一人目ー第二章 14話 絶望の選択は続く
そう。だから、自分たちに助けられる資格なんてない。それがマヤの揺るぎない考えだった。
中途半端な利己的思想に囚われて大切な人を救うことすらできなかった。そんな彼女に救われる価値などあるはずがない。
それゆえにマヤは比較的幼いころから懇意にしていたカスミから助けの手が伸ばされてもその手を取ろうとは思わなかった。実際自分一人だけならば、その手を払っていただろう。
しかし、サヤだけは別だ。彼女は救われるべき人間だ。救われて、この世界で幸せに生きるべき人間だ。いつまでもこんな環境に身を置いていていい人間ではない。
だから、マヤはその手を取るフリをした。その手を取って、サヤだけが救われるように画策した。そのためにマヤはあえて棘のある対応を心がけることにした。
カスミが自分たちの状況を何とかしてくれる救世主だと言って紹介してくれたのは櫛山修太郎という自分と大して歳の変わらない少年だった。マヤは直感的にこの男ならばサヤを救い出せるかもしれないと確信した。いわゆる女の勘だ。
だから、マヤはつっけんどんな態度で彼に接した。間違っても自分も助けないように初対面から挑発的な言動で彼と言葉を交わした。
正直かなりのリスクを覚悟した上での言動だったが効果は予想以上だった。彼は自分を救わずにサヤだけを助け出すことを約束してくれた。それを聞いてマヤは内心ほっとしたものだ。
しかし、それだけでは終わらなかった。彼はマヤの予想をはるかに超える傑物だった。彼は早朝に人型に急襲されたとき即座にそれを察知し、自分たちを無傷で守り抜いてみせたのだ。
「……あなたは一体何者なの?」
サヤが放ったその疑問は彼女が聞かなければマヤが聞いていた。それくらい目の前の少年は異常なことをやってのけていた。あれだけの数の獣型を作り出す強力な人型を相手に自分たち二人を守りながら戦うなど、どれほどの手練れでもまず不可能だ。それこそ常軌を逸した化物でも困難を極める。それを手傷をいくつか負っただけで達成した櫛山修太郎という少年にマヤは畏怖を覚えるのを抑えることができなかった。
だけど、この少年以外に頼れる相手がいないのもまた事実。何も言うことはできなかった。
しかし、その蜘蛛の糸のように細い糸もすぐに切れてしまう。マヤたちが魔王の手によって攫われてしまったのだ。そこから先の双子の記憶はない。ただ気付けば五年前に見せられたあの忌まわしいカプセルの中に今度は自分たちが入れられていた。
目を覚ますと同時に下の方から幼い少女の声で話しかけられる。
「具合はどうじゃ?」
「今までの中でも最悪です。魔王様」
「それは何よりじゃ」
皮肉に全く動じない魔王にマヤは舌打ちしたくなる衝動を抑える。それよりも確認しておかないといけないことがあるからだ。
マヤはちらりと隣を見る。そこには二人の知らない人間が、やはり二人中に入っていた。性別はどちらも女性。五年前のことを考えれば、おそらく修太郎もこの二人のことは知らないと見ていいだろう。
「マヤ。これって……」
「本当、どこまでも見下げた連中ね」
忌々しげに吐き捨てるマヤに魔王は苦笑しながらも咎めてくる。
「そういう言い方はないじゃろう。仮にも主に……」
「何の話です? 私はあなたを主と認めた覚えはない。あなたとて、それは重々承知しているはずではないですか」
「はて、何のことやら」
「とぼけるつもりですか。まぁ、私はどちらでも構いませんけど……」
そう。そんなことはどうでもいい。本当に問題なのは修太郎に五年前自分たちがやらされた選択を課せられるということだ。自分が死ぬのはいい。だけど、もし選択できずにサヤが死に、修太郎がそれで気に病むようなことがあれば見過ごすわけにはいかなかった。
「ですが、もしあなたがくだらぬことを考えているというのなら……」
剣呑な表情で何かを言おうとするマヤの言葉は途中で遮られる。コツコツとゆっくりとした足音が突如聞こえてきたかと思えば、いきなり扉が乱暴に開けられたからだ。
扉が開けられると同時に修太郎が朸を引き連れて中に入ってくる。
「来たか」
「よう。会いたかったぜぇ。魔王様よぉ」
