一人目ー第一章 9話 神薙と木更津
「恵比寿が殺された?」
「ええ。明け方に件の事件と同様外傷が一切ない状態で例のように街の路地裏にて発見されたそうです。話では手口もこれまでと同じだそうです」
どうやら、嫌な予感が当たったようだ。だが、修太郎は恐ろしいほど冷静にその事実を受け止めていた。
自分が薄情でどうしようもないクズだというのは自覚していたが、ここまでとは思っていなかった。一度会っただけとはいえ顔見知りが殺されれば多少は何かしらの反応をするものだと思っていたが、そんなことはなかったようだ。まぁ、大抵そんなものなのかもしれないが。
とにかく今の修太郎に恵比寿に対する悼みの感情などない。あるのはその事件現場を調べることで何か分かるのではないかというひたすら合理的かつ冷酷な思考のみ。叶うのならば今すぐにでも調べに行きたかった。
「できることなら、今すぐその現場に行ってみたいが、さすがに難しいだろうな」
「ええ。もちろん、その気になれば不可能ではありませんが狩野がどう動くか読めませんから」
警察官としての狩野は何も怖くはない。現場ではトップの地位にいるとはいっても所詮は下っ端。アレフスがその気になればいくらでも潰せる。
だが、狩野がこの不審死事件の主犯格だと仮定した場合は話が別だ。いや、この状態では限りなく黒だろう。もし、彼が連続不審死を引き起こしているのだとしたら、今度はアレフスに関わる者に魔の手が及ぶかもしれない。もちろん、そうやすやすといかせるつもりはないが、それでも絶対に防ぎきれるとは言えなかった。防げなかったときに耐えられるほどカスミは薄情ではない。それゆえにさすがに今回は無茶ができないというのが本音だ。
(ここであえてリスクを負うのが俺のやり方だが、さすがにそれはな……。それよりも、昨日の続きをやっていく方が無難か)
無難は好きではないが、確実性が高いのは事実だ。とくに今回みたいな状況ではそういうのも必要不可欠だと言うことは修太郎も理解していた。
「しょうがねえ。とりあえず、今夜あたり神薙真昼に会ってみるか。ひょっとしたら、何か釣れるかもしれねえ」
「神薙真昼……ですか?」
露骨に顔をしかめるカスミに修太郎は訝しげに目を細める。
「何か問題があるのか?」
「いえ、そういうわけではないのですが、もし神薙真昼にお会いするというのであれば、今夜は私は遠慮させていただいても構いませんか?」
「構わないが……」
「ありがとうございます」
カスミは一礼すると立ち去っていく。どうやら、狩野だけでなく神薙にも何かあるようだ。しかし、これは好都合だ。カスミとシャイナを連れての聞き込みはやはりリスクが高い。いかに変装していようともバレる可能性は決して低くはないのだから。昨日は恵比寿が遠方出身の新人でカスミたちのことをよく知らなかった上に遊戯場が薄暗かったから気付かれなかっただけだ。他の二人はそうはいかないだろう。少なくとも神薙は相当なベテランだ。ちょっとした変装ではすぐにカスミに気付くかもしれない。木更津も恵比寿より一つ年上なだけで刑事になってから日は浅いが、この場所の出身である以上大差はないはずだ。
一応昨日の夜のうちにこの周辺の地形は把握しておいたから迷うこともない。
できることなら、今日中に神薙と木更津の二人と接触しておきたかった。恵比寿が殺された以上、あまりモタモタしていると警戒されて情報を引き出せなくなる。
ある程度予想していたとはいえ、昨日までに立てた方針を覆さないといけないことに修太郎はため息をついた。
「さて、昨日は奇跡的にうまくいったが今日は果たしてどうなることか」
恵比寿のときはたまたまうまく事が運んだだけで、他の二人も同じようにいけるだろうと考えるほど修太郎は楽観的ではなかった。おまけに、明け方に恵比寿の死体が発見されたことで警戒されているだろう。この状況では接触する方法をじっくり吟味しなくてはならない。
何せ、下手をすれば昨日接触したせいで修太郎も恵比寿殺しの容疑者にされかねないのだから。これまで以上に迅速かつ慎重に動くことを要求される。
と、そこで修太郎はあることに気付く。
