一人目ー第三章 4話 八つ当たり
不機嫌な表情のまま修太郎は街を歩く。その後ろを朸が静かについていく。さすがにあの現場を見て、修太郎を窘めようという気が起きるほど朸は人でなしではなかった。昨日までいた街と違い、修太郎の顔を見た瞬間に人々が道を譲るということはないが、尋常ではない怒りを晒している修太郎に街の人々は距離を取っている。
修太郎は我関せずといった表情でずんずん進んでいく。旅館に戻る近道をするべく、人目につかない路地裏に入る。
今の彼を見れば普通は関わりたくないと思うものだが、そんな彼に声をかける者がいた。
「よう。ちょっといいか?」
「あ?」
修太郎はイラつきを隠そうともせずに正面に立って話しかけてきた人物を睨みつける。黒髪を刈り上げ、白のカッターシャツに青いチノパンを着た修太郎たちよりも少々年上に見える少年。
修太郎は一瞬どこかの不良か何かだと思ったが、図らずも彼がすぐに口にした問いによってその考えは否定される。
「てめえらが、この街にいるっていう俺と同じ転移者か?」
言葉が発せられると同時に場の空気が凍る。なぜ、それを――と聞く前に少年が先に口を開く。
「ああ、答えなくていいぜ。その反応で分かる。俺は瀬戸巧。まぁ、一つよろしく頼むわ」
瀬戸巧と名乗るこの男はどうやら修太郎と同じ転移者らしい。まさかのクラスとは違う転移者の出現に修太郎は少しだけ驚いた。
しかし、予想はしていた。キサラは召喚できるのが自分たちだけなどと一言も言っていない。つまり、キサラは自分たち以外にも現実世界からこちらの世界に人間を召喚していたということだ。
修太郎はその推測で概ね正解だろうと考える。あの支配欲の強い女がクラスメイトたちを制御できないまま放っておくとは思えない。しかし、彼女の力ではクラスメイトを従えるのは難しい。ならば、別の人間を召喚して言いなりにしてしまえばいい。単純明快な話だ。
そう思っていた修太郎に瀬戸は先ほど以上に巨大な爆弾を投下する。
「いやー、にしても、あいつの言う通りだったな! あのハカリって奴、いい仕事するじゃねえか!」
その言葉に修太郎と朸は大きく目を見開く。
「ハカリ……だと?」
「……どういうこと?」
修太郎と朸の口からこぼれた疑問は同時だった。ハカリといえば、魔物たちを実質的に統一している魔王の側近の名だ。朸から先日そう聞いていたが、そんな人物がなぜ転移者の手助けをしているのか。修太郎はハカリの情報を自身にもたらした朸の方をチラリと見るが、彼は首をかしげるだけだ。
だが、分析ができないわけではない。修太郎たちがキサラによって魔王討伐のために召喚されたのと同様、魔王側も修太郎たちを迎え撃つために人間を召喚したのだ。つまりは……。
「お前は俺らの敵か」
「ま、そんなところだな」
声を低くして問う修太郎に瀬戸はあっけらかんと答える。その瞳は修太郎を挑発するように細められる。修太郎はそれに小さく舌打ちをする。
修太郎の態度を見て瀬戸は眉をぴくりと動かし、額に青筋を浮かべて笑う。
「舌打ちとは随分といい度胸じゃねえか。ちょうどいい。早速てめえをぶちのめしてやるよ」
どうやら、舌打ち一つで気分が悪くなる程度には喧嘩っ早い性格のようだ。瀬戸は右手に剣を顕現する。
「分かるか? これはハカリに与えられた何でも斬れる刀でよ。人を一太刀で斬れる優れモノだぜ? おまけに――」
瀬戸が下卑た笑みを浮かべながら、何か言っているが修太郎にはどうでもよかった。今の修太郎は虫の居所が悪い。そして、目の前には格好の獲物がぶら下がっている。ならば、捕食者が取るべき行動は一つだ。
「ペラペラしゃべってねえでさっさと来いよ。ビビってんのか?」
