一人目ー第二章 13話 絶望の選択
それから、数ヶ月後。両親がいないということで双子は部屋の中でおとなしくしていた。
二人は机の上で勉強していたのだが、ふとサヤが口を開く。
「ねぇ、マヤ」
「何?」
「お父様たちは一体何をしているのかな?」
「知らないわ。知りようもないし」
二人はここ最近、両親の様子がおかしいことに気付いていた。とくにこの数ヶ月は無理矢理平静を取り繕っているような気すらするのだ。しかし、それに気付けたところで幼い二人にできることなど何もなかった。それが分かっているからこそ、この歳で冷静な思考ができるマヤは何も言わなかった。
興味がないわけではない。二人を信じているからこそ、何も言わないのだ。
「まぁ、本当にまずいことになったら何かしら言ってくるでしょ。今の私たちにできることは信じて待つことだけよ」
「マヤは大人ね」
サヤの言葉にマヤは笑ってしまいそうになる。大人とは一体何を以て言っているのか。何を定義としているのか。彼女がやっているのはただの思考放棄でしかないというのに。
自分はこの半身同然の少女と全く同じ日、同じ時間に生まれただけの子供だというのに。
だけど、マヤは何も話さなかった。彼女はいつもそうだった。なまじ、中途半端に聡明だったせいで自分が傷つかないようにするにはどう動けばいいか、それだけが分かるようになってしまっていて。だから、いつの間にか彼女は自分を守るためにしか動けなくなってしまっていた。
自分のことしか考えられない。自己中心的な人間を果たして大人と呼べるのだろうか。そんなはずはない。
もっとも、残念ながらどれほど歳を取ろうが自分のことしか考えられない精神の幼稚な人間が山ほどいるのは事実だが。
そういった人間とマヤは何ら変わりない。だから、彼女は大人などではない。まぁ、十一歳で大人だと認定されるのはそれはそれで問題なのだろうが。
マヤはサヤが羨ましかった。自分本位な自分と違って他人のことも慮れる彼女の感性が妬ましくて眩しかった。
だけど、それ以上に彼女が愛おしかった。だからこそ、彼女だけは何としても助ける。彼女のためではなく、自分のために。それがマヤの本心だった。
「それにしても遅いね……」
時計の短針はすでに五を回っていた。サヤの言う通り、いつもなら母親だけでも帰ってくる時間だ。なのに、どちらも全く姿を見せない。朝早く出て行ったっきり、家に戻ってこない。
もっとも、一応、使用人はいるので仮に戻ってこなかったとしても夕飯に差し支えることはない。とはいえ、できれば戻ってきてほしいというのが本心だった。
「忙しいんでしょう。二人とも。多分、もう少ししたら戻ってくるわ」
マヤの言葉を裏付けるかのように鈴の音が二人の耳に入ってくる。これは洋館の玄関につけられたものだ。扉を開ければ鳴るようになっているので、誰かがこの屋敷に入ってきたということになる。
二人はこの入ってきた人物に対して全く警戒していなかった。むしろ、サヤは嬉しそうな表情を浮かべている。
「ほら……」
マヤが目を閉じて笑いながら言おうとするが、直後に異変に気付く。いつも聞こえてくるものよりも荒っぽい足音だった。どすどすと床を踏み鳴らしながら部屋に近付いてきている。
明らかに両親の足音ではない。
「マヤ?」
「しっ」
サヤは警戒しながらマヤを自分の後ろに隠し、扉の方を睨む。この部屋に隠れる場所はない。机の下などはあるが、そんなところすぐに見つかってしまうだろう。
逃げようにも機を完全に逸してしまった。玄関からこの部屋まではそう遠くない。逃げるつもりならば、玄関から入ってきたと気付いた瞬間に走らなくてはいけなかった。もうすでに、すぐそこまで来ている。今から逃げても、二人の足ではおそらく逃げ切れないだろう。入ってきたのが母親だと完全に油断していたために詰んでしまった形だ。
マヤは最大限に警戒しながらドアを睨みつけることしかできなかった。その乱暴な足音の主はすぐに扉を開けて中に入ってくる。
入ってきたのは赤を基調にしたコートを着た白髪の少年だった。年の頃は双子よりもやや上だろうか。少年は双子を見るとにっこりと笑いかけてくる。
「やぁ、君たちが噂の双子かい?」
「誰?」
警戒心を隠そうともせず、それどころかマヤはありったけの敵意を込めてそう言い放つ。少年はそんな少女を微笑ましい表情で見ながら、両手を上げておどけてみせる。
「ああ。ごめんごめん。自己紹介がまだだったね。僕は神中優。よろしくね」
乱暴に入ってきたわりにはフレンドリーな少年だった。名前からして船楼地区の人間だろうとあたりをつける。
「……何の用? チャイムも押さずにいきなり入ってくる不審者を歓迎してあげられるほど私はお人好しじゃない」
「ああ。ごめんね。礼を失した行動を取ってしまったのは事実だ。それは謝るよ」
謝ると言いながら一切動きを見せない神中にマヤの目は鋭くなる。サヤは突然知らない人間が入ってきたことで混乱していてそれどころではないようだが、マヤには神中がどれだけ異常な行動を取っているのかがよく理解できた。