修太郎は魔王の姿を見るや否や両手をパキポキと鳴らす。そんな修太郎に魔王はその可憐な容貌にそぐわぬ醜悪な笑みを浮かべて応じる。
「あの試練を突破するとはなかなかやるではないか。それでは、こちらも貴様に敬意を表して最高の試練をお主に課すとしようかの」
「最高の試練ねぇ……」
修太郎は魔王の後ろに並べられた二つのガラス張りのカプセルを見る。左側は知らない女二人だが、右側にはヴェレ姉妹が入れられている。どう考えてもロクなことではないだろうなと修太郎は思った。
「おうよ。ちなみにこれが最後じゃぞ」
「最後? 思ったより少ねえな。まだ一つしかクリアしてねえぞ」
「数は問題ではない。重要なのは質じゃ」
魔王はそう言って本題を口にする。ヴェレ姉妹にとってもっとも忌まわしいその試練の内容を。
「お主にはとある選択をしてもらう」
「選択?」
「そうじゃ。選択肢は二択じゃ。もちろん、選択権は一度きり。心して選択しろ」
「で、その選択肢ってのは何だ?」
修太郎の問いに魔王は忍び笑いをしながら選択肢を提示する。
「簡単じゃ。お主が救いたいと思う方を選べ」
「は?」
修太郎は思わず気の抜けた声を出す。それを頭が追いついていないのだと判断した魔王は現実を突きつけるかのように噛み砕いて説明する。
「どちらを生かしたいかを選べと言っておるんじゃ。選んだ方の命を救ってやる。ただし、選ばなかった方はその時点で死ぬがな」
その選択肢を聞いて双子は思わず顔をしかめる。しかも、前回と違ってカプセルを入れている人間の意識を残しているのがまた質が悪い。もう片方は完全に意識を奪われているようだが、ヴェレ姉妹は修太郎の選択をこの目で見せつけられることになる。前回とは逆の立場でこの惨い選択を見せようというのだ。
これには今まで黙っていた朸もさすがに口を出す。
「修太郎。向こうの口車に乗せられちゃダメだ。仮に選んだとしてもあいつがそれを守るとは思えない」
「そのようなことはない。妾はお主の選択を遵守するつもりじゃぞ?」
「ごめん。全く信じられない」
朸の言い分ももっともだった。しかし、だからといってこのままどちらも選ばないというのを彼女は許してくれないだろう。
「まぁ、信じられずともよい。じゃが、忘れておるわけではあるまいな。主導権はこちらにあるということを」
魔王は邪悪な笑みを浮かべる。彼女の言う通りだ。おまけに魔王というだけあって他と一線を画す実力を持っているのか特典が全く通用しない。よって、力づくで何とかするのは不可能だ。
「そうじゃな。現代風の言葉で言うならば、今から三十秒以内に選ぶということにしておこうか」
「なっ……!?」
あまりにも短すぎる猶予に朸は絶句する。そんな彼を見て魔王は愉快そうに笑う。
「何を驚く? 片方はお主が救うためにわざわざここまで来た者たち。片や、もう一方は一度も面識のない赤の他人。どちらを選ぶかなど聞くまでもあるまい?」
確かに彼女の言う通りだ。ここまでして救出に来た相手と全く無関係の他人。どちらを選ぶかと言われればそれは決まりきっているだろう。しかし、それは人として完全に終わっている者の考え方だ。
常人ならばまずためらう。自分が選ばなかった相手が命を失うというのは人の心に想像以上に重くのしかかる。それが赤の他人であろうとも、やすやすと選べる者はもはや人ではない。
それを承知の上で修太郎は何の迷いもなく口を開く。
「そんなもの決まっている。俺が生かしたいのはヴェレ姉妹だ」
「え?」
「ほう」
一切動じることなく、一切焦ることなく、答えを口にした修太郎に姉妹と朸は唖然とする。それに対し、魔王は感心したように口元に笑みを浮かべている。
「一応、理由を聞いておこうか」
「決まっている。俺が助けに来たのは双子だ。知らない相手まで救えるほど俺は大層な人間じゃねえ」
「そうか。ならば、約束通りお主の選択を尊重し、双子を助け、この者たちには死んでもらうとしよう」
魔王が言い終えると同時に見知らぬ女性二人が入ったカプセルに水が満ちていく。五年前と同じだ。違うのは双子の方に水が入っていないということだけか。
その目を背けたくなる光景を見ても修太郎は動揺を見せなかった。少しの間、女二人が溺れ死ぬところを見ていたかと思うと、突然肩をすくめ、ため息をつく。