「やべ。恵比寿の死体発見現場に何か不自然なところがなかったか聞くの忘れちまった」
修太郎は頭を掻いて自分の失態を嘆くが、あとでカスミに聞けばいいと判断し、椅子に座って事件について再び考えはじめる。だが、部屋にこもってばかりいても仕方ないと考え、気晴らしに外に出ることにした。
修太郎が事件について考えながら廊下を歩いているとユキヒコに出会う。
「やぁ、修太郎くん。話は聞いたよ。例の事件を調査しているんだって?」
「ええ。差し出がましい真似とは思ったんすけど、何か力になりたいと思いましてね」
「別に気にしなくてもよかったんだがな。しかし、君が行くのならこれ以上気を揉む必要もなさそうだ」
「いや、そう買い被られても困るんですけど」
「買い被ってなどいないさ。紛れもない事実だ。君にはそれだけの力がある」
そこでユキヒコは一拍置く。
「此度の事件、解決さえすればいかなる手段をとっても構わない。万が一、不都合なことが出ても私が全て何とかすることを約束しよう」
ユキヒコの言葉の意味。修太郎はそれをすぐに理解した。多少非合法でも構わない。どんな手を使ってでも事件を解決しろ。そういう意味だ。
随分とストレートに言ったなと修太郎は内心感心した。だが、これで遠慮なく動くことができる。それにもうそろそろ詰めの段階だ。一気に勝負を仕掛けるとしよう。
今回の事件、普通に考えれば狩野が主導し、彼の手足となっている者が起こしていると見るのが普通だ。あるいは狩野が自ら起こしている可能性もある。いずれにしても、狩野が関与しているのは間違いない。
だが、修太郎にはどこか引っかかる点があった。別にその説を否定する根拠はない。証拠こそ押さえていないが、ほぼ間違いなく狩野は犯人側の人間だろう。
けれど、その一方で不自然な点もいくつかある。その一つが今回の連続不審死事件の被害者のあまりの多さだ。無差別連続殺人を起こし、その罪をアレフスに押しつけたいだけなら十七人も殺す必要はない。三人も殺せば大騒ぎになるには十分すぎるほどだ。現に元にいた世界でも三人以上殺害すれば死刑になる確率は極めて高い。こちらの世界では法律や判例が異なっているのかもしれないが、それにしたっていくらなんでも殺しすぎなのではないかと考える。
もう一つはなぜ現場に不自然なところを残しているのかということだ。同一犯の犯行に見せかけたいのなら手口を同じにするだけでいい。現に魔力を使い、外傷を一切与えずに殺害するという手口を全ての事件で使っていることで被害者に同一性のないこの連続不審死事件の犯人が同一犯だと考えられている。
なのに、無駄なリスクを負ってまで不自然なところを残している。そこまでしないといけない理由は一体何なのか。少なくとも何も考えていないということはないだろう。それなら、とうの昔に犯人は捕まっているはずだ。となると、必ず理由があるはずだ。その理由とは何なのか。
その手がかりは一人目の犠牲者にあると修太郎は踏んでいた。こういうときは大抵一番最初で何かをやらかして、それを誤魔化すために後々まで細工をする羽目になったというのが定番だからだ。もちろん、捜査を攪乱するためにあえてやっているという線もあるが、仮に狩野が犯人ならそんなことはやらないだろう。何か病的なまでのこだわりがない限り、そういう小細工はかえって命取りになりやすい。過去に推理系のアニメを見て、修太郎はそう感じた。
(事件について考えるのもいいが、まずは今晩神薙と木更津に何聞くかを考えておかねえとな。ある程度筋書き作っとかねえとヤバいことになるかもしれねえ。つっても、さすがに恵比寿の事件はそう簡単には教えてくれねえだろうし、さてどうしたもんかな)
頭を抱えて考え込むが、しばらくすると修太郎は両手を上げて伸びをする。
「やめだ。ちょっと休もう。普段こんなに考えることもねえし、疲れが溜まってんだな」
修太郎は肩を回すと椅子から立ち上がる。そして、小休止と言わんばかりにベッドに飛び込み寝転んだ。
○○○○○
