一人目ー第一章 1話 始まりの揺らぎ
それは早朝に突然起こった。まさに青天の霹靂とも呼べる状況だ。
何が起こったのか理解できた者はいなかった。これからも永遠に変わらぬ日常を過ごせると信じていた彼らにとって、この状況は完全に理解の外だった。
たった一人を除いては……。
その人物は集団共通の白のブレザーを身に纏った、くせっ毛の黒髪を持つ少年だった。
この少年の名は櫛山修太郎という。顔立ちはそこそこ整ってはいるが、表面上だけを見ればどこにでもいるごく普通の少年だ。けれど、この場において彼はある程度優位な立場に立っていた。
修太郎は自分たちの身に何が起こったかを即座に理解した。到底信じがたいことだが、それが紛れもない現実だと認めざるを得なかった。
(これは……。巷でよく聞くクラス転移という奴か?)
あまりにも荒唐無稽な答えを心の中で独りごちる。反射的に否定しようとするが、目の前の風景がそれを許してくれない。修太郎はその結論を否定することを諦めざるを得なかった。
「一体、どこなんだよ! ここは!」
「ダメだ! スマホも繋がらねえ!」
「何が起きてんのよ!?」
「落ち着け! みんな!」
修太郎の周囲にいる人間は完全にパニックに陥っていた。クラスの中心人物である安城光一が必死に落ち着かせようとするが、全く効果はない。
それを尻目に修太郎はできるだけ自分の置かれた状況を把握しようとする。確かにクラス転移物は大好物だが、それらと似たような事態になっている保証などどこにもないと考えられる程度の冷静さはすでに取り戻していた。これは創作ではなく現実。事実は小説よりも奇なりということわざにもある通り、どうなっているか分かったものではない。そういう意味で修太郎の内心には警戒心が深く根付いていた。
だが、同時に修太郎は自分の胸が高鳴っていることにも気付いていた。もし、これが本当に過去によく見るクラス転移と同じ物だとすれば、彼が密かに憧れて止まない主人公たちと同じ軌跡を歩めるかもしれないからだ。
序盤でクラスメイトたちに虐げられ、用済みと追い出された後でチートを発揮し、美少女ハーレムを築くという軌跡を。
彼自身別に他のクラスメイトに虐められているわけではない。だが、クラスの中心にいるというわけでもない。友人が全くいないとは言わないが、クラス内ヒエラルキーは事情はどうあれ、最下位に限りなく近いと言っていい。もし、これが彼の予想した通りの出来事なのだとしたら、素直にクラスメイトたちと同行する気などなかった。その時は遠慮なく離れるつもりだ。
先述したものと全く同じ道を歩めるとは思わないが、それでもクラスメイトたちから離れてチーレムを築き上げることは不可能ではないはずだ。
しかし、それは現時点ではあくまで机上の空論。何も分かっていない状態で動くのは危険だと考え、本心を一切表情に出さず、代わりに驚きを顔に貼りつけた。
そして、一刻も早く事態を把握するべく周囲を観察していく。とは言っても、その場をじっと見るだけでは大した情報は得られないのはここに来てすぐ分かったので大して期待していなかったけれど。何しろ、彼らの周囲は白く高い壁が囲まれているだけの場所だったのだから。
けれど、何も分からないわけではない。壁の上の方には観客席のようなものがあり、向かい合うように二つの出入り口があることからここが闘技場のような場所だと修太郎はあたりをつけた。
徐々に落ち着いてきたクラスメイトたちも出入り口に気付いたらしく、そこを出てみようという意見も出はじめた。光一がそれは危険だと諫めようとするが、その前に声が響き渡る。
「ああ。成功したのですね。神よ、感謝いたします」
声の主は女性のようだ。その声はとても綺麗なものだった。どこまでも透き通るような声で、実際闘技場を包み込むようにその女性の声が浸透していく。
その声に生徒たちが静かになったのを見ると、足音を響かせ出入り口の一つから姿を見せる。その女性は声だけでなく姿も美しかった。
流れるような金髪のロングヘアに青い瞳。肩を出し、胸を大胆に開いた白いドレスを身に纏い、前髪の左側に真っ赤な彼岸花を模した髪飾りをつけた女性。男子生徒たちはその女性を見て、思わず見とれる。
