一人目ー第三章 17話 一段落
一通り終えた修太郎は旅館に戻り、夕食の最中にカスミたちに公平の依頼を達成したことだけ告げると温泉に軽く浸かって眠ってしまった。
あっという間に夜は明け、次の日の朝となった。修太郎としては昼過ぎまで寝ていたい気分だったが、そういうわけにもいかず、七時十分頃に目を覚まし、嫌々活動を始める。
ある程度特典を身につけたところで修太郎は満月の顔を見に行くべく公平の屋敷に向かうことにする。その道中で修太郎は行谷勝喜と鎹千斗の二人と遭遇する。何となく予想はできていたので修太郎は驚くことはなかった。それにこの二人は光一グループの中ではかなりまともな方だ。そう悲観することもない。
「行谷と鎹か。こんなところで会うとは奇遇だな」
「せやな。お前も元気そうで何よりや」
「おかげさんでな」
勝喜とはそこそこ会話が弾んではいるが、千斗は沈黙している。決して無口というわけではないのだが、勝喜が喋っているときは千斗はあまり口を挟んでこない。無言で側に付き従うように立つその様は行谷の従者のようにも見える。
ある程度雑談をしたところで勝喜が周囲をキョロキョロと見渡す。そして、トーンを下げて言ってくる。
「すまん。ちょっとええか?」
「ん? どうした?」
修太郎の問いに答えず勝喜は千斗を一瞥する。それに気付いた千斗は左手を顔の前で振りながら言う。
「ああ。構わねえ。行ってこいよ」
「すまんな。ほなら、ちょっと場所移そか」
「? ああ」
修太郎は不審に思いながらも大人しく勝喜の後をついていく。千斗はそれを一瞥すると、尾行することなく近くの壁に寄りかかる。彼に聞き耳を立てる意思など欠片もない。それに内心感謝しつつ、勝喜はあえて人目のないところに修太郎を連れていく。
ある程度離れたところで勝喜は立ち止まる。そこは図らずも正馬と戦った路地裏の一本南にあたる路だった。
当然、勝喜が知っているはずもない。修太郎も言うつもりはなく、立ち止まってすぐにその場においてもっとも自然な言葉を口にする。
「で、わざわざ鎹から離れて何を言いたいんだ?」
修太郎の問いに勝喜は再度周囲を確認する。そんなに重要な話なのかと修太郎は内心訝しげに思いながらも言葉を待っていると、勝喜は顔を近づけ、耳元で囁くように言う。
「……気ぃ付けや。俺らん中に一人、裏切り者が混ざり込んどる」
トーンを下げた勝喜の言葉に修太郎は目を見開く。勝喜は苦々しげな表情をしながらも言葉を続ける。
「たまたま資料室みたいなとこ漁ってたときに一つの報告書みたいなもんを見つけたんや。それにはいろいろと信じがたい情報が載っとった。さっき言ったんは、そん中に紛れ込んどった情報の一つや。俺も信じたわけやあらへん。光一もばっさりと切り捨ててたしな」
確かにいきなりそんな事実を知らされたところで信じることは難しいだろう。修太郎もそんな出所の不明瞭な報告書に裏切り者がいるなどと書かれていたところで信じるかといわれれば否だ。
まぁ、光一の場合は裏切り者などいるはずがないというつまらない先入観だけで言い張った可能性もあるが。
「今んとこ、このことを知っとんのは俺と光一だけや。真偽が分からんかったし、本当やろうと嘘やろうと他の連中に知らせればパニック間違いなしやしな。せやけど、個人的には完全に嘘だと断言する気にもなれへんのや。まぁ、ただの勘やけどな」
「……それが本当だとして、どうして俺に話した?」
「そんなん分かりきっとるやろ。聞いてるで。自分、いろんなところで面倒ごとに首突っ込んどるらしいやん。多分クラスん中でもっとも危険なんはお前やろ。せやから、警告の意味も込めて教えといたろ思てな。俺的にはあんま自分には死んでほしくないしな」