夜になり、カスミから情報を得た修太郎はさっそく神薙の下へと向かっていた。神薙はかなりの男好きらしく、今日はボーイズバーに行くらしいことが分かっている。これは先ほどカスミが情報として持ってきたものだ。無論、ついでとしてだが。一応、それに合わせて服装も着流したスーツにサングラスとそれっぽいものをチョイスしてある。
てっきり風俗でホストと遊び明かしているのだと思ったが、冷静に考えればそう大差はないかと修太郎は考えることを止める。文句を言われても仕方のないくらい酷い偏見だったが、修太郎はそれを改めるつもりなどないし、それ以前にこれからのことに何も関係ない。今、彼がやるべきなのは神薙と接触することだ。
修太郎はチラッと時計を見る。今の時間は九時。今回は昨日よりもあえて時間を少し遅くしてみた。遅めに行った方が酒でできあがっている可能性があり、情報を聞き出しやすいと踏んだからだ。
ボーイズバーに近付いていくと、何やら人混みができていることに気付いた。混雑によるものではない。皆、何かを見ている様子だった。
慣れた足取りで人混みの中を縫って中心地に行ってみると、三人の男女が揉めている様子だった。
ホスト風のイケメンの男とショートパンツを穿いたギャルっぽい女。そして、その二人に絡んでいる年増の女といった構図だ。歳不相応の格好をした年増の女は周囲の目も憚らず大声を発している。
「ひどいわ! 私のことは遊びだったのね!」
「はぁ!? 何でそうなるんだよ!」
「だって、そうでしょ! 私と隠れて、こんな女とこっそり付き合ってたんでしょ!!?」
「ちょっと、ユウト。何、この女。気持ち悪いんですけど?」
「何ですって!?」
何ともまぁ、ベタベタな修羅場をやってるものだなと修太郎は呆れた。確かにこういう修羅場は今でもなお、数多く展開されているが、それにしたってもう少し他にあるだろうと思う。もっとも、そんなことを考えられないからこんなレベルの低い喧嘩をやっているのだろうが。
普段の修太郎なら呆れかえって立ち去るのだろうが、今回ばかりはそうはいかない。揉めている三人のうち、ヒステリックに叫んでいる女が神薙真昼だったからだ。年齢は四十を越えているらしいが、とてもそうは思えないほど露出度の高い格好をしている。肩を出し、下のスカート丈も相当短い。よく見れば化粧もかなり濃い。
状況からして神薙がユウトという男に入れ込んでいたが、ユウトには本命の彼女がいたといったところか。しかし、それを加味してもさすがに見苦しい。いや、加味しているからこそ余計に見苦しいのか。
「っていうか、おばさんさぁ。いい年して、そんな格好して叫びまくってさぁ。恥ずかしくないの? 化粧もケバいし」
修太郎は思わずギャル風の女によく言ったと言いそうになったが堪える。そんなことを口にすればこの後に支障が出る。
別に修太郎はどっちの見方をする気もない。ここは傍観して、隙を見て神薙に話しかけるのが吉だ。
「小娘が……! 図に乗ってんじゃないわよ!」
「ぐっ!」
神薙はギャル風の女をひっぱたく。ギャル風の女は吹き飛ばされ尻もちをつく。
「フビワ! てめえ! 何てことするんだよ!」
「それはこっちの台詞よ。そんな馬鹿女。いくら殴ったって誰も文句なんか言いやしないわ」
「んだと!?」
「あら? 私を殴るの? 殴ってもいいけど、私は刑事よ? あなたが手を上げればすぐに暴行の現行犯としてあなたを逮捕するわ」
不敵な笑みを浮かべて神薙が言い放つ。おそらくこう挑発してユウトを苦しめるのが目的だったのだろう。我慢できずに殴られてもよし、神薙の脅しに屈してもよし。どちらでもよかった。
しかし、ユウトの反応は神薙の予想に反して冷ややかなものだった。
「殴らねえよ。てめえみたいな化粧の濃い薄汚えババア。手が汚れる。二度と俺らの前にその面見せんな、クズが」
ユウトはそう吐き捨てて、フビワという名の女を背負うと神薙の前から去っていく。神薙は完全に固まっていた。見事なまでに無様なフラれ方だった。ここまで来ると、いっそ清々しいほどだ。
(まぁ、その方がかえって都合がいいか)
状況と今までに見た女の性格からして、この後神薙は相当荒れるだろう。下手に声をかければ、八つ当たりされるのがオチだ。
触らぬ神に祟りなしと言うが、修太郎の知ったことではない。この程度では祟りにもならない。
