一人目ー第四章 13話 櫛山修太郎vs戸北真人
真人と対峙した修太郎は自身がよく使う構えを取る。左半身になって、右手を脱力した状態で下げ、左手を顔の前まで上げる独自の構え。一見隙だらけのように見えるが、修太郎は理に適った構えだと思っている。左手の平を自分の眼前に置くことであえて左眼の視界を潰し、利き目である右眼のみで敵を見る。ただでさえ左半身で死角が大幅に広がっている上に片眼で見ていることで立体的に見ることができず、距離感が狂うのだが修太郎には関係なかった。元より不安定を好む男だ。両目で見ることよりも利き目のみで見ることを優先した。
それだけではない。この構えは顔に限りなく近いとはいえ左手を前に出している。そのため、左手を盾に使って相手の攻撃を防ぎ、利き腕である右手でカウンターを見舞うことができる。武術などでは脱力こそが極意とされている。その脱力状態からの一撃。一発逆転の可能性を秘めているこの一撃を最大限に生かすことにこだわった構えでもあるのだ。
とはいえ、基本的に互いに臨戦態勢を取った上での一対一が前提の構えであるため、実戦で使うことは少ない。というより、この構えを合理的とみる者はほとんどいないだろう。それゆえに修太郎はこの構えを好んでいるわけだが。
「相変わらず変な構えだな、おい」
「黙れよ。喧嘩殺法」
両手をだらりと下げた構えを取っている真人に修太郎はため息混じりに言い返す。そして、何の気なしに足下に落ちていた石を蹴る。それが開戦の合図だった。
凄まじい速さで真人が接近したかと思えば、顔面を狙う拳が修太郎を襲う。その数は一つや二つではない。無数といっても差し支えないほどの連続攻撃だった。それを修太郎は一つも当たることなく涼しい顔で左手でいなし、かわしていく。それを見て真人は腹に膝蹴りを入れようとする。修太郎は左手で膝を受け止め、逆の手で真人の顔面にパンチを叩き込もうとする。真人は首を傾けてそれをかわすが、修太郎はそのまま右腕を左に動かし、真人の側頭部を狙う。それを後ろに倒れ込む形で回避した真人はそのまま掴まれていない方の足を修太郎の肩に置いて、後ろ宙返りをすることで拘束を逃れる。
「やるな……!」
「ほざけ。まだまだ準備運動の段階だろ? 次行くぜ、おらぁ!」
今度は修太郎から仕掛ける。修太郎の顔面狙いの蹴りを真人はかわし、肘打ちでのカウンターを狙う。修太郎はそれを受け止めて、真人を投げ飛ばす。真人は瞬時に着地するとそのまま修太郎に殴りかかる。修太郎はそれをかわすことをせずにあえて顔面に受けた上で返しの拳を真人の顔面に叩き込む。両者、頬に拳がめり込む。だが、それでは止まらない。ほぼ同時に拳を引くと、互いに超速の拳を相手に叩き込んでいく。
二人の攻撃力は極めて高いものの、どちらも一歩も退かない。相手の攻撃をわざと食らった上で殴り続けている。どちらも狂気に近い笑みを浮かべながら、ひたすら殴り続けている。苦悶の表情など微塵も浮かべていない。客観的に見て、とても正気の沙汰ではなかった。
それは一体どれほど続いたのか。数十発、あるいは数百発か。こちらの世界に転移したことでいかに強靱な肉体を得ていたとしても、それは両者同じことだ。頑強さに比例して、攻撃力も飛躍的に向上している。その攻撃を数えきれないほど食らい続けた二人はすでに全身ボロボロだった。
「この俺がこんだけ殴ってんのに立ってるたぁ、どんだけタフなんだよ……!」
「そいつぁ、お互い様だろ……!」
互いに顔面を血まみれにしながらも平然と立っている。肩で息をしながらも決して倒れることはない。相手より先に倒れてなるものかという強い意志が二人の目に込められていた。
「……しょうがねえ。こういうのはあまり好きじゃねえが……やらせてもらうぜ」
「あ?」
そこで真人が不可解なことを口にする。修太郎は怪訝そうに目を細める。だが、次の瞬間その目を大きく見開く。
