一人目ー第二章 8話 急襲
昨晩風呂に入った後すぐに寝たことで朝早くに目が覚めてしまった修太郎は密かに旅館を抜け出し、人目につかない路地裏に来ていた。確かめたいことがあったからだ。
それは特典がどれくらいまで使えるかということだ。彼の特典が強力なのは間違いない。だが、使いどころを間違えれば自分に牙を向く諸刃の剣になってしまいかねない。だからこそ、修太郎は今さらながら自分の特典について確認をしようとしているのだ。
なぜ、このタイミングでやるかという問いに対する答えは持ち得ていない。何となくだ。
何か嫌な予感がするのだ。この期に及んで自身の特典を扱うことに対する躊躇などない。この力を振るえば大抵のことは何とかできるはずだ。しかし、なぜか言い知れない不安のようなものが修太郎の胸を渦巻いているのだ。
考えすぎだと一笑に付すことはできない。彼の信条通りに行動するならばそんなものは無視するのがセオリーだが、こういうときに対策を打っておかなくてはロクなことにならないのは経験で分かっている。目に見えている地雷を踏んでいくのは好きだが、自分の勘に逆らってまでやることではない。
どうせ、少し確認するだけだ。そう大して時間は取らない。軽く動作チェックをしたら、さっさと旅館に戻ればいい。
そう考えた修太郎は手早く済ませるべく、集中力を最大にまで上げた。
結論から言って何も問題はなかった。何か不具合や見落としがあるものだと踏んでいたのだが、そんなことはなく特典は彼の思ったとおりの性能を発揮した。
三十分程度とはいえ、可能な限り念入りに調べたのだ。現時点ではこれ以上の調整は不可能だった。
「……とりあえず、戻るか」
これ以上ここにいても仕方がない。もう陽もそこそこ上がってきている。日の出前に出たはずだが、修太郎の時間感覚が正しければ、もうすでに四時半を過ぎた頃だ。早起きする人間なら、そろそろ起きはじめてもおかしくはない。ましてやこの時期だ。黙って外に出てきたのを目を覚ましたカスミたちに知られれば、少々面倒になるかもしれない。
修太郎は軽くストレッチをすると旅館に戻ることにした。そこで何やら激しい物音が聞こえてくる。
「あん?」
修太郎は眉をひそめて、音のした方を見る。その方角には確か広場があったはずだ。そこには何やら言い争っている声が聞こえてくる。
最初は朝早くから酔っ払いの喧嘩でもしているのかと思ったが、よくよく耳を澄ませてみると言い争っている声の一部は修太郎にとって聞き覚えのあるものだった。
「まさかな……」
杞憂だと思いつつも修太郎はそちらの方へと足音を殺して近付いていく。壁越しにそっと見るとヴェレ姉妹と一人の女性が言い争っている。
それだけならば問題はない。だが、ヴェレ姉妹と口論になっている女性は一目でそれと分かるものだった。
「そっちかよ」
修太郎は思わず頭を抱えてしまった。予想外の方向での勘の的中に修太郎はうんざりしてしまう。
修太郎の嫌な予感は基本的に外れたことがない。それは経験に裏打ちされたものではなく、天性の嗅覚によるものが大きかった。
だからだろう。修太郎は完全に読み違ってしまった。彼が予感に従ってここに来たのは特典に問題があったわけではなく、この場所自体に問題があったのだ。
つまりは――。
「よう。こんな朝早くに何してんだ? 双子の姉妹と人型の魔物さんよぉ……」
ヴェレ姉妹に放たれた刺客が彼女たちと接触する場所の近くだったのだ。修太郎の予感は特典に対してではなく、彼女たちが襲われることに対して働いていたということだ。
しかし、どちらにせよ好都合だ。というより、待ちくたびれたくらいだ。修太郎が双子側についたとあれだけ吹聴して回ってアスタルが黙っていられるはずがない。
必ず邪魔をしようと刺客を送り込んでくると踏んでいたのだが、予想よりも随分と遅かった。それでも、この時間帯に急襲してきている時点でだいぶ脅威ではあるのだが。
修太郎は襲撃者を見る。紫色の髪をした綺麗な女性。修太郎は頭の中に叩き込んだ情報と照らし合わせ、目の前の女性をアスタルの側近であるグブファ・レズスだと断定する。
一方のグブファは首をかしげて修太郎の目を見て呟く。
「……あなたは」
「櫛山修太郎」
「なるほど、あなたが……」
「おや。俺を知ってくれているのか。光栄だね、こんな綺麗な女性に名を知られているとは……」
