一人目ー第四章 3話 余興は人知れず始まる
七月十九日。修太郎は部屋に備えつけられたキッチンでマヤとサヤとプリンを作っていた。マヤとサヤは修太郎とは二つしか違わないはずだが見た目相応にはしゃぎながらプリン作りに興じている。
今はフライパンでいろいろと混ぜたものを熱しているところだ。フライパンの前で番をしていたサヤが虚空をぼんやりと見つめていた修太郎の袖を引っ張る。
「ねぇ、修太郎。もういいんじゃない?」
「ん? あー……もうちょいかな」
修太郎はフライパンの中を覗き込んで言う。マヤはそれに怪訝そうに眉をひそめる。
「よさそうに見えるけど……」
「別にこれでもいいかもしれねえが、ちと泡が小せえかな」
液体の沸騰具合を見て、頭を右手で掻きながら言う修太郎にマヤは不承不承ながら納得する。サヤは目を輝かせてフライパンの中を覗き込んでいる。それに修太郎は危険だと注意をする。
プリンと言っても比較的簡単に作れるものだ。まずゼラチンと砂糖と水を混ぜ合わせて、フライパンに入れる。そして、強火で熱する。ある程度温度が上がってきたところでバニラエッセンスを加えてかき混ぜる。沸騰してきたところで火を止めてフライパンから適当に用意した大きな容器に移し替える。
それはプリンというより寒天に近い。これを冷蔵庫で数時間ほど冷やしてそれっぽい容器に入れて盛り付ければ完成だ。完成した寒天もどきをテキパキと冷蔵庫に入れながら修太郎はあることを考えていた。
――どうして、こうなった?
それはわりと切実な疑問だった。別にプリン作りをしたくないというわけではない。そうではなく、何で自分は双子とプリン作りなどをしているのか。それが知りたかった。
三日前はカスミと出かけた。一昨日は適当に過ごし、そして、昨日は一人で団光とは違う街を適当にぶらついてみたところ、そこそこ美味しそうなプリンを見つけた。修太郎はそれを五人分買って旅館に戻った。そこまではいい。
問題はその後だ。マヤとサヤは買ってきたプリンを食べる途中でなぜか妙なことを口走ったのだ。
『そういえば、私、プリンを食べたことはあっても作ったことはないんだよね。ねぇ、マヤ。プリン作ってみない?』
『そうね。私も作ってみたいわ』
全く以て意味不明である。何がどうしてそういう話の流れになったのか。しかし、作りたいだけならば別に修太郎は気にしなかった。勝手にしてくれ、というのが修太郎の心境だった。
二人で協力してプリンを作るのだろう。その気になれば、そう難しくない。なら、双子で協力して作ればいい。あわよくば少しくらい味見をさせてもらおう。その修太郎の甘すぎる見通しはいとも簡単に裏切られた。
『ねぇ、修太郎。私たち、プリンの作り方を知らないの』
『あ? ああ。それがどうかしたのか?』
突然マヤに話しかけられ、修太郎は気の抜けた声を返す。それにマヤは呆れたように鼻で息を吐く。
『察しが悪いわね。私たちにプリン作りを教えてほしいと言っているの』
『は?』
何を言っているのか分からないといった様子の修太郎にサヤは呆れ顔になって口を開く。
『あ、ごめんね。修太郎。マヤは飛躍しすぎよ。ちゃんと、一から話さなきゃ』
『何でそんなことしないといけないのよ。面倒くさい』
『伝わらないと余計に面倒でしょ』
サヤの言葉は一分の隙もない正論だ。あまり頭の回転が速い方ではない修太郎としてはもう少し分かりやすく言ってほしかった。
『えっとね。修太郎はプリンを買ってきたでしょ?』
『そうだが?』
『買ったってことはそれの作り方を知ってるってことでしょ? だから、それを教えてほしいの』
いやいや、お前も充分飛躍してるだろ、という言葉を修太郎は飲み込んだ。しかし、いくらなんでもそれはないだろう。どういう理屈なのか修太郎にはさっぱり分からなかった。
買っただけで作り方を知っているのであれば、世の人間は超一流の料亭が出す料理もそこらのスーパーやコンビニで買える冷凍食品や惣菜も作り方を知っているということになる。前者はともかく後者を買う人間は多い。彼らがそれぞれの冷凍食品や惣菜がどんな材料をどれくらい使っていて、どういう手順で作っているか知っていると彼女たちは言うつもりなのだろうか。
『ちょっと待て。いくらなんでもその理屈は無茶苦茶にもほどがあるだろ』
『何よ。まさか買ってきておいて、作り方を知らないっていうんじゃないんでしょうね?』
『いや、多分普通の人間は大体がそうだと思うんだが……』
左手で頬を掻きながら目をそらして言う修太郎にマヤは不満げに唸る。それに修太郎は小さく息を吐く。
『じゃあ、逆に聞くが、お前らはこれまで旅館とかで出された料理の作り方を知っているのか?』
修太郎の問いに二人は言葉をつまらせる。数瞬置いてマヤが口を開こうとするが、ろくなことじゃないと判断した修太郎はその前に言葉を紡ぐ。
『はぁ……。まあいい。別に知らねえってわけじゃねえし、俺でよけりゃ教えてやるよ』
『本当ですか?』
『ああ。けど、明日な。今日はもうすぐ夕飯だし、俺もあちこちぶらついて疲れちまった』
修太郎は肩をゴキゴキと鳴らして去っていく。その際にマヤに何か言われた気がするが、それは無視する。
そうだ。この会話が原因でこのような状況になっているのだ。修太郎としては正直どうすればいいのか分からなかった。その時の自分を恨めばいいのか、それとも、その時の自分を褒めればいいのか。あるいはその両方をすればいいのか。
いずれにしても、この状況は別段まずいというわけでもない。ただいろいろと予想外の事態が起こってしまっただけのこと。それだけのことなのだ。
「さて、そろそろいいな。よし、容器を準備するか」
修太郎はそう言って手近な棚から大きめの器を選んで取り出す。それにしても、本当にいろいろな容器があるものだ。さすがは四大名家が選んだだけのことはある。
そんなことを考えつつ、容器に液体を移し替えていく。これは少々面倒な作業なので修太郎が担当した。そして、あらかた移し替えたところで修太郎はフライパンを机の上に置く。
「あとはこいつを冷やせば、ほぼ完成だ」
「結構簡単なのね」
「簡単なのしか知らねえからな。間違っても、プロのパティシエとは比べちゃいけねえ。その分手軽なのがメリットではあるがな」
「パティシエ?」
「それはお前らで調べといてくれ。じゃ、冷蔵庫に入れるぞ」
首をかしげるサヤに半ば投げやりになった修太郎は適当に誤魔化して容器を冷蔵庫に入れる。あとは数時間冷やせば完成である。
「これで大方終わったな。後は待つだけだから、好きにしてていいぞ」
「何か拍子抜け。こんなのでいいんだ」
「そう言われてもな……」
修太郎は頭を掻きながら、ため息をつく。修太郎としてはこれ以外に作り方を知らないのだから、文句を言われたところでどうしようもない。
「――少し、気分転換も兼ねて外を歩いてくるわ。じゃ、また五時間後にな」
修太郎は右手を上げて出ていく。制止の声は聞かない。ちょっとだけのんびりしてくるだけだ。文句を言われる謂れはないだろう。
今日も相変わらず晴れている。この世界に来てから延々と日が照り続けている。この青空は一体どこまで続くのだろうか。
○○○○○
修太郎は街を一人歩いていた。ここはすでに昨日のうちに見た場所だ。もう一度来る必要はなかったが、何となく足を運んでいた。目的も理由も持たぬまま――。
