一人目ー第三章 11話 筧満月
翌朝。修太郎は公平からの連絡を受けて、一人で彼の家を訪れていた。カスミたちは連れてこなかった。それが公平が満月と会うために出してきた条件だったからだ。
公平の屋敷は話に聞いていた通り、遠くから見てもはっきりと分かるほど大きい家だったが四大名家の豪邸に慣れきってしまっている修太郎は全く驚かなかった。せいぜい、少しでかい家だなと思う程度だ。完全に感覚が麻痺してしまっている。
門の前まで行くと、公平が使用人らしき女性を二人連れて待っていた。公平は修太郎の姿を認めると、顔を明るくさせて近付いてくる。
「待ってたよ。よく来てくれたな」
「出迎えご苦労さん。別に外で待っててくれなくても、構わなかったんだがな」
「そうはいかない。こちらは頼む側の人間なんだ。最低限の礼儀は尽くすさ」
公平はそれだけ言うと中に入るよう促す。修太郎は頷き、屋敷の中へと入っていく。そして、公平の後をついていき、広い屋敷の一室に案内される。
「満月」
「お客様がいらっしゃったのですね。入ってもらってください」
「ああ。それじゃあ、どうぞ。櫛山くん」
公平に手で促され、先に部屋に入ると机を挟んで向こう側に緑色の髪の可愛らしい少女が正座していた。
(なるほど。確かに話に聞いていた通り、かなり可愛いな)
幼女に興奮する性癖を持つ者にとっては垂涎ものだ。とはいえ、修太郎に幼女趣味はない。せいぜいがこの分なら将来に期待できるんだろうなと思う程度だ。
何にしても、今は関係のない話だ。それよりも今回の一件について、さらに詳しい情報を聞き出す方が大切だ。
啓也の性格は知らないが、公平が彼女を保護して今日で三日目だ。彼女を欲しているというのであれば、いい加減動きはじめてもおかしくはない。
とはいえ、まずは彼女の心を開くことの方が先だと思っていたのだが、修太郎の予想に反して満月は怯える素振りを見せない。年齢にそぐわぬ凜とした表情で修太郎を見ている。修太郎はその目を見返しながら、ゆっくりと満月の正面に腰を下ろして、あぐらをかく。
満月は少々躊躇する素振りを見せながらも、ゆっくりとその赤い唇を開く。
「櫛山修太郎様……でしたね」
「ああ。俺が櫛山修太郎だ。修太郎でいいぞ」
「い、いえ。そのような無礼な呼び方をするわけには……」
「聞いてた通り堅えなぁ……。まぁ、好きに呼びゃいいさ」
「で、では、修太郎様でよろしいでしょうか?」
「ああ。それでいい」
「分かりました。初めまして、修太郎様。私は筧満月です。来年の二月で十歳になります」
確かになかなか礼儀正しい少女だ。しかし、場を和ませるつもりで言った発言だったのだが、どうやら、自分は余計なことをしてしまったらしい。先ほどの凜とした表情は無理して作っていただけのもののようだ。今の彼女は事前に聞いていた通り、人見知り――もっと言えば、人間不信になってしまっているようだ。まぁ、突然家族を皆殺しにされた挙句、それを指示した張本人に自分の物になれなどと言われたのだ。心的外傷後ストレス障害――いわゆるPTSDになっていてもおかしくない。そういう意味では、この程度ですんでいる目の前の少女は強いと言うべきだろう。
そのわたわたと慌てる年相応の振る舞いもなかなか可愛らしいものではあったけれど、そういう意図はなかったとはいえ、これ以上虐めるのはよろしくないだろう。
そう判断した修太郎はさっそく本題を切り出す。
「じゃあ、さっそく話を聞かせてもらってもいいか?」
「はい……」
力なく満月は頷く。だが、彼女は一向に話そうとしない。何かを堪えているかのように唇を噛んでいる。
その様子を見て、大方の見当がついた修太郎はできる限り優しく笑いかける。
「話したくないなら無理して話さなくていいぞ。一応、そこの伊丹さんからある程度話は聞いたからな。あくまで当事者の話が聞ければ助かるって程度だ。無駄に葛藤する必要はない」
これは事実であり、彼女の緊張をほぐすための言葉でもある。というより、そもそも満月から話を聞く理由はあまりない。
もちろん、当事者である以上公平よりもさらに詳しく話を聞ける可能性はある。もしくは、公平が昨日言わなかった極めて重要な事実がある可能性もあるだろう。だが、その程度でどうこうなるほど今の修太郎は弱いと思わない。それほどまでに彼の特典は強力だ。確かに場合によっては致命的になり得る弱点こそあるが、それもある程度事前に対策しておけばいいだけの話だ。
今の修太郎が欲しているのは光一をぶちのめす正当な理由だ。まぁ、本音を言えばそんなものなくても構わないのだが、カスミたちの手前そういうわけにもいくまい。
