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相反せしモノたちが紡ぐ異世界記  作者: 夢屋将仁
第三章 イラつかせる独善と偽善
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一人目ー第三章 16話 正馬戦開幕

 正馬は一人街を歩いていた。遊園地から飛び出したときとは違って、至って静かだった。もちろん、逸る気持ちは少しも(しず)まりはしない。ただ、ほんの少しだけ冷静になっただけだ。

 そうでなくてはいけない。中途半端に感情に身を委ねるべきなのは、祭りの最中だ。準備段階で昂ぶっていたらさすがに最後まで保たない。せっかくのカーニバルなのだ。それでは台無しもいいところだ。



 正馬は真夏の青い空を見上げながら、ふと過去のことを回想していた。それは正馬が、今、思い返すにもっとも相応しい記憶だった。

 七年経った今でも思い出せる。自分がこの生き方に目覚めたときのことを。



 正馬は虐待されて育ってきた。暴力、暴言、放置、性的暴行、締め出し。ありとあらゆる虐待を受けて育ち続けてきた。幼い頃に両親が離婚し、正馬は父親に引き取られた。母親に引き取られるだろうと幼心に予想していた正馬は少し驚いたが、どちらも救いようがなかったのですぐにどうでもよくなった。そして、そのすぐ後に父親が再婚した。そして、正馬は再婚相手の連れ子だという同い年の義理の妹二人を守りながらも何とか生き抜いてきた。

 けれど、せいぜい九年かそこらの歳月しか生きてこなかった正馬にできることなどたかが知れていた。精神も年相応に未熟だったこともあり、年齢にしては比較的保った方だろうが限界は正馬が思っていたよりもはるかに早く訪れた。



 限界が訪れた正馬は恐ろしいほどに静かだった。普段は妹たちを守るために騒いでいたのに、その日は一言も話さなかった。ただ焦点の合わない目でぼんやりと壁にもたれかかって座っていた。両親たちはそれを一瞬だけ不思議に思ったが、すぐにうるさくなくなったことに喜び、そして気にも留めなくなった。

 それは紛れもなく両親失格の対応だ。血の繋がらない義母はともかく父親からすれば、正馬は実の息子なのだ。その息子の様子がおかしいというのに心配するそぶりなど一秒たりとも見せなかった。それどころか、せいせいしたといった表情で席を外し、自分の部屋へと戻っていった。けれど、この場においてはその行動は文字通り命取りであり、そして、正馬にとって何よりも都合のいい行動だった。



 ふいに正馬は立ち上がり、動き出す。そして、台所で料理をしていた義母に近付く。それに気付いた義母は不機嫌そうな表情になって正馬を見下ろすが、次の瞬間正馬は玉ねぎを切っていた義母の右手から包丁を奪い、それを彼女の腹に突き刺す。


「え?」


 それはあまりにも間の抜けた声だった。何が起きたのか理解できていない。だが、それも無理からぬことだった。何せ、正馬は表情を一切変えず、ただの一言も口に出さずに彼女の腹に人を殺すことのできる調理道具を突き立てたのだから。


「あぁ……か、かはっ……!」


 女が痛みを感じるようになったのは刺されてから数秒ほど経ってからだった。放心していて理解できていなかった頭がようやく、命に係わるその鈍痛を認識したのだ。

 義母は口をパクパクとさせ、恐怖と憎悪に満ちた目を大きく見開きながら、あっけなく命を落とした。義母はうつ伏せになる形で倒れる。これが正馬が初めて人を殺めた瞬間だった。



 心臓がどきどきする。今にもはち切れそうなくらい早い鼓動だった。それは人を殺してしまったことによるもので間違いなかったが、そこで湧き出た感情は恐怖ではなく、興奮だった。



 あまりにもあっけなかった。けれど、虚無感があったわけではない。罪悪感など欠片もない。あったのはひたすら貪りたくなるような快感だった。人を殺すのはこんなにも楽しいのかと幼かった正馬に思わせるには十分なほどの快感だった。

 正馬は目を血走らせて次の獲物を探しに行く。そのための道具(包丁)はすでに右手にある。



 あの男は再婚相手の連れてきた少女たちを気に入っている。そして、その日は休日だった。ならば、あの男は自室でお楽しみになっていることだろう。だから、朝食ができるのも待たずに部屋に戻ったのだ。