修太郎は胡乱げに勝喜を見る。正直信じがたい話ではある。仮に裏切り者がいたとして、それが何だというのか。別に修太郎は魔王討伐にそこまで腐心しているわけではない。境の街での借りを返したいとは思っているが、せいぜいその程度だ。というより、それ以前に他の連中に話していない機密情報を大して親しくもない修太郎に話す意図が全く掴めない。
だが、真意を聞いたところで無駄だと判断した修太郎は頭を掻きながら例を言うことにする。
「分かった。忠告してくれてありがとよ」
「構へん。ほんなら、俺はここで……」
「おう」
勝喜はそう言って先ほど来た方向とは逆の方向に向かって去っていく。つまり、千斗を置き去りにしてしまうということだ。
修太郎は一瞬それに言及しようか迷ったがやめた。勝喜がやることに口出しをする意味などない。時間の無駄だ。
とはいえ、さすがに千斗を放置するのは気が引ける。それに公平の屋敷に向かうには元来た道を戻った方が早い。そのため修太郎は伝令も兼ねて戻ることにする。
通りまで戻ってくると、千斗は未だに壁に寄りかかっていた。修太郎は彼に近付き、右手を上げて話しかける。
「よぉ」
「ん? ああ。櫛山か。話は終わったのか?」
「まあな。行谷は話が終わったら逆方向に歩いてったよ。その後どうする気かは知らねえが、一応伝えとこうと思ってな」
「そうか。もう少し向こうで別行動をとる予定だったが、ここで一度分かれるということか。それならそうと一言くらいほしかったけどな」
「それは俺のせいじゃねえよ」
「俺もお前のせいにするつもりはない。むしろ教えてくれて助かった。ありがとよ」
千斗はそう言って軽く左手を振る。そして、去り際に千斗はあっ、と小さく声を上げる。そして、振り向きざまに言う。
「勝喜の奴が何を言ったのかは知らねえけどよ。少なくとも俺は天女とかいう少女を助けたことは立派だと思ってるぜ」
「はっ。偉そうにほざいてんなよ」
「そう受け取られちまっても仕方ねえか。けど、少なくともこれは伝えておいておきたかったんだ。お前は凄え奴だよ」
「ふん。褒め言葉として受け取っておいてやるよ」
不敵に笑う修太郎に千斗も笑い返す。そして、そのまま千斗もその場を離れた。
勝喜と千斗が去っていったのを確認した修太郎は自身も公平の屋敷に向かうために動こうとする。いや、動こうとした。
だが、前に進もうと一歩足を踏み出そうとした瞬間、修太郎の脳内にノイズが走る。
「……?」
修太郎は動けない。壁にもたれかかり、崩れ落ちるかのように座り込んでしまう。ノイズはどんどん大きくなっていく。やがて、修太郎の視界は奪われ、辺り一面が真っ暗になる。
「ちぃっ!」
何者かによる不意打ちと判断した修太郎は特典を以て対抗しようとする。だが、特典を発動することができない。それどころか、体の自由さえ奪われ、身動き一つ取れなくなる。
それでも修太郎は諦めず、抗おうとしたところで目の前に一人の人物が現れる。顔は窺い知ることができない。首から上は黒いモヤがかかったかのように何も見えない。分かるのはその人物が修太郎よりも十センチ近く背が高く、袴姿に上等そうな藤があしらわれた羽織を羽織り、頭に黒い烏帽子を被っているということだけだ。その姿は平安貴族のそれにも似ており、このことから修太郎は断定はできないが、おそらく性別は男だろうと当たりをつける。
「お前は……誰だ?」
その人物は修太郎の問いに答えない。ゆっくりと右手を修太郎の方に伸ばしてくる。修太郎は防御態勢を取ろうとするが、身動き一つ取れないためどうすることもできない。
やがて、その人物の右手から白い糸のようなものが伸びてくる。一見ごく普通の糸に見えるが、この状況で何の変哲もないただの糸であるはずもない。しかし、修太郎にはかわすことも、特典を使って防ぐこともできない。為す術もなくその糸が自分の身に触れるのを見ていることしかできなかった。
