一人目ー第二章 11話 明かされる修太郎の特典
戦いの火蓋が切られると同時に修太郎は動いた。アスタルの弾丸を体に到達する直前に消滅させると、凄まじい速さでアスタルに接近する。
修太郎は一切の予備動作もなしに右ストレートを振るう。アスタルは左手でそれをいなしながら、カウンターの蹴りを修太郎の左脇腹に入れようとする。修太郎はそれを左手で受け止め、その勢いを生かして体を回転させると、アスタルの背後に回り、後頭部に拳を叩き込む。アスタルは持ち前の頑強さでそれを耐え抜き、背を向けたままその拳を掴むと腹に返撃の拳を放つ。修太郎は空いた手でそれを止めて、掴まれた手の関節を外して拘束から抜けると、そのまま距離を取る。
「やるねぇ……」
アスタルは振り返りながら言う。その表情には明らかに余裕があった。対して、修太郎は掴まれていた自身の左手を見る。
(尋常じゃねえ膂力。この程度の強化じゃ、少し分が悪いか)
左手にはアスタルの手形が残されていた。彼のとてつもない握力で掴まれたことでできた跡だ。見た目に反して、左手自体はわずかに痺れている程度だが力負けしたという事実は変わらない。
修太郎はこの差を逆にし、更に広げるために一瞬目を閉じる。その隙を見逃すアスタルではない。懐から短刀を取り出すと先ほどよりも速い速度で心臓を狙う。その速度は本来ならば瞬き一つで距離を潰せてしまうほどのものだった。とても、人が反応できる次元ではない。
しかし、修太郎は目を閉じたまま短刀を持つ手を掴む。
「!」
アスタルは目を見開き、驚愕する。今度はその隙を修太郎がつく。
「もう終わりだ」
「がっ!」
修太郎の強烈な蹴りがアスタルの顔面に叩き込まれる。アスタルはそのあまりの威力に堪えきれずに吹き飛ばされる。十数メートルほど吹き飛ばされたところで地面に手を置き、その手を支点に空中で一回転して着地する。
「はぁ、はぁ……」
だが、一発でアスタルは相当なダメージを負わされてしまった。口と鼻からは多くの血が流れている。
「今までとは明らかに次元の違う反応と力。さっきまでは手加減してたってわけかい」
「んなつもりはねえよ。逆に嫌味だぜ、それ」
呆れたように吐き捨てる修太郎にアスタルは乾いた笑い声を漏らしてしまう。嫌味を言っているのは、手を抜いていた修太郎の方だろう。先刻までとは次元の違う動きにアスタルは笑うしかない。
そんな彼をよそに修太郎は内心あることを考えていた。
(にしても……。まだ断定はできないが、やはりこうなるようだな……)
修太郎は今回の一撃をあえて全力で放った。しかし、アスタルを倒すことは出来なかった。それが彼が密かに持っていた懸念を確信に変えた。
ここで修太郎の特典について軽く説明する。修太郎の特典は一言で言うならば『好感度の操作』を行うことができるというものだ。これは人と人の間にある好感度だけでなく全ての事象の対象に対する好感度を操る事が可能という代物である。
ただし、能力行使の際には必ず二つの対象を設定しないといけないという制約があり、片方の好感度を上げればもう片方が下がり、片方の好感度を下げればもう片方が上がるという制約がある。また一度に指定できる対象は一組――つまり、二つのみでそれ以外の対象の好感度を操作するには一度対象への指定を解除し、別の一組を対象に設定する必要がある。
この異世界に来た当初にカスミを救った際には自分への幸運の好感度を上げ、魔物への幸運の好感度を下げた。その結果、修太郎は身体能力の飛躍的な向上をノーリスクで手に入れ、その魔物の欠点である電撃による攻撃も可能とした。
これだけ聞くと完全無欠のチート能力のように見えるが、それは違う。いくつかの欠点をこの特典は抱えている。
能力を使用している状態で違う対象にこの能力を使うには一度二つとも指定を解除する必要があるわけだが、この能力は基本的に指定を解除しても一度操作した対象の好感度は変更されたままである。しかし、修太郎に対するものだけは違う。彼を対象に設定した場合のみ、一度指定を解除すると元にリセットされてしまうらしい。
先ほどアスタルを倒しきれなかったのがそれだ。修太郎はこの戦闘が始まった直後、適当な対象をペアに選んで自分の身体能力を上げた。それに加え、修太郎は先ほどアスタルの身体能力が高いという事象に対する好感度を下げ、逆に自身の身体能力が高いという事象を上げることでその差を逆転し、差を広げた。それは事実だ。
