一人目ー第三章 10話 十日目終了
公平を見送った後、二人と共に旅館に戻ろうとするがそこで面倒な人物に遭遇してしまう。
「あ。修太郎とカスミちゃん」
「げっ。唯」
修太郎は聞き覚えのある少女の声に顔をしかめる。唯は修太郎のあんまりな反応に頬を膨らませる。
「げっとは何さ」
「お前の普段の行いを思い起こしてみろ」
「ひどーい」
唯はぷんすかと怒りながら修太郎の胸をポカポカと叩く。この反応だけを見れば凜とした印象を与える容姿とのギャップもあって大層可愛らしいものだが、この少女はレズビアンだ。なぜか、修太郎にはよく懐いているが男嫌いでもある。
「カスミちゃんの隣にいる人は知らない人だね。誰?」
唯は修太郎の両肩に手を置きつつ、彼の背後を覗き込む。唯の視線を受けたシャイナはわずかに顔をしかめつつも口を開く。
「初めまして。カスミ様のお付きのシャイナ・クレヴェフノと申します」
「相生唯です。どうぞ、よろしく」
唯は名を名乗ると右手を差し出す。シャイナはその手を取る。いわゆる握手だ。迷わず唯の手を取ったことからもシャイナは――少なくとも現時点では――それほど唯を悪く思っていないように見える。
だが、シャイナは警戒するような目で唯を見ている。修太郎はその様子を見て安心した。どうやら、彼女はカスミや自身に向けた唯の目を見て気付いたようだ。ならば、前回のようにはならないだろう。
けれど、その前に修太郎もやれるだけの手は打っておく必要がある。そうでなくては、彼はそこらの樹木と変わらなくなってしまう。
「悪いがこっちはいろいろあって疲れてんだ。今日のところは帰ってくれねえか?」
「えー! そんなこと言わないで。普段みたいにうるさく言ったりしないから、少しくらい話させてよ」
「断る。つーか、ごちゃごちゃ言うのは普段からやめろ」
「えー。そんなこと言うなら、こっちも本気であんたを連れ戻しにかかるよぉ」
唯はそう言って修太郎の背中に抱きついてくる。おかげで服の上からは分かりにくいが、かなり豊満な胸が背に当たる。だが、修太郎は思いっきり顔をしかめる。
「離れろ。気色悪い」
「ひどいなぁ。女の子に言う台詞じゃないよ?」
唯はさらにむくれて修太郎に抱きつく力を強める。修太郎はそれに舌打ちする。
「舌打ち!? そんなに嫌!!?」
「うるせえなぁ。耳元で騒ぐんじゃねえよ」
修太郎はもう一度舌打ちして、自分の首の下あたりに巻き付いている唯の腕を振り払う。唯は不満げに唇を尖らせるが、すぐに表情を微笑みに変えてカスミたちの方に接近する。
「ねぇ。つれない修太郎は放っておいて、二人とも私とこれから街に……」
「いい加減にしろ」
「あうっ!」
修太郎はカスミたちを口説きはじめた唯の脳天にチョップを食らわせる。特典も使わず、力も入っていない極めて弱いものだったが、痛いものは痛く、唯は頭を押さえてその場にしゃがみ込む。
「うぅ……。何もぶたなくてもいいじゃないか。今日はやけに機嫌が悪いねぇ。何か嫌なことでもあった?」
「ああ。うんざりするほどうざってぇことが山ほどな」
「うんざりもうざったいも同じ意味じゃ……あ、ごめん! 言わないから、右手を振り上げないで!」
やりとりはDVをする夫とそれを受ける妻のそれだが唯の表情に負の感情はない。修太郎も怒ってこそいるが、そこまで本気で怒っているわけではない。こんなものは彼らにとってはじゃれ合いにすぎない。
「とにかく俺は疲れてんだ。こいつらだってそこそこ疲れてるだろうし、今日のところは大人しく引き下がっとけよ」
「あ、いえ。私は……」
「そうですね。せっかくのお誘いに恐縮ですが、また今度にしていただけませんか?」
唯の誘いに乗ろうとしたカスミの言葉を遮って、シャイナが告げる。唯は目を細めて、シャイナを見る。シャイナもその目をジッと見返す。しばらくの間、睨み合いのような形になるが唯はやがてため息をついて肩をすくめると、小さく笑う。
「分かったよ。今日のところはこれで退散しよう。また今度ね」
唯はそれだけ言うと、彼らに背を向けて離れていく。修太郎はその背を見送ることなく、旅館の入口の方へと体を向ける。
「さぁ、さっさと戻ろうぜ」
「はい」
カスミはどこか納得がいかない表情をしているが、修太郎の言葉に従う。一方でシャイナはすました顔をしている。
