一人目ー第四章 9話 補充されし者vs補充されし者
翌朝。修太郎は気分が乗らないながらも軽く偵察をしようと日課の散歩をやめて、問題の集落へと足を運んでいた。
元よりあの夢のせいで早く起きすぎて何もやることがなかったのだ。仕掛ける前に準備を万端整えておくのも悪くない。
「あそこか……」
修太郎はぽつりと呟く。山の麓に複数の家が坂に沿って建てられているのが見える。あれがキューゲンペグが目の敵にする集落のようだ。ほぼ全ての家が瓦屋根に木造建築と昭和を連想する光景が少し離れたところからでも窺える。カザシ地区に比べれば充分新しいが、それでも古くささは否定できない。
だが、古い見た目に反してなかなかの最新設備をあちこちに導入しているようだ。集落の西側に位置する山にある獣道の途中に仕掛けられたあるものを見て修太郎は小さく息を吐く。
赤外線で張り巡らされた網にそれと連動したブービートラップ。魔力で編まれた結界や警報のようなものも仕込まれている。
なるほど。キューゲンペグが長い間手を焼くだけあって、それなりに砦の守り方というものを知っているらしい。それとも、真人の入れ知恵だろうか?
「まぁ、こんなもんは何の妨げにもならないがな」
修太郎の言う通り、この程度の防衛システムなど恐るるに足らない。監視カメラも盗聴器も仕掛けず、相手の魔力を計測、記録するための設備も一切仕掛けられていない。こんなものに何の意味があるというのか。
というより、セキュリティなど修太郎の前には何の意味も持たない。どれほど強固なセキュリティであろうと特典を使えばたやすく突破できる。しかし、今はそんな気分ではない。今日は調査に来ただけだ。仕掛けるつもりは一切ない。
「帰るか」
遠目に全貌を見ることができた。今回はこれで充分だ。気が進まないのに深入りする必要はない。元より偵察など名ばかりのものだ。所詮は気晴らしの一環にすぎない。大した成果を得られなくとも問題はなかった。集落から三百メートルほど離れたところにそこそこ新しいセキュリティが導入されていると知れただけでも大収穫だ。
記録機器がなかったのは侵入者の察知で充分だと踏んでいるからだろう。もし、そう見せかけての罠だったとしても関係ない。そう考えた修太郎は獣道を瞬く間に走り抜け、街まで戻ってくる。
街には誰もいなかった。すでに朝の七時だ。少しくらい人がいてもおかしくはないと思うのだが。
「ん?」
修太郎は見知った人物を発見する。満月だ。何やら、思い詰めた表情で歩道に設置されたベンチに座り込んでいる。
問い詰めてしまった手前声をかけるのは憚られるが、放置するのも寝覚めが悪い。修太郎は頬を掻きながら満月に近付いていく。
「どうした? そんな辛気くせえ顔して」
「!」
満月は面食らった顔でこっちを見る。その動きは速い。どうやら、かなり吃驚させてしまったらしい。
修太郎の顔を見て満月は胸を撫で下ろし、ホッとした表情になる。
「おはよう。どうしたの? こんなに朝早く」
「その台詞、そっくり返そう」
修太郎は半ば呆れた表情で言葉を返す。それに満月はばつが悪そうに苦笑いをする。
「私は何となく目が覚めたから、ちょっとお散歩してるの。……修太郎も同じ?」
「まあな」
目をそらして適当に言葉を濁す。満月と接するのは昨日ぶりだ。だが、一昨日の修太郎の軽率な行動のせいでギクシャクしてしまっている。とはいえ、やってしまったことを取り返すことはできない。覆水盆に返らず。この状況を受け入れた上で打開策を探すより他にない。