しかし、対象指定を解除しても変更が続くのならばこの身体能力増強に最初の身体能力強化が上乗せされていなくてはおかしい。明確には断言できないが先ほどの蹴りは二度目の変更による身体能力の向上しか効果を得ていないように思えた。それとは裏腹に最初に好感度を下げた事象はそのままになっているようだ。
修太郎がカスミたちに特典を使おうと思わなかったのは予感がこのことを暗示していたからなのかもしれない。
「まあいい。それならそれで、やりようはある」
物事は最悪な方に考えておく。確証はなくとも確信を持っておくことが大事だ。それが修太郎なりの処世術だ。
修太郎は肩で激しく息をしながら、未だにこちらの様子を窺い、動く様子の見せないアスタルを見る。
「いつまでボーッとしてる? 来ないんなら、こっちから行くぞ」
修太郎は今の睨み合いの間に再設定を終えていた。身体能力を更に上げた修太郎は一瞬にも満たない時間でアスタルを射程範囲に入れると腹に強烈なアッパーを放つ。
「ごはっ!」
血反吐を吐きながら浮き上がるアスタルの腕を掴んで地面に叩きつけると、馬乗りになってパンチの連打を顔面に叩き込む。
痛撃を二度も喰らって満身創痍のアスタルはされるがままに殴られ続けるしかなかった。
「アスタル様!」
グブファは慌てた表情でアスタルの方に走り寄ろうとするが、その左肩に小さな穴が空く。
「おいおい。敵に背を向けるとは随分と余裕だなぁ……」
朸は両手に十数個の石を持った状態でグブファを見る。彼女が動きを見せれば、いつでも魔力で強化した石を放てる構えだ。
「邪魔をするな!」
グブファは強い敵意のこもった目で朸を睨みつける。しかし、朸は動じない。平然とした様子でグブファを見ている。それが無性に腹立たしくて、グブファは十体以上の獣型の魔物を出現させる。朸はその凄まじい光景を見て、口元を小さく歪めた。
修太郎は一切手を止める様子もなく、ひたすら殴り続ける。その数はすでに百を超えている。もうこれだけ殴ればアスタルも限界だろうとわずかに手が緩んだ刹那、アスタルが動いた。
ドガガガガガガガガガガッ!
いつの間にか修太郎の周囲に展開されていた弾丸が修太郎に一斉に発射される。その弾丸は一発残らず隙だらけの修太郎の肉体に命中する。しかし――。
「……参ったねぇ」
アスタルは顔をひきつらせる。起死回生の反撃。残された力を全て振り絞って撃ち放たれた包囲攻撃を浴びてなお、修太郎は平然としていた。
「礼を言うぜ。アスタル・ゼヴェイフォルン」
「……何をだい?」
「ただ油断するだけじゃダメなんだ。そんなものはただの道化と何も変わりはしねえ。本当の油断とは自分の力を最大限知り尽くしている者の絶対的な自信。それこそが俺が持つべき感情だった。それを教えてくれたことに心から感謝する」
修太郎は両手をポキポキと鳴らすとそのまま右手を振り上げる。最後の力を使い切ったアスタルにもはや抗う力はない。グブファも朸の相手で手一杯だ。打つ手なしとみたアスタルは潔く死を受け入れようとする。
「!」
だが、そんな修太郎の右手に一つの石つぶてがぶつかる。明らかに何者かが修太郎を狙って石を放ったのだ。
修太郎が石の飛んできた方向を見ると五人の子供たちが石を持って立っていた。そのうち、石を投げ終わった体勢を取っている少年に目を向ける。その少年には見覚えがあった。
「確か、クワゴ……だったか?」
「残念だよ、修太郎さん。あなたはいい人だと思っていたのに……」
クワゴは痛恨を隠せないといった表情で修太郎を睨みつけてくる。他の四人も同様に強い敵意をこちらに向けてくる。
なるほど。どうやら、アスタルは子供たちに相当慕われているらしい。もっとも、だから何だというのが修太郎の心境だったが。
「涙ぐましいねぇ。わざわざ、尊敬する兄さんを助けに来たってわけか。泣けてくるよ、マジで」
修太郎はアスタルの上から退くと、らしくもなく大げさに両腕を広げてそんなことを嘯く。増援に来た小さな兵隊たちは隙だらけな彼に向かって石を投げつけようとする。だが、彼の様子に不審を抱いたアスタルは慌てて子供たちを止めようとする。
「待て、皆……」
しかし、力を使い果たした彼では静止を叫ぶことはできず、消え入りそうな声を出すのが精一杯だった。当然、子供たちの耳には入らず彼らはありったけの石を修太郎に投げつける。修太郎は一切動かずにただその石を見る。そして、その石が彼に当たる数メートルほど手前に到達したところで石は不可解な動きを見せる。