「あなたは?」
光一はその女性に尋ねる。その表情は一見穏やかだが、確かに警戒の色が浮かんでいた。
「これは失礼を。私はキサラ・シュヴァーレンと申します。以後お見知りおきを」
キサラと名乗った女性はスカートを両手でつまんでお辞儀をする。あまりに丁寧な対応に光一は一瞬面食らったが、すぐに立て直し口を開く。
「あの……。不躾なことを聞くようで申し訳ないんですが、あなたは先ほど成功したとおっしゃいましたよね」
「ええ。確かにそう申し上げました」
「その成功した、というのは何のことを指しているのですか?」
生徒たちのほとんどは光一の質問の意図が読めず困惑していたが、修太郎は彼の冷静さに内心舌を巻いていた。普通ならこんな状況に陥れば、その元凶であろうキサラという女性に食ってかかるはずだ。そうでなくとも、彼女の言葉を聞き逃さずにいられるほど平静でいられるはずがない。
しかし、それらの芸当を少々戸惑いながらも概ね平然とやってのけた。やはり、彼は創作でもよく見る頼れる男なのだろう。
だからといって、修太郎の心の内にある彼への嫌悪感が消えることなどありえないのだが。
「申し訳ありません。あなた方への説明責任を果たしておりませんでしたね。見れば、多くの方々が混乱しているご様子。なので、単刀直入に申し上げましょう。どうか、この世界に蔓延る魔王を討っていただけませんか?」
「は?」
光一はポカンとした表情になる。女性が出てきたことでしばし沈黙していた生徒たちもざわつきはじめる。魔王を討ってほしい? 何を言っているんだ、こいつ、というのが生徒たちの心情だった。
「どういうことですか?」
光一の問いかけにキサラは両手を胸の前で神に祈るように組み、どこか芝居がかった口調で続ける。
「我々は長い間、魔物と呼ばれる形容しがたい怪物に苦しめられ続けております。奴らは人を襲うに留まらず、建造物や農作物などにも被害をもたらし、我々の多くは命を脅かされかねない危険な生活を余儀なくされています。そして、そういった災厄をもたらしているのが、魔物を使役せし魔王というわけなのです」
そこで一拍置く。生徒たちは誰も何も言わない。というより、何も言えない。ほとんどの人間が状況についていけていないからだ。
数少ないついていけている人間の一人である光一が先を促す。
「もちろん、対策は打ち立てております。ですが、魔物を壊滅させる有効な手立てが見つかっていなかったのも事実です。しかし、ある時その鍵になりそうな情報を得ました。それがこことは異なる世界、いわゆる異世界と呼ばれる場所から勇者とされる者たちを召喚するというものでした」
「それが俺たちというわけですか」
「おっしゃる通りです」
「ふざけんな!」
そこで生徒たちの一人が怒鳴り声を上げる。もし、女性の言葉が本当なら彼女たちの勝手な都合で自分たちはここに連れてこられたことになるということをようやく理解したのだ。
「何だよ、魔王を倒せって! んなもん、こっちの知ったこっちゃねえんだよ!! 俺たちを元の場所へ帰せよ!!」
「そうよ! 私たちを巻き込まないで!」
「日下部、南美」
言葉遣いこそ丁寧だが、彼らからすれば身勝手極まりない理由でわけの分からない場所に連れてこられたことに日下部迅馬と久野南美が怒鳴り声を上げる。それを皮切りに他の生徒たちも口々に罵声を浴びせる。そのほとんどが日下部と南美の言った自分を元の場所に帰せ、巻き込むなというものだった。
再び収拾がつかなくなり、光一は必死に窘めようとするが、同時にキサラの方も密かに観察していた。それゆえに彼は見逃さなかった。自分たちを冷めた――いや、汚物を見るような目で見つめていることに。
当然、驚いたフリをしながら状況把握に努めていた修太郎もそのことに気付いていた。
(これはダメだな。いずれにしても、一刻も早くこいつらから離れとかねえと)
望んだ展開になるかどうかについてはまだ確証は持てていないが、それでもキサラが危険だということは分かった。下手に付き合えばどうなるか分からない。
