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From 0 to O  作者: 芦静一
3/7

03

 香辛料の尖った匂いと食器洗剤の匂いが入り混じった、歪んでいるがけして不快ではない香りがした。狭い台所の中で冷たい水で食器を洗う男のシャツを、私はそっと引っ張った。

 「ん~、なんだ? 零乃」

 「あのね、ちょっといい?」

 小さな眼鏡を掛けた顔が、私の小さな背丈に合わせられる。何となく真っ直ぐ目を見るのが躊躇われて、私はシュウおじさんのまだ乾いていない手を見つめながら言った。

 「冷の元気がないの、最近。難しい顔してて、辛そうで・・・」

 何か少し違う、うまく言葉に出来たら良いのにと心の中で悔いながら私は告げた。シュウおじさんは、少し眉をひそめた。

 「そう言われりゃ、そんな気はするな・・・またなんか企んでるのかな?」

 あいつ、隠し事してるとすぐ調子崩すからな。ぶつぶつと呟くシュウおじさんを見て、私は改めて言った。

 「違う。そうじゃなくて、本当に辛そうで・・・何かを怖がってるみたいな」

 私の曖昧な言葉を聞いて、シュウおじさんは黙り込んだ。沈黙に心がざわつき、つい考えもせず言葉を放つ。

 「今日だって、最近は美味しくないご飯ばっかりで、どうせ今日もロクなご飯じゃないって」


 瞬間、シュウおじさんの顔色が変わった。

 「あいつ、ホントにそんなこと言ってたのか? 今日の昼の事だな、なあ?」

 私が今まで見たことがないほどに、その声色は荒くなり、目は鋭くなった。本能的な恐怖で自分の肩が震えるのを感じる。

 「そうだけど・・・」

 それでも、涙を流すわけにはいけないと思った。

 ここで何か言わなければ、シュウおじさんが冷を嫌ってしまいそうだと、そう思ったから。

 「冷はシュウおじさんを悪く言ったんじゃないの!ご飯が美味しくないとは言ったけど、それはおじさんのせいじゃなくて・・・とにかく、冷を怒らないでね!」

 一瞬呆気にとられた後、シュウおじさんは深呼吸をして言った。

 「わかってる。あいつはそんな悪口を言うような奴じゃないってことぐらい、な。むしろ、そんなあいつだから、何かあいつに悪いことをしたかって不安になったんだ。大丈夫。あいつを叱ったりしないからな」

 そしてシュウおじさんは、真っ白い壁に掛かった時計を見上げる。チクタクチクタク、規則正しく歪んだ音を立てる時計を。

 「ほら、もう寝る時間だ。ゆっくり休んでこいよ。おやすみ」



 薄ピンク色の毛布を被ったまま、電気が落ち闇に包まれた部屋の中を見渡した。どこからか時計の針が進む音が聞こえた。自分が無駄にした時間を告げられているようで、嫌な気持ちになる。時計はいつもそうだ。

 頭の中には、冷とシュウおじさんの顔が浮かんでいた。

二人とも優しく、それでいてどこか悲しげな顔をしていた。そのことで頭が一杯になり、眠れないでいる。

 二人とも苦しそうな声だった。なにかに怯えているような陰りのある声だった。私はそれを可哀想だと思い、それ以上に、何故か除け者にされたように感じた。

 私が気づいてない何かを感じ取り、そして私に気づかせないように気を遣っている。自分達だけで全てを抱え込み、片づけようとしている。そんな風に思えた。そしてその仮説はーーそれが優しさからくるものだとしても、腹ただしく感じた。

 私だって、不十分であろうと一人の人間なのだ。弱いなら弱いなりに、闘っていける。何時までもシュウおじさんに、ましてや冷に守られるつもりもない。逆に、そんな風に生きる覚悟など無い。

 私だって、少しは力になれるのに・・・


 不意に、隣で眠る冷が大きな寝息をたてた。上半身を起こして見ると薄い水色の毛布を蹴飛ばし、幸せそうな顔で眠っている。そのアホみたいな(つら)に昼間見せた憂いは微塵もない。

 急に自分が馬鹿らしくなり、そのまま敷き布団の上に身体を預けた。なんだこの野郎、折角心配してやったのに熟睡しやがって。

 そして少しだけ、ほんの少しだけ安心した。少年が自分の前に無防備な姿を見せていることに。生まれてからずっと一緒に暮らしてきたのだ。守る守られるの関係には成りたくないと、私はそう思っている。ずっと隣にいて、一緒に立ち向かっていきたいと、そう思う。

 冷のがら空きの脇腹にそっと手を当て、ゆっくりと指を這わせた。身体がびくっ、と反応するのを認め、今度は一気にくすぐっていく。

 「あはは・・・やめろ・・レノ・・はははは」

 目覚め抵抗しだす冷の身体を押さえつけ、さらに擽り続ける。無意識に自分の口から笑いが零れているのに気付いた。しがみつくようにして、少年に抱きつく。

 何時までも、隣に・・・ 


 その夜はそのまま二人で笑いじゃれ合いながら眠りについてしまった。

 恐らく少年は知らないだろう。あの夜私が笑いながら、同時に涙を流していたことを。

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