人の家に不法侵入をする理由など普通は窃盗、強盗、あるいは殺人などの犯罪目的以外にありえない。だが、目の前の男はここまで入っておきながら、未だに何もしようとしていない。
この男の目的が一体何なのか。マヤにはそれが分からなかった。少なくとも金品や双子の身柄が目的というわけではないだろう。そうであれば、とうの昔に行動に移しているはずだ。いくら、両親がいないとはいえ、いつまでもこんなところに長居しても無駄にリスクを増やすだけで何のメリットもないはずなのだから。
「心配しないで。別に僕は君たちに危害を加えるつもりはない。ただ迎えに来ただけだよ」
「迎え?」
「そう。僕は君の父上の遣いみたいもんでね。今、忙しくて手が離せないからって僕に迎えに行くよう頼まれたんだよ」
ニコニコと笑いながらそんなことを言う神中には、はっきり言って怪しさしか感じなかった。サヤは怯えてマヤの後ろから出てこないし、マヤに至っては親の敵でも見るような目で神中を睨みつけている。当然、その程度のことは想定していた神中は首のうしろを人差し指でポリポリと掻きながら苦笑いをする。
「まぁ、何の突拍子もなくこんなこと言われても信じられないよね。でも、悪いけどこっちもそんなに時間があるわけじゃないんだ。だから……」
神中は双子に左手を向けてくる。二人は反射的に身構えるが、次の瞬間二人の力が抜け、その場で倒れてしまう。二人の口から寝息が漏れる。
「本当にごめんね。でも、これも仕方のないことなんだ。魔王様のためにはね……」
眠ってしまった双子に謝罪するようなことを笑いながら言いつつも、神中は二人を両肩に抱え、洋館から出て行く。
〇〇〇〇〇
双子は古い白熱灯の光で目を覚ます。身を捩らせながら二人揃って上体を起こす。
「ここは……」
「起きたかい?」
ぼんやりとしたまま周囲を見渡していた双子だったが直近に聞いた声を耳にするやいなや、すぐさま意識が覚醒する。マヤとサヤは互いに抱きしめ合いながら声の主の方を見る。
「さっきは悪かったね。手荒なコトしちゃって。でも、こうでもしないと君たちを素早く連れてこれないと思ったからさ」
「ここはどこ?」
これまでにないほど低い声で問うてくるマヤに神中は肩をすくめながら答える。
「見れば分かる」
「ふざけないで」
「ふざけたつもりはないさ。でも、待ってても埒が明かないし先に答えを明かしてしまおうか。そうだな。一言で言えば『宮殿』の地下かな?」
「宮殿……?」
マヤは周囲を見渡す。ざっと見た感じ、コンクリートで作られた古そうな建物の一室のように見える。広さはかなりのものだ。そして、彼の言葉を裏付けるかのように窓らしきものはどこにも見当たらない。
「マヤ……」
「分かってる。でも、多分あいつは嘘をついていない」
マヤは警戒心を最大限まで引き上げながらも神中の言葉に嘘がないことを確信する。なぜなら、見たことがある部屋だったからだ。
といっても、たった一度、それも五年ほど前に見ただけだ。そんな昔のことなど覚えているはずもない。だから、すぐには分からなかった。だからこそ、神中が何らかの細工を仕掛けている可能性もあるが、おそらくそれはないだろう。
もっとも、この後の展開次第ではそれもありえるけれど。
「納得してもらったようだし、それじゃあ、入ってきてもらおうか」
「え?」
何の前触れもなく言われた言葉にサヤは気の抜けた声を出してしまう。マヤは逆に神経を張りつめながら神中の出方を見ている。
そんな二人を嘲笑うかのように部屋の中に二つのカプセルが運び込まれる。それはガラス張りで中が見えるようになっており、人の二、三人くらいは入れるくらいの大きさは楽にあった。そして、その中には――。
「お父様! お母様!」
二人から見て左側のカプセルに二人の両親が入れられていた。サヤは思わず叫ぶ。右側のカプセルにも知らない男女二人組が気絶した状態で詰め込まれていたが、二人の目には入ってこない。
二人の目にあるのは明らかに気を失った状態でカプセルに詰め込まれた尊敬する両親の姿だけだ。これにはサヤだけでなく、さすがのマヤも取り乱す。
そんな二人をおかしそうに見ながら、神中はとある提案をしてくる。
「君たちにはこれからとある選択をしてもらいたいんだ」
「選択?」
オウム返しをするように尋ねてくるマヤに神中はくつくつと喉を鳴らすように笑いながら、その絶望的なまでに陰惨な選択肢を提示する。
「どちらを生かすか、という選択だよ」
「な、に……を?」
呆然とした表情になる二人に神中は破顔しながら、たたみかけるように言う。
「分かりにくかったかい? なら、直球で言おう。君のご両親とこの名も知らぬ他人。どちらの命を救いたい? 選んだ方の命を助けてやるよ」