しかし、当たり前だが強引にいくのはもう無理だろう。いくらリスクが高い手段を好むとは言っても実現不可能な手段を押し通す気にはなれない。どうでもいい相手ならば話は別だが、相手は幼い少女だ。悪ガキならば容赦するつもりはないが、そうではない以上強硬手段をとるのは気が進まない。
そんなことを考えていると満月は目を伏せ、口を開く。
「ごめんなさい。嘘をついてて。でも……公平様からそう言っておけと言われて……」
「伊丹さんが?」
消え入りそうな声だったが、はっきりと聞き取った修太郎は怪訝そうに眉をひそめる。なぜ公平がそんな嘘を強要したのかと。
はっきりとそんな疑問を視線に込めて自分を見つめてくる修太郎に満月は今にも砕けてしまいそうなほど儚げな笑顔を見せて話しはじめる。
「私は生まれたときにはすでに家族がいなかった。物心がついたときには孤児院で暮らしてたの」
「…………」
重い。想像以上に重い話だった。親がいない。親の顔を知らない。それは見知らぬ他人に簡単に話せるものではない。ほんの少し聞いただけだが、公平が本当のことを言うなと告げた理由が分かった。まぁ、伝聞や体験談を鑑みれば親がいた方がいいと断言できないのも複雑なところではあるが。
満月の話は当然ながら、そこで終わらなかった。それどころか、さらに衝撃的な事実を告げていく。
「そして、そこの孤児院で施設長をしていたのが前田というおじさんだった」
「前田……?」
聞き覚えのある名に修太郎は首をかしげる。満月は修太郎の疑問を補足するかのように追加情報を口にする。
「前田優錬さん。谷崎の使用人をやっている人よ」
その言葉で修太郎はあることを思い出す。そういえば最初に谷崎啓也と接見したとき、彼の居室まで案内した壮年の男性が確か前田という名だったはずだ。確証はないが、おそらくは彼のことを指しているのだろうと修太郎は考える。
満月はそんな修太郎に構わず話を続ける。
「私たちは普段あの人のことを長と呼んでいた」
「長ねぇ……」
「優しい人だった。私たちは全員あの人を慕っていた……。でも、その幸せは長くは続かなかった。……本当に長く続かなかったの」
万感の思いを込めて紡がれた言葉に嘘があるとは思えなかった。実際嘘などないのだろう。それでもあえて強調したのは以前虚言を吐いたことによる罪悪感か、それとも弁明か。
「孤児院は一瞬で地獄に変わった。谷崎の精鋭という人たちが孤児院を襲ってきたの。私は他の子たちを見殺しにして命からがら逃げ延び、長は捕まった。そして、それをやったのが……あの人の主人である谷崎啓也だった……」
そこまで言って、満月は俯く。修太郎は何も言わない。ただ静かに言葉の続きを待つ。
「私は生きるためにあの惨劇から逃げた。だけど、結果的にそれが長の命を大幅に縮めることになってしまった……。その二日後。私があなたに会う前日に彼は反逆者として処刑されてしまった」
か細い声で紡がれる満月の言葉を聞いて、修太郎は唇を噛む。孤児院襲撃。その主犯が啓也だと言うのであれば理由は一つしか考えられない。
満月の身柄。それが彼の目的だったのだろう。孤児院を襲撃したのは前田がそれを妨害したからと見てもいいはずだ。現に初めて前田に会ったとき、彼は死人のような顔をしていた。その理由がその襲撃事件ならば筋は通る。
そして、前田はあの後に殺害された。何と理不尽なことか。そして、全てが頭の中で繋がる。
啓也が殺害された後、彼女がショックを受けた様子こそ見れど、気丈に振る舞えたのは憎き仇敵が死んだからだ。自分を手中に収めるためだけに仲間も父親代わりの人間も殺害したあのクズが死んだから――だから、彼女は自分を保っていられたのだ。
それを裏付けるように満月は先ほどまでとはうってかわり、憎々しい目つきで虚空を見つめながら、話を続ける。