なぜなら、全身ボロボロだったはずの真人の肉体が瞬く間に元通りに戻っていたからだ。そして、それと同時に修太郎の全身を巡っていた痛みが倍増した。修太郎はその痛みに思わず膝をつく。
相当なダメージを与えていたはずなのに一瞬で回復してみせた。それどころか、修太郎の肉体に蓄積されたダメージが急激に上昇した。
何が起きたか理解できず、修太郎は困惑する。そんな修太郎にまるで何も知らぬ子供に教えるかのように真人はゆっくりとした口調でネタばらしをする。
「俺に与えられた特典はダメージの操作。つっても、実態は変化を操る能力だ。おまけに対象に制限はない。つまり、森羅万象全ての変化を自在に操れるってことだ」
「ダメージの操作……だと?」
修太郎は力ない声でオウム返しをする。真人はそれに無言で頷く。
ダメージの操作。それが本当ならば何と強力な特典か。彼の言が本当であれば、修太郎の好感度操作に匹敵する強さを持つかもしれない。それに真人の持つ戦闘技術が加われば鬼に金棒どころではすまない。
しかし、だからといって負ける理由にはならない。その程度で諦めるなど冗談ではない。修太郎は口元を歪めると特典を使用する。
真人は訝しげに眉をひそめるが、すぐに目を見開くと力が抜けたかのように前方に倒れ込む。それを両手を地面につくことで何とか止めた真人は自身の肉体に起きた変化に狼狽する。
そんな真人に修太郎は悠然と近付いていく。真人はそんな修太郎をそれだけで殺せそうなほど鋭い眼光で睨みつける。修太郎はそれを鼻で笑いながら、五メートルほど離れたところで立ち止まる。
「悪いな。それくらいなら、俺にもできるんだわ」
修太郎は全てのダメージを請け負い、膝をつく真人を無傷で見下ろす。先ほどと真逆の光景だ。
修太郎がしたことは極めて単純だ。自身の肉体的ダメージに関する好感度と真人の肉体的ダメージに関する好感度を交換する形で操作した。たったそれだけで真人と全く同じことを可能にしたのだ。
「くっ……!」
「やめとけ。別にやりたきゃ、やってくれて構わねえがいたちごっこになるだけだぜ。それに俺の特典の汎用性はてめえのそれを超える」
「なん……だと……!」
真人は苦痛に顔を歪めながら、修太郎を見据える。先ほどの修太郎の言葉ははったりとは思えなかった。もう一度特典を使用して、全てのダメージを修太郎に押しつけても即座に返される可能性が高い。
こうなれば、ダメージを押しつけた瞬間に修太郎を殺す以外に手はないが、その程度は修太郎も承知の上だろう。おそらく真人の考えを先読みして何らかの手を打っているはずだ。
だが、そうなると一つ疑問が出てくる。それはなぜこの場で真人を殺さないのかということだ。今の真人は死に体もいいところだ。彼の力ならば真人を殺すくらいわけないはず。にもかかわらず、なぜ殺さないのか。
真人の特典の欠点に気付いた上での行動なのか。それとも、他に何か狙いがあるのか。真人には判断がつかなかった。
こうなれば、搦め手を使うより他にない。無闇にダメージを移したところで何の意味もない。今は修太郎のペースで事が運んでいる。ならば、その主導権を奪い返すしかない。そして、それができるのは修太郎が謎の余裕を見せている今しかない。
真人は息を荒げながらも、可能な限り余裕のある笑みを浮かべる。そして、挑発するように唇を舌で舐める。
「ふん。やっぱり、てめえは甘ぇな」
「あ?」
突然の言葉に修太郎は怪訝そうに眉をひそめる。真人は構わずに話を続ける。
「なぜ、俺を始末しねえ? まさか、この期に及んで殺人にビビってんのか? そんなんだから、安城という獲物を坂戸にかっさらわれちまうんだよ」
嘲笑するように紡がれる言葉。修太郎はそれに違和感を覚えつつも、とりあえず返答することにする。
