一人目ー第三章 15話 嵐の前の閑話
修太郎は満月を肩車して公平の屋敷まで戻ってきた。最初は全身を強ばらせていた満月も道半ばまで来た頃にはいくらか肩の力が抜けていた。それに修太郎は内心安堵した。やはり、目の前で人が死ぬ場面を九歳の少女に見せるのは酷すぎた。だが、修太郎の予想よりも早く立ち直りつつあるのは僥倖だった。
ただIRから公平の屋敷までの距離はあまりに遠く、満月が歩いていくには何度も休憩する必要があったので、修太郎は十分も歩いたところで彼女を肩車することにした。
そして、全体で一時間半ほどかけて屋敷に到着した。修太郎は内心ようやく着いたことに対するため息をつくと、上に視線を向けて満月に話しかける。
「着いたぞ。そろそろ降りた方がいいぜ」
「ありがとう」
修太郎は門前で屈む。満月は名残惜しそうにしながらも降りる。そして、どうやって帰ってきたことを伝えようかと考えていると、門の横にインターフォンらしきものがあるのが見える。
「これを押せばいいのか?」
「おそらくは」
修太郎は若干戸惑いながらインターフォンを押す。この戸惑いは押すことに対するものではない。近代的な電子機器があることに吃驚したことによるものだ。
しかし、冷静に考えればそう驚くことでもない。携帯電話や電子看板のようなものが街に見当たらないだけで文明のレベルは元の世界と何ら遜色がない。
ピンクの髪を持つ者が普通にいるなど向こうと違うところは数多くあれど、ここで元の世界の常識は充分に通じる。前にどこかで見た異世界転移もののような元の世界で持ってきた電子機器やちょっとした政治知識で威張り散らせるほどここは遅れていない。だからこそ、助かっている部分もある。フィクションで見る分にはいいが実際に転移するなら、できるだけあんな世界に転移したくはない。最初の頃はそういう世界に転移していたらいいな、などと思っていた。だが、もし実際にそういう世界に転移していたとしたら、いろいろと苦労することになるだろうなと今さらながらに思い至っている。主に衛生面などで。
そういう意味でこういうしっかりした世界に転移できたことは幸運以外の何物でもない。現実とフィクションは違う。現実には現実の生き方というものがある。
もっとも、道理が一切ないという意味では現実もフィクションも大差はないというのが修太郎の意見ではあるのだが。
修太郎がそんなことを考えていると中から足音が聞こえてくる。しばらくすると、勢いよく門が開く。中から公平が血相を変えて出てくる。
「よく戻ってきたな! 心配していたんだぞ!」
公平はそう言って修太郎の肩をバシバシ叩いてくる。修太郎は顔をしかめ、その手首を掴む。
「痛い」
「す、すまん……」
修太郎に手首を掴まれたことで公平も察したのか、謝罪しながら手を下げる。
「結果報告だけしとくぞ。谷崎啓也を始末した。後のことは分からねえが、とりあえず、これで一段落のはずだ」
「そうか。殺せたのか。谷崎啓也を」
公平はどこか嬉しそうな表情になる。修太郎は彼の表情を見て、鼻で小さく息を吐く。
「ケリもつけたし、俺は一度戻る。また明日、来れたら来るわ」
「そんなに急いで戻らずともいいんじゃないか? せめて、礼くらいは……」
「悪いが用がある――いや、用ができちまったんでな。どっちにしても、この後やらなきゃいけねえことがあるから、俺は離れさせてもらう」
修太郎がはっきり言い切ったのを見て、公平は残念そうな顔になる。
「そうか。それなら無理には言えないな」
「すまんが、また今度だ。……お前もいい子にしてろよ。満月」
修太郎はそう言って満月の頭を優しく撫でてやる。満月は頬を赤らめながら、その手を大人しく受け入れ、されるがままになる。一通り撫でたところで修太郎は手を離し、そのまま去っていく。満月はそれをポーっとした顔で見送った。
○○○○○
その日の夕方。潰れた遊園地に存在していたとみられる飲食店の中で二人の少年が言い争っていた。机の上に手をついてまくし立てているのが将頼で、腕を組んで椅子に座って聞いているのが正馬だ。将頼は必死の形相で正馬に詰め寄っている。
「なぁ、正馬。俺、もうそろそろ限界なんだよ。いい加減別の道を行こうぜ」
「だから、その理由を聞かせろと言ってるんだ」
「理由もへったくれもねえよ! さっきから何度も言ってるだろ!? 何だよ! 安城を殺したってのはよ! それも全身破裂なんてひでえ方法で! おまけに、てめえはてめえでそれを平気な顔で肯定しやがるし、てめえは同胞を何だと思ってんだよ! もう、これ以上ついてけねえよ!!」
将頼は肩で息をしながら言う。正馬はすっと目を細めてそんな将頼を見上げる。
「あれは仕方がなかったんだ」
「何が仕方ねえんだよ?」
「そのままの意味だ。俺が手を下そうが下すまいがあいつは修太郎の手で殺されていた。なら、俺が殺ったところで何も変わらねえよ」