「長――前田さんは谷崎啓也に嵌められて殺された。あの男は長を最後まで使い潰そうとしてダメそうだったらあっさりと捨てたの」
この程度は今さら修太郎にとって驚くには値しない。だが、この少女はどうだ。まだ年端もいかぬ幼い少女。子供と呼ばれる修太郎よりもさらに八つも下なのだ。おまけに修太郎と違ってそういうことへの耐性もなかったはず。彼女が受けたショックは想像を絶するだろう。
「これが私の隠してたことだよ。どう? 軽蔑した? 修太郎」
「まさか。その話のどこに軽蔑する要素がある? 憐憫の情を持つ理由ならあるけどな」
そこで修太郎はゆっくりと後ろに振り返る。そして、口元を歪める。
「俺はとても笑えねえが、てめえは大笑いで馬鹿にするか?」
何もないはずの方向に向かって話しかける修太郎に満月は怪訝そうに眉をひそめる。だが、彼女の背中から修太郎とは違う声が聞こえてくる。
「ああ、悪い。話聞いてなかった。こんなところで何してんだ? 逢い引きでもしてたのか?」
「そう見えるか? なら、お前の目は節穴だな」
突然現れた乱入者に満月が驚きで目を見開く中、修太郎は背中越しに二人の人物を視界に入れる。そこには恵比寿龍がいた。その隣には見覚えのある少年が憎悪に満ちた目で修太郎を睨みつけている。
「久しぶりだな。境の街では世話になった」
「ふん」
修太郎は腕を組んでそっけなく返す。挑発的な態度に同伴者は顔をしかめるが、龍は平然とした表情で修太郎の隣にいる満月に目を向ける。
「にしても、知らなかったな。まさか、お前がロリコンだったとは」
「人のこと言えんのか? 絵面的にはてめえの方がひどいだろ。ショタコン野郎」
「はっ。目くそ鼻くそを笑うってやつだな」
「心配すんな。ブーメランがてめえの額に刺さってる」
修太郎は背もたれに右手を乗せて立ち上がる。同伴者が身構えるが龍はそれを手で制す。
「……話は聞いている。お前はセーザツ・キューゲンペグからの依頼であの集落を潰そうとしてるんだよな?」
「それがどうした?」
「悪いが思い通りにさせるわけにはいかねえんだよ。あの集落を守るのが俺の使命だからな」
綺麗事。それもあまりにも身勝手な言葉に修太郎は失笑する。
「はっ。よその街でハバ利かせてた奴が偉そうに物を言うなよ」
冷めきった視線を向ける修太郎を龍は静かに見返す。二人の間に火花が散る。
矢継ぎ早に繰り出される言葉の応酬に満月はついていけない様子でオロオロしている。逆に少年の方は唇を噛み、体を震わせている。
「……馬鹿にしているのか? お前にそんな台詞を吐く資格があるとでも?」
「おーおー。少し見ないうちに随分と偉くなったもんだなぁ。やっぱり、ろくでもねえことをすると、どんな純粋な子供でも擦れちまうんだろうな。お前もそう思うだろ? 恩人殺しのクソガキ様よぉ」
修太郎の言葉に少年――クワゴは怒りに顔を歪める。手近な石を拾うとそれを修太郎に投げつけようとして、龍に止められる。
「落ち着け。やけくその攻撃が通用する相手じゃねえ。それはてめえが一番分かってるはずだ」
「くっ……」
クワゴは不満げに投げようとした右手を下ろす。それに修太郎はつまらなそうに鼻で息を吐く。
「やれやれ。思ったより冷静……と言いたいところだが何も変わってねえな。感情のままに行動する。そして、致命的な打撃を味方に与える。少しも成長しちゃいねえ。こりゃ、アスタルも報われねえわ」
修太郎の言葉にクワゴは肩を震わせる。龍はそれを見て窘めるが修太郎は止まらない。
「はっ。どうした? 何も言い返さねえのか? あの程度でビクビク怯えやがって。さすがにアスタルに同情するわ。こんな連中に殺されたとあっちゃ、あいつも浮かばれねえどころじゃ――」
