第2話 恋が生まれるところ
船室を出ると、長くて細い船内通路を走った。
人とすれ違うたび、顔を見てしまった。ライラックがあんなことを言うから悪いのである。
命令が出ればすぐに出動になるので、整備の様子を見ておかなければならない。人任せではすまない。
クリンクは地球型惑星ディアスで生まれて育った。最初に思い出すのは、惑星ディアスの青々とした緑と澄んだ青空、すがすがしい空気。
地球から外宇宙に人類が進出してから、地球人の住むところは増えた。家系は日本人系らしい。けれど、今となっては人種の違いはどうでもいいことだ。
ディアスで育ち、高校卒業後、パイロット養成過程がある専門学校に進学。
卒業後、ディアスに支局があるヴェガ航空宇宙局に入社。それがMK重工の支局だった。
自動開閉扉が開くと、広い駐機場に入った。
宇宙船機が並んでいる。発進する予定で準備が進められ、あちこちからタンクが移動したり、配線を引っ張ったりと大忙しだ。
割り当てられたW―NBの三番機に近づいていくと、胴腹部を開腹して念入りな点検の最中だった。
「クリンク、来たのか?」
整備士としては中堅どころのツェンの威勢の良い声がして、油と汗にまみれた顔が機体から顔を出した。
「大物退治だって?お陰でこっちは大忙しだよ。人手が足りなくて、用意に手間取っている」
「いつもと同じだね」
「まだ途中だが、中を見てくれていいよ。出るまでに、仕事を終えられりゃあいいんだが」
クリンクは梯子をよじ登って、コックピッドの中を確認する。ハブ中継器からつながれたパソコンのソフトの画面を見つめる。
「クリンク、中へ入って、循環のボタンを押してくれ」
「オーケー」
中へ入って操作していると下のほうで声がした。梯子を上ってくる気配がして、ふと見ると、
「おや、君、これ操縦するんだ?」
チョコレート色の髪、秀でた額から流れるような線を描いた輪郭、二重に折れた瞼の下に明るい黒い瞳。
「カガミ・・・君」
「オレの名前、憶えていてくれたんだ。そりゃ、あれだけ派手に登場すれば、憶えているか」
「その前に会ったわ」
「ああ。君はクリンク隊員で、MK重工のヴェガ宇宙局のパイロットなんだろ。で、戦闘機まで乗るの?」
「ええ」
腕がキャノピーの縁にかかっているから、当然近い。
顔が近いと細部まで良く見える。睫毛は長いし、肌はきめ細かいし、近くで見ても、魅力的。
そりゃ、女子なら誰でもきゃあきゃあ言う男だ。
「ツェンって言う人、他機のエンジントラブルで呼ばれて行ったぜ。当分帰ってこない。今君の姿を見かけて、ちょっと気になって様子を見に来たんだが、俺でよかったら、エンジン見るよ」
「ほんとう?」
ツェンは整備の中核なので、とにかく忙しい。トラブルとなると、時間が長引くかもしれない。そうしたら、出動命令まで間に合わなくなるかもしれない。
頼んでいいだろうかと、様子を見ると、カガミは下に下りて、開いた胴体部の中に手を突っ込んでいた。
「カガミ、配管から水漏れだ」
「ああ、待ってくれ」
彼も他の人間から色々と声をかけられて忙しそうだ。
エンジニアだからって何でも出来るだろうって、あちこちやらされているらしい。ここの人間は、人手不足だから、使えるとなるとどんどん仕事が回ってくる。
カガミが下にもぐりこんだので、クリンクは窓の縁に手を付いて彼を覗き込んだ。
気になったって、どういうことだろう?
疑問に思ったが、聞けなかった。
「あ、あの。超銀河団恒星間宇宙船マウンテンで働いていたんだってね。すごいじゃない」
先程、話していたこととは別で、彼のほうがすごかった。
「いや、何もすごいことないよ。内側はここと変わらないよ」
「私のこと、憧れるとか言ったけど、あなたのほうがよっぽどすごいじゃない」
「そうかな」
「宇宙船では、何をしていたの?」
「宇宙船の飛行監視と、エンジンの研究かな。もとは機関士なんだ、俺は」
「じゃあ、皆に歓迎されるわね。いつも人手欲しがっているから」
「君はパイロットを続ける気?」
「そりゃ・・ここにいる間は、もちろん、そうよ」
カガミは再び、下から出てきて、クリンクの顔を覗き込む。
「こんな、危ないの乗り回すのって。多少、君を見る目が変わったよ」
クリンクははたと止まる。
自分としては危険なものだと認識は持っていたが、今までどう危険かなどじっくり考える機会はなかった。今、彼にどう見られたのかとても気になるが、答えが見つからない。
「そ、そう?」
ありきたりな返事を返す。
「カガミ君はお父さんの件が落着しても、ここで働くの?」
「そうだな。俺も一応夢はあるんだ。自分の船を持てればいいなと。でも親父が、まあいい。これは別の話だから。まだ先のことはぜんぜん分からない」
「そう」
自分の船を持ちたいとは、クリンクも彼を見る目が変わる気がした。
最初に感じたのは、彼がどこかの船長かもしれないというものだった。
ゆくゆくは、そうなるかもしれないと、そういうことだろう。
近い将来の姿をクリンクは想像した。
うっとりするぐらいの、いい船長姿が浮かんだ。
ああ、そうかと思った。
彼はそうなのだと。
クリンクは彼を尊敬の眼差しで見た。
「でも、面白そうだよね。この船。ずっといようかな」
誘惑されるようなまっすぐな瞳で言われて、どきりとした。
「俺が船造ったら、その時、君も来る?」
「え?」
「パイロットとして、勤めてくれる?」
スカウト?
カガミの表情は変わらないので、本気とも冗談ともつかない。
「考えておく」
あらゆるスカウトに一時的に交わされるだろう返答を返すと、カガミはくすりと笑った。
「頼むよ」
彼のもお決まりの返事だった。
「君、本当に乗る気?これ、戦闘機だぜ」
「何だって乗るけど、それが不思議なこと?」
カガミは考えるように手を止め、厄介なものを見るように、クリンクが乗った緑のラインが入った機体を見つめた。
操縦士として仕事するのは嫌いじゃない。ゆくゆくは・・・クリンクにも夢がある。
夢の船。宇宙一だと言われる宇宙船オリンピアに乗ることだ。
「十分気をつけてね」
男らしい男に、子ども扱いされるように言われるのは、体中の力が抜けるものだ。と同時に、彼の言葉が胸にずしりと来る。
「ちょっと、カガミ、来てくれ」
隣から声が別のパイロットから声がかかった。
「待ってくれ。こっちがまだだ」
カガミはツェンに比べて、実に細かく丁寧だ。何をしても正確で、手際の良い点検っぷり。せっせと整備に励む彼を見ると、戦闘機がうらやましく思えてくる。
「いいよ、後は私がやるから。隣へ行って」
「まだ部品が入っていない」
「私も出来るから。隣で緊急みたいよ」
「いや、やりかけたままで代わってもらうのは嫌だ。後は俺に任せておいて。君が飛ぶまでには完了しておくから」
皆忙しくて苛立っているので、彼の手を煩わせたくないと思ったのだが。
「それとも、俺を信用できない?新参者だから?」
「違う」
「じゃあ、任せてくれ」
そう言われると、断ることは出来ない。
「君を死なせたくない」
一瞬だけ真剣な表情で射すくめられて、クリンクは心臓が止まりそうになった。
「だから、行って」
と強い口調で言われて、クリンクは黙ってうなずくしかなかった。