 正馬の予想は的中した。上の方の子の上着を脱がせようとしている最中だった。年端もいかぬ正馬の読みが当たるくらいには男――正馬の実父は単純な人物だった。突然扉を開けられたことに男は不快そうな顔で振り返るが正馬の姿を見て、絶句する。


「お、おま……」


 男の言葉は最後まで続かなかった。正馬の躊躇ない突進に反応しきれず、心臓を包丁で貫かれたのだ。


「あ……が……っ!」


 返り血が顔に飛ぶ。義母の血の上に実父の血が重なる。だが、正馬は気にすることなく包丁をぐりぐりと動かす。


「ひゃ……かふ……っ」


 おかしな声を上げた男は口から血を流しながら正馬の方に倒れてくる。正馬は鬱陶しそうな顔でそれを押しのける。今度は仰向けになる形で男が倒れたので正馬は興味本位でその顔を覗き込む。有り体に言って酷い有様だった。

 その大きく見開かれた目にすでに光はない。瞳孔も完全に開ききっている。それに加えて、赤みがかった舌が口からはみ出ていた。この卑劣な男に相応しい何とも醜い死に顔だ。


「ん?」


 視線を感じた正馬はこの男以外に部屋にいた人物の方に目を向ける。そこには手を取り合って震えている二人の少女の姿があった。

 それを見て、初めて人が死ぬ瞬間を見て恐がっているのだろう、などと能天気に考えた正馬は何となく自分の口に手をやる。そこでようやく自分が今までにないくらい愉快そうに笑っていることに気付く。



 正馬はそれに愕然とした。人を惨殺しておいて笑っている自分の不道徳さなどというくだらないものに驚愕しているのではない。きちんと、それを表現できたことに驚いているのだ。

 思えば、生まれてこの方、こんな風に笑ったことなどなかった。いつも、無表情か密かに泣いているか、怒っているか、あるいは無理矢理笑っているか、正馬の記憶の限りではその四つくらいでしか表情を浮かべたことはなかった。自分に心から笑えるだけの感情があるとは思ってもいなかった。



 自分は笑えたのか。



 正馬はそれを悟った瞬間に笑い出した。生まれて初めて心底おかしそうに笑った。

 何だ簡単なことじゃないか。この世に悪い人間はいらない。ここ数年ずっと思い続けていたことだ。そして、悪い人間を殺したところで称賛されこそすれ、罰せられる(いわ)れなどどこにもない。そんな簡単なことになぜ今まで気付かなかったのか。



 もう迷う理由などない。正馬は自分の生き方をようやく見つけた。彼は彼の信じる道を進むことを決めた。

 この時、正馬は確かに生きる喜びを見出したのだ。






 ○○○○○


 日が沈んだ頃。正馬は準備体操も兼ねて、獲物を探すことにした。

 適当に人混みの中で物色していると、おあつらえ向きの者たちを見つけた。坊主頭の若い男性が街頭でメガホンのような物を使って四大名家による支配から抜け出そうなどと叫んでいる。彼らは確か『解放集団』と名乗る過激派の連中だ。四大名家に牙をむくだけでなく、彼らに少しでも関わった者を引き込んだり、逆に暴行したりするのは序の口で場合によってはお布施と称して、人々から暴力で金を巻き上げたりすることもある。正義の名の下に断罪するにはなかなかの上物だ。

 正馬は舌舐めずりをすると街頭に並んでいる連中に腕を下げた状態で人差し指を向ける。周囲の人間は解放集団の連中を迷惑そうに見るか、関わりたくなくて目を合わせないようにしているかの二つの行動パターンしか取っていない。正馬の行動に気付いている者は誰もいない。



 正馬が人差し指をわずかに動かすと叫んでいた者を含め、街頭に出ていた解放集団の者たちが一人残らず全身を破裂させる。突然起こった異常事態に街の人々が戸惑い、泣き叫ぶ。中には噴き出した血を浴びて声に鳴らない悲鳴を上げていたり、失神している者もいる。なかなかの地獄絵図だった。だが、正馬は構わずに視線を目まぐるしく動かす。彼の狙いはあんな小物ではない。彼の長年の勘が正しければもっと美味しい獲物がいるはずだ。