その糸が修太郎に触れる。しかし、糸は止まることなく修太郎の中に入り込んでいく。そして、その糸が修太郎の中に入った瞬間、修太郎の頭の中にまるで昔のフィルム映画のように白黒の映像が流れ込んでくる。
それはどこかの海岸だった。ノイズ混じりで白黒ということもあり、どこの海なのかは判別がつかない。いや、映像として流れているのは何の変哲もないごく普通の海だ。海の家一つなく、人気もまるでない。ひたすら砂浜が広がっている。このことから修太郎はどこかの田舎の海かもしれないと当たりをつける。
けれど、考えられたのはそこまでだった。何の前触れもなく修太郎を凄まじい頭痛が襲った。
修太郎は激痛に顔を歪める。痛みは一向に収まらない。どんどんひどくなってくる。どんどんどんどんひどくなっている。どんどんどんどんどんどんひどくなってきている。
前へ前へ。ま、まザ。食らい瞳。粟生い祖羅。湯目は太久巣。あイくチ。素晴ラシい。スバらしい。すスすすスス。カれハすバらシい。よ、よ、よクやヤヤヤややヤやヤ。お、オ、おおおおお、ママ――。ソソソそそそそそ。君我俺儀小。キく花ハお。タしイ。ウううルか。
あは、あはは、あはははは、あはははははは、あははははははははははは。さ、さ、さぁ、さあぁ、あ、あな、あな、あなた、たは……。
お、おれ3m*908!mjpwq93-~tuw%$ls\2joa/i'h8&rs|;?:;ceq2:11111111111111111111111………………
そこで頭痛が治まる。修太郎は右手で頭を押さえ、その場にうずくまる。
(何だ? 今のは……。音声など全く聞こえなかったはずなのに、なぜ、あんな無意味な言葉の羅列が頭に流れてきた?)
思考が正常に戻り、真っ先に思ったのがこれだった。映像は収まったが当然のことながら未だに混乱している。混乱ゆえか、いや混乱しているにしてはと言うべきか、修太郎の思考は即座に今の映像を見せたと思われる袴の人物の方へと向いていく。
最初に糸を伸ばしてきた人物はおそらく何者でもない。それどころか、あの場に実在すらしていなかった。あれは単なるイメージにすぎないということも根拠はないが理解できた。
しかし、あの人物もただの妄想ではない。修太郎はあの人物と過去にどこかで出会っている。だからこそ、脳内のイメージを固めるための事象として選ばれたのだ。
だが、分かるのはそこまでだ。それ以上は何も分からない。おそらく、これ以上考えても何も分かりはしないだろう。
修太郎はふらつきながらも立ち上がる。この数分で本調子と呼べなくなってしまったが、それでも満月の様子くらいは見ておきたい。余計なことは忘れて、公平の屋敷に向かうことにした。
意識が戻ってから少しの間は若干ふらついたが、三分もすればいつもの調子に戻った。公平の屋敷に到着し、インターフォンを鳴らすと使用人が門を開けてくれる。そのまま、庭を通り抜けて玄関へと足を踏み入れたところでパタパタと足音が聞こえてくる。
修太郎はそちらの方に目を向け、小さく息を吐く。足音を出している影は修太郎に向かって突進してくる。微笑ましいものを見る目で飛びかかってきたその影を受け止める。
「っと、いきなり飛びついてくんなよ。危ねえぞ、満月」
「ごめんね。でも、私くらいの歳の子はこういうことをするものなのでしょう?」
「まぁ……あながち、間違いでもねえな」
満月くらいの年齢になってくれば、女の子というのは大人ぶったりするものだが、確かに無邪気に飛びついてくるような子がいないとは言い切れない。といっても、性格や環境で大きく変わったりするものなので、人それぞれとしか言いようがないのだが。