瀬戸の言葉を遮る形で修太郎は言い放つ。瀬戸と違い、何も取り出す素振りも見せず、あまつさえ構えもしない。そんな状態でゴミを見るような目で自分を見てくる修太郎に辛抱強い人間とは対極の位置にいる瀬戸の怒りはあっさりと爆発する。
「なめやがって! その面、原形を留めねえほどに切り刻んでやる!」
「完全に小物のセリフだな」
「~~~~~っっっ!!!」
瀬戸は目を血走らせて修太郎に斬りかかる。修太郎は目の前に刀が迫ってくるのをぼんやりと見つめている。瀬戸の斬撃は修太郎の左肩を捉える。瀬戸は口元を歪めて修太郎の胴体を真っ二つにするべく、刀に力を込めて刃を振り切る。瀬戸の刀が修太郎の胴体を袈裟斬りの要領で完全に切り裂いた瞬間、膨大な血を流したのは瀬戸の肉体だった。
「は?」
瀬戸は血反吐を吐きながら、自分の体を見る。すると、修太郎を斬ったのと全く同じ場所に傷ができていた。同時に自分の視界が急速にズレていくのを感じる。
「が……っ!」
瀬戸は白目をむいて上半身ごと地面に落ちていく。それに少し遅れて下半身も地面に崩れ落ちる。瀬戸巧はあっけなく絶命した。
瀬戸には何が起きたか理解できなかっただろう。しかし、修太郎がやったことは極めてシンプルだ。瀬戸が自分に与えた傷をそっくりそのまま瀬戸に与えた。それだけだ。
特典には対象を変更すると自分に関するものはリセットされると判明したわけだが、それに対する例外がいくつもあることも分かっている。特典として与えられた情報の読める部分が増えていたというのもあるが、実際に早朝にさりげなく何がこの制限に適用されて、何が例外なのかを確かめてみたのだ。
その中で修太郎はもし自分の命に関わるような傷を負った場合はどうなるのかが気になっていた。この世界は現実世界と比べても飛躍的に死ぬ危険が高い。もし、致命傷を受けた場合に特典でそれを無効化した場合、対象を変更するとなかったことにした致命傷がどうなるのか。
もし、制限が適用されてしまうのであれば、うかつに致命傷を負うことはできない。そういった点は開示された情報には載っていなかったので自分で確かめるしかなかった。
そこで確かめてみた結果、自分の命に関わる対象に対してはこの制限が適用されないことが分かった。おまけに確認してすぐにその情報も開示されたので、おそらく間違いないだろう。
もし、適用されてしまった場合は目も当てられないが修太郎にとっては問題ではなかった。その時はその時だ。人間死ぬときは死ぬ。今さら死んだところで世の中に何の未練もない。
だから、修太郎は何のためらいもなく、失敗すれば一巻の終わりであるその検証を行えた。適用されれば修太郎にとって極めて不都合であるにもかかわらず、やってのけた。その矛盾した思想こそが修太郎の弱点でありアイデンティティであると修太郎は密かに思いはじめている。
だが、いずれにしても修太郎にはどうでもいいことだった。そもそも、試すまでもなく修太郎には制限が適用されないであろうという確信があった。
その根拠となるのが先日のグブファとの戦いだ。この戦いでアスタルに奇襲を受けた際に負傷した左脇腹を特典で治療したが、その後に対象を変えても先の特典により施した治療がなかったことになるという事態になることはなかった。つまり、負傷などのマイナスの事象から回復するように好感度を設定した場合は、この制限が適用されないということだ。
「はっ。もう終いかよ。あっけねえもんだな」
修太郎は見るも無残な姿に成り果てた瀬戸の亡骸を見て、そう吐き捨てる。現実世界にいた頃は、やんちゃこそすれど人を殺めたことなど一度もなかったはずなのに、この一週間で当たり前のようにこなせてしまっている。
