一人目ー第二章 7話 混浴
一通り街を歩き回った修太郎は料亭にてカスミたちに言われた旅館に向かっていた。修太郎に同行を拒否された二人はそこで休んでいる。
「やっぱり、あいつら最初から泊まる気だったんだな。まぁ、今さらだが……」
修太郎はぼやきながらも足を止めない。それも単独行動ができる一助になっているのだから、文句を言うつもりはない。
その間にも耳にヒソヒソする気があるのかどうか分からないヒソヒソ話が聞こえてくる。その全てが見事に修太郎関連だ。
普通なら気が滅入りそうだが、街の人間に注目されるのにはもう慣れた。もちろん、悪い意味でだが。
しかし、そう悪いことでもない。見知らぬ人間にどう思われようが知ったことではないし、恐ろしいものを見るような目で見ながら道を開けてくれるのでありがたいといえばありがたい。
そして、そういった中には修太郎に対して好意的なものも多く含まれている。どうやら、自警団を名乗るゴロツキどもはこの街で相当悪さをしていたらしい。だからか、彼らを撃退した修太郎を英雄視する者も少なからずいるようだ。
あれだけこき下ろしてやったというのに、それでもなおヒーロー扱いするのはさすがに理解に苦しむ。自分の所業がバレているにせよ、バレていないにせよ、このようなことで持ち上げられていい気分になったことなど修太郎は一度もない。
彼はこれを快感と感じていたのだろうか。一瞬そう考えたがすぐに否定する。彼はそんなつまらない男ではない。その程度の男ならば、修太郎はここまで敵対心を持つことはなかった。功名心に逸る小物。それで終わった話だ。
そこまで考えて修太郎は瞬時に頭の中をリセットする。否定的な感情を抱きながら思考するのは、意識しているのと同義だ。こんなものを意識していては、くだらない正義感で犯罪を犯す馬鹿と同じになってしまう。
もっとも、そう考えている時点ですでにそいつらと同類なのかもしれないが。
「アホらしい。それがどうしたって言うんだ」
自分は他とは違う。そう考えて頭の中でさまざまな妄想を膨らませていく、中高生で多いと言われている思春期特有の思考で、いわゆる特別意識というやつだ。別名中二病とも呼ばれている。今の修太郎がやっているのは完全にそれだ。
そういうものに覚えがないとは言わないし、今もそれを患っているのかもしれないが、そんな煩わしいものに構っている暇はない。そんなものを考えるくらいならば、目的を達成するためにどうすればいいかを考えた方がよっぽど有意義だ。
――目的とは何だ。
修太郎は一瞬思考停止してしまう。そもそも自分の目的とは何なのか。自分は一体何がしたいのか。
答えは決まっている。特典を存分に生かしたチーレム。そう何度も何度も自分に言い聞かせたはずだ。
だが、これまでの行動を振り返ってみるとどうだ? 修太郎は本当にその目的のために動けているのか?
まず最初にクラスから抜けた。これはいい。本当にハーレムを作る気ならば余計なものなど切り捨てる以外に選択肢はない。それに胡散臭い女の保護下になくとも、特典を使えば生き残れるという自信もないわけではなかった。
問題はその次。この街に来てすぐに首を突っ込んだ連続不審死事件。これも決して無意味というわけではなかった。件の事件でアレフス家への疑惑を晴らし、真実を明らかにしたことで彼らの後ろ盾を得ることに成功した。だが、それは有意義であって有効ではない。
そして、今回の旅。これも決して悪い選択肢ではない。修太郎はこの世界のことをあまりに知らなすぎる。下手に引きこもるくらいならば各地を巡った方がよほど有意義な時間の使い方なのは確かだ。加えて、その道中で美女美少女と面識を持てれば儲けものだ。現にこの街を訪れたことで美少女と言って差し支えないヴェレ姉妹と出会うことができた。
けれど、アレフス家に残り、彼らに可愛い女の子の一人や二人でも紹介してもらった方がよっぽど確実だったのではないのか?
