表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

うさぎ

作者: マイマイ

 ここは、いろいろな生き物たちがくらす森。


 まっくら闇の夜が終わりを告げ、やわらかな太陽の光が降り注ぐ、森の朝。


 空には小鳥が歌い、木の上ではサルの兄弟たちが楽しそうに遊んでいます。むこうの草むらではおかあさんライオンが生まれたばかりの赤ちゃんライオンの毛づくろいをしてあげています。気持ち良さそうに目を閉じた表情が、とてもかわいいですね。


 湖には魚たちがゆったりと泳ぎ、虫たちは自由気ままに飛び回り、カバたちが大きな口をあけてあくびをし、キリンの親子は長い首を伸ばして大好物の木の葉っぱを美味しそうに食べています。


 フラミンゴの桃色の羽は朝日に美しく映え、ゾウはおおきな体をゆったりと揺らしながら水飲み場へと向かいます。



 平和な森の、朝。



 この森の中にはうさぎの暮らす村があります。湖から少し森の奥にはいったところ、そう、その草むらの奥に。


 うさぎたちはそれぞれに家族を持ち、また家族ごとに子うさぎたちを育てるやり方も違います。母親うさぎたちが思うことは、ひとつだけ。


『この子たちに幸せになってほしい』


 生まれてきた子うさぎたちを、立派に大きく育てて幸せにしてあげるのが母親の務め。多くの母親うさぎたちはそんなふうに思って、日々の子育てに精を出します。


 水やエサはどこで手に入れるのか。敵に狙われないようにする方法、歯が伸びすぎないための注意、毎日の生活習慣。また年頃になったら、素敵なパートナーをみつけるためにどうすればいいのか。


「ああ、そんなに水を飲みすぎたらお腹をこわすわよ」


「だめだめ、そんなに高い場所にいたらハゲタカたちに狙われちゃう」


「ほら、遊んでばかりいないで牧草がある場所をきちんと覚えなさい」


 子うさぎたちはいつでも自由に跳びまわるばかりで、母親たちの悩みは尽きません。


 今朝も大きな桜の木の下で、母親うさぎたちの井戸端会議が始まりました。子育ての悩みに、誰かさんの夫の浮気、ご近所の噂話まで、話題に事欠くことはありません。あらやだ、そんなことがあったのね、なんて言いながら、ほんのひととき桜の下でおしゃべりを終えた母親うさぎたちは、いつでも満足げな表情でそれぞれの家庭へ戻っていくのです。ささやかなストレス発散法といったところでしょうか。


 ところが、その輪の中に一匹だけ加わらない母親うさぎがいます。メスにしては大きな体を持ち、茶色いふさふさとした茶色の毛、真っ黒な瞳。彼女はいつでもひとりで行動します。


決まった夫を持つわけでもなく、生まれた子供に対しても最低限の生きる術だけを叩きこみ、あとはなにひとつ強制せずに好きなようにさせるという彼女なりの教育方針は、子育てこそ生きがいだと信じている他の母親うさぎたちの神経を少なからず逆なでしました。


「あなたの子供はみんな好き勝手なことばかりして、みんな迷惑してるわよ」


 そんなふうに苦情を言いに来る母親もいます。彼女は自慢の長い耳をピンと伸ばして真ん丸な目で相手を見つめてこう返します。


「うちの子は他人に迷惑をかけたことなんて無いよ。ただ自由に生きているだけさ」


「それが困るのよ、この前もあなたの子供がキリンと遊びたい、なんていって湖の向こうの森まで行ってしまったでしょ?うちの子も行きたいなんて駄々をこねて大変だったのよ」


「・・・いいじゃないか、行かせてやれば」


「何言ってるのよ!!あそこには小賢しいサルたちも、恐ろしいライオンたちもいるのよ?あんなに危険な場所、わたしだって一度も行ったことないわ。子供に何かあったらどうするのよ!!」


別のうさぎも横から叫びます。


「アナタの家の子供たち、みんな変じゃない!1日中食べてばっかりいる子とか、穴ぐらの中から出てこない子とか、誰も行ったことが無い森の奥まで行きたがる子とか・・・ちゃんと教育してあげないから、子供たちだってそんなふうになっちゃうのよ!!」


 横からまたさらにもう一匹の母親うさぎが割って入ります。


「だいたいアナタね、他人の旦那に手を出してどういうつもりなの!?ちゃんと自分の旦那を見つけなさいよ!!迷惑なのよっ!!」


 いきり立つ相手をよそに、彼女はしなやかな体をうんとそらせて伸び、ついでに大きなあくびをして答えます。きらきらとした真ん丸な瞳を見開いて。


「何言ってんだい?アンタの馬鹿旦那が一発ヤラせて欲しいっていうからこっちは股を開いてやっただけじゃないか。だいたい10年かそこらしか生きられないんだ。旦那や子供たちを縛り付けるようなやり方、アタシは絶対にしたくないね。そんなに心配だと騒ぐのなら、首に縄でもつけておけばいいじゃないか」


「な、な、なんて失礼なの!?絶対に許さないから!!」


「そうよ、みんなで集まって、アンタなんてこの村から追い出してやるから!!」


 相手のがなりたてる声が届かないかのように、彼女は静かに体を丸めて毛づくろいを始めます。


「どうぞお好きに。ほらほら、アンタたちがこんなところで息まいてる間に、大事な子供や旦那がさらわれないように見ておかなくて大丈夫なの?」


 あとは母親うさぎたちが何を言っても、彼女は返事ひとつしませんでした。皆、呆れたように彼女を放って帰っていきました。


 彼女は去っていく皆の後ろ姿を見つめながら、ひとりため息をつきました。


 別にみんなに喧嘩を売りたいわけじゃない。みんなの気持ちを、やり方を批判したいわけじゃない。けれども、たった10年ほどの命を生き抜く中で、その時間をどう生きるかという自由くらいは子供たちにも与えてやりたいなあと、ただそう思