修太郎は柔和な言動をしつつも、一切の油断もなくグブファを観察する。彼女がなぜ修太郎のことを知っていたのか。真っ先に思いつく理由は双子による吹聴だ。そして、木更津経由で修太郎のことを知ったというのもあるはずだ。
前者はもちろん後者に関しても驚くに値しない。あの人間離れした動きは特典もなく人の身のままやるのは不可能だ。そうでなくとも、彼を人間だと考えるのはいろいろと無理がある。ならば、彼は人型の魔物であったと考えた方が自然だ。
問題の本質はそこではない。本当に問題なのは木更津が修太郎についてどの程度の情報を掴み、彼女に流したかだ。
修太郎は木更津との戦いで手の内を悟らせるような真似をしたつもりはない。だが、興奮するあまり自身の特典に関するヒントを与えてしまった覚えならばある。それを木更津がどう解釈し、どう彼女に伝えたのか。
全く見当外れなことを教えているのならばピンチどころかむしろチャンスだ。その認識を利用して叩き潰すことができる。しかし、的中とは言わないまでも当たらずとも遠からずというところまでの推論を木更津が導き出していたら話は別だ。その辺りは戦いながら確認していくしかない。
だが、いずれにしても最初にやるべきは検証ではない。修太郎は一度思考を打ち切って、その口を開く。
「それで? こんな朝っぱらから何やってんだよ。お三方」
一切感情を感じさせない瞳でグブファを見ながらそう尋ねる。声をかけるだけならばまだしも襲うとなれば話は別だ。魔物といえど、さすがに見目麗しい女性に対して何も聞かずに攻撃するのは彼の矜持が許さなかった。
そんな修太郎に対してグブファもまた彼への警戒を隠さないでその問いに答える。
「噂通りあなたも彼女たちの依頼を受けたというのであれば、見れば分かるでしょう。アスタル様のご命令で彼女たちをお連れしようとしているだけですよ」
「何のために?」
「あなたに教える必要が?」
「そりゃそうだ」
修太郎は忍び笑いをしながら左手をポケットに入れる。それを見てグブファは身構える。そんな彼女を見て修太郎はニヤリと笑う。
「残念。外れだ」
「ぐはっ!」
修太郎の蹴りがグブファの腹に綺麗に決まる。怪物じみた身体能力を持っていようとも、尋常ではないレベルで強化された修太郎の蹴りには抗うことができず、そのまま十数メートル吹き飛ばされてしまう。グブファは空中で体勢を立て直し、腹を押さえながら地面に着地する。
「今のを喰らってその程度しか吹っ飛ばないとはな。木更津相手では感じなかったが、人型ってのは本当に強いんだな」
「戯れを……。貴様の蹴りを受けた身としては嫌味にしか聞こえんな」
「はっ!」
グブファの隙をついた修太郎の攻撃は完璧だった。ポケットから何かを取り出すと見せかけたフェイントは機能していたはずだ。だが、それでもこの程度のダメージしか与えられなかった。
しかし、修太郎は驚いてはいなかった。前回の木更津戦でも完璧に蹴りを入れたのに平然としている木更津の姿を見ていたからだ。つまり、これでは人型に決定打を与えることはできない。
だが、それだけだった。それならば自分を更に強くすればいいだけの話だ。
「今度はこちらから行くぞ」
グブファから先刻までの敬語口調は完全に抜けている。修太郎を完全に敵としてみている。修太郎は右手をだらりと下げて、左手を自身の顔の前にやるという独特な構えで迎撃態勢を取る。
グブファは右手を修太郎の方に伸ばし、魔力を放出する。修太郎は特典を使って迎撃しようとするがグブファは修太郎の予想外の行動を取る。否、予想外の現象を起こす。
グブファの周囲に五匹の獣型の魔物が出現したのだ。蛇、竜、虎、魚、蜘蛛。さまざまなタイプの獣がグブファの周囲に具現化すると同時に修太郎の方を睨めつけてくる。
「何だ、それは……」
「これが私の能力だ。魔力を用いて、人型以外の魔物を生み出すことができる。全てが獣型の力を持っている。油断すれば、一瞬でその身はズタズタに切り裂かれるぞ」
「へぇ……」
修太郎は口元に笑みを浮かべながらも魔物たちを注視する。少々予想外だがこの程度ならば問題ない。むしろ、これくらいしてくれないと張り合いがないというものだ。
修太郎はヴェレ姉妹が今までのやりとりの間にある程度安全圏まで離れたのを確認する。本当はこの場から完全に立ち去ってほしかったが修太郎の動向が気になるのだろう。
ここは彼女たちを追い払うべきなのだろうが、そんなことをしている余裕などない。