予想通りだった。密かに選ばなかった方を特典を使って助けようと思っていたのだがそれは叶わなかった。
見た目はガラス張りの巨大なカプセルにしか見えないが、何やら特殊な細工がされているようだ。あるいは魔王自らが作ったものなのかもしれない。
だが、それが何だ。救えなかったところで関係ない。目的さえ達成できればそれでいい。
人の命の軽さなどとうの昔に知っている。そして、それはこの世界に来たおかげで確信に近いレベルまで認識を深めることができた。今更、命の灯が消える瞬間を見たところで何とも思わない。
すぐに女二人は息絶えた。双子がそんな光景に顔をしかめている中、魔王は平然としている修太郎に声をかける。
「それにしても、さすがに驚いたの。何の接点もないとはいえ、双子と二人の女の命を天秤にかけられて、何のためらいもなく双子を選ぶとは……」
「当たり前だろ? 面識も何もない奴の命なんざどうでもいい。とりあえず、知ってる奴が生きてりゃそれでいいんだよ」
あまりにもはっきりと言い放つ修太郎に魔王は一瞬呆ける。だが、すぐに腹を抱えて笑い転げる。
「ふははははは! これはさすがにたまげた! 最初から只者ではないとは思っていたが、まさかここまでとはのぉ!」
魔王は笑い転げているが修太郎は無視して、双子の方に視線を移す。カプセルは崩壊し、双子は完全に解放された。ただ戸惑ったような表情でこちらを見ている。
修太郎はそんな彼女たちから再び魔王の方へと視線を戻す。魔王は双子を一瞥して頷くと、そのまま修太郎たちに背を向けてくる。
「約束通り、解放した。では、妾はこれで帰るとするかの。いや、なかなか楽しませてもらったぞ」
「ふん。随分と余裕だな。次はてめえの番だぜ?」
「やめておけ。妾にそれが通じんことはお主がよく分かっておることじゃろう?」
魔王は修太郎の方に振り返ることなくそう言い放つ。
「そうだな。確かにてめえ自身には通用しねえだろうよ。だが、お前以外を媒介にした攻撃はどうだ?」
修太郎は好感度を操作して、自分の周囲に散らばる石を浮かび上がらせる。それを魔王を包囲するように展開する。だが、魔王は微動だにしない。それどころか、何事もなかったかのように歩きはじめる。一見隙だらけにしか見えなかったが、修太郎の無数の石つぶてによる攻撃は彼女の周囲五メートルに入った瞬間に全て消失してしまう。
「だから、言ったじゃろう。無駄じゃと」
魔王はそう言い捨てて、その場から消え去る。修太郎は彼女が消えた場所をしばし見つめ、やがて、ため息をつく。
「まぁ、望み薄だったけどよ。ここまで見事に通じねえとさすがにクるものがあるな」
修太郎はうんざりしたような表情で頭を掻く。そして、双子の方へと視線を向ける。それに二人は体を震わせる。
修太郎は随分と恐れられたもんだと内心で愚痴りながら言葉を紡ぐ。
「無事そうで何よりだ。あいつに何もされていないよな?」
「え、ええ……。私たちは気絶させられて、あのカプセルに入れられただけです」
言外に魔王の手に落ちた後のことはほとんど覚えていないということを含ませつつサヤは言う。だが、修太郎は一応の納得を見せる。そんな彼を見て、マヤは胸の内に抑えきれない感情が湧いてくる。
「どうして?」
思わず口に出た言葉。小さな声だったために修太郎は聞き取ることができずに眉をひそめる。
「ん?」
「どうして、すんなりと私たちを選ぶことができたの?」
それは疑問ではなく、非難に近い言葉だった。助けてもらっておいて言えた言葉ではないことは分かっている。しかし、マヤはどうしても彼に言いたくなった。
修太郎は彼女の言葉を質問と捉えたのかその答えになる言葉を口にする。
「言っただろ。俺はお前らを助けにきたんだと。それなのに、お前らを救う道を選ばなかったら本末転倒にもほどがある」
「違う。そうじゃない」
「は?」
修太郎は訝しげな顔になる。マヤの言葉の真意が読めず、次の言葉を待つ。
マヤは涙をぽろぽろと流しながら、その胸の内を吐露する。
「どうして、そんなに冷静でいられるの? だって、あなたは、これから選ばなかった方の命をずっと背負って……!」
「くだらねえ」
「え?」
自分の言葉を遮って放たれた言葉にマヤは固まる。彼は、今、一体何と言った?