それはあまりにも酷な選択肢だった。合理的に考えれば両親一択なのだろう。生まれた時から時を共にし、尊敬し続けた両親と、名も顔も知らずたった今存在を知った赤の他人。どちらが大切かなど言うまでもない。
しかし、それはあくまで感情を排して考えたらの話だ。選んだ方の命を助けるということは、選ばれなかった方は死ぬということ。もし、両親を選んだとして、その結果右側の男女二人組が死んでしまったらそれは仕方のないことだと割り切れるほど双子は冷酷にはなりきれなかった。
「あ。ちなみに一応、時間制限設けさせてもらうよ。そうだな。今から三十秒。それだけあれば、踏ん切りもつくでしょ? あ、ちなみにどっちも選ばなかったら両方とも殺していいものと見なすからね」
二人に追い打ちをかけるようなことを神中は平気で言ってくる。マヤは思わずその顔面をひっぱたきたくなった。しかし、そんなことをしても何の解決にもならない。
「はい。十秒経過ぁ」
そんなこんなで十秒経ってしまう。残り二十秒足らずで選択しなくてはならない。この命を弄ぶような冷酷非道な選択肢を。
「マヤ……」
サヤが涙を浮かべながらマヤの腕に縋りついてくる。サヤはもう完全に思考放棄してしまっている。優しすぎる彼女はその命の重さに耐えきれなくなってしまったようだ。こうなったら、自分がやるしかない。
選択肢は決まりきっている。ここで両親を選べばそれで終わりだ。父親と母親を選べというのであればいざ知らず、両親と他人など比べるまでもない。だけど、それはあくまでマヤの主観だ。赤の他人といえども、右側のカプセルに入った者たちもれっきとした人間なのだ。命を持った生きた者たちなのだ。
彼らには彼らの人生がある。男女ということは両親のように夫婦なのか、それとも、恋人か。あるいは兄弟、もしくは全くの他人なのかもしれない。彼らの関係性などどうでもいいと分かっていながらマヤの頭にそんなことがよぎる。もう安全に頭の中が真っ白になってしまっている。
「残り五秒前」
「マヤぁ……」
気付けば時間は残り五秒まで差し迫っていた。マヤは慌てて両親の方を選ぶと口にしようとする。だが、紡ごうとした言葉は口から出ない。
そして、その時はやってきてしまった。
「ゼェロォ。はいはい、時間切れぇ。そういうわけで二組とも殺しちゃうね」
「ま、待って……!」
「待たない。こんな答えの分かりきってる選択肢を好意で三十秒も待ってあげたのに答えなかった罰だ。そら、よく刮目して見てなよ」
神中が醜悪な笑みを浮かべて言い終えると同時に二つのカプセルの内部を満たすほどの水が流れ込んでいく。それを見て、二人はこれから何が起きるのか容易に想像がついた。
「や、やめ……」
サヤは真っ青な表情で神中に懇願するが彼は聞かない。マヤは呆然とした表情でカプセルに満たされた水によって溺れていく両親の姿を見つめていることしかできなかった。
やがて、二人が苦しそうに顔を歪める。同時に口からゴボっと息のようなものを吐き出す。それは泡となってカプセルの上へと浮かんでいく。それを見た双子はハッとした表情になる。そして、二人は同時に走り出し、両親のカプセルにしがみつく。
「「やめてぇぇぇぇぇぇっ‼」」
必死にカプセルを叩くがカプセルはびくともしない。そして、為す術もなく両親はどちらも溺死してしまう。
二人は何が起きたのか理解できずにしばらくの間呆然としていた。
「ひゃー! 最高! 素晴らしいよ!」
二人の耳に場にそぐわぬ楽しそうな声が聞こえてくる。双子は思わずその声の主である神中を涙のこぼれた目で睨む。そんな二人を神中は笑いながら見る。
「おいおい。僕を憎むのはお門違いだぜ。君らは自分で選択したんだよ」
「あれは……。あなたが……」
「いい子ぶるなよ。それなら、なぜもう片方の二人組が溺死させられようとするのを止めなかった? 両親と天秤をかけられるほどの名も知らぬ他人の命の危険を心配しなかった? 答えは一つ。君らが選べなかったのは単に目の前で人が死ぬのを見たくないという至極身勝手な理由だったからさ」
神中の指摘に双子は答えることができなかった。神中は構わずに続ける。
「分かったろ。それが君らの本性だよ。君らはしょせん魔王様に仕える以外に生き方など持たぬ弱者だ。それをよく知っておきな」
マヤがかろうじて絞り出した声を神中はばっさりと切り捨てる。そして、二人に興味がなくなったかのようにカプセルの方に視線を移す。
「ま。ここで言わなくてもすぐに理解できるか」
「どういう……」
「すぐに分かる」
神中はそれだけ言うと双子に背を向けて部屋から出ていく。その背を追うことも、呼び止めることも双子にはできなかった。しばし、茫然としていたが、すぐに彼女たちに現実が襲いかかる。選択できなかったばかりに両親を死なせてしまったという残酷な現実が。
双子は両親の亡骸が入ったカプセルにしがみついてただ泣くことしかできなかった。だけど、泣いたところで何も変わらなかった。それどころか、双子にさらなる試練が待ち受けているのはまた後の話……。