二人の表情の違いを気にとめることなく、修太郎は公平との会話の途中からずっと気になっていたことをカスミに聞く。
「にしても、今さらだが本当によかったのか? 谷崎と対立することになっちまって」
一時は問題ないのだろうと思っていたが、冷静に考えればやはりまずいはずだ。仮にも友好関係を気付いている家同士、それも国を牛耳る名家同士が表立って衝突するのは外交上よろしくないはずだ。
まぁ、キューゲンペグやシュードのような例外はあるし、現実世界でも条約だ何だと言っていても他国と散々ぶつか合っている国など山のようにあるが、それでも気になるというものだ。修太郎からすればどうでもいいことではあるが、万が一のことを考えると少し気が引けてくる。しかし、修太郎の懸念に対して、カスミは至ってドライだった。
「問題ありません。満月という少女を守り抜けば谷崎の力が増すことを防げますし、上手くいけば彼らの力を削ぐチャンスです。それに向こうも口では文句を言うでしょうが、内心では我々が敵対行動を取ってくれたことで大笑いしていますよ。まぁ、すぐにその笑みも消えるでしょうが」
その答えで得心がいった。修太郎の読みはどうやら間違っていなかったらしい。ならば、これ以上の心配は無用だ。
「なるほど。お前も大概曲者だな」
修太郎は小さく笑いながら、彼女のことを褒め称える。カスミはそれに照れくさそうな表情になる。
「褒め言葉として受け取っておきます。それに他の四大名家と付き合うのであれば、この程度は日常茶飯事ですよ」
修太郎はその言葉にひとまず納得しておくことにする。正直、今はこれ以上考える気が起きなかった。
今日は午前中だけでもあまりに濃い経験を強制的にさせられた。おかげでさすがの修太郎も疲れきってしまった。公平の依頼も明日以降に持ち越しになったし、光一への挑発も明日以降でいいだろう。今日のところはもう何もないはずだ。
何か異変でもなければの話だが。
世間ではこれをフラグと言うらしいが修太郎にはどうでもよかった。今はそれよりも……。
「とりあえず、今日は休むか」
修太郎は右肩をグルグルと回す。すると、二、三回ほどゴキゴキと音が鳴った。
○○○○○
時を同じくして、坂戸正馬は液太将頼と共に町はずれの畦道を歩いていた。二人の手には買い物らしき風呂敷が握られていた。それを持ってあてがわれた家への帰路につく途中で正馬は正面から歩いてくる二人の少女に気付く。
「ん?」
正馬たちの目の前に現れたのは香奈と真梨奈だった。真梨奈は二人の顔を見ると嫌そうな顔になる。
「げっ。坂戸に将頼」
「おいおい、ご挨拶だな。苦難を共にしている者同士仲良くしようぜ」
「誰があんたなんかと……!」
真梨奈は忌々しげに吐き捨てる。正馬はそんな彼女に不敵な笑みを浮かべてみせる。その笑みを見て、真梨奈はますます不機嫌な顔になってしまう。
そして、それは将頼も同じだった。正馬はそれを承知の上であえて二人を放置し、香奈の方へと視線を向ける。
突然自分の方に視線が向いたことに香奈は体を跳ねさせてしまうが、正馬は構わずに話しかける。
「お前も相変わらずらしいな」
「……はい」
まっすぐ目を見ながら言い放つ正馬に香奈は気まずげに目をそらす。真梨奈はその様子を見て唇を噛む。そして、正馬と香奈の間に割って入る。
「何だ?」
「別に……。ただ、あんたがそういう目で香奈を見てるのが気に食わないだけ」
ジロリと睨み上げてくる真梨奈を見て、正馬は嘲笑に似た笑みを浮かべる。
「お前には関係のない話だろ? これはただのコミュニケーションってやつだよ」
「あんたがそれを言うの? あれだけのことをしでかしたあんたが……!」
「も、もういいよ。真梨奈ちゃん……」
正馬に食ってかかる真梨奈を香奈は慌てた表情で止める。その一連の様子を将頼はどこかうんざりしたような目で見ていた。
これ以上見ていられなくなったのか、ため息をつくと将頼は正馬の側まで近付く。
「――なぁ、そろそろ行こうぜ、正馬。これ以上ここにいてもしょうがねえだろ」
「それもそうだな。それじゃ、またな。重藤に香奈」
「……っ!」
「真梨奈ちゃん!」
今にも正馬に掴みかかりそうになる真梨奈を香奈は大慌てで押さえる。正馬はそんな二人を見ても、なお嘲笑する。