「お前があの人を語るな!」
クワゴは石を投げつける。修太郎は悠々とその石を掴み、クワゴへと投げ返す。身体能力強化により、破壊力、速度ともに桁外れの投石がクワゴに襲いかかる。クワゴはそれに反応することすらできず、石が直撃する――直前に龍がクワゴを突き飛ばし、かろうじて回避する。
「ぐっ!」
突き飛ばされたクワゴが呻き声を上げるが龍は構わずに修太郎を睨みつけてくる。それに激しい殺意を感じ取った修太郎は小さな声で満月に囁く。
「離れてろ」
「う、うん……」
満月はその場から下がり、修太郎から二十メートルほど距離を取る。あまり充分とは言えないが、ひとまずこれでいい。もう乱戦に対する対抗策など思いついている。
「クワゴ。突き飛ばしたのは謝ろう。だが、奴を倒すため……力を貸してくれ」
「……うん」
一見、普通の言葉。だが、何か不自然さを感じる龍の言動に修太郎は不審に思う。次の瞬間、クワゴは全身から魔力を放出し、それを龍に流し込む。すると、龍の力が飛躍的に向上し、全身から魔力が迸る。後ろで満月の息を飲む音が聞こえる。けれど、修太郎は大して警戒していなかった。
前回の境の街での一戦で龍に『修太郎に危害を加えることができない』という設定をした。そして、その際に操作した好感度は最大。つまり、どれだけ力があろうが修太郎に危害を加えられない。
ゆえに修太郎は腕を組んで事の推移を見守っていた。龍は鋭い目でこちらを見据える。足に力を込めたかと思うと凄まじい速さで修太郎に接近する。一瞬で間合いに入ると拳を振りかぶり、修太郎の顔面を殴ろうとする。最初はそれを受けるつもりだった。あえて攻撃を食らってやることで、何をしようと無意味だと思い知らせるつもりだった。しかし、龍が間合いに入った瞬間に予感を感じ取った修太郎はとっさに左手でその拳を受け止める。
バアァァァァァァンッ!!!
凄まじい轟音。威力、速度共に常人離れした拳。だが、そんなことはどうでもいい。それよりも自分の左手が痺れている。こちらの方が問題だった。
「さすがだな。これをあっさりと止めるとはよ」
龍は冷や汗を額に流しながらも右手を下げ、距離を取る。修太郎は攻撃を受け止めた自分の左手を見つめる。
「……どういうことだ?」
思わずこぼれた言葉。なぜ自分の左手を痺れさせることができたのか。そういう意味で言ったのだが、全く違う意味で解釈した龍は得意げに笑う。
「お前も知ってるだろうがクワゴは補充者だ。そして、こいつは補充者の中でもトップクラスに入る。そいつのバックアップを受けりゃ、これくらいは当たり前だよ」
「そうかよ」
龍の言葉を聞き流しながらも思案していた修太郎は一つの可能性を思いつく。朝に行っていた実験でも確認できなかった条件。それは好感度操作の時間制限だ。
この特典は強い。戦闘慣れしていなくてもこの能力があれば強者にも勝てるだろう。実際修太郎はこの特典を最大限に駆使して、これまで勝ち抜いてきた。この能力があれば怖い物はない。そんな考えが頭のどこかにあったからこそ油断していたが、よく考えるべきだったのだ。この特典の効果時間が永続なのかどうかを。
今日は七月二十四日。最初に龍と接触したときはこちらに来てから一週間程度だったはずだ。異世界に来たのが七月三日だったから、およそ二週間ほど経っている計算になる。つまり、二週間――あるいはもっと短い時間で修太郎の特典は効果が切れるということだ。まぁ、後者の方が遥かに可能性は高いが。