「知ったこっちゃねえよ。安城も正馬も今はどうでもいい。それよりもこの戦いに勝つことが先決だ。つーか、それ以前に人型二匹も殺してんのに今さら殺人にビビるもへったくれもねえだろうが。くだらねえ」
真人はまさかの返答に言葉を失う。だが、すぐに忍び笑いをする。その笑いは修太郎を馬鹿にしているというより、哀れんでいるように見えた。
「今は? 馬鹿言うなよ。てめえは本当は全部どうでもいいんだ。何もかも全てがどうなろうが知ったこっちゃねえんだ。そうでなきゃ、尊敬する父親を貶めた安城もその安城を横入りしてぶっ殺した坂戸もあんなあっけなく切り捨てられるわけがねえ」
真人の言葉を修太郎は否定できなかった。全くもってその通りだったからだ。けれど……。
「それがどうした?」
だからといって、どうということもなかった。つまらない挑発だった。いや、挑発どころか皮肉にすらなっていない。それくらい真人ならば理解できているはずだと修太郎は思っている。
訝しげに自分を見下ろしてくる修太郎を見て、真人は思わず笑ってしまう。
「そうか。そうだよな。悪ぃ、俺が馬鹿だったわ。この場面でこれはねえよなぁ……」
そこで真人は立ち上がる。その途中で全身の傷が癒え、彼の肉体は全快する。修太郎は目を細める。真人が負っていたダメージが自身に押しつけられている感覚はない。ならば、そのダメージはどこに行ったのか。それは見ればすぐに分かった。
「なら、こっちも遠慮なくぶち込ませてもらうぜ」
凄絶な笑みを浮かべて、真人は右拳に絶大な赤黒い魔力を放出させる。そのエネルギー源が何なのかなど考えるまでもなかった。
「なるほど。その身に溜め込んだダメージ全てを込めた一撃を放つ気か」
「名答。どっちも結構なダメージ受けてたからなぁ。この一発はかなりの破壊力だと思うぜ」
「はっ。上等だ」
明らかに異常な魔力が込められているだろうその拳を見ても修太郎は逃げなかった。むしろ、受けて立つ構えを見せている。それを見て、真人は小さく笑う。
(そうだ。そうでなくちゃいけねえ。お前はそうでなくちゃいけねえんだ)
真人はどこか穏やかな笑みを浮かべながら惟う。彼は真人にとっての恩人なのだ。そんな彼が無様に逃げる姿などを見た日には幻滅ではすまない。だからこそ、不敵な笑みを浮かべて己の一撃を迎え撃とうとしている修太郎を見て真人は安堵していた。
これで安心してこの戦いに決着をつけることができる。
正直この戦いの勝敗などどうでもよかった。確かに負けられない理由はある。自分が負ければ世話になった集落が潰されてしまうし、自分を信じてついてきてくれたセムロや姫百合に面目が立たない。
だが、それでも――。それでも、真人はこの戦いで敗れ、死んでも構わなかった。自覚しているにせよ、していないにせよ、唯一の希望を与えてくれた目の前の少年がその道を突き進むというのであれば真人はそれを妨げるつもりなどなかった。
けれど、皮肉なことに今はこの男の道を妨げざるを得ない。そうしなければ、何の意味もないからだ。だからこそ、真人は小細工無しの全身全霊をこの一撃に込めると誓った。刹那、真人の右腕から先ほどの倍以上の魔力があふれ出てくる。
「ほぅ……。まだ魔力を上げるか。おもしれぇ……!」
修太郎は好戦的な笑みを浮かべる。その笑みはどこか嬉しそうで、どこか呆れているように見えた。修太郎は彼独自の構えを取ると、真人の魔力上昇に呼応するかのように凄まじい魔力を右腕から放出させる。
「さぁ、これで互いに出せる力は全て出してる状態ってわけだ。あとはぶつけるだけ。覚悟はいいか? 櫛山」
「そいつはこっちの台詞だぜ」
口元に弧を描いてみせる修太郎に真人も口元を大きく歪める。
「そうだな。じゃあ、行くぜ」
「ああ」