「一つだけ言っといてやる。俺らのことだけどよ。一応、俺とそいつである程度折り合いはつけてあるんだ。他人のてめえにごちゃごちゃ言われる筋合いはねえな」
それだけ言うと正馬は将頼に声をかけて、香奈たちの横を通り過ぎる。
二組がすれ違う時、将頼と真梨奈の目が合う。だが、将頼はすぐに目をそらしてしまう。それに真梨奈は寂しげな表情を浮かべる。
これ以上真梨奈が正馬に食ってかかることはなかった。正馬はある程度離れたところで香奈たちの方を振り向くが、何も言うことなくそのまま去っていった。
正馬たちがいなくなった後、しばらくの間真梨奈は悲しげな表情で顔を俯かせていた。香奈は気遣わしげな表情になって彼女を見るが、何も言わなかった。何も言うことができなかった。
ふと真梨奈は顔を上げる。目を閉じて天を仰ぎ、大きく息を吐く。そして、香奈の方に顔を向けて一言。
「分かってるわよ。ただの八つ当たりにすぎないってことくらい。でも、それでも、アタシは……」
「真梨奈ちゃん……」
何かを堪えるように抑揚のない声で言う真梨奈に香奈は泣きそうな顔になる。真梨奈は香奈の顔を見て、彼女を落ち着かせるために優しく頭を撫でるがその手は震えていた。
○○○○○
その夜、カスミとシャイナはベッドで抱き合って寝ていた。いつも通り、修太郎は別室で眠り、二人は同室で寝ている。そして、二人が同じ布団で抱き合って眠ることもいつものことだった。
しかし、まだ日付が変わる少し前であり、彼女たちが寝るには少し早い時間だった。にもかかわらず、ベッドに二人が入っているのには理由がある。
というのも……。
「いいですか? カスミ様。あなたのその優しさは美徳ですが、相手が悪人の場合つけ込まれてしまうこともあるのです」
シャイナがカスミにそう説教していたのだ。しかし、カスミは納得いかなそうに頬を膨らませている。
「唯さんは悪人ではないわ。それくらい、あなたも分かっているでしょう?」
「そういう問題ではありません。確かに彼女は善人でしょうが、だからといって必ずしも受け入れていいということではないのです」
そう言ってシャイナは昼に唯と会ったときのことを思い出す。
唯と邂逅したときシャイナは無意識のうちに内心の警戒レベルを引き上げていた。カスミはそういった知識に疎いが、シャイナはある程度そちらの方面の知識も仕入れている。その上で唯とカスミを深く接触させることは危険だと判断した。
根拠はない。けれど、女の勘が唯は危険だと警鐘を鳴らしていた。修太郎が強引に自分たちと彼女を引き剥がそうとしていたことから、その勘は間違っていないだろう。
いずれにしても、カスミと彼女を会わせてはいけない。彼女は根本から狂っている。いや、そうでなくともカスミと唯を会わせれば、カスミはとてつもない危険に晒されることになってしまう。
だからこそ、シャイナは念を押しているのだ。取り返しがつかなくなる前に。
とはいえ、当然のことながら何の説明もなく納得を得ることは難しく、カスミは頬を膨らませ、むくれている。けれど、説明するわけにはいかなかった。そもそも、根拠自体何もないのだ。だから、自分を信じてもらうしかない。
だから、シャイナはひたすらカスミの目を見る。カスミもしばらくの間見返していたが、やがて、諦めたような表情でため息をつく。
「……分かったわよ。あなたの言う通りにする」
「ありがとうございます」
シャイナはぱぁっと顔を明るくさせて、カスミに抱きつく力を強める。カスミはそれに口では咎めるが、決して抗おうとはしなかった。
彼女たちには彼女たちの役目がある。ここで余計なものに意識を割いている余裕などないのだ。けれど、やはり気がかりなことはある。
「それにしても、再び成り行きで巻き込んでしまいましたが、修太郎様は大丈夫なのでしょうか。相手は四大名家の当主の一人。そう簡単にはいかないでしょう」
「大丈夫よ。修太郎を信じなさい」
「ですが……」
「私の言うことが聞けないの?」
「いいえ。あなたがそう仰るのであれば、私も彼を信じましょう」
「そうよ。何も心配いらないわ」
実際に彼女たちの心配など不要である。修太郎は単に光一を潰すためだけに動いているのだ。それで充分である。
彼にとって四大名家など取るに足らない存在でしかない。少なくとも現時点では。




