一人目ー第二章 5話 アスタル・ゼヴェイフォルン
カザシ地区と船楼地区の境にほど近い山中。そこにやや古びた洋風の建物があった。かなり広く、中では子供たちの笑い声が響いている。
透き通るような真っ白な肌に左腕に蛇の刺青を入れた紫色の髪の女が廊下を歩いている。途中で七、八歳くらいの幼い少年が走ってくる。少年は女に気付くと立ち止まり、ニッコリと笑いかける。
「あ! グブファ様! こんにちは!」
「こんにちは。元気なのはいいことだけど廊下を走るのは止めなさい。転んだら危ないわ」
「はーい!」
少年はそう言って再び走っていく。グブファの注意などまるで聞いていないようだ。その様子にグブファは小さくため息をつくと、再び歩きはじめる。
あの年頃の子供は大体が好奇心旺盛で体を動かしたがる。人格形成は終わっているとはいえ、まだまだ人格に影響を及ぼす時期だ。そんな彼らをあまり抑圧しすぎるのはよくない。その程度は人ならざる存在であるグブファでも分かっている。それに彼らは少々特殊な生い立ちをしている。不必要に厳しくしすぎるのはあまり得策ではない。
もちろん、一切躾をしないわけにはいかないというのは承知しているが、今は他にやるべきことがある。そもそも、子供の教育は彼女の役割ではないのでそこまで真剣に考え込む理由もない。
グブファは目的地である一室に到着する。そこはこの洋館の中心に位置する部屋だった。ここがこの洋館の主の部屋なのだ。
グブファは扉の前で足を止めると、はっきりとした音で扉を三回ノックする。
「ご在室ですか? アスタル様」
『入ってきていいよ、グブファ』
「失礼します」
入室の許可を得たグブファが中に入ると床にあぐらをかいている青髪の青年が出迎える。青年の正面にはおもちゃのブロックが並べられていた。
「今度は何をされているのです?」
「ん? 見ての通り、ガキどもを驚かせる作品をブロックで作ってんだけど?」
へらっと笑いながら言う青年をグブファは絶対零度に近い視線で見下ろす。
「いやいや、待って。そんな冷たい目で見るなよ、グブファちゃん」
「ちゃん付けで呼ばないでください」
「おお。今日は一段と冷たい」
「いつも、こんなものでしょう」
グブファは瞑目しながら言い捨てる。このだらしない男を初見で見れば、誰も気付かないだろう。この男が魔物の最上級である人型の一人であるということに。
この男の名はアスタル・ゼヴェイフォルン。実力はグブファよりも上位に位置している。しかし、普段はその片鱗を欠片も見せていない。それを曲者と見るか、ただの能天気な馬鹿と見るかは人それぞれだろう。少なくともグブファは平時の彼のことを後者で見ていた。
そのことを知っているアスタルは頭を掻きながら、はっはっはと笑う。
「それで俺に何の用?」
「ヴェレ姉妹が我々の討伐を能力者に依頼したようです」
グブファの発言でアスタルの表情が変わる。手に持っていたブロックを地面に置くと、左手の人差し指を自身の左頬に添える。
「そいつはよくねえな。それでそいつは一体どんな奴なんだ?」
「それが……。能力が一切分からないそうです。奴と直に交戦した木更津もよく分かっていないらしくて……」
「そりゃまあ、何とも面倒な……」
アスタルは眉をひそめながらも熟考する。グブファはそんな彼の顔を見ながら問う。
「いかがなさいますか?」
「逃げるわけにはいかないでしょ。あの子たちを放ってはおけない。迎え撃つ必要がある。けど、ここで戦うわけにはいかない。迎撃するなら、下の方でやらないと。でも、不安があるから念のため子供たちは避難させておいてくれ」
当然アスタルたちはこういう状況も想定して避難先をいくつか確保してある。子供たちはいろいろと特殊な事情があるとはいえ、基本的には戦闘力は皆無だ。彼らがいる状態でこの洋館で戦闘になってしまったら目も当てられない。
「分かりました。世話係の者たちにそう申しつけておきます」
「そうしておいてくれ。それと……」
「何でしょうか?」
首をかしげて尋ねてくるグブファを普段とはまるで違う真剣な目で見ながら、アスタルは口を開く。
「その能力者についてだけど分かる範囲でいいから調べておいてくれないか? 名前でも顔でも性別でも戦法でも何でもいい。できるなら、せめて、顔と木更津ちゃんとの戦闘でどういう戦い方をしてたかくらいは知っておきたい。そこらの能力者なら初見でもいいけど、さすがに木更津ちゃんを圧倒した相手に対して何の情報もないというのはさすがに怖すぎるからね」
「分かりました。早急に調べます」