しかし、このまま旅館に戻るのはまずいだろう。まだ光一たちとの邂逅による怒りは残っている。カスミたちにむやみに当たり散らすことはないにしても、こんな精神状態で彼女たちと会うのは気が引ける。
「ちょっと頭冷やしてくるわ。お前は先に戻ってろ」
「うん」
朸は一切文句を言わずにその場を後にする。しばらく一人にしておいた方がいいのは明白だからだ。
修太郎は大きく深呼吸をすると、朸の後を追う形で路地裏を突き進む。途中の十字路で旅館へ向かう道とは違う方向へと歩き出す。
そして、そこで修太郎はあるものを見てしまう。それは彼の機嫌が悪くなる原因を作った元凶だった。何の因果かたった一人で修太郎の前を背中を見せて歩く金髪の少女。
少女の名は喜々野伶香。彼女を見た瞬間修太郎の頭の中で何かが弾けた。
そうだ。この馬鹿のせいで修太郎はあのクズと会う羽目になったのだ。修太郎の大切なものを愚弄し、貶めたあのゴミクズと。
修太郎は止まらなかった。止まれなかった。止まる意味もなかった。足音をけたたましく鳴らして喜々野に近付いていく。
喜々野は自分に近付く足音に気付き、うっとうしそうな顔で振り返るが、時すでに遅しだった。
修太郎は大声を出されないようにその口を左手で抑えると、その勢いのまま喜々野の体を壁に叩きつける。
「ん~~!」
「黙ってろ。その喉切り裂かれてえのか?」
「……っ!」
耳元で囁くように脅すと喜々野は瞳に涙を浮かべて黙る。修太郎は鼻で息を吐くと右手で喜々野の腹に拳を叩きこむ。喜々野はあまりの痛みに顔をしかめる。
しかし、修太郎は見逃していなかった。それゆえに修太郎は喜々野の右腕を強く掴む。
「情報を開示した連中の中でてめえの特典だけはよく分からなかったが、どうやら、正体が判明したらしいな。けど、悪いな。それを使わせてやるほど俺はお人好しじゃねえ」
修太郎は凶悪な笑みを浮かべる。下から見上げる形でその顔を間近で見た喜々野は恐怖で顔を強ばらせる。大方、特典による一発逆転を狙っていたのだろうが無駄なことだ。喜々野に勝ち目など万に一つもない。修太郎の特典は神に等しい力を引き出せる。この特典さえあれば、どんな特典であろうとも喜々野は修太郎の敵ではない。
特典で自身の身体能力を強化すると修太郎は何のためらいもなく喜々野の両手両足を引きちぎる。転移で多少身体能力が強化されているとはいえ、精神自体は現実世界のそれと変わらないので四肢をもがれれば激痛でショック死してしまう。
だから、修太郎はこの程度でショック死しないように特典を使う。けれど、それにより死ぬことができなくなった喜々野が取れる行動は一つだった。
「ぎゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ちっ。うるっせえなぁ……。やっぱ、痛覚も切った方がよかったか? いや、それじゃ拷問の意味がねえよな」
修太郎はうっとうしそうに顔をしかめる。痛覚を遮断されていない状態で四肢をもがれれば常人なら発狂し絶叫することしかできない。それを承知の上で修太郎は狂ったように叫ぶ目の前の少女に冷めた視線を向ける。
もうすでに準備はできている。この女がどれほど騒ごうが誰も助けには来ない。
しかし、それにしても喜々野の声はやかましかった。痛みを与えることで悲鳴を聞いて嗜虐心を満たすのも拷問の醍醐味だが、ここまで大声だと逆に白けてしまう。
「うるさくて適わねえし、やっぱ、喉は潰しとくか」
あまりの騒音に耐えきれなくなった修太郎は特典を使って喜々野の喉を潰し、声を出せないようにする。喜々野は叫び声を上げようとするが、かすれ声すら出すことはできない。
