることは間違いないだろう。
映像はそこで切れる。短い映像だったが修太郎を困惑させるには充分にすぎた。
「今のはあの時の……」
明らかに以前見せられた映像と似ている。中身は別物だが、本質的には同じだ。しかし、この映像が何なのか修太郎にはまるで分からなかった。理解不能にもほどがある。一体どんな理由でこんなものを見させられているのか。
「あぐっ……!」
そこで修太郎を凄まじい激痛が襲う。今度は映像ではない。次は聴覚。つまり、音声が脳内を支配しはじめる。
食らい瞳。粟生い祖羅。湯目は名意。あかかかかかか。その来。水は私を破壊する。映像は破壊される。平安。忌み子。イみキらウ。ちちかかか。ららぎぎ。私。俺はお前を。君よりも私が。言うたろう。物理法則は破壊される。青い砂漠を歩む。君主は私。その光の中に包まれる歯小さな希望。俺を倒すのは低い絶望。君を救えるのは儚き願望。皆を破壊するのは赤き欲望。この光の中に存在するは黒き闇。緑の宇宙を統べるは我が左手。右手を破壊するは我が左足。我が右足を統治するは我が膵臓。紫色の光。天女を破壊することは許されていない。君を破壊することなど許されはしない。私を愛することこそが世界を統べる最短ルート。みんな幸せになどなれはしない。人間こそ破壊すべき種族。ジェンマを以て破壊すべき種族。神の寵愛を以て破壊すべき種族。人間を愛することは世界を破壊することと同義である。awahroajtiejgren983381ru!K=W0???0i34392u58()('&(FTUVKI)U)("&GY#UB-o-003k;
永遠に続くとさえ思われた音声はそこで途切れる。ぼんやりとしていた修太郎の意識が浮上する。
(…………何だ。今のは。なぜ、あんな無意味な言葉の羅列が頭に流れてきた?)
初めてではない。初めてではないが、ここまで具体的に無意味な言葉の羅列が流れてきたのは初めてのように思える。しかし、それは修太郎の記憶が正しければの話だ。実際のところは今の修太郎には判断がつかなかった。
立て続けに不可解な事象が起こり、完全に正気を失ってしまっている修太郎をさらなる追撃が襲いかかる。
「何だ……これは……」
修太郎がいる場所の十メートルほど前に出現したのは虹色の宝石だった。修太郎から見て左から赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の順に並んで光るそれは文句なしで綺麗だった。
しかし、この宝石が一体何なのか。この宝石が何でできているのか。この宝石がどこから現れたものなのか。いや、そもそも、なぜそんなものが存在しているのか。一切、修太郎には理解できなかった。
完全に満身創痍となった修太郎は何も考えずにその虹色の宝石に手を伸ばす。宝石はあっさりと手に取れた。そして、宝石に触れた瞬間修太郎の視界を虹色の光が支配した――。