「うん。頼むよ」
アスタルの指示に異論はなかったグブファは素直に頷く。木更津は彼らと同じ人型の魔物だ。その戦闘力は決して低くはない。並の能力者どころか腕利きの精鋭ですら数人がかりで襲いかかってこられても無傷で返り討ちにできるくらいの実力は持っているはずなのだ。そんな彼が一人の能力者にいいようにやられたと聞かされれば、警戒しないわけにはいかない。
こちら側の戦力はアスタルとグブファのみなのだ。人型の魔物二匹とはいえ、不安は拭えない。敵を知り、己を知れば百戦危うからず。少しでも敵の情報を知っておくに越したことはない。それにはグブファも同意だった。
グブファは一礼をすると、職務を遂行するべく早足で部屋を去っていく。その後ろ姿を見送るとアスタルは床に寝っ転がる。
「あの双子ちゃんに求婚した時点で分かってたけど、やっぱ、やぶ蛇だったか。にしても、こんなことをさせてあいつは一体何をしたいのやら」
アスタルは寝返りを打って、窓の外の景色を見る。空は今の彼の心境を表しているかのように灰色の雲に覆われている。
彼の頭の中にあるのは自分たちを束ねる一人の人物についてだ。魔王とは別に自分たちを支配している絶対的な存在。
アスタルの彼への忠誠心は決して低くはない。彼には多大な義理がある。だから、彼の要望には可能な限り叶えてあげたいとは思っている。
しかし、それは彼がアスタルに示した道筋にきちんと従っている場合だ。もし、そうでないのであれば彼に従うのを迷う程度には彼のことを盲信しているわけではない。
「まぁ、今は一応従ってあげるけど、あまり目に余るようならこっちにも考えはあるよ。ハカリ」
アスタルは上体を起こすと虚空を見つめ、そう呟いた。
○○○○○
ヴェレ姉妹から話を聞いた修太郎はおかわりとして持ってきてもらった玉露をすすっていた。
「それで相手の情報とか何かないのか? さすがに顔も分からないまま襲うわけにはいかねえだろ。そもそも敵の居場所も分からねえし」
「それに関してはシャイナに調べさせています。シャイナ」
「はっ。修太郎様。どうぞ、こちらを」
シャイナはどこからか茶色の封筒を取り出すとそれを修太郎に差し出す。収納できるようなものはないはずなのにどこから取り出したのだという疑問が浮かんだが、今は口に出さずに黙って封筒を受け取る。
中には束になった紙があり、そこに今回の敵と思わしき魔物たちについてとそれに関連する情報が載っていた。
「ヴェレ姉妹に求婚をしたのはアスタル・ゼヴェイフォルン。魔力を弾丸に変えて放つことのできる能力を持つ。そして、同じ人型のグブファ・レズスを秘書にしている」
修太郎は声に出して書かれた情報を読み上げる。アスタル関連の情報が数多く書かれていたが、その中で目を引いたのはアスタルが保護している子供たちに関する情報だ。
彼らは生来、特殊な力を持っており、それをアスタルが手中に収めたと書かれていた。その力に関しては書かれてはいなかったが、子供たちを使って何らかのことをしようとしているのだろうという推測を立てることはできた。
子供たちの情報を口にしているときにシャイナの顔色が再び悪くなったのが気になったが、修太郎は何も言わずに読み終えた紙束を机の上に置く。
「意外と詳細な情報だな」
「当然です。人型の魔物に関する情報は取得された時点で四地区全てに即座に共有される。それだけ人型は脅威なんです。半端な力でどうこうできる相手ではありません」
「さいでっか」
マヤがジト目を修太郎に向ける。修太郎はそんな彼女にカラカラと笑いながら答える。
「そう心配するなよ。どれだけ強かろうが、俺の敵じゃねえ。それをこいつに嫌というほど思い知らせてやるさ」
修太郎はアスタルの顔写真が右上に印刷された紙を机に放る。修太郎はアスタルのことなど歯牙にもかけないという笑いを浮かべている。
これが油断だというのは分かっている。場合によってはこれが致命傷になり敗因になってしまうこともあるだろう。だが、それが何だ。それくらいでちょうどいい。
そう考えてしまうのは修太郎の特典が強力だからか。それとも、それ以外に理由があるのか。
修太郎としてはどちらでもよかった。それくらい、今の彼は気分が高揚していた。たとえ、それが失敗の原因になり得るかもしれないと分かっていても止められないくらいに。
彼は心の中で唄うようにある一言を唱えた。聞かれれば傲慢にもほどがあると侮蔑されるであろう一言を、何のためらいもなく。胸を躍らせながら唱える。
――さぁ、蹂躙の始まりだ。
と。