「元気そうで何よりだ。つっても、一日でそうそう変わりはしねえだろうけどよ」
修太郎はそう言って満月を抱き上げ、その頭を撫でていると正面から一人の男性が歩いてくる。
「来たか」
「約束してたからな。自分で言ったことはきちんと守るさ」
「そうか。別に無理して来る必要もなかったんだがな」
「無理はしてないさ。それよりも昨日は悪かったな。野暮用が入っちまったせいでさっさと帰っちまって」
「構わないさ。俺も無理を言って困らせるような真似はしたくない」
公平は話をしながら目配せで使用人たちに指示する。ほとんどの使用人は屋敷の奥へと進み、残された一人の使用人も修太郎にスリッパを出すと一礼して、他の使用人に倣って奥へと消えていく。
「まぁ、上がってくれ。さすがに昼飯には早いが美味い茶をご馳走しよう」
「そうだな。じゃあ、ありがたくもらうとしようか」
修太郎は満月を肩に抱き上げてスリッパを履く。そして、屋敷の奥へと向かおうとしたところで一度満月を見る。
「ああ。そういや、ちょっと話しておきたいことがあったんだ。満月。悪いが俺と伊丹さんの二人にしてくれないか?」
「? それは構わないけど……」
「何。そんな大した話じゃねえ。すぐ向かう」
「分かった」
満月は少し不満げな顔になったが、修太郎が下ろすと素直に屋敷の奥へと向かっていく。修太郎は公平の方を見て、眉を下げる。
「悪いな。了承も取らねえでこんなことしちまって」
「いや。問題ない。それでわざわざ俺と二人で話したいことというのは何だ?」
「一つだけ聞いてもいいか?」
「いいとも。君には恩がある。何でも聞いてくれ。可能な限り答えよう」
「そうか。まぁ、あんたが答えられるかどうかは知らねえがな。俺が聞きたいのは一つ。あんた、何で満月を助けた?」
それに公平はわずかに眉を動かす。修太郎はそれを確認しつつも、目を閉じて肩をすくめながら言葉を続ける。
「あんたの話じゃこの辺で行き倒れは珍しくねえんだろ? そして、そういう連中に関わらないのがセオリーだとあんたは自分で認めていた。にもかかわらず、魔王様と弱々しく言っただけで何で助ける気になった? 単に適当なことを口にしただけの可能性だって充分あったはずだ」
どれほど強い人間であろうとも飢餓には勝てない。漫画などで一年食べなくても平気だという人間を見たことがあるが、そんなものは現実ではありえない。特典を使えば不可能ではないかもしれないが、満月は極めて特殊な力を有してこそいるが、基本的には普通の女の子だ。飢えと渇きによる苦痛から逃れることができるとは思えない。
そうでなくとも、ただの妄言だと切り捨てるのが普通のはずだ。だが、彼は助けた。修太郎はそれがどこか不自然に映った。
公平は右手を顎にやり、そして、先ほどよりもトーンを下げて答える。
「そうだな……。信じてもらえるかどうかは分からないが、実は彼女は俺の妹に似ていてね。多分、その影響だろう」
「妹?」
「ああ。梨というんだがね。今は訳あって会うことはできないが、どことなく彼女と満月が似ていたんだ。俺の持つ答えはそれだけだよ」
物寂しげな表情で公平は言う。それに修太郎も思うところがあったのか、もはや何も言わなかった。
「そうか。すまなかったな。嫌なこと思い出させちまったみたいで」
「いや。何でも聞いてくれと言ったのは俺だ。君が気にすることはない」
公平はそこで穏やかな笑みを浮かべる。明らかに無理して作られた物だ。公平はその表情のまま言ってくる。
「さぁ、そろそろ行こう。最高級の玉露と茶菓子を用意してある」
「そいつぁ、楽しみだ」
修太郎は公平の誘いに乗って奥へと入っていく。これ以上何か言うのは野暮というものだ。だから、ここは素直に誘いに乗っておくに限る。そして、二時間ほど雑談をしながら茶を楽しんだ。