確かに危険は高い。しかし、本当に目的を達成する気ならばそんなものを度外視してでも確実な最短ルートを通るのが筋ではないのか。
客観的に見て、どう見ても目的のために邁進できているとは言えなかった。確かにキサラはあまりに怪しかったし、特典がどこまで通じるかが分からないという不安もあったが、それにしたって慎重すぎだ。石橋を叩くのはいいが、その場で足踏みをしているだけの気がしてならない。いや、実際足踏みしているとは言わないまでもそれに等しいことをやっているのは否定できない。
特典を使うことに躊躇しないと言っておきながら、結局のところ修太郎は未だにどこかで恐怖している。だから、無駄に御託を並べて遠回りばかりをしている。だが、それもここまでにするべきだ。もういい加減先に進んでもいい頃だ。いや、先に進まなくてはならない。
「早ければ、今日あたりにでも動く必要はあるか」
そう言いながらも修太郎は自分の言葉に内心苛立っていた。何が早ければ、だ。もう十分すぎるほどに手遅れだと言うのに。
もし、本当に目的を為したいのならば今すぐにでも動かなくては話にならない。にもかかわらず、こんな余裕を持った発言ができるのは本当のところはそうではないからだ。
いつも変わらない。どれほど歳月が経とうと何も変わりはしない。だからこそ、そんな自分に腹が立つ。
ふと意識を目の前に向けると大きな和風の建物があった。大きさで言えば、先ほどの料亭と何ら遜色ない。
ここが今宵泊まると告げられていた場所だ。
慣れてしまった修太郎はもう建物の巨大さに何かを言うことはない。先刻と変わらない足取りで建物の中へと入っていく。
受付にあたる場所でカスミに言われたとおり、アレフスの名を出すとやけにかしこまった態度で通してくれた。この地区の元締めなのだから当然だが。
案内されたのは予想通りこの宿泊施設の中でも最高級の部屋だった。中はいくつも部屋があり、高級な調度品や上等なベッドなどが存在している。ちょっとした高級マンションでは太刀打ちできそうにないくらいの部屋だ。ここが元の世界のホテルでいうスイートルームならばこれで普通なのかもしれないが。
大きなベランダもあり、そこから見える景色は絶景の一言。そして、街の向こうには巨大な山がそびえ立っていた。おそらくあの山を越えれば船楼地区に入れるのだろう。
部屋の中にあった扉を開くと中は和室になっていて、右横の壁に修太郎の荷物が置かれていた。正面ではカスミとシャイナが正座をしながら、揃って煎茶を飲んでいた。
カスミは手にしていた湯飲みを畳の上に丁寧な所作で置くと、修太郎の方に視線を向けてくる。
「随分と早かったんですね」
「ああ、まあな。思ったより見るところがなくてよ」
「当然でしょう。ここは所詮境の街。観光には向いていないでしょう」
「らしいな」
修太郎は肩をすくめて肯定する。確かに何もなかった。辺境とは言わないが、決して都会ではない。大都市どころか地方都市にも遠く及ばないレベルの街だった。
おまけに面積も小さいので一時間も歩けば大体踏破できてしまう。あれでは時間潰しにもならない。まぁ、それなりに収穫はあったが。
右手を上に上げ、左手を右肩に置いて伸びをすると二人がこちらを見ていることに気付く。
「短時間とはいえ、歩き回ってお疲れでしょう。修太郎もお茶をいかがですか?」
カスミは口をつけていない湯飲みを手にとって聞いてくるが、修太郎は首を横に振る。
「いや、いらねえ。悪いが少し寝てもいいか? 飯になったら起こしてくれ」
「分かりました。すぐ隣のベッドはお好きなものをお使いください」
「OK」
修太郎は肩をコキコキと鳴らすと部屋から退室する。疲労は感じないが、こういうときは寝るのが一番だ。本人に自覚がなくとも実は疲れているというのはよくある話だ。こんなどうでもいいところで無駄に体力を使う理由もない。時間を潰すのも兼ねて休んでおくのは大事だ。
修太郎は適当なベッドの上にうつ伏せに寝っ転がると、そのまま目を閉じる。修太郎の予想通り、すぐに睡魔は訪れ、それに抗うことなく修太郎は夢の世界へと旅立っていった。
○○○○○
どれほど時間が経ったのだろう。薄目を開けると白いモノが目に入ってきた。
「……て……だ……い」