いずれにしても修太郎の目的は満月との接見が叶った時点で達成しているといえる。だから、修太郎に満月から無理矢理話を聞き出す必要も意思も意味もなかった。
けれど、満月は意を決した表情で修太郎を見る。突如意志の強い目で見てくる満月に修太郎は気圧され、息を飲む。だが、それもほんの一瞬。すぐに余裕の笑みを浮かべて、満月を見返す。
「分かりました。今から、経緯をお話します」
「――いいのか? 別に無理する必要は……」
「いえ。無理しているわけではありません。これはあなたに知っておいてほしいと思う私の願望で話すんです」
「………………」
思っていた以上に彼女の決意は固いらしい。まぁ、その方がありがたいのは事実だ。決意が固い方が多少派手にやってもある程度割り切れるから。
とはいえ、相手は九歳の女の子だ。あまり、過信しすぎるのもよくない。
「私があの人に会ったのは公平様に会う少し前です。でも、あの人との間にあったことを話すには少し前のことを話さなくてはいけません」
「ああ。ゆっくりでいい。俺のことは気にせずに話してくれ」
「ありがとうございます」
満月は頭を下げて修太郎の気遣いに感謝しつつ、話しはじめる。
「もうすでに伺っていると思いますが、私は中流階級の出の子供でした。お金持ちというわけではありませんでしたが、笑いが絶えず幸せな日々を送っていたんです。ですが、それをあの男は台無しにした……!」
満月の眦から涙がこぼれる。当時のことを思い出しているのだろうか。最後の言葉を言い放った後、全身が震えてしまっていた。
「あまつさえ、私に自分の物になれと強要してきたのです!」
ここまでは知っている。だが、それを口にすることはしない。さすがにそこまで修太郎は人として終わっていない。
修太郎は黙って続きを待つ。
「当然、私はそれを拒絶しました。ですが、あの男は力づくでも私を連れていくと言いだして……。私は命からがら何とか逃げ延びましたが、力尽きてしまい、ここで終わりだと思ったときに公平様に会ったのです」
「そうか」
修太郎は簡潔に一言だけ告げる。それ以外に言う必要がないと思ったからだ。下手な慰めは不要だ。かえって、彼女を傷つけることになる。そういうのは彼女を行き倒れから助けたという公平にでも任せておけばいい。だから、修太郎はそれ以上何も言うことはなかった。
「公平様は行き倒れていた私を拾ってくださり、美味しい料理をお恵みになった。あの方にとっては気まぐれだったのかもしれませんが、家族を失い、その仇に迫られた私にはどれほど救いになったことか。…… 本当に嬉しかった」
「……?」
顔をほころばせて嬉しそうに話す満月。些細な疑問も挟む余地のない感動的な話のはずだ。けれど、修太郎の表情はどこか浮かない。この世に悪人しかいないというのが分かる素晴らしい話のはずなのに、なぜこうも嫌な予感がするのか。
違和感ではない。予感であることが引っかかる。彼女の話が修太郎に何か害を及ぼすということなのだろうか。
この話をどこかの怪しい大人が話しているのならば分かる。たとえば、カルト宗教などで自分はずっと苦しんでいたけど、何々に出会ってから自分は救われ、世界の全てが変わりましたなどというような美談めいたお話ならば絶対に信じることはない。
あるいは小さな子供に私は神に救われましたなどと言われても信じることはできないだろう。どう考えても悪い大人に騙されているようにしか見えないからだ。いずれにしても宗教関連ではあるのだが、他でもそう違いはない。宗教だろうが成功談だろうが、それこそ尊敬する人間の自慢話だろうとも美談というものはあまり信じられるものではない。それは事実だ。
だから、そういう意味で自分は彼女の話に嫌な予感を感じているのだろうか。答えはどう考えても否だ。何しろ、彼女から聞いた話は公平から聞いた話と全く同じものだったのだから。
ならば、公平が怪しいのか。それも違う気がした。彼のことは何も知らないが、少なくともこの予感の源は彼ではない。そうはっきりと分かる時点で修太郎はあることに気付く。
そうだ。この予感。どこかで覚えがある。どこかで似たようなものを感じたのだ。あれは一体どこだったのか……。
右手で頬杖をついて修太郎はふと考える。胸の内にあるもやを晴らそうと少しだけ思考をめぐらせる。
「以上が私の話の全てです。質疑応答などがあればおっしゃってください」