平然とした表情で言う正馬に将頼は唇を噛む。分かっていたことだ。正馬と将頼では根本的に違う。正馬に合わせて動くことなどできはしない。分かり合うことなど到底不可能なのだ。我慢の限界などとうに超えている。にもかかわらず、正馬と行動を共にしていたのは単に強要されていたからにすぎない。
それをよしとし続けてきたのは彼が怖かったからだ。けれど、ここまで来てしまえば話は変わってしまう。この異常事態を共にする仲間を平然と殺した時点でかろうじて堪えていたものが堰き止められなくなってしまった。危険など百も承知だ。それでも、もうここまでだ。これ以上この異常者と付き合うことなどできない。
だから、将頼はオブラートに包むことをせず、直球で切り出すことにした。
「俺はこの先お前とつるむつもりはねえ。同行者が欲しいんなら、他の奴を探してくれ。たとえば、お前がやけに気に入ってるあいつとかな」
将頼は半ば投げやりになって言う。正馬はそんな彼を射るような眼差しで見る。将頼はそれに動じることなく睨み返す。
しばし睨み合ったところで、将頼の意思が硬いと見た正馬はこれ以上の説得は無駄だと判断し、諦めたような表情でため息をつく。
「……分かった。そこまで言うんなら、俺から言うことは何もねえ。お前が離れることを認めてやる」
しぶしぶといった様子で言い放たれた言葉に将来は顔を明るくさせる。そして、正馬は椅子から立ち上がると希望に満ちあふれていた彼を絶望に叩き落とすようなことを続けざまに口にする。
「じゃあな、将頼。また来世で頑張れよ」
「え?」
何を言っているのか理解できずに将頼は一瞬固まる。その直後に将頼は腹に何やら異物のようなものが入り込んだ感覚に陥る。将頼が下を見ると、そこには正馬が自らの血で作った刀が刺さっていた。その刀の持ち主はもちろん正馬だ。正馬は醜悪な笑みを浮かべて、勢いよく将頼の腹から刀を抜く。将頼は吐血しながらその場にくずおれる。
「しょうま……。きさ……ま……!」
将頼は凄まじい形相で正馬を睨みつける。それに正馬は心底不思議そうな顔になる。
「何だ? その面は。俺はちゃんと言ってやったろ。俺から離れさせてやるって。けど、俺から離れるのはこの世にいては不可能だ。なら、お前をあの世に送ってやる必要があんだろ?」
「な……ば……」
将頼は必死に言葉を紡ごうとするが、声帯からろくに音が出やしない。かすれたような声で呻き声のようなものを出すのが精一杯だった。
それを聞き取ろうとする素振りすら見せずに正馬は将頼に背を向ける。
「じゃあな、将頼。お前と過ごした日々。なかなか楽しかったぜ」
正馬は舌を出した邪悪な笑みを浮かべながら、一度だけ将頼を振り返る。消えゆく意識の中でそれを見た将頼の頭にはかつてないほどの怒りが煮えたぎっていた。
「く……そ……」
だが、もはや将頼にできることなどない。大きく見開いたその目を血走らせて正馬の後ろ姿を凝視しながら、静かにその命を散らしていった。
将頼を殺した正馬は錆びついた観覧車の上まで移動していた。頂上付近にある台の天井の上に乗っていることもあり、そこそこの高さである。観覧車の高さはおよそ十五メートルといったところであり、高所恐怖症でなくても少々怖くなる高さだ。
そんな場所にいても正馬は平然としている。高所から街を見渡しつつ、正馬はふと思ったことを口にする。
「最初の街を見たときは中世ヨーロッパを連想したもんだが、IRといい、この遊園地といい、存外こういう娯楽施設は充実してるんだな」
中世ヨーロッパにこのようなものは存在していない。少なくとも正馬の知っている限りではなかったはずだ。もっとも、こちらは船楼地区で最初に見た街はカザシ地区。地区が違うので地域差があると言われればそれまでだ。だが、他にも気になることはある。
スマートフォンどころかガラケーと呼ばれる古い携帯すら存在していないのに、家に入れば普通の電話が存在している。ノートパソコンは存在していないのに、デスクトップパソコンやスーパーコンピュータは存在している。要は持ち運びができる小さな電子機器が普及していないのだ。
こうして見ると、こちらの世界は何とも歪な文化をしている。携帯できる電子機器の発想は実現可能かどうかはさておいて、こちらの世界の人間も思いついているはずだ。実際、四大名家ではそういった機器を使用している。なのに、民衆にはまるで普及していない。
そういった物を民衆に提供すればやり方次第では彼らの支持を得ることもできるはずだ。あえて、それをしない理由が正馬には分からなかった。単純に元いた世界よりも技術が遅れているという理由でこうなっているとは思えない。
「まぁ、俺にはどうでもいいことだがな」
今の彼には何もかもがどうでもいい。こんなものはただの時間潰しにすぎない。そんな無意味な考察をするつもりなど微塵もない。
正馬はいきなり観覧車から飛び降りる。普通なら落ちれば助からないが、転移の影響で正馬の身体能力は飛躍的に向上している。この程度の高さから飛び降りて着地したところで何も問題なかった。
ダンッ!
