セラスの秘め事に水月は目を塞ぐ
水月は数日ぶりに『ホーム』にやってきた。
この世界では持ち運び自由となってしまった『ホーム』は二人で暮らすには十分な広さがある。二人で旅をしていた数日は宿には泊まらずホームで寝泊まりしていた。
寮生活になったとしても、ホームは回収せず、最後に設置した森にぽつんと置きっ放しになっていた。
ホームは破壊不可能な建物だし、敷地内には魔物も入れないからと、『逢い引き』の場として残すことにしたのだ。
「早いね。もう来てたんだ」
水月はリビングのソファーに座りネットを見ていたセラスに声をかける。
「何か面白い記事でもあった?」
「日本ではまた新しい大規模イベントが始まるそうだぞ」
「そっか」
隣に座るだけでイベント内容を見はしない。見たところで参加出来るわけでもないと水月は見る必要性を感じていなかった。しかしセラスはこまめに情報をチェックしている。
「……そのイベントから新しい職業が追加されるそうだ」
「そうなんだ。でも、追加されても…………関係ないよね?」
ニュースを気にしている理由が思い当たって水月は尋ね返す。
分からないとセラスは答えた。ただ、絶対に無いとも言えなかったのだ。
「ガチャガチャは普通に回せて、普通に衣装やアクセサリがゲット出来るわけだから、無くは無いのでは無いかという気がしてならん」
「……そう……。イベントが開始されたら私も職をチェックしてみると」
水月は言いつつネットに接続する。
割となんでも出来る『システム』だが、向こう側とのやりとりはホームに限定されている。
やりとりというよりも一方的に見ているだけの事が多いし、向こうの家族や友人に短いメッセージの一つも送れやしないので、歯がゆい思いもするが、仕方がないと諦めた。諦めているふりをしている。
一瞬だけネットに繋ぐだけで、更新する何かがあれば表示されるはずだ。それがないのなら何も更新されてないのだろうと、水月はネット接続を切った。
「それで?」
言いつつネットを閉じて水月の頭を撫でながら抱き寄せ、ここに呼んだ理由を尋ねる。理由が無いのなら無いで構わないのだが、それならそれで言葉で聞きたい。
しかし途端に水月の様子がおかしくなる。おどおどとして、おかしいと言うよりも、怪しい。
「あーうー。うん。あーちゃんと話しててちょっと気になったんだけど……」
「うん?」
「私ね、セラスの事、本当に好きだよ!? 好きなんだけど」
続くどことなく不穏なフレーズにセラスの眉がほんの少しだけ寄る。
「私の空気読めない、もしくはスルースキルが発動しちゃってたりするのかなって」
「……はあ」
要領を得ないのは、この言葉からセラスが思い当たって、それに対して反応を見ようということなのか、それとも言いたくないからなのか。
「……私は、セラスの事、彼氏だって思ってたんだけど」
けど? と否定的な言葉に内心セラスの中で不穏な感情が渦巻く。
「もしかして、セラスの中では夫婦関係だったのかなって」
「…………」
続いた言葉は予想外で、渦巻いていた感情は消えたものの、反応が出来ないで居た。
「いや、あのね!? この世界の結婚の申し込みとかよくわかんないし! この世界には神様が実在するから、もしかしたら結婚は神様の前で誓い合うことなのかもねぇって話してたけど、セラスって神じゃん!? いつも通りに頷いた中にはプロポーズがあったりして、実は恋人同士じゃなくて夫婦なのかなって思ってね!? 思い当たったらどうなんだろうって、あり得そうだし、いやでもさすがにそれは気づくだろうって思うけど、さすがにそれはどうだろうって思うけど! 私鈍いところもあるし!」
途端に捲し立てて話し始める水月にセラスは一瞬圧倒される。
どうやら不穏な話ではないようだが、逆の立場であれば、それなりに気を遣う話なのだなっと、把握した。
しかし、セラスにはなんとも言えなかった。ハイともイイエとも。どちらも正しくて、どちらも間違っているから。
「……どっちでもいいよ」
「え?」
「俺からするとどっちでもいいんだ。本当に」
「……」
「恋人でも夫婦でも。確かに水月が言うように、この世界では神殿に行き、神の前で誓うのが婚姻の儀式だけど。俺に誓う事で夫婦になる事が出来るのも本当だ。でも、俺はどっちでもいい。彼氏だろうと夫だろうと、水月の傍にいられるのなら、水月に愛して貰えるのなら、どちらでもいい」
彼氏だろうと夫だろうと、自分の想いは、変わらない。
だからどちらでも構わない。彼女がその時の気分で使い分けても良いとすら思う。
水月の頬に手を置いて、見つめる。
顔が近すぎて、セラスの瞳に自分が映っているのが水月には見えた。その奥に見える熱は、彼のものか、それとも、瞳に映った自分のものか。
「……どっちでもいいは無しにしようよ……」