くだらない? 命の価値を決めるというおぞましい選択を強いられたというのに?
修太郎は彼女のそんな想いなど知ったことではないと言わんばかりに彼自身の考えを口にする。
「そんなもん、くだらねえんだよ。人生はいつだって選択の連続だ。取りこぼしはあって当たり前。そんなもんを恐れてちゃ、生きるなんざ到底不可能だ」
修太郎は小さく息を吐く。そして、マヤの目をしっかりと見て、話を続ける。
「お前の様子から察するにお前も何かを選んで後悔しているようだが、それを悪いことだとは言わねえぜ。悔いのない人生を生きられる奴なんざどこにもいねえ。俺だって、散々後悔してきた」
修太郎の言葉にマヤは何も言えなくなる。サヤもそんな彼女を気遣うように肩を抱く。
違う。彼女が後悔したのは何かを選んだからではない。何も選んでいないから後悔しているのだ。あの時、選ぶことができずに両親を失った。その後悔はいつまで経っても癒えることはない。
「だから、選択に意味なんてねえんだよ。あるとすれば、どう選べば自分に都合がいいか。それだけだ。たとえ、それで人から恨まれる結果になろうが構いやしねえんだよ。自分に与えられた選択肢は自分の意思で選ぶ。道徳だの、倫理だのそんなくだらねえもんに縛られて決めるのは選択じゃねえ。ただの洗脳だ」
何と破綻した理屈だろうか。人間社会で生きていくにはあまりにも危険すぎる思想。マヤはそんな考えを何の疑いもなく口にする修太郎に恐れを覚える。だが、同時に納得もする。
そうだ。彼は破綻している。だからこそ、彼はあれだけ強いのだと。
マヤは横目で自分の肩を抱いている双子の片割れを見る。彼女は修太郎をどこかうっとりとした表情で見つめている。
同じ遺伝子を持つからか、即座にその真意を理解したマヤは頬を膨らませ、そっぽを向いてしまう。
そんな二人にお構いなしに修太郎は右肩を高く上げて伸びをする。その際に修太郎はチラリと奥にある扉を見るが、あえてそれには言及せずにマヤたちに背を向ける。
「さて、駆け足になったがアスタルの野郎も殺したし、これで依頼は達成だな。帰るぞ」
それだけ言って修太郎は来た道を戻っていく。朸もその後に続く。二人は完全に気を緩め、リラックスモードといった雰囲気だ。
「何か、波瀾万丈だったけど結果オーライかな。魔王逃がしたのは痛いけど」
「知ったことじゃねえ。俺はどうせ魔王に興味ねえし」
「見え透いた嘘をつくなよ。仮にそうだったとしても、それはそれで問題だし……」
二人は何やら雑談をしながら歩いている。しばらく歩いたところで、二人はマヤたちがついてきていないことに気付く
「おーい。どうしたよ。帰るぜ!」
「あ、うん!」
サヤは頬を紅潮させてしばし呆けていたが、修太郎の声で復活する。そして、マヤの手を引っ張る形で彼らに追従する。
マヤはそれに文句を言うが、二人の顔にはそれまで修太郎が見たことがないほど綺麗な笑顔が浮かんでいた。