修太郎は特典によって自身の身体能力を引き上げると先ほどとは比べものにならないほどの速さでグブファに接近する。主を守ろうと前に立ちはだかる青い魚を両手で引きちぎると左手に持った頭をグブファに投げつける。それは竜の尾に弾かれる。
修太郎は次の獲物を竜に定めると拳で砕くべく接近する。だが、そこで修太郎は足を止めて竜から距離を取る。
次の瞬間修太郎がついさっきまで立っていた場所から竜が鎮座する場所までの間に凄まじい電流が走る。
「これに気付くか。なるほど、確かに木更津を圧倒するだけのものは持っているようだな」
「罠か……」
修太郎は竜の能力を地面に電流を仕込み、そこに相手が踏み込むことで電撃を喰らわせることができるものだと判断する。ならば、うかつに接近するのはまずい。
「それなら、これでどうだ?」
修太郎は地面に転がる石をいくつか持つと竜に狙いを定めて投げる。竜は仕込んだ電撃で防御しようとするが石は電撃ごと竜の体を貫く。
「大層な口叩いてたわりに大したことねえなあ」
修太郎は崩れ落ちる竜に見向きもせずに嘲笑を浮かべる。グブファは能面のように無表情になっており、やがて一つ息を吐く。
「なるほど。やはり、正攻法ではダメか。ならば……」
グブファは残された三匹の魔物に目配せをする。三匹は同時に動き出す。蜘蛛は口から糸を吐き、蛇は全身から針のようなものを放ってくる。そして、虎は大きく咆哮したかと思うと地面から大量の水を噴き出させる。
「蜘蛛の糸に毒針、それにこいつは地下水か……!」
修太郎の頬にわずかに冷や汗が浮かぶ。蜘蛛と蛇はいい。しかし、虎のそれはかなりまずい。
だが、幸い今は早朝。まだ人々が動き出すには早いはずだ。ならば、対処のしようはある。
修太郎は意識を虎に最優先で向ける。もちろん、他の二匹への警戒も欠かさない。けれど、所詮は素人上がりだ。どれほど強い力を持とうが、隙というものはできてしまう。修太郎の隙をついて魔物たちはヴェレ姉妹に向かって攻撃を放つ。
「くそが!」
修太郎は悪態をつきながらもさっきまでよりも大幅に上昇した自身の身体能力を生かして、目まぐるしく動きながら魔物たちの攻撃を全て弾いていく。自身はもちろん姉妹に向けられたものも一つ残らず防いでいるので、その負担はかなり大きい。
「いいのか? 彼らにばかり気を取られていて」
「!」
グブファがその美しい脚からは想像できないほどの強力な蹴りを放ってくる。その狙いは修太郎の腹だ。さっきの意趣返しのつもりか。修太郎はその蹴りを受け流しつつ、グブファから距離を取り、牽制を兼ねて何本か掴んだ針をグブファに投げる。グブファはそれを少ないステップで全てかわすが、それに気を取られた蛇の脳天を攻撃を捌いている間に拾っておいた石で撃ち抜く。
残りは二匹になったが、それでもまだ修太郎の方が形勢が悪かった。とくに虎の魔物が使う地下水が面倒だ。あれは魔力で作られたものではなく、本物の地下水を利用しているものだ。地下水を刃の形状にし、地上や地下から水の斬撃を放ってくる。それが修太郎と姉妹に狙いを定め、縦横無尽に攻撃を放ってくるのだからたまったものではない。
決して意図したものではないだろう。こういった系統の技を使う場合、複数の対象をさまざまな技で同時に攻撃するのは一般的な戦法だ。だが、その戦法が図らずも修太郎の特典の弱点を突いていた。おまけに攻撃の弾雨を捌くのが精一杯で特典を使う余裕がない。
この状況が予想できたからこそ、姉妹にはこの場から離れていてほしかったのだが、今さら遅い。戦う前に警告しなかった修太郎のミスだ。
「ちっ!」
修太郎は左腕に水の斬撃による切り傷を負わされる。幸い傷は浅いが、いい加減攻撃を捌くのも限度に近付いてきた。虎視眈々と反撃の隙を狙っているが一向にその隙を見せない。
万事休すかと思ったところで突然攻撃の手が止む。何事かとグブファの方を見れば腕を組みながら、余裕の笑みを浮かべていた。
「どうした? 木更津を圧倒したというのは誤報だったのか?」
今度は逆にグブファが嘲笑を浮かべ、修太郎を見つめる。二匹の魔物も攻撃を止めて、グブファの側に控える。グブファの視線に苛立ちを覚えるが、この時こそが修太郎の待ち望んでいたものだ。
「調子に乗るな!」
修太郎は左手をグブファに向ける。同時に彼女が生成した魔物が消滅する。
「なっ!」
グブファは目を見開き動転する。修太郎はその隙を突いて、彼女に殴りかかる。もはやかわせるタイミングではない。最初の蹴りよりも遥かに強力な拳はグブファの顔面を確実に捉えようとしていた。