しかも、これまでのことを考えれば特典で好感度を操作しても数時間程度で効力が失われるわけではない。本来ならば喜ばしいことだが、それゆえに時間制限に気付くのに遅れてしまった。
自分の迂闊さに内心舌打ちしていると龍が両手をゴキゴキと鳴らす。
「どうした? ボーッとしてる暇なんざねえぞ!」
「…………」
龍が襲いかかってくる。左アッパーを顎めがけて放たれるが修太郎は右手で受け流し、反撃の蹴りを龍の腹に叩き込む。龍は数歩下がるがすぐに不敵な笑みを浮かべて、今度は連続で拳を放ってくる。修太郎はそれを防ぎ、かわし、いなし、カウンターを放つ。パンチの数が三十を超えたところで龍はキックも織り交ぜてくる。それを危なげなく捌いて、反撃しつつも修太郎は思考する。
龍に課した設定が時間によって綻びができた上にクワゴによる強化。これはなかなか面倒だった。おまけに連続攻撃は速く、鋭く、重い。これでは普通に考えて再び好感度操作を行うのは困難だ。もっとも普通に考えればの話だったが。
「どうした! こんなもんか!」
完全な攻勢に入ったことで龍は笑う。クワゴも嬉しそうな顔で戦いを見ている。このままいけば、修太郎に勝てると確信しているようだ。
それにわずかに目を細めた修太郎は顔面に飛んできた右肘を掴むとそのまま左に半回転して投げ飛ばす。龍はすぐさま着地し、こちらに接近してくる。真っ正面から突っ込んでくるその動きは恐ろしく直線的だ。先ほど身体能力をさらに強化しておいた拳によるカウンターで容易に倒せるだろう。
そして、それを目の前の愚か者は知らない。だから、懲りもせず正面から攻撃を仕掛けてくる。背後や側面、頭上に回っての攻撃を一切仕掛けてこない。そう見せかけるためのブラフの可能性もあるが、おそらくそれはない。顔を見れば分かる。龍はクワゴから受け取った力のあまりの絶大さに酔いしれている。だから、多少雑な戦いでも負けることはないのだと思い込んでいる。
その認識が間違っているのだと思い知らせるために修太郎は多少趣向を変える。相手のパンチに合わせてパンチを放つのではなく、相手の腕を掴んで足を払う。龍は何が起きているのか理解できないといった表情で倒れていく。その顔面に修太郎は容赦のない左ストレートを叩き込む。
「ぐはっ!」
龍は吹き飛ばされ、何回かバウンドして地面に倒れる。相当なダメージを受けたらしく、体をビクンビクンと震わせ、血反吐を吐く。
「リュ、リュウ!」
クワゴが狼狽した表情で叫ぶ。それを無視して修太郎は考える。
このまま特典で押し切ることも可能だが、それではつまらない。せっかく、この場には彼女がいるのだ。ならば、その力。存分に試してやるのも一興だろう。
修太郎は満月にニヤリと笑いかける。それで大方を察したのか満月は小さく頷き、修太郎に左手を伸ばす。刹那、彼女の体からクワゴの比ではないレベルの魔力が発せられる。それは余すことなく修太郎に注ぎ込まれ、修太郎の肉体は尋常ではないレベルまで強化される。
それを見たクワゴの顔が驚愕に歪められる。
「な、何だ……!!? その力は……!?」
「悪いな。こっちにも補充者はいるんだ。ついでに天女でもあるというおまけ付きでな」
「な……!」
修太郎の言葉にクワゴは呆然とする。その顔がやがて絶望に染まるのも遠くはないだろう。何せ、自分が強化して活路を見出したつもりでいたのが全て無駄だったのだから。
「くっ……! リュウ!」
クワゴはさらなる力を龍に与える。それは龍の傷を癒やし、体力を全快させるほどのものだった。クワゴの支援を受けた龍はゆっくりと立ち上がる。その目からは未だに戦意が失われていない。龍は凄絶な笑みを見せながら構える。だが――。
「がっ! ……ごほ、ごほっ!」