そこそこ大きな着地音が出たが、正馬は気にせずに立ち去ろうとする。だが、メリーゴーランドの横まで歩いてきたところで自販機の横から見覚えのある女性が現れた。長い黒髪を後ろの低い位置で束ねた二十代半ばぐらいの若い女性。すっとした目鼻立ちと赤い瑞々しい唇。化粧は施されていないが、それでも充分すぎるほどの美貌をこの女性は持っていた。
波田成美。修太郎たち同様こちらの世界に転移させられた人間であり、クラス担任でもある。
成美はそこそこ狭い通路の真ん中に立つ。横をすり抜けることはできるが自分に用があるのは明らかだったので正馬は内心面倒に思いながら立ち止まる。
「これはこれは波田先生じゃないですか。こんなところで何をしてるんです?」
正馬は穏やかな笑みを浮かべて聞く。しかし、成美は答えない。何かを非難するような目を正馬に向け続けている。
正馬が小さくため息をついて、そのような目で自分を見てくる理由を問い質そうとしたところで成美が口を開く。
「聞いたわよ、坂戸くん。あなた、自分のクラスメイトを手にかけたそうね。いえ、平然と手にかけていたと言うべきかしら? さっき、液太くんの命を堂々と奪っているところをこの目で見てしまったのだから」
「それがどうしたっていうんです? 別にあなたには関係ないでしょう。早々に俺から離れたあなたには……」
淡々と言う正馬に成美は歯を鳴らす。そして、鋭い眼光で正馬を見据えて言う。
「あなたが何を企んでいるのかは知らない。でも、あの子たちに手を出したら……」
「うるせえなぁ……」
正馬がぼそっと呟いた一言で成美は言葉を止める。正馬は彼女を底の見えない目で睨みつける。
「気持ちは分からなくはねえが、いささか公平性に欠けるんじゃねえのか? 仮にも教師がそんなんでいいのかよ?」
正馬の言葉に成美は鼻で小さく息を吐く。そして、正馬に鋭い視線を向ける。
「差別をする気はないけど、区別はするわよ。私にだって感情というモノはある」
成美の発言を聞いて正馬は鼻で笑う。普段の彼女を思い返せばそうなってしまうのも無理はない。正馬はそれを指摘することにする。
「ほぅ。いつもあんたが言ってる言葉とは矛盾してるな。あんた、いつも言ってなかったか? 私はどんな人間に対しても公平に接して、教師の職務を全うした上で正しい道に導く、ってな」
「それとこれとは……」
「同じだよ。じゃなきゃ、ダブスタもいいとこだぜ。つーか、そもそもこの期に及んで教師の目線で物を言おうとするから言葉が薄っぺらいんだよ。素直に言えばいいじゃねえか。私はあなたを信用できない、ってよぉ」
正馬は不気味な笑みを浮かべて言う。そんな彼に成美の視線はさらに鋭くなるが、正馬は気にせず、喉をくつくつと鳴らして笑う。
「あんたの境遇も考えも俺にはどうでもいいことだ。俺は俺のやりたいようにやる。誰の指図も受ける気はないし、誰にも俺の邪魔はさせねえ。……言いたいことがそれだけなら、俺は失礼するぜ」
「待ちなさい!」
成美は横を通り抜けようとする正馬の右腕を掴む。正馬はそれに舌打ちし、冷徹な目を成美に向ける。
「離せ」
あまりに冷たい声だった。成美はそれに体を震わせる。だが、それでも自身の腕を掴む手を離さない。振りほどくのは容易だが、それでは意味がない。何より、正馬は彼女を己の障礙と認定した。ならば、彼が取る手段は一つ。
正馬はゆっくりと顔を成美の方に向ける。成美はそれをきっかけに我に返り、警戒心を露わにするが正馬は意に介さない。
次の瞬間、正馬が目を見開く。すると、成美の全身から血液が暴発する。
「がはっ!」
「くだらねえ。醜い自己満足はてめえ一人でやってろよ。俺に押しつけんな」
正馬はそう吐き捨てて、浴びてしまった返り血を宙に浮かせる。それを成美の遺体の周囲にばらまくと、そのままその場を離れる。
もはや、彼の頭に将頼や成美のことなど欠片もなかった。あるのはただ一つだけ。そのために、正馬はずっと時間を潰し続けてきたのだ。
「もう待ちきれねえよ。早く決着をつけようぜ。修太郎」
正馬はそう呟いて、いきなりそこから走り出した。その目には他の物は何も映っていなかった。彼の目にあるのは待ち望んでいた獲物だけだった。
いよいよ、修太郎と正馬の戦いの火蓋が切られようとしていた。