「これで……!」
そこで修太郎は左側から来た弾丸を脇腹に喰らう。貫通こそしなかったが、それは手傷を負わせるには充分だった。
軽く吹き飛ばされた修太郎が負傷した脇腹を押さえながら左に顔を向けると、そこには一人の男性が悠然と歩く姿があった。男性は手をパンパンと叩きながら警戒一つせずに近付いてくる。
「はいはい、そこまでだよ」
「てめえは……」
思い出すまでもなく修太郎は目の前の男の正体に思い当たった。この男こそがヴェレ姉妹に求婚などという馬鹿げたことをした張本人だ。
「ここで親玉登場とはな。ちょうどいい。ここで決着つけるか?」
「どうやら、結構血気盛んなようだねぇ。けど、悪いけど君とここで戦うつもりはない。退くよ、グブファ」
「……はい」
グブファはこちらを悔しそうに睨みながらもアスタルの言葉に従う。修太郎は騙し討ちを警戒していたが、結局二人は何もせずにその場を立ち去った。
修太郎がその背を追うことも引き留めようと声をかけることもなかった。この場で戦えば修太郎に不利だというのはグブファとの戦闘で嫌というほど思い知らされたからだ。
修太郎は二人の姿が消えるまでひたすらその背を睨みつけることしかできなかった。
姉妹にも修太郎自身にも大した被害こそなかったが、今回は明らかにこちらの負けだ。それは認めざるを得ない。
いくらなんでも、後手に回りすぎた。今回の一件で修太郎の経験不足と特典に対する理解の浅さを露呈してしまう形となった。
今回の戦い。虎が地下水を利用すると分かった時点で真っ先に虎を始末してしまうべきだった。それをしなかったのは、修太郎の無知と傲慢さが原因だ。攻撃対象は自分だけでグブファさえ倒せば他の五匹も消えるなどという甘い見通しが今回の苦戦を招いてしまった。
いや、それ以前に攻撃を捌いている間に特典を発動させることができれば後手に回ったところで何も問題なかったのだ。やはり、修太郎の嫌な予感は特典に関しても指していた。想定と実戦は違う。分かっていたつもりだったが、準備がまるで足りていなかった。
だが、それが分かっただけで僥倖だ。もう一度同じミスを繰り返すことはない。
修太郎は戦闘の疲労を和らげようと軽く伸びをする。そして、今回の依頼者である双子へと近付いていく。
「大丈夫だったか? お前ら……」
修太郎は負傷した部分を修復しながら二人に声をかける。だが、返答はない。呆然とした表情で修太郎を見ている。
「どうした?」
「……あなたは一体何者なの?」
サヤがおそるおそるといった様子で聞いてくる。マヤも驚愕の表情を浮かべていた。どうやら、修太郎の強さは彼女たちの想定を遙かに超えていたようだ。まぁ、劣勢だったとはいえ人型の魔物と単独で渡り合えるなどと誰も思わないか。
「言ったはずだ。迫害の無意味さとそれをやる人間の愚かさを証明してやると。なら、それ相応の力は持ってなきゃ口だけの馬鹿になっちまうだろうが」
修太郎は肩をすくめながら言う。相性は悪かったが、あの程度ならば戦い方さえ間違えなければ勝てない相手ではなかった。むしろ、ここは修太郎の失態を責めるべき場面だろう。
だが、結果は何も問題はなかった。ならば、ここはあえて強気に振る舞った方がいい。
「で、どうだ? 少しは俺のことを見直してくれたか?」
自信たっぷりにそう言い放つ修太郎に双子は顔を見合わせた。そんな二人を見て、修太郎は微笑ましそうに笑った。
茫然自失といった様子の二人は修太郎に連れられてその場を去っていく。何も口にすることはできない。ただ二人が抱いた感情はただ一つ。
頼もしい。ただそれだけだった。
当初、反発的な態度を見せていたマヤも認めざるを得なかった。人型を相手に自分たちを無傷で守り抜いた彼の実力は本物だ。ひょっとすれば、この男ならば彼女の取り巻く状況を本当に何とかしてくれるかもしれない。そう思えるだけの力を修太郎は示したのだ。もう自分に救われる資格などない。そんなことは分かっている。だけど、この少年ならば自分のささやかな望みくらいは叶えてくれるかもしれない。
二人は望むと望まないとにかかわらず、彼に一抹の期待の感情を抱いた。しかし、その時修太郎に向けられていた感情は残念ながらそれだけではなかった。
修太郎に視線を向ける者が木陰にも一人。
「ほぅ。随分と面白い奴のようじゃの。どれ、少し試してみるか」