そこで満月は口を閉じ、その大きな瞳でじっと修太郎の方を見つめてくる。どうやら、彼女の話は終わったらしい。それに気付いた修太郎は頬杖を解いて口を開く。
「ん? ああ。とくに聞きたいことはないよ。辛いことをよく話してくれた。お前には感謝してもしきれないな」
「もったいないお言葉です」
「そうでもないさ。それと今さらだが俺には敬語は不要だぞ。呼び方もさっきはそれでいいと言ったが、別に様付けじゃなくていい。形式的でも敬意を表してくれるのは嬉しいが、あまり堅苦しいのは好きではない」
「ですが……」
満月は右手を口に当てて戸惑った表情になる。修太郎はそんな彼女を微笑ましそうな目で見る。
「まぁ、強制はしねえよ。こいつはあくまで俺のわがままだ。てめえの好きにすりゃいい」
さっきも様付けとはいえ、名前で呼ばせるようなことをしたのだ。本当を言えば、これ以上を望むのは野暮というものだ。だから、言ってみただけだ。別に満月が拒絶したところでそれ以上何か言うつもりは修太郎にはなかった。
修太郎の言葉に因循する様子を見せる。だが、決心した表情を見せると修太郎の目をまっすぐと見る。
「……分かりました。その……これから、よろしくね。修太郎さん」
満月は頬を赤らめて、はにかむように笑う。修太郎はその様子を見て満足そうに笑い返す。
「ああ。よろしく頼む」
修太郎は机越しに右手を差し出す。修太郎の意図が読めずに満月は当惑した表情を見せる。
「何だ。こういう時はとりあえず握手しておくもんだと思ってたんだが……。お前のところでは違うのか?」
「あ……」
満月は間の抜けた声を出しながらも機械的に修太郎の右手を握る。修太郎は満月の右手を痛くない程度にしっかりと握り返す。
「さて、ある程度親睦も――深められてんのかどうか分からねえが、とりあえず深められたと仮定して……。これから、どうするよ? ていうか、現状どうなってんだ?」
「あっ……」
修太郎は満月の右手を放して公平の方を向く。手を離した際に満月が寂しげに声を上げるが、修太郎は彼女の頭を撫でる。満月はうっとりとした表情でその手を受け入れる。もちろん、その間も公平から視線をそらさない。
公平はその状況に肩をすくめながらも口を開く。
「そうだな。今は動きはないが、近々向こうも人型を討伐した連中を動かすという話だ。もっとも、そのうちの一人は行方不明になっているらしいが」
おそらく喜々野のことだろうと修太郎はあたりをつける。どうやら、人型である馬を殺したのは光一グループの連中で間違いなさそうだ。その主格である光一が他のクラスメイトよりも大きな家に住んでるのもその根拠になっている。
「一人いなくなって連中は五人。彼我の戦力差が大きいことに変わりはないが、気休め程度には勝率が上がったと言っていいのではないか?」
「そうだな。まぁ、どっちにしても、俺が奴らに負けることなんざ万に一つもねえよ」
「自信満々だな。油断していると足を掬われるぞ」
「問題ねえよ。六人がかりで人型一匹を殺せる程度なら脅威にもなりゃしねえ」
修太郎の言葉に満月は驚いたような表情を浮かべる。公平は興味深そうな目を修太郎に向けるが、修太郎は素知らぬ顔だ。
「とりあえず、その人型を討伐した連中とやらを潰そう。執心する様子を見せてんのに、動かねえってことは向こうは余裕しゃくしゃくってことだろ? なら、その余裕を引っぺがしてやった方が手っ取り早い。あんたとしてもあまり長引かせたくはないだろ?」
「まぁ、それはそうだが……。しかし、大丈夫なのか?」
眉をひそめて、怪訝そうな顔になる公平に修太郎は不敵な笑みを浮かべる。
「さっきも言ったが戦力的に負けはねえし、こっちには切り札もある。やりようなんざ、いくらでもあるさ」
修太郎はそう言って伸びをする。そして、そのまま椅子から立ち上がる。
「思い立ったが吉日だ。俺は行くぜ」
「お、おい! いきなり仕掛けるのか!?」
さすがの公平も声を荒げるが修太郎はその笑みを崩さない。
「ああ。それと俺の力的にあまり味方はいねえ方がありがてえ。俺一人で行かせてもらう」
「あ、ちょっと、待て! ――って、もういない」
修太郎はそれだけ言って部屋から出て行ってしまう。そのあまりの迅速さに公平は呆れてしまう。公平は左手で頭をかくと、先ほどまで修太郎が座っていた場所に座り込む。
「あの……。修太郎さん一人で本当に大丈夫なのでしょうか?」
「まぁ、本人の言う通り問題はないだろう。だが、それにしてもここまでとはな……」
公平はどこか諦めたようにため息をつく。満月は不安げな瞳でその様子を見ながらも何も言うことはなかった。




