一人目ー第一章 4話 カスミの家
カスミの家はそんなに遠くなかった。歩いて二十分足らずといったところだ。その間、いくらか会話を交わせたおかげで互いのことについてある程度話をすることができた。
もっとも、道中ずっと手を引かれているせいで若干注目を集めてしまったが、今となっては些細なことだった。何せ、修太郎の目の前にそれ以上の驚愕の光景が広がっていたのだから。
「これが……お前の家なのか……?」
「はい、そうです」
修太郎は思わず絶句した。何しろ、カスミが自分の家だと指差したのはとてつもなく巨大な敷地を持つ洋館だったからだ。周囲を三メートルほどの高さを持つ柵で取り囲んでおり、修太郎の正面にはほどほどに立派な門があった。庭も広く、あちこちに像が建てられている。空想上の動物だけでなく、人間の像もありおそらく彼女の先祖にあたる人物なのだろうと修太郎は思った。同時に玄関らしき扉に十字架が描かれているのを見て、仏教徒ではなかったのかと思わずツッコミそうになった。
だが、今はそんなことはどうでもいい。それよりも明らかに大金持ちだと分かる目の前の屋敷が問題だ。これだけの屋敷を持てるのなら当然相当な名家だろう。そうでなくとも、資産家であることは違いない。そうなると厄介なことになるかもしれない。
一瞬引き返そうとも思ったが、そうは問屋が卸さなかった。
「どうしたのですか? 入っていただいて構いませんよ」
「あ、ああ」
あまりにも綺麗な笑みを浮かべて言ってくるカスミにいまさら遠慮するなどと言えなかった。修太郎は為す術なく門を潜り抜ける。
そして、門を潜り抜けるとすぐに正面に一人の女性が現れる。青のネクタイに黒のパンツスーツを着た二十代前半くらいの若い女性だ。肩まで届く黒い髪を後ろで束ねた切れ長の目を持つ女性。こちらも美人と呼べるだけの美貌を持っていた。
「お帰りなさいませ。カスミ様」
「ただいま、シャイナ。お出迎えご苦労様」
「いえ。これが私どもの役割でありますので。それでそちらの方は?」
シャイナと呼ばれた女性の瞳が修太郎を捉える。その瞳には警戒心のようなものがあった。
(まぁ、そりゃそうなるよな)
ある意味予想通りの展開に修太郎は内心ため息をつく。いっそのこと、あそこまで都合よく事が運ぶのならここも楽に進んでほしかったが、やはりそううまくはいかないようだ。だが、予想はできていたので修太郎は慌てることはない。それがシャイナに余計に警戒心を持たれることになると分かっていてもそれ以外に術はない。この状況で冷静さを失えば一気に窮地に追い込まれる危険もある。ここは自分を睨みつけてくる目の前の女性を何とか受け流すしかない。
シャイナは自分が睨みつけても一切動揺を見せない修太郎に案の定警戒を強める。彼を危険だと判断したシャイナは一つ息をつくと口を開く。
「申し訳ありませんが名も知らぬ者をこのアレフス家に入れるわけには参りませぬ。お引き取り願えますか?」
「そのような言い方は……」
「カスミ様は少々見通しが甘すぎます。彼がどこぞやのスパイだったらどうするおつもりですか? ただでさえ、今はアレフス家も大変だといいますのに……。そもそも、このようなどこの馬とも知れぬ――」
「シャイナ」
「!」
「黙りなさい」
カスミはシャイナを睨みつけると同時に凄まじい殺気を向ける。そのあまりにも濃密な殺気にシャイナは膝をつく。
「も、申し訳ありません。カスミ様」
シャイナは息を整えながら、頭を垂れて謝罪する。だが、カスミは首を横に振る。
「謝るのは私ではありません」
一刀両断され、シャイナは立ち上がるとすぐに修太郎の方を向き、深々とお辞儀をする。
「先ほどは大変申し訳ありませんでした」
手のひらを返したように態度を一変させるシャイナに修太郎は面食らう。先刻の謝罪に躊躇はなかった。つまり、少なくとも彼女はカスミに対して深い忠誠心を抱いているということだ。
そこまで考えたところで修太郎はカスミが申し訳なさそうな顔をしていることに気付く。彼女の方に顔を向けるとカスミはシャイナ同様頭を下げる。
「うちの使用人が無礼を働いて申し訳ありませんでした」