公平の屋敷を後にした修太郎は道の真ん中に一人の青年が立っていることに気付く。周囲には誰もいない。青年の横を通れば、普通に先に行けそうだが、どうやら青年は修太郎の用があるらしい。その目は修太郎をジッと見ている。
このままでは何もせずに通り抜けるのは無理だと判断した修太郎は青年から十メートルほど離れたところで立ち止まる。
「……そんなところで突っ立ってっと、通行の邪魔だぞ」
「申し訳ない。君に少しだけ話したいことがあってね。それを話したらすぐに帰ろう」
「話したいこと……ね。その前に名ぐらい名乗るのが礼儀ってものじゃねえのか?」
「失礼。俺は谷崎焉馬。谷崎啓也の息子だ」
その言葉に修太郎は身構える。谷崎啓也。それは修太郎が殺した男の名だ。その息子が修太郎に会いに来たとなれば、敵討ちに来たと考えるのが妥当だろう。
だが、修太郎の予想に反して、焉馬は何もしてくる気配がない。それどころか、敵意すら感じない。それに修太郎は怪訝そうな顔をしつつも、警戒を解くことはない。焉馬はそんな修太郎に苦笑しながらも、口を開く。
「父の暴走を止めてくれてありがとう。それだけ言いたかったんだ。邪魔をしたね。では……」
焉馬はそれだけ言うと、修太郎の横を通り抜けて去っていく。修太郎はその背を一瞥して、首をかしげる。だが、すぐに興味を失せたかのような顔になり、旅館へと歩きはじめた。
その後、修太郎はゆったりとした足取りで旅館に戻ってきた。そして、部屋に戻ってすぐにカスミに話しかけられる。
「すみません。谷崎啓也が死亡したことでいろいろ込み入ったことがありまして。申し訳ありませんが、さすがに今回は十日ほど動けなくなりそうなんです」
「急だな」
しかし、同時に仕方のないことだろうとも思う。四大名家の当主が急逝したのだ。それをやったのが自分とはいえ、当主が死亡したことによる影響は決して小さくないということは理解している。
カスミは面目ないといった表情で修太郎を見てくる。
「申し訳ありません。よろしければ、先に出立しても構いません。私も事が終わり次第、すぐに向かいます」
修太郎はそれに少し考える。今日は七月十四日。こっちに来てから未だに十日ほどしか経っていない。一昨日も何となく思ったが、この短期間でいろいろなことがありすぎた。さすがの修太郎も少し休みたい気分になってきたところだった。
それに――コンフリクト地区もそうだが――次に向かうアデワデ地区に関しては完全な未知数だ。それに谷崎と違い、キューゲンペグ家は表向きですらアレフス家と友好関係を結んでいない。他の三家に対して排他的という噂もあるので、疲労を抱えたまま向かいたい場所ではない。
「そうだな。なら、言葉に甘えさせてもらおう。と言いたいところだが、最近いろいろとバタバタしてたからな。俺も一週間くらいは休憩のためにここに留まるよ。この地区を出るのはそれからだな」
「分かりました。でしたら、私もなるべくそれ以内に終わらせられるように精一杯力を尽くします」
「急がなくていい。どうせ、急ぐ旅ではないんだからな」
「了解しました」
カスミは深々と一礼し、修太郎の横を通って部屋を出ていく。修太郎はカスミの去る足跡を背に奥へと入っていく。和室へと入ると、マヤとサヤが緑茶の入った湯飲みを片手に正座していた。
サヤは修太郎の姿を見ると、湯飲みを畳の上に置いて尋ねてくる。
「用事は終わったの?」
「まあな」
「遅かったね。もう十時すぎだよ」
マヤが時計を見ながら言う。時計の針は十時十二分を指していた。ここを出たのが七時半だったので二時間半ほど外に出ていたことになる。
「あぁ、ちと話し込んじまってな。けど、別に構わねえだろ? どうせ、今日のところは何も予定がねえんだから」