突然龍が胸を押さえて吐血する。それにクワゴが慌てた表情になる。
「ど、どうした! リュウ!」
「力の与えすぎだ。許容量を超えちまったんだよ。どんなもんにも限界がある。そんなもんはガキでも分かることだ」
修太郎は呆れきった表情でクワゴを見下ろす。そのあまりに暗い瞳にクワゴは背筋を凍らせる。修太郎は拳を振り上げると龍に向かって放つ。本体はまるで届いていない。だが、今の修太郎の状態ならば拳から発せられる拳圧だけで充分だった。
上半身が消し飛んだ龍を見て、修太郎はつまらなそうな顔をする。
「勝負ありだ。つまんねえ幕切れだったぜ」
言い終えてすぐにクワゴを見る。クワゴは肩を震わせるが、修太郎は右手で頭を掻くと小さく息を吐く。すると、クワゴが糸の切れた人形のようにその場に倒れる。
「しゅ、修太郎……?」
そこでいつの間にか側まで来ていた満月が不安げに修太郎を見上げる。彼女が何を言いたいのか察した修太郎は苦笑しながら、それに答える。
「ん? 別に殺してねえよ。ただ記憶を奪っただけだ。残してやったとしても幸せになるとは限らない。奪ってやる方が幸せな時もある」
クワゴの寝顔を見下ろしながら修太郎は言う。完全に熟睡しており、寝息を立てている。修太郎は小さく笑うと満月の方に体を向ける。
「にしても、すげえもんだな。あそこまでの力を得られるとはよ」
修太郎の嘘偽りない賛辞に満月はばつの悪そうな顔になる。
「あの……」
「ん? どうした?」
「実はさっきの力……普通の人間には耐えられないほどのものだったの」
時が止まる。今、彼女は何と言った? 普通の人間には耐えられない? それほどまでに先ほどの力は強大だったというのか?
修太郎の考えていることを大体理解した満月は力なく笑いながら言葉を紡ぐ。
「私は補充者であると同時に天女でもある。私が他人に与える力は並の補充者の比ではない。だから、耐えられる人はほとんどいなかった。実際、私が力を与えてまともに扱えた人は今まで一人もいなかった」
「おいおい……。そいつはおっかねえな。今さらになって肝が冷えてきたぜ」
苦笑しながらも修太郎はすでに落ち着きを取り戻していた。そもそも、そこまで恐れる必要などないのだ。特典で設定した身体能力強化はそのまま残っている。あの程度の力ならば耐えきることは可能だ。
ただそれでも疑問は残る。修太郎は満月としっかり目を合わせて尋ねる。
「責めるわけじゃねえけどよ。どうして、それほどの力を俺に与える気になったんだ? 断ることもできただろ?」
別に断られても問題はなかった。あの程度の連中ならば特典だけで造作もなく倒せたのだから。
「信じてたから」
「は?」
不意に告げられた言葉を聞き取れず修太郎は聞き返す。それに満月は満面の笑みを浮かべて言う。
「あなたならきっとこの力に耐えられるって信じてたから。それだけ」
思わず修太郎は呆然としてしまう。予想だにしない言葉。まさしく青天の霹靂だった。それに修太郎はなぜか救われた気がした。
「そうか。そいつは嬉しいね」
修太郎はそう言って小さく笑う。本当に小さな小さな笑みだった。いわゆる微笑だ。だが、それは修太郎が浮かべた今までの笑みの中でもっとも穏やかなものだった。
修太郎はすぐにその笑みを引っ込め、満月に背を向ける。
「帰るか」
「うん」
二人はそのまま帰路につく。旅館につくまで終始無言だったが二人の間には完全にわだかまりが消えていた。結果として二人の和解は成ったのだ。
その代償に二人を犠牲にして……。
「やれやれ。まさか、ここまでとはな。あまりあいつ相手に策を弄するような真似はしたかねえんだが、仕方ねえか」