後ろから何やら声が聞こえてくる。明瞭に聞き取れていないため、何を言っているかは分からない。
「あ?」
「起きてください! 修太郎!」
声の主が叫ぶことでようやくはっきりと聞き取れる。どうやら、カスミが修太郎の言葉通り、起こしに来てくれたようだ。
寝ぼけ眼をこすりながら、修太郎は静かに起き上がり、ベッドの上にあぐらをかく。
「……もう飯か?」
「はい。今、配膳をしてもらっているところです」
カスミが言い終わると同時に和室に繋がる扉から一人の仲居が顔を出す。
「カスミ様。配膳が終わりました」
「ありがとうございます」
「いえ。では、失礼させていただきます」
仲居は一礼すると、部屋から出て行く。カスミは彼女に一礼すると修太郎の方に向く。
「では、いただきましょうか。ここの料理は絶品ですから、寝起きでも充分に堪能できるはずですよ」
「へぇ……」
そう言われると多少なりとも期待値は上がる。昼食に利用した料亭のご飯もなかなか美味だったのだ。この高級旅館でもかなりの食事が出ると思っていいだろう。
ただ昼にあれだけ食べたというのに、夜もまともに食べられるかどうかは分からなかった。そのせいで尻込みしてしまっているのは事実だ。
できるだけ少ない量でありますようにと願いながら和室に入り、修太郎は絶望した。かなり大きなテーブルを埋め尽くすレベルの量の夕飯が並べられていたからだ。カニやら伊勢エビやら鯛やらと高級そうな魚介をふんだんに使った料理は美味しそうではあったが、とても食べきれる気がしなかった。
ましてや、ここには三人しかいないのだ。目の前に並べられている料理は少なく見積もっても四、五人分は優にありそうだった。
しかし、それだけの量を見てもなお、カスミとシャイナは平然とした顔をしていた。むしろ、どこか嬉しそうな表情すらしていた。彼女たちも修太郎と変わらない量の昼食を取ったはずだが、この食欲の差は一体何なのか。
修太郎は自分の頬がひきつるのが分かった。しかし、屈託のない笑みを浮かべて手招きしてくるカスミに抗うことすらできず、机の前にあぐらをかく。そのままいただきます、とだけ言うと昼食の時同様自分が食すのを待っている二人に応えるため、修太郎は覚悟を決めて目の前の大きなエビに箸をつけた。
結論として、完食することはできた。全体の八割はカスミとシャイナの腹に入ったのが最大の理由だったが。
けれど、二割食せただけでも凄いだろうと修太郎は思う。ただでさえ、量が尋常ではないのに昼ごはんも相当量食べている。
なのに、さらにあれだけの量を平気で食い切れるこの二人は一体何者なのだろうと修太郎は考えてしまう。おまけに服越しではあるが、二人は決して太っているわけではない。つまり、あれだけ大食いなのにもかかわらずそのスタイルを維持しているのだ。これが俗に言う太らない体質の人間なのだろうかと修太郎は思う。
彼も食べ盛りのはずなのにまるで太刀打ちできる気がしない。昼食の時点で感じていたが、この二人は食欲に関しては怪物だ。もっとも、そんなもので対抗しようとは微塵も思わなかったが。
言うまでもなく満腹になった修太郎は自分の腹を右手でポンポンと叩きながら、小さく息を吐く。
「ふぅ。食った食った。美味かったぜ」
「それはよかったです」
カスミは微笑を浮かべながら、そんなことを言ってくる。その表情に食べすぎによる辛そうな色は見えない。
つくづくすげえな、と思いながら修太郎は口を開く。
「飯も食ったし、風呂入ってきてもいいか? 今日はまだ入れてねえからよ」
「なら、私たちも一緒に行きます。シャイナも来てください」
「かしこまりました」
二人はすぐにてきぱきと動き出す。そのあまりに流麗な動きに修太郎は一瞬見とれるが、すぐに準備するために立ち上がる。
着替えや部屋に備えつけられたタオルを適当に袋に詰め込んで和室から出ると二人もすでに準備が終わっていたようで袋を持って修太郎を待っていた。
「お前ら早いな」
「今日も暑かったですからね。早めに入浴を済ませたいのです。本当は夕食前に入るつもりだったんですよ?」
「入ってくればよかったじゃねえか」
どうせ、自分は爆睡していたのだ。先に風呂に入ったところで修太郎は何も思わなかった。
しかし、カスミはジト目をこちらに向けてくると、これ見よがしにため息をつく。