「いや、大丈夫だ。彼女の言い分にも十分すぎるほどに正当性はあったしな」
事実だ。これだけの屋敷を持てる家ならば取り入ろうとする輩は多いだろう。ならば、どこの誰かも分からない相手を危険視するのは当然のことだ。
「そう言っていただけると助かります。シャイナ。彼は危ないところを助けてくださいました。いわば、私の命の恩人です。彼に粗末な対応をすることは私が許しません」
「何と。カスミ様を……? 私は何ということを……。重ね重ねご無礼をお詫びします。どうかお許しください」
「いやいや。もう気にしなくていいです。それよりも名を名乗っておきます。自分は櫛山修太郎といいます。以後お見知りおきを」
「私はシャイナ・クレヴェフノと申します。アレフス家の使用人を務めております。私には敬語は必要ありませんので、どうか自然体でお話しください」
「……了解した」
どうやら、第一段階は何とか突破できたようだ。しかし、ここから先がどうなるか分からない。場合によってはこの程度ではすまないだろう。だが、撤退する選択肢はもう取れない。修太郎は頭の中で可能な限りのシミュレーションを始めた。
カスミとシャイナに続いて屋敷に入っていくと外観通りの洋風な内観があった。修太郎は思わず
(にしても玄関だけでも相当なでかさだな。あちこちに飾られてる調度品もどれだけ高価な物なのやら……)
「シャイナ。私はお父様を呼びに行ってくるから、あなたは修太郎を居間に案内してあげて」
「かしこまりました。修太郎様。どうぞ、こちらへ」
「ああ」
修太郎はカスミの口からこぼれた不穏な言葉を聞かなかったことにした。いや、しようとしたがダメだった。
お父様。この家の嫡子らしき彼女の父親ということは普通に考えてこの家の当主のことだろう。ということはこの家の大黒柱と会うということだ。
率直に言って不安だった。確かに修太郎も普通の高校生に比べればそこそこ酷い境遇の中で生き抜いてきた。そこらの平凡な高校生よりは対応力に長けているという自負もある。それでも何とかできそうな気がしなかった。
正直修太郎にはカスミの父親が成金のダメ親父だという想像ができなかった。この屋敷の雰囲気だけでも分かる。おそらく、この家は古くから続く由緒ある名家なのだろう。そこの当主ともなれば海千山千の猛者だと見ておいた方がいい。どちらにしても面倒であることに変わりはないが。
そんなことを考えている間に居間に案内された修太郎はシャイナに部屋にあったソファに座って待つよう言われる。修太郎は素直に従う。
それからすぐにカスミの父親はやってきた。ドアをノックして入ってきたカスミに連れられてきたのはガタイのいい大男だった。髪は金髪を坊主頭にしている。また隻眼であり、右目は潰れ、その上下には斜めに傷跡が残っている。残された左目はカスミと同じ緑だった。ほかにも顎にも刃物のようなもので切られた跡があった。風貌だけならいかにもといった感じの風体だ。もっとも、修太郎が知る限りではここまであからさまな者はいなかったが。
思わず引いてしまいそうな容姿をしているカスミの父親に修太郎は一瞬眉をひそめるが、すぐに笑みを浮かべる。
カスミの父親はテーブルを挟んで向かい側のソファに座ると、修太郎を見据えて言う。
「君がカスミを助けてくれたという少年か?」
「はい。櫛山修太郎と申します」
「私はユキヒコ・アレフスだ。娘は私にとって何よりも大切な宝でね。その命を救ってくれたこと、心の底から感謝するよ」
どうやら、見た目に反して温厚な人物のようだ。怒らせればどうなるかは分からないが、いずれにしても、気性の荒そうな人物でなくてよかったと修太郎は内心ホッとする。
「いえいえ。礼を言われるほどのものじゃないっすよ」
「そう謙遜することはない。話は聞かせてもらった。君は獣型の魔物を一人で倒したそうじゃないか。これだけでも君が相当な力を有していることが分かる」
その言葉に修太郎は目を細める。どうやら、先刻の魔物出現はあまり都合のいい展開でもなかったようだ。
この世界に来たときにキサラに言われて見た情報には特典のこと以外にもさまざまなことが書かれていた。魔物についての情報もその一つだ。