彼の望んだ展開にならないとしても、絶対に彼女と関わってはいけない。当初はできればハーレム要員に加わってほしいなどと思ったが、とんでもない。今までの彼女の立ち居振る舞いと先ほどの視線で十分だ。
彼女はヤバイ。彼女の話を何の疑いもなく信じるのは愚の骨頂だ。
確かに見知らぬ場所に一人で生きようとすること自体愚かなことだ。だが、得体の知れない相手に利用されると分かっていながらその監視下に甘んじるよりは遙かにマシだと修太郎は考えた。けれど、状況次第では後者を選ばなくてはならないということも分かっていた。その場合でも可能な限り早く離反できるよう準備しておく必要があることもまた分かっていた。
一刻も早く動く必要がある。だが、まだ動くには早い。
(とりあえず、もう少し様子を見るか。俺の考えすぎで、本当に現状を憂えて俺たちをこっちに呼び出したって可能性もないわけじゃない)
どっちにしても判断は早めにしておかないとまずい。それが修太郎の率直な考えだった。そうこう考えているうちに光一は何とかクラスメイトたちを抑え、それを見計らったキサラが再び口を開く。
「もちろん、あなた方が拒むというのであれば我々に強制するつもりはありません。ですが、私の得た情報が確かであれば魔王を倒さなくてはあなた方に元の世界に戻ることができないというのも事実です」
「はっ。勝手に呼び出しといて、なに偉そうにほざいてやがる」
光一のグループの一人である竜王盛高がそう吐き捨てる。
「気に障ったのなら謝ります。ですが、我々にはあなた方以外に希望がないというのもまた事実なのです。そこで一つお願いがあるのですが、あることを確認していただけませんか? 目を閉じて、『インフォメーション・オープン』と心の中で唱えていただくと、まぶたの裏にとある情報が開示されるはずなのです」
「情報?」
「ええ。論より証拠。どうか、やっていただけませんか?」
そうすればどうなるのか、彼女に説明する気はないらしい。修太郎としてはあまり従いたくなかったのだが、やるより他ないと諦めて目を閉じ、彼女のいった通りに心中で唱える。すると、目の前に情報が流れてくる。
(これは……)
「お分かりいただけましたか? それが、あなた方を召喚するにあたって、あなた方が得たいわゆる『特典』と呼ばれるものです」
「特典?」
「はい。曰く『異世界より召喚されし勇者は異次元の力を与えられてこちらの世界に現れる』と」
光一の問いに一つ頷きキサラは答える。同時に修太郎はやはりこれがクラス転移なのだと理解する。何せ、周囲を見渡してもキサラと高校の同じクラスメイト以外に人がいないのだから。一応、担任もいることにはいるが新米の女性教師でどうしていいのか分からず、先ほどから無言でオロオロしている。
生徒たちの中には未だに元の世界に戻せと言っている者がいる。だが、それをキサラに言ったところで無駄だろうと修太郎は冷めた目で彼らを見る。
魔王を倒せなくては戻れないというのはほぼ確実に嘘だろうが、積極的に元の世界に戻りたいと思っていない修太郎にとってはどうでもよかった。ある意味念願が叶い、喜びの気持ちがないわけではない。ただし、展開が読みにくくてかなり厄介なもののようだが。
とりあえず、修太郎は周囲の観察をやめて、改めて自身に与えられた特典とやらを見る。
(基準はあまり分からないが、それでも決して悪いものじゃなさそうだ。いや、むしろかなり強力な代物と言っていい。これなら、上手くいけば離反して生きていくのも夢じゃねえ。展開が読めないのは厄介だが、所詮現実はクソゲーだ。割り切っていこう)
目の前に浮かぶ情報を見て、今後の行動指針を密かに立てていく。その最中にキサラは告げる。
「以上で説明を終わらせていただきます。後ほど使者をこちらに派遣して、皆様を泊まっていただく部屋の方へと案内させていただきます。それでは、これにて失礼します」
キサラは丁寧にお辞儀をするとそのまま立ち去っていく。生徒たちはその背中に怒声を浴びせるが、キサラは一切動じる素振りを見せない。修太郎はその様子にため息をつきながらも、早急に実行に移すべく、頭の中でどう動くか考えはじめた。