(とりあえず、あの女が一人になったところを狙うか)
周囲の人間が修羅場が終わったことで離れてもなお、修太郎はその場から動かない。しかし、一人道路の真ん中に立っているのは目立つのか神薙は修太郎の方を向くとジロリと睨んでくる。
「何よ。アタシに何か言いたいことでもあるわけ?」
敵意のこもった目でこっちを睨める神薙を見て、修太郎は薄笑いを浮かべる。周囲の人間は同情のまなざしを向けてくるが、修太郎にとっては絶好のチャンスだ。この機を逃す気はない。
「言いたいことねぇ。随分と派手にフラれたなぁとでも言やいいのか?」
「言ってくれるじゃない。あんたもひっぱたいてあげようか?」
「おいおい。暴行罪云々言ってた人間の台詞とは思えねえなぁ」
修太郎は両手を上げておどけてみせる。神薙は一瞬目を細めるが、すぐに鼻で息を吐く。
「あんた、いい度胸してるのね」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「ふん。まあいいわ。ここで会ったのも何かの縁だし、少し付き合いなさい。あんたも結構いい顔してるみたいだし、慰めにはなるでしょう」
「喜んで」
神薙の言葉に修太郎は一瞬眉をひそめるが、すぐに薄笑いを浮かべ直す。そして、彼女に連れられて手近なバーへと足を運んでいく。
神薙が連れてきたのはありふれたバーだった。神薙はカウンターの一席に座ると顔見知りらしいマスターに早速注文をする。
「ウォッカちょうだい」
「はいよ。そちらのお連れさんは?」
マスターは注文を請け負うと修太郎の方にも顔を向ける。一応こちらの世界での金銭はもらっているので、何か適当に頼んでおこうと思ったところで神薙が口を開く。
「あんたも好きなの頼んでいいわよ。ここはアタシの奢りだから」
「じゃあ、ジントニックでももらっておこうかな」
「かしこまりました」
マスターは一礼し、手を動かしはじめる。修太郎は未成年だが、酒は元の世界でかなり飲んでいる。結果、かなり強いことも分かっている。我ながらろくでもない生活を送っていると自嘲するが、それが今回は活かされる形となった。
服装も相まってマスターからは修太郎が未成年だとは思われなかったようだ。あるいは未成年だと分かっていて、ただ黙認しているだけかもしれないが。
「それで? どうして、あんなことになったんだ?」
修太郎はカウンターに出された水を飲みながら話を聞くことにする。修太郎は自発的に喋るのはこれで充分と踏んでいた。神薙は修太郎の予想通り自分からいろいろと話しはじめる。
「だって、ひどいのよ! あの男――竹村悠人って言うんだけど、あいつアタシに散々貢がせといて、このアタシを捨てたのよ!」
「そりゃひでえな」
「でしょ! なのに、あの男……。言うに事を欠いて、このアタシをババア呼ばわりして!」
「なるほどなー」
「アタシは彼のことわりと本気で好きだったのに……。アタシと同じ地区の出身だからって優しくしてくれたのに……。やっぱ、ボーイズバーなんか行くべきじゃないわ」
「はい。神薙さん。そちらのお連れさんも、これが注文の品です」
神薙の話をぶった切ってマスターが二人に酒を出してくる。神薙はウォッカを受け取ると一息に飲み干す。修太郎はそれを見てすげえな、と思う。見た感じ、彼女に出されたウォッカは氷を入れただけのロックだ。修太郎も酒の強さには自信があるが、さすがにウォッカのロックを一気飲みできる自信はなかった。
「マスター、もう一杯!」
「はいよ」
「はぁ~。もういいわよ、あんな男。こっちから願い下げだわ。やっぱり、男は同僚よ! 同僚!」
「同僚?」
修太郎はジントニックに口をつけながら返す。眉をひそめながらも、その内心はほくそ笑んでいた。どうやら、今回も恵比寿同様こちらから話を振らなくても情報を聞き出すことができそうだ。
「そ。アタシ、今、何人かの同僚ともそこそこいい関係でさ。そん中で狩野さんって人と剛――木更津って男と結構いい感じなのよ」
「へぇ……。その二人はそんなに素晴らしい人なのか?」
「当然でしょ! って言っても、付き合うなら剛の方だけどね。狩野さんはもう最近いいかなって気分になってるんだ」