子供が投げられる程度の速度と威力しか持たなかった石つぶてが、アスタルの弾丸と同じくらいの速度と威力を持って進行方向を真逆に変えたのだ。石は修太郎とは真逆の位置にいる子供たちめがけて飛んでいく。当然、そんな事態を予想していなかった子供たちは固まったまま、急接近してくる石を眺めていることしかできない。石は速度を保ったまま、どうすることもできない子供たちへと襲いかかる。
――はずだった。
それはまさしく説明不可能な現象だった。アスタル自身、どうしてこんなことができたのかは分からない。分かるのは身を挺して子供たちを守り抜いたということだけだ。
「先生!」
「……ごめんね。皆」
アスタルは子供たちを自分の腕の中に抱え込むと、その背で銃弾以上の破壊力を持つ石を受けきったのだ。しかし、瀕死の彼にそれはきわめて酷な攻撃であり、追い打ちをかける形となってしまった。
アスタルは子供たちを抱えると力なくその場にひれ伏す。そんな彼を子供たちは涙を浮かべて、必死に呼びかけるがその声を一つの声が遮る。
「ひでえなぁ……。魔物とはいえ、そいつのことは尊敬してたんだろ? それとも、実はぶっ殺したくて仕方なかったのか? それで満身創痍のそいつに止めを刺そうと思ったのか? なら、よかったじゃねえか。おめでとさん」
アスタルを殺しておきながら、しゃあしゃあとそんなことを口にする修太郎を子供たちは涙目で睨みつけることしか出来なかった。
もはや、彼らに打つ手などない。それどころか、彼らに修太郎を睨みつける資格もない。それを分かっていない彼らに修太郎は現実を突きつけてやることにする。
「覚えておけ。過程はどうあれ、石を投げたのはお前らだ。お前らがそいつを殺したんだよ」
理不尽だと知りながら、非情だと知りながら、修太郎はあえてそう言い放つ。子供たちは修太郎の言葉に衝撃を受けたような表情をする。攻撃を反射させたのは修太郎だが、その元になったのは子供たちだ。そして、それが原因で自分たちが父親同然に慕っていた男を殺した。その事実に子供たちは打ちひしがれる。
そんな彼らにさすがに同情を覚えないとは言わない。だが、修太郎が罪悪感を抱くことはない。抱くのは、憐憫の感情だけだ。
アスタルの亡骸に無様に泣きついている子供たちに完全に興味を失った修太郎は朸の方へと歩いていく。そっちの戦いもすでに終わっていた。
「ああ、もう終わった?」
朸は両腕と左頬を血で染め上げながら聞いてくる。それは朸の血ではない。相手を殺したときに浴びた返り血だ。
朸の足下にはグブファと数人の子供たちが夥しい量の血を流して倒れていた。確認するまでもなく、全員死んでいる。子供たちの中には修太郎の助けたダウセの姿もあった。
「ガキどもも殺したのか」
「うん。うざったくて、邪魔だったからね。お前も殺さなくていいの?」
「いちいち、そんな手間かける必要ねえだろ。めんどくせえ」
「あはは。修太郎は優しいね」
「お前が能天気すぎるんだよ。のんびりしてるにもほどがある。大体、何でそんな返り血浴びてんだ」
修太郎は頭を掻きながら特典で新品のタオルを右手に出現させて、それを朸に渡す。朸は礼を言って、それを受け取り、返り血を拭く。
そんな彼に背を向けて、修太郎は言う。
「俺は行くところがあるんでな。殺したきゃ、向こうのガキどもも譲ってやる。だから、お前とはここまでだ」
「おいおい。それはないだろ? お前が僕の同行を許した時点で僕らは一蓮托生。最後まで一緒にやらせてよ」
朸は食い下がってくる。修太郎はそんな彼に何も言うことなく歩きはじめる。朸はその背を慌てて追うが、今度は修太郎は歩く速度を変えることをしなかった。朸が走って追いつく直前に修太郎は小さな、本当に小さな声で言う。
「ほら見ろ。やっぱり、正義なんて一方だけが持つものじゃねえだろうが」
修太郎は背中越しにアスタルの亡骸が塵になっていくのを見ながら、どこか寂しげにそう呟く。その声は空気の音にかき消されそうなほど小さかったので、近くにいた朸にも聞こえなかったようだ。当然だが、子供たちもその声に気付くことはなかった。
証明する意味のないものを一つ証明した。この戦いを終わらせたところで、得た報酬はそんなどうでもいい結論だけだった。それに修太郎は大きくため息をついた。