「あなたが入らないのに入浴しても仕方ないでしょう」
「は? そりゃ、一体どういう意味だ?」
修太郎の言葉に二人は頭を抱える。自分は何か変なことを言ったのだろうか。
そんな不安をよそに二人は顔を近付けると修太郎に聞こえないように内緒話を始める。
「カスミ様。どうやら、分かっていないようです」
「そのようですね。まぁ、いいでしょう。すぐに分かることです」
二人は聞こえていないと思っているようだが、修太郎は地獄耳だ。きちんとその会話を耳に入れていた。
入れていたからこそ、意味が理解できずに修太郎は訝しげな表情になる。
「お前ら一体何の話を……」
「では、参りましょう。修太郎」
「おい。無視かよ。てか、押すな」
自身の肩を押してくるカスミを咎めるが彼女は聞く耳を持たない。そんなカスミに少しだけ眉をひそめると、修太郎は小さく笑った。
○○○○○
カスミたちとともに脱衣所の入口まで来た修太郎は二人と別れ、白地に青い文字で男の文字が書かれた暖簾をくぐる。
手早く服を脱いで、タオルを右手に持つと修太郎は木製の引き戸を開けて、風呂へと向かう。
「いきなり、露天風呂か……」
タオルを右肩に担いだ修太郎はそう呟く。言葉とは裏腹にその声に驚きの色は混じっていない。彼は感想を口にしただけだ。
そもそも、名のある温泉とはこんなものだ。室内風呂もないとは言わないが、基本的には露天風呂が主流だ。少なくとも修太郎が過去に行った温泉宿や温泉街はどこもそうだった。
この世界は街並みや建造物こそ古風だが、文化自体はそう変わらない。電子機器類がほとんど普及していない点を除けば、元の世界とそう大差がないように見えた。もっとも、一般家庭までは見ていないのでいわゆる三種の神器、あるいは新三種の神器と称される家電などはきちんと存在しているのかもしれないが。
話が逸れたが、つまり向こうでの常識がそのままこちらに通用するということだ。それ以上でもそれ以下でもない。ただそれだけの話だ。
修太郎は浴槽の側にあった桶でかけ湯をすると、タオルを頭に乗せて風呂に浸かる。湯温は四十二度といったところか。修太郎としてはちょうどいい温度だった。
足を伸ばして、浴槽に背を預けながらくつろいでいると、なぜか聞こえてくるはずのないはずの声が聞こえてくる。
「お湯加減はいかがですか?」
修太郎は視線だけを声の主に向ける。そこには全身をバスタオルで巻いたカスミとシャイナの姿があった。
カスミはそのセミロングの髪を後ろでまとめており、白い肩や太ももが惜しげもなく晒されていた。普段と違うその姿は扇情的の一言だ。
しかし、修太郎は一切表情を変えずに二人の方に首だけを向ける。
「まあまあだな。ほどほどに熱くていい感じだぜ」
カスミが声をかけてきたとき一瞬混乱しかけたが、すぐに理解した。この露天風呂は混浴なのだ。その証拠に彼女たちは修太郎の入ってきた入口とは違う方からこの浴室に入ってきている。
二人は修太郎と同じように軽くお湯で体の汚れを流してから湯船に入ってくる。
「それは何よりです。しかし、異性と入浴しているというのに動じないのですね」
少々不満げな表情をしながら、カスミは修太郎の横に腰かける。そして、あてつけのように自分の肩を修太郎の肩に当ててくる。
「生憎と物心ついたときから、救いようのねえ痴女を何人か知ってるんでね」
修太郎は諦めたようなため息をついて言う。我ながら返答にはなっていないと思うが、納得させるだけならこれで充分だろう。
とはいえ、修太郎も思春期の男子高校生。本来ならば、見慣れぬ異性の肌にどぎまぎするべきなのだろう。いや、していなくてはおかしいはずだ。
しかし、なぜか不思議と落ち着いていた。心拍数や呼吸の乱れも一切ない。見事なまでに平常通りだった。
「しかしまあ、混浴であることに驚いたのは事実だぜ。そういうのがあるのは知ってはいたが、俺自身あまり遭遇したことがないんでな」
「確かに公衆浴場などでは混浴などありませんからね。こういう温泉宿ではない限り、そうそうお目にはかかれないでしょう。そのわりに落ち着いているのはいささか不満ではありますが」
「んなこと言われたってな……」