「ほ~」
修太郎は酒を飲みながら、内心呆れていた。神薙の話が本当なら、彼女は最低でも三股をかけていたことになるからだ。男好きだとは聞いていたがここまでとは思わなかった。
「だけど、狩野さんもなかなかしつこくってね。もう五十越えてるくせに独身だからなのかもしんないけど、未だにアタシに言いよってくんのよ。もういい加減脈ないって事くらい分かってるでしょうに。まぁ、あれだけのことをしたってのもあるんでしょうけど」
「あれだけのこと?」
「まぁ、人にはちょっと言えないこと。でもま、もう今さら時効だと思うけどね。それに相手からもいろいろと報復を受けたって話だし。アタシは何もされてないけど」
「そうかい」
そこで二杯目をマスターが出してくる。さりげなく時計を見ると十時に近かった。今日はここまでかなと修太郎は腹をくくり、酒を飲み干す。それと同時に神薙は再び一気飲みで二杯目のウォッカを飲み干していた。
「ふ~。愚痴ってたらだいぶスッキリしたわ。ありがとう」
「どういたしまして」
「そうだ。せっかくだから、連絡先を交換しない? また、あんたと話したいわ」
酒で赤くなった顔を修太郎に近付けそんなことを言ってくる。あまりの酒臭さに顔をしかめそうになるが堪えて頬をかく。
「あ~。俺もそうしたいのは山々なんだが、あいにくとそう簡単に教えられるものじゃなくてな」
「何よ、それ。典型的なあしらいじゃない」
「そんなこと言われても事実だからどうしようもねえんだけど?」
修太郎の持つ連絡先はアレフスのものだ。さすがにおいそれと言うわけにはいかない。そもそもそれ以前に必要な情報は得られたのだから、これ以上彼女と接点を持つ気もない。
それを感じ取ったのか神薙は不機嫌そうな顔になると、勢いよく椅子から立ち上がる。
「まあいいわ。それなら、また縁があったら会いましょう」
神薙はそれだけ言って二人分の金をカウンターに置くとバーから出る。結局彼女は今朝死んだ恵比寿について言及することはなかった。狩野の腹心である以上接点はあるはずなのだが、彼女にとって興味のない人間などどうでもいいと言うことなのだろう。修太郎は肩をすくめると彼女に少し遅れて立ち上がり、バーを出ようとする。
「あの……」
「はい?」
そこでバーのマスターに話しかけられる。話しかけられると思っていなかった修太郎は思わず身構える。
「彼女は過去にいろいろあったせいであのようになってしまいましたが、本当はいい子なんです。ですが、ご家族に恵まれなかったばかりにグレてしまって……。本当はこのようなことはお話しするべきではないのでしょうが、あなたは彼女が今まで連れてきた男の方とは違うようですから申し上げておきます。どうか、彼女を助けてやってください」
バーのマスターはそう言って頭を下げる。修太郎はそれに苦笑いで返すことしかできなかった。
再び街を出てしばらく歩くと修太郎の予想に反して、探していた人物を見つけ出すことができた。昨日と同じ服装をした若い男。向こうも修太郎に気付いたのか、右手を上げて話しかけてくる。
「君は確か……」
「昨日ぶりです」
修太郎は軽く会釈をする。目当ての人物――木更津もそれに応える。
「こんなところで会うとは思いませんでしたよ」
「それはこっちの台詞っすよ。俺はたまたまぶらついてただけです」
「私もですよ。……酒臭いですね。どこかで飲んでいたんですか?」
「あー。ジントニックを軽く一杯だけ」
さすがに神薙と飲んでいましたとは言えず、適当に誤魔化す。
「そうですか。ほどほどにしておいてくださいよ」
「へーい」
どうやら、木更津にも修太郎が未成年だと思われていないらしい。自分はそんなに老けて見えるだろうかと修太郎は一瞬ショックを受けそうになるが、この服装のせいだと自己完結し、話を続ける。
「そうだ。聞きましたよ、カザシ警察署の刑事さんが殺されたって話」
「ええ。残念ですが、彼は亡くなりましたよ」
「親しかったんですか? その亡くなった人と」
「ええ。同僚でしたし、私の一つ下の後輩でしたからね。可愛がってたつもりだったんですが、それだけに余計にショックですよ」