 正馬は一つの路地裏に目を向ける。そこには一緒にいた人間を突き飛ばして逃げる壮年の男の姿があった。『解放集団』の首領、吾妻(あづま)戒厳(かいげん)だ。かなり高い頻度で配下の街頭演説に同行し、たまに自身の言葉で民衆に問いかけると聞いていたが、今回も立ち会っていたようだ。おかげで正馬は遠慮なくこの欲望を満たすことができる。



 正馬は凄まじい跳躍力を以て吾妻の正面に先回りする。吾妻は突然現れた正馬に驚き、慌てて無理矢理止まろうとしたせいで尻もちをついてしまう。その様子は見事に無様だった。


「な、何だ! 貴様は!」


「そうだな。とある場所では『ヒーロー』って呼ばれてたよ」


「ヒーロー……だと?」


 息を荒くしながらも訝しげに自身を見やる吾妻に正馬は口元を歪める。


「ふん。ヒーローにゃ見えねえって? そりゃ、お前がヒーローにやられる悪党だからだよ」


 正馬は右手の人差し指を吾妻に向ける。吾妻はそれを見て、慌てて周囲を見渡し、偶然近くにあった鉄パイプを手に取ろうとする。


「ぎゃひっ!」


 しかし、正馬の方が圧倒的に速い。鉄パイプを取ろうとした右腕が正馬の特典により弾け飛ぶ。正馬はそのまま吾妻を仕留めようとするが、二人の間をスパナが凄まじい速さで通り過ぎる。

 飛んできた方角を見ると正馬が待ちわびていた男が立っていた。正馬の待ち人である修太郎は左手をズボンのポケットに突っ込んだまま歩いてくる。


「ふん。別にそんな革命家気取りがどうなろうが知ったこっちゃねえが、てめえのくだらねえ価値観のために他人を巻き込むなよ。正馬」


「他人?」


「お前が派手にやったせいで返り血浴びてパニクってる民衆どもだよ」


 修太郎に指摘されて、正馬は気の抜けた声を上げる。


「あぁ、そういや、んな連中もいたな」


「おいおい。何だよ、その気のねえ返事は。まぁ、俺も言うほど興味はねえけどよ」


 二人が場にそぐわない雑談をしている側でかろうじて生き延びていた吾妻が逃げ出そうとするが、正馬がそれを見逃すはずもなく、一瞥もせずに吾妻の全身を破裂させる。


「容赦ねえな」


「当然だろ。こういう偽善者どもが世を狂わす。なら、こういう連中を一人でも多く消し去ってやるのが、正義ってもんじゃないのか?」


「まあな。確かにそいつらがやってるのは偽善だ。自分の欲望を叶えるためなら平気で人を傷つける生ゴミどもだ。そいつを痛めつけることは正しいことなのかもしれねえ。けどよぉ、人が何かを考えるのに資格なんていらねえんじゃねえのか?」


「違いねえ」


 などと修太郎は適当に嘯いてみる。正馬は同意したが、修太郎自身そんなことを真剣に考えたことなどコンマ一秒たりともない。



 それにしても、香奈には今日は決着をつけるつもりはないと言ったが、結果的にそれは嘘になってしまった。しかし、それも仕方がないことだろう。むしろ、よくここまで待ってくれたものだ。それに今の修太郎は正馬を一人の敵として見ている。これなら、香奈も文句はないだろう。


「まあいい。場所がちとアレだが、せっかく会えたんだ。今度こそ全霊でやろうぜ」


「ああ」


 血の刀を右手に発現させて言い放つ正馬に修太郎は左半身になった上で右手をだらりと下げて、左手を眼前まで上げるという彼独自の構えを取って答える。学生とは思えないほどの殺気を二人が同じ拍子で放つと、瞬間的に場の空気が歪み、蠢く。



 二人が動き出すのは同時だった。正馬の単純な右片手上段からの振り下ろしを、修太郎は左アッパーで迎撃する。どちらも単純な攻撃だったが速度も威力も常人のそれとは比べものにならない。両者の攻撃がぶつかり、轟音が鳴り響く。一車線分ほどの幅しかない路地裏ではその音は開けた場所の何十倍もの大きさに聞こえる。両側にそびえ立つ木造の塀もその衝撃に耐えきれず、ひびが入ったかと思えば一瞬で崩壊する。