それだけは否定して水月もセラスの頬に片手を添えた。
どちらともなく唇を寄せる。
触れあって離れて、また触れあう。何度も唇を重ねて熱を混ぜ合ううちに、背中にと回された片手が服を握りしめるのを感じる。
体重の移動、押し倒そうとしているのを感じて、水月は素早く、セラスから唇を離し、頬に置かれていた手が、背中に回されていた手が、距離を取るために胸と肩に置かれてしまっている。
不満。という表情をありありとセラスは顔に乗せる。しかしここで流されては話し合いは翌日に持ち越されてしまう。
「……学校卒業したら、プロポーズしてくれる?」
そんなおねだりにセラスは楽しげに微笑んだあと、頷いた。
「……婚約指輪と結婚指輪も、くれる?」
「ああ。どんなのがいいとかあるか?」
「一緒に選びたい。もしくは作ろう!」
「そうだな」
頷いて抱き寄せる。抵抗はされなかった。押し倒そうとしなければ大丈夫らしいと思ったところで、腕の中から、爆弾に等しい発言がされた。
「だから、その時は、きちんとセラスの加護の事、教えてね」
絶句して、偽物のくせに心臓が止まりそうなほどの衝撃を受けた。
知っている? どこまで? と思考が空回る。
本物であれば心音は尋常じゃないほど早くなっていただろう。そこは偽物で良かったとしながらも、一応念のためにとばかりに尋ねる。
「たしか、経験値アップとか言ってなかったか?」
「それはラフィースの加護でしょ?」
即否定された。ああ、ばれているとセラスは水月を抱きしめたまま遠い目をした。
どこでばれた? と考えたが、一つしかない。兄や姉がいうわけがない。なら、システムの鑑定だろう。セラスと水月はレベル差がありすぎて、水月を鑑定する事が叶わない。どんな風に表示されているのかはわからないが、きちんとのあたりを意味ありげに言うのだから、密かに自分がやろうとしている事に気づいているのだろう。
気づいている?
思い当たった言葉にセラスはぞっとした。
恨まれても憎まれても良いと思った。でもそれは、手遅れになってからだ。こんな前段階で知られて、共に居られる手段を封じられるのは望んでいない。
恐怖を紛らわせるようにセラスは水月を強く抱きしめた。
そんな動作に水月は微笑んだ後、同じようにセラスを抱きしめる。
ばかだなぁ。と水月は微笑む。
ただのゲームだと思ってた頃、その頃でさえ、そこに秘めた思いは本物だったのに。
それが現実となってどれほど喜んだことか。
ましてや、現実となった最初に目にしたのは魔王セラフィースの最後だったというのに。
私のために戻ってきてくれた人をどうして、無碍に出来るのだろう。
聖剣に体を貫かれ、血を流し、死ぬことに、終わることに、安堵すらしていた貴方が、たとえ神となって性格が多少変わったとしても、戻ってきてくれた事がどんなに嬉しかったか。
終わらない生がどれほどの辛さなのか分からない。想像もつかない。
それでも、と思う。
愛しいと思う人に、それだけ愛して貰えるのなら女としては幸せなのではないだろうか、と。
「…………違うか……」
「何がだ?」
考えていた事に自ら否定した時、気づけば口に出てたらしい。セラスが慌てて水月を見つめてくる。
水月は笑った。今は否定する言葉がなんであれ怖いらしい、と。
「引きこもりと監禁は違うよなって」
「………………それは違うだろうな」
何故そんな話に? と不可解そうなセラスに水月は笑うだけだ。
ずっと共に。ずっと一緒に。と願っていて、願うどころか実行していたとしても、世界を狭めようとはしない。自分以外の誰かを排除しようとはしない。自由を脅かそうとしない。
長い年月に、死に別れに、自ら引きこもる事があったとしても、私が壊れるからと閉じ込めないだろうという気がした。
「ずっと、傍に居てくれる?」
「ああ。居る。ずっと傍に居る。お前が引きこもるのなら、俺は喜んでお前の世話をするし、監禁は一緒に居てくれるのなら、文句はない」
ああ、そう受け取ったのか、と水月は笑い、もう一度軽く唇を重ねる。
「プロポーズ楽しみにしてる」
「ああ」
「あ、でも、サプライズとかいって、ドッキリのような物は止めてね」
「……どっきり?」
「みんなで踊ったり歌ったりとかした中でプロポーズとか嫌よ?」
「…………なんだそれは……」
首を傾げるセラスにネットで調べてみて、と説明を投げ捨て、広い胸に抱きつく。
抱きしめ返されて、表情が緩む。
ああ、幸せだなぁ。と水月はご満悦だ。
「ところで、俺はいつまでお預けなんだ?」
という言葉は聞こえない。どうせスルーしてても、もうしばらくすれば再チャレンジしてくるのは目に見えている。
ぬくもりに寝落ちするのが先か、それとも、セラスの再チャレンジが先か。
唇が弧を描く。どっちになるかは神の気まぐれ次第。と水月は目を閉じた。