魔物にはいくつかの階級が存在している。形が存在せず自我も持たない上に実力も一番弱い影型。そこから進化して小さな生き物の形態を取るようになり、知能は低いが自我も持つ生型。生型から進化して獣の姿を持ち、知能と実力がさらに進歩した獣型。そして、他の魔物とは一線を画す知能と実力を有し、人としての姿形を得た人型の四つがそうだ。そして、この人型が魔物の最終進化形態とされている。
ただ、どのような過程で魔物が進化をするかについては分かっていない。それ以前に魔物がどうやって生まれたのかということも分からない。それらしき情報はあるのだが、閲覧ができないのだ。何らかの条件を満たすことで見られるようになると思われるが、現時点で修太郎にその条件が何なのかは皆目見当がついていない。
だが、今はどうでもいい話だ。それよりもユキヒコの言葉にどう返すのかを考える方が先だ。娘の命を救ってくれたことに感謝していることは本当なのだろうが、先ほどの言葉には明らかに探りの意味が込められている。これをどう対処するかが問題だ。
しかし、それほど難しく考えすぎても仕方がないのも事実だ。修太郎は静かに言葉を発する。
「いや、たまたまですよ。偶然僕の力があの魔物と相性がよかっただけです。魔物退治なんてそんなもんでしょ?」
「それもそうだな」
修太郎の言葉にユキヒコはあっさりと引き下がる。完全に納得したわけではないのだろうが、とりあえず答えを失敗してはいないようだ。
「だが、それにしても獣型を倒すというのは大したものだ。それだけの力があれば私も名前くらいは聞いたことがあってもおかしくないはずだが……」
「これでもあちこち放浪してる身でしてね。実際人前で魔物を倒したのはアレが初めてですし、ご存じないのも無理はないっす」
嘘はついていない。ただ勘違いさせる意図があっただけだ。クラスから抜けて放浪しているのも事実だし、人目につくところで魔物を倒したのも初めてだ。ただつい先ほどこの世界に来たばかりでキサラの保護下から抜けたために行くあてがなくなったというだけだし、魔物を倒したのもあれが初めてだというだけの話だ。
言葉遊びはあまり好きではないが、これで上手くいけば目下の心配はしなくてすむかもしれない。
「櫛山修太郎くん……と言ったね?」
「はい」
「ここでは少々変わった響きだ。どちらかというと向こう側の系統の名に思える。ということは、君は『船楼地区』の出身なのかな?」
修太郎はその問いに答えない。答えられない。船楼地区などという地名は修太郎は全く聞いたことがないからだ。
だんまりを決め込む修太郎にユキヒコは一つ息を吐く。そして、肩をすくめて言う。
「いや、やめよう。君が話したくないというのであれば無理に聞き出すこともない。それよりも本題に入ろう」
それを聞いて修太郎は内心ホッとする。あまり探られたくない身の上である以上、さらに詮索されるのはご免だった。
「君がよければの話なんだが……。ここにしばらく住んでみる気はないか?」
修太郎の目論見通り、ユキヒコはそんな提案を持ちかけてきた。修太郎は内心ほくそ笑みながらも、遠慮しがちな表情を作る。
「え? いや、それはさすがに申し訳ないですよ」
「いいんだ。これが娘を助けてくれた礼だと思ってくれ。都合が悪いのならば断ってくれても構わないし、もし嫌になったらいつでも出て行ってくれて構わない」
修太郎は顎に右手をやって逡巡するフリをする。だが、答えはとうに決まっていた。
「……そうですね。それじゃ、少しの間だけお世話になります」
「少しと言わず、いつまでいてくれても構わない。そうと決まれば、さっそく部屋を準備させよう」
「ありがとうございます」
これで当面の宿と飯の心配はいらなくなった。何かしらの対価を求められる可能性もあるが、それに関して文句を言うつもりは欠片もない。
それどころか、あまりに都合がよすぎて、少々違和感のある展開ではあったが、何とかなりそうなことに修太郎はホッとする。
少なくともこの時点では修太郎はクラスから離れて正解だったと考えていた。もっとも、それが最後までそうだったかどうかは現時点では誰も分かりはしないのだが。