「ひぃ……!!? 何だ!!」


「ちょ、ちょっと! 急に塀が……。って、何してんのよ! あんたたち!」


 どうやら、今ので家に住む者たちが気付いて出てきたらしい。修太郎たちの姿を見つけると、彼らに怒鳴ってくる。まぁ、修太郎たちがいる場所を中心に塀が壊れているので、彼らが塀を破壊したと思うのは当然のことだろう。

 それに修太郎は舌打ちし、正馬は鬱陶しそうに顔をしかめる。


「ちっ。ゴミどもがぎゃあぎゃあ騒ぎやがって」


 正馬は口から白い液体のようなものをいくつか吐き出す。それは銃弾以上の速度を持つ弾丸として、喚き叫んでいる者たちに命中する。


「うわ! 何だ、これ!? ……ぎゃあぁぁぁ!!!」


「ふ、服ごと体が溶けて……!!」


「いやあぁぁぁぁぁ!!!」


 まさに阿鼻叫喚だった。常人が見れば目を背けること間違いなしだが、修太郎は服と体がどろどろに溶けていく彼らを冷静に見ていた。


「あれは……(たん)か? 血液を操る特典だと思ってたが、どうやら、それだけじゃなさそうだな」


「言っとくが、血液しか操れねえなんて、俺は一言も言ってねえぞ」


「確かにな。あれはあくまで血液を操れることを肯定しただけだったな」


 修太郎は以前、正馬と対峙したときのことを思い出す。彼は血液を操る特典であることに曖昧に肯定こそしたが、それ以外は何も言及していなかった。血液しか操れないというのは修太郎の思い込みでしかない。

 となると、正馬が操れるのは血液だけではないということになる。水全般を操れるかどうかは分からないが、少なくとも体液に関してはほぼ全てを操れると見ていいだろう。というより、そうでないと光一や吾妻たちのように全身を破裂させて殺すことは難しい気がした。まぁ、修太郎に専門的な医学の知識などほとんどないけれど。

 どのみち、あまり受け身でいるのはよろしくない。修太郎の特典がいかに強力といえども、体液を操られれば身体能力を強化した程度ではたやすく殺されてしまう。


「仕方ねえ。これ以上長引かせても面倒だし、さっさと終わりにさせてもらうとするか」


「おいおい、つれねえなぁ。もうちょい楽しんでこうぜ」


 正馬は口元を歪めて、先ほどよりも速い斬撃を繰り出してくる。修太郎は身を反らしてそれをかわしつつ、反撃を兼ねたとどめの一撃を放つ。

 体を反らすと同時に放った中段の蹴りは攻撃直後のがら空きの正馬の腹に綺麗に決まる。その一撃は正馬が耐えられるレベルを優に超えており、腹に大穴を空けながら吹き飛ばされていく。数十メートル吹き飛んだところで地面に叩きつけられた正馬は致命傷を負ったために動くことができない。

 その気になれば、即死させることができるのは修太郎も同じだ。相手が生きているという事象に対する好感度をゼロにすればいいだけなのだから。まぁ、今までこういう殺し方をしたことはあっても、こういう勝ち方をしたことはないが。



 修太郎は悠々と正馬に近付いていく。正馬は息を荒げながらも、まだ息があった。修太郎が側まで来たことに気付くと、正馬は自嘲するように笑う。


「やっぱ(つえ)ぇな……。俺も相当磨いてきたつもりだったが……まさかここまであっけなく倒されるとはよ……。お前の方が……正しかったってことか……」


「関係ねえよ。勝った方が正義、強い方が正義なんざ一見当たり前のこと言ってるようで、その実見当外れな(げん)にすぎねえ。人と人の戦いは自然界の獣のそれと同じだ。負けたら死ぬ。勝たなきゃ生きることができねえから勝ってる。それだけのことじゃねえか」


「……確かにな……」


 正馬は得心がいったというように力なく笑う。そして、ぼんやりとした目で雲一つない空を見上げる。


「やれやれ……。マジで……いい天気だ……。ぶっ壊してやりたくなるくらいに……」


 正馬は小さく笑うと、ゆっくり目を閉じる。そこで彼の生命活動は停止する。これで戦いは完全に終わった。

 修太郎は五秒ほど虚空を見上げると、小さく息を吐く。


「さて……。引き上げるか」


 修太郎はそう呟くと正馬の亡骸に目もくれず、その場を離れた。


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