どうも、先ほどから意識がぼんやりとしている。マヤたちとプリンを作っていたときは問題なかったのに、ここに来てから急に気怠くなった。疲労とは違う。似て非なるものだ。しかし、本質が違えど大差ないようにも思える。どちらにせよ、あまりいい状態とは言えない。頭が回らず、手足が重い。歩くことすら億劫だ。
心ここにあらずといった様子で歩いていると前方から見覚えのある顔が見えた。修太郎はそれに気付き、声をかけるかどうか逡巡する。しかし、向こうも修太郎に気付いたらしく、小さく笑みを浮かべて近付いてくる。
「こんにちは、櫛山くん」
「ああ。思ったより元気そうで何よりだ。影浦」
言ってから失言だと気付いたが、修太郎にはどうでもよかった。正直、今はあまり人と話したくない。これで怒って離れてくれるならありがたい。それが今の修太郎の心境だった。
「そうだね。おかげさまでって言ったら皮肉っぽくなっちゃうけど、櫛山くんにはお礼を言いたい気持ちがあるかな」
「あ?」
だが、香奈が返してきたものは修太郎にとって予想外のものだった。拍子抜けした修太郎はいつも彼女と行動を共にしているはずの少女の姿がいないことに気付き、抑揚のない声でそれを口にする。
「……重藤はどうした? あいつは一緒じゃねえのか?」
「うん。今は別行動を取ってるから。……実は将頼くんが殺されちゃって、真梨奈ちゃん、元気ないの」
誰にとは言わない。犯人など言わずとも分かりきっている。だから、修太郎は何も聞かない。
「そうか。それはそれは……。お悔やみでも申し上げておいた方がいいのか?」
修太郎は半ば挑発するように言うが香奈は何の反応も見せない。彼女は悲しげに笑うと再び修太郎の予想の範疇を超えた言葉を口にする。
「こんなこと言うのはおかしいって分かってるんだけど、それでも言わせて。兄さんを正々堂々と殺してくれてありがとう」
香奈はそう言ってはにかむ。言っている内容は確かに異常だ。しかし、修太郎がその言葉に違和感を持つことはなかった。
これくらいは普通だ。そういう環境に彼らは生まれてきた。ならば、人を殺めたことを感謝されるくらいは人々が送っている日常と何ら遜色ないのだ。
だから、修太郎は笑った。疲れたように、呆れたように笑った。
「はぁ……。別に礼を言われるようなことなんざ何一つしてねえよ。あいつが勝手に死んだ。それだけだ」
「うん。そうだね」
ため息混じりの修太郎の言葉を香奈は迷うことなく肯定する。正馬は遅かれ早かれいずれ死んでいた。彼が選んだのはそういう生き方だ。だが、たとえそれが事実だとしても即座に返答した彼女はやはり異常なのだろう。
けれど、そんなことはどうでもいい。そんなことはどうなろうが知ったことではないのだ。それよりも、今はこの場を離れたかった。彼女と会話していたいとは思わない。そんな暇があるのであれば、少しでも歩きたかった。
「――大丈夫?」
「あ?」
そこで不意に香奈が顔を覗き込んでくる。その瞳には心配の色が浮かんでいた。修太郎はそんな香奈を怪訝そうな顔で見下ろす。
「櫛山くん、顔が真っ青だよ。体調が悪いの? ひょっとして、私何か嫌なこと言っちゃった?」
それに修太郎は自分の左手を顔に当てる。だが、その程度で自分の顔色など分かるはずがない。それよりも一刻も早く歩き出したかった修太郎は適当な言葉を返す。
「別に問題ねえよ。……悪いが俺はもう行く。じゃあな」
「あ、うん……。またね」
修太郎は一言断ると香奈の横を通り過ぎていく。だが、その足取りはどこかふらついている。それに気付いた香奈は心配げにその背を見るが、修太郎はそれに気付くことはない。気付けるだけのゆとりなどなかった。
――意識が薄れていく。修太郎は歩きながら意識を手放した。
「――さぁ、始めよう。この冷たくて詰めたい余興を――」
興が醒めぬうちに――。