二人は目を見開く。次の瞬間、絶大という言葉ですら生温いほどの規模の魔力が衝突した。その余波はこの世の全てがひっくり返るのではないかと思えるほどに大きかった。地盤がめくれ、木々は焼失し、天をも食らいかねないほどの爆炎が空へと襲いかかる。
爆風が一帯を覆う。荒れ狂うようにあちらこちらへと被害を撒き散らす爆風は集落の人間を混乱に陥れていた。
そして、その爆風が晴れ、その場に立っていたのは傷一つ負った様子のない修太郎だった。修太郎は全身を自らの血で赤く染めた真人を見下ろしながら、口を開く。
「悪いな。確かにてめえの攻撃は凄まじかったが本当の油断を体現した俺には勝てねえよ」
「…………本当の油断? 何、寝言言ってやがんだ。それは油断じゃなくて誇りっつーんだよ」
修太郎の言葉を聞いた真人は息も絶え絶えといった様子で呆れたように笑う。その声は弱々しいものだったが、修太郎の耳に届かせるには充分だった。
「まぁ、確かにそうかもな。油断なんてのは本当は悪い意味でしか使わねえ言葉だからな。けど、だからこそ使うことに意味があると思わねえか?」
「さあな……。悪ぃが……全く……共感でき……ねえよ。……ゴホ、ゴホッ!」
途切れ途切れながらも満足げに笑いながら紡がれたそれが真人の最後の言葉だった。彼の肉体はすでに限界を超えていたのだ。なぜなら、先ほどの衝突の全てのダメージをその身に受けていたのだから。むしろ、話せただけでも彼の精神力の強靱さが窺える。
確かに修太郎は真人の攻撃を真っ向から受けて立った。しかし、真っ向勝負を仕掛けていたわけではなかったのだ。彼はこの衝突で発生するダメージ全てを真人に与えられるように好感度操作を施していたのだ。これにより、修太郎は無傷でこの戦いを制することができた。
しかし、幸か不幸か瀕死のダメージを受けた真人がそのことに気付くことはなかった。最後に全てをぶつけて、満足げに死ぬことができたのだ。それはきっと幸せなことなのだろうと修太郎は思う。
修太郎は真人の亡骸を見下ろし、笑う。それは心底自分を侮蔑しきっている笑いだった。救いようがなくて掬いようのない、それでいて巣食っている己を笑っているように見えた。
「……本当に人生ままならねえよなぁ。俺はたとえ直接的でなくとも深い愛情を持ち、どんな困難にも立ち向かった一人の男を心から尊敬している。けど、皮肉なもんだ。そんな立派な人間が丹精込めて育て上げたのがこんなどうしようもないクズだなんてよ」
修太郎は天を仰ぐ。自分たちを今も照らす太陽を一瞥すると、小さく息を吐いてもう一度真人を見る。
「なぜ、安城を正馬が殺したと知ってたのか。それだけ気になるが……まあいい。死人に口なし。知る手段も知る必要もねえ」
光一が死んでからそこそこ時間が経っている。ならば、光一殺しの犯人が明かされていても不思議ではない。まぁ、覚えている限りではあの場に目撃者は修太郎と殺された香奈以外にいなかったはずだが。
一応、朸には話したのでそこから漏れた可能性もなくはない。もっとも、朸がわざわざ真人たちと話すためだけにこの集落に来たというのは少々不自然に思えるのでその可能性は限りなく低いが、絶対にないとは断言できない。どちらにしてもそこまで深く追及する意味はない。
「さて、これで邪魔者は全て消した。あとは依頼通り集落を壊滅させるだけだ」
修太郎はそう呟き、集落へと歩いていった。亡霊のようにゆらゆらと体を揺らめかせながら、覇気のない表情で獲物を狩るために進むその姿はまるで死神のようだ。
その後のことは特筆すべきことなど何もなかった。それはただの蹂躙だった。集落の人間は修太郎に為す術を持たない。多少強い程度では彼にかすり傷一つ負わせることすらできない。それだけの隔絶した力の差があった。
結局五分と保たずに集落は全滅した。それがどういうことを意味するのかも知らぬまま、修太郎は心底つまらなそうな表情で集落を離れた。