「さて、じゃあ存分に楽しもうぜ。喜々野」
詠うように喜々野の耳元でそう囁いた修太郎は凄絶な笑みを浮かべて拳を振り上げる。その拳は喜々野の左頬を的確に捉え、彼女に血反吐を吐かせた。
そこからは喜々野にとってまさしく地獄に等しい時間だった。顔面や腹を殴られ、蹴られ、首を容赦なく絞められる。この手の拷問でよく見る薬漬けにしたり、切り刻んだり、あるいは陵辱したりなどというものはなく、ひたすら暴行を加えられるだけだったがそれでも素人の喜々野にはあまりにも酷な責めだった。ひたすら与えられ続ける痛みに耐えきれずにぽろぽろと大量の涙を流す。懇願するように修太郎を見るが、彼が手を緩めることはない。それどころか、うっとうしいと言わんばかりにその顔面に蹴りを叩き込む。
修太郎は高揚していた。人を痛めつけることにこれほどの快感を覚えた記憶はそれほどない。いつもは気晴らしに少しやる程度だったからか。それにしたって、ここまで気分が昂ぶるのは久しぶりだ。返り血が自身の顔についても、全く気にならない。むしろ、それが余計に修太郎のテンションを上げる。
それだけ光一との接見にストレスを感じていたのだ。覚悟していたとはいえ、せっかくあの男の顔を見ずに済んでいたのに、それを目の前の馬鹿女が見事にぶっ壊してくれた。その鬱憤が修太郎の想像する以上に溜まっていたようだ。
だが、その時間もそう長くは続かない。数分も暴力を加えれば四肢をちぎられたことによる体力低下も相まって、喜々野は相当衰弱していた。この分では弱い力でも数発でその生涯を終えるだろう。むしろ、ここまでよく保ったと言うべきか。特典で多少強化してやったとはいえ、常人ならば彼女の受けた攻撃の三分の一も食らえば死ぬ。
特典でもっと命が保つようにすることもできるが、喜々野の瀕死の姿を見て、あれほど興奮していたのが一瞬で萎えてしまった。まぁ、現実世界でもここまで来ればやめていたし、この辺りが潮時だろう。
「しょうがねえ。そろそろ解放してやるとするか」
修太郎の言葉に喜々野は弱々しく視線を彼に向ける。その瞳にはほんのわずかに期待の色が込められていた。この期に及んで希望を持てる彼女の能天気さに呆れつつも、修太郎はニヤリと笑いかける。
「じゃあな。これからはあの世で生を謳歌しろよ」
修太郎は希望を持ちかけていた彼女をどん底に叩き落とす言葉をまるで世間話でもするように口にしてのける。喜々野は大きく目を見開き、これ以上ないほど顔を歪める。
修太郎はそんな喜々野に構わずに手刀を彼女の胸に突き立てる。特典でこれまで以上に強化された一撃は喜々野の心臓をたやすく貫く。喜々野は血反吐を吐きながら壁にもたれかかる形で地面に座り込んでしまう。当然のことながら即死であり、喜々野の臀部が地面についたときにはすでに彼女の瞳からは生気が消えていた。
これで一通り終わった。自分でもらしくもなく感情が高ぶっていることを感じる。衝動的にやったことにここまで充実感を覚えるとはさすがに思わなかった。
頭を冷やすと言っておきながら結局頭を冷やせなかったなと修太郎は苦笑する。だが、これでだいぶ気は晴れた。あとはこれを利用して、あの男を徹底的に痛めつけるだけだ。
そう思い、光一を陥れる準備を始めようとしたところで修太郎は固まる。目を大きく見開き、乾いた声で呟く。
「お前は……」
修太郎から見て左の方。その距離およそ数十メートル。そこに修太郎と全く同じ姿形をした少年が立っていた。少年はこちらをじっと見ており、修太郎はその底知れない雰囲気に思わず動きを止めてしまった。