「そりゃそうだけど」
つまらなそうに言うマヤに修太郎は苦笑する。そして、中に入っていき、二人まであと数歩といったところで腰を下ろしてあぐらをかく。
「遅いっつっても昼飯までまだまだ時間があるな。せっかくだ、少し話をしないか?」
「話って何の話をするのさ?」
「何でもいいさ。たまにはくだらねえことをベラベラと喋ってみようじゃねえか。そういうのは大事だぜ」
修太郎はそう言って不敵に笑った。マヤとサヤはそんな彼をキョトンとした顔で見る。修太郎は構わずに適当に話しはじめた。
○○○○○
ハカリは某所の居酒屋にある地下室のようなところにいた。高級そうなソファにもたれかかって座るその様子はちょっとした大物の風格を漂わせている。一見、平時と変わらないように見える。だが、長い付き合いの者は瞬時に理解した。彼が何かにイラついているということを。
彼の側近であり人型悪霊の中でも古参の男――ザウモもそれに気付いた一人だった。ザウモはハカリの側に行く。ハカリはそんな彼に目もくれない。ザウモは構わずに口を開く。
「我々が呼び出したあの集団のことを気にしておられるのですかな?」
ザウモがわずかに目を細めながら問う。それにハカリは答えない。
「確かに馬様をはじめ、アスタル様、グブファ様、木更津様など決して少ない数の人型が殺されております。期待以上の戦力です。それに加えて、我々の支配を拒んでいるという情報も入っています。確かに芳しいとはいえません。ですが、こちら側にもエルゴータ様、坂入様を筆頭にレイガー様、神中様、ノブラボ様など数多くの精鋭が未だに残っておられます。万が一ということはありえないでしょう」
「そんなことはどうでもいい」
ザウモの言葉をばっさりと切り捨てたハカリは仮面の奥に隠れた瞳をザウモに向ける。
「連中を制御しようなどと思ったことはない。連中をこちらの世界に召喚できた時点で我々の目的はすでに成ったも同然なんだ。その後、連中がどう動こうが私の与り知るところではない。私が知りたいことは一つ。櫛山修太郎と彼を会わせたのは誰だ?」
ハカリは不機嫌さを隠そうともせずに言い放つ。その声色には明らかに苛立ちが含まれていた。
「彼とは例の人間のことですな。その件に関しましては申し訳ありませんが現在調査中です」
「つまり、原因は不明だと」
「はっ。本来ならあのような者がこちらの世界に存在するはずはないのですが、あの者は確かにこちらの世界に存在しております。加えて、あの近辺で未確認の魔力も確認されました。このことから幻覚や変装の類いというのも考えづらいかと」
「存在するはずのないものが存在しているということは、何か異常が起きている、あるいは意図的に起こされているということか?」
「断定はできませんが、おそらくは……」
「前者でも充分まずいが、後者だとさらにまずいな。そして、状況からして後者の可能性が極めて高い。もし、何者かが我々を妨害するために動いているのだとしたら一刻も早く手を打たなくてはな」
ハカリは考え込む。彼の願いは決して崇高ではないが、極めて正当なものだ。それを邪魔する者がいるというのであれば容赦するわけにはいかない。
「まあいい。邪魔者は排除すればすむだけだ。至急そいつの特定を急げ」
「はっ!」
ザウモは恭しく頭を下げると、何処かへと向かう。ハカリは手近な机に置かれた赤ワインの入ったグラスを手に取る。そして、仮面の奥で笑う。
「ふん。好きに侮っているがいい。その方が事を運ぶには好都合だ。だが、今に見ていろ。私は何があろうとも必ず救い出してみせる」
ハカリはそう言ってワインを飲む。それは何とも言えぬ格別の味がした。
next――『第四章 陰の蠢き』