木更津は寂しげにため息をつく。その生気のない瞳にはわずかに後悔の色のようなものが浮かんでいるように見えた。修太郎はこれこそが本来の反応だろうと場違いなことを思う。さっきの神薙がおかしかっただけだ。同僚が殺されれば、何らかの反応を見せてしかるべしのはずなのだ。
もっとも、それを修太郎が言っても説得力はないのだが。
「正直に申し上げますと危ないとは思っていたんです。ですが、結局止められず、彼は殺されてしまった。私が彼を殺したようなものです」
「そう自分を責めることもないのでは? 恵比寿さんを殺したのは魔物でしょう?」
「それはそうなんですが……。しかし、彼は昨日の昼にこう言ってたんです。『俺は自分の正義を貫いてみせる』と」
「正義を貫く……ですか」
「ええ。その時は何となく胸騒ぎがして、慎重に動いた方がいいと何の根拠もなく言ってしまったんですが、彼に聞き入れてもらえず……。今にして思えば、その時に何としても止めるべきだったんです」
木更津はそう言って両手を強く握る。彼の心には後悔が渦巻いているのだろう。思い返せば、修太郎も似たようなことを恵比寿が言っていたのを聞いている。その正義の内容如何では、命を奪われるに足る理由だったのかもしれない。その内容までは分からないけれど。
しかし、想像はつく。だが、それを木更津に言うわけにはいかず、話を変えることにする。
「まぁ、そんなこと言っていても永遠に思考がループするだけですよ。それより、どうです? どっか、その辺で一杯やっていきませんか? 少し飲めば、いくらか気が楽になるかもしれませんよ」
「申し訳ありませんが、そういう気分にはなれませんので。これにて、失礼します」
木更津は頭を下げて去っていく。さすがに恵比寿や神薙のようにはいかないらしい。というより、二人がうまくいきすぎていただけだ。これが普通のはずなのだ。ある意味、普通の結果になってホッとしている自分がどこかにいる。本来は喜ばしくはないことではあるのだが。
しかし、問題はない。最低限の情報は得られた。やはり、恵比寿は何かを掴んでいたのだ。そして、それを知った犯人に殺された。そう見るのが自然だ。では、彼は何を知っていたのか。それを知るために、今までに得た情報を整理することにする。
二人の話を統合している中で修太郎は一番最初に起こった事件のことについて思い出す。被害者はユタル・ノーメユラという六十八歳の老婆だ。どうやら、喫茶店を経営していたらしい。
他の事件同様路地裏で死体が発見されたらしいが、奇妙なことにその老婆の左腕が切断されており、彼女の左腕を中心に膨大な血が現場にばらまかれていたそうだ。
修太郎は最初にこれを聞いたとき、特に何も思わなかった。猟奇的殺人ならよくあることだからだ。実際、その後の事件も五人目までは体の一部を持っていかれていた。だから、今朝までは重要視していなかった。
だが、改めて不自然な点を残しているという不自然さに焦点を当ててみるとこの事実に着目せざるを得なくなる。なぜ、最初の五人は体を持っていかれなくてはならなかったのか。その後の十二人はほとんどお遊びに近いレベルの不自然さだったにもかかわらずだ。一番最後に殺された恵比寿に至っては、般若の面を被らされるという意味不明にもほどがあるものだった。
この事件の犯人は恐ろしく頭のいい人間だ。そんな人間がそうしなければならなかった理由とは何か。
これと朝に考えていたこととを合わせると、なぜ犯人はユタル・ノーメユラの左腕を持ち去らなくてはならなかったのかという疑問に帰結する。
そこで修太郎はあることを思い出す。一見何でもないように見えるが、冷静に考えれば決して看過できない不自然さ。あの人物は一体なぜあんなことをしていたのか。
おそらく普通に考えても答えることはできないだろう。だが、もし修太郎の考えている通りだったら全ての辻褄が合ってしまう。
「まさか、今回の連続不審死事件の犯人ってのはあいつなのか?」
修太郎は誰にも聞こえない小さな声でそう呟いた。言葉は曖昧なものだったが、彼は自らの導き出した答えに確信を持っていた。