修太郎は困ったように頬を掻きながらも自分自身に呆れていた。この展開は通常なら彼の望んでいた展開だ。異性が入っていると確実に分かっている混浴風呂に平然と入ってきている時点でカスミがよほどの露出狂でもない限りは脈ありと見てもいいはずだ。それは修太郎の目的が上手くいっていることを指している。
だが、修太郎の心は喜ぶでもなく、羞恥心に悶えるでもなく、平静そのものだった。もはや、自分が本当は女に興味がないのではないかと思えるくらい心穏やかだった。
美女美少女の半裸を見てもなお平然としている修太郎にシャイナが非難めいた視線を向けてくる。
「……修太郎様。さすがにそれはいかがなものかと思います」
「俺も同感だがどうしようもねえだろ。育ってきた環境が悪すぎたんだよ」
決して女を性的な目で見れないわけではない。現に初めてカスミを見たときはその美貌に何としても自分の手中に収めたいと思ったものだ。ならば、この異常なまでの心の静けさは何なのか。
思考の苦手な修太郎は考えることを止めた。分かったところで何にもならないからだ。大方、二人の美しい女のバスタオル姿を見たことで自分の許容範囲を越えてしまったのだろうと結論づけた。
ならば、これ以上この話題を続けていても無駄だと判断し、修太郎は話題を変えることにする。
「そういえば、カスミたちはここにはよく来るのか?」
「ええ。よく来ますよ」
修太郎の問いに答えるカスミの声には明らかに不機嫌さが混じっていた。どうやら、せっかく勇気を出して一緒に風呂を入っているのに大した反応を見せてくれなくて拗ねているらしい。
「……急用を思い出したので私は一度上がります。また後ほど共に入りましょう」
頬を膨らませたカスミはそれだけ言うと、湯船から出て更衣室の方へと歩いていく。完全に怒らせてしまったようだ。せっかくの目的達成のチャンスをみすみす棒に振ってしまった。
だが、後ほど共に入るということは再び混浴する気はあるようだ。その時の対応次第では今回の失敗を取り返せるかもしれない。
しかし、その前にすぐ側で自分を呆れきった目で見つめてくる彼女の番犬をどうにかしなくてはならない。
「悪かったよ」
「謝ればいいというものではありません。表面的には平素と変わらないように見えたでしょうが、カスミ様は勇気を出されたのですよ」
そりゃそうだろうな、と修太郎は内心で肯定する。彼女は修太郎と同い年――つまり、年頃の娘だ。そんな少女が異性の前で肌を晒すなど相当な抵抗があったに違いない。それをおくびにも出さずに修太郎の前に姿を現したにもかかわらず、反応が薄ければそりゃ怒るだろう。修太郎が逆の立場でも多分怒ったはずだ。
「それに関してはいいです。私があなたを責めることをカスミ様は望んでおりませんから」
ですが、とシャイナは前置きをする。
「一つだけ覚えておいてほしいことがあるのです」
「覚えておいてほしいこと?」
修太郎の問いにシャイナは目を伏せる。その先を言うのをためらっているようだ。修太郎は急かすことなく、彼女が口を開くのを待つ。
シャイナは少しだけ間を置くと、その重い口を開く。
「……カスミ様は本当の意味での愛を知りません。いえ、愛を知ろうとしておられなかったのです」
「そりゃ、どういう……」
そこで突然、シャイナは修太郎との距離を詰める。急な出来事に驚いた修太郎は思わず口を閉ざしてしまう。
シャイナは真剣な瞳で修太郎の目を見る。それはどこか縋っているようにも見えた。
「ですが、あなたならば、もしかすればカスミ様の凍てついた心を溶かすこともできるかもしれません。ですから、どうか、カスミ様を救ってください」
それは懇願だった。カスミには何か重い過去があるようだ。それが狩野関係であることは容易に想像がつくが。
しかし、当人の一人であろう狩野は修太郎自身の手で殺してしまった。シャイナにカスミのことを話す気はないだろう。つまり、カスミが何を抱えているのかを知ろうと思えば、カスミ自身の口から聞き出さねばならない。それがどれほどの難易度なのか、修太郎には見当がつかなかった。
「分かった。できる限りのことはやってみよう」
ゆえに修太郎は無難な答えを返した。だが、それだけでもシャイナは嬉しそうな表情になった。
礼を言って深々と頭を下げるとカスミの後を追うようにシャイナも浴室を後にした。残された修太郎は再び肩まで湯船に浸かると、この先のことを考え、深くため息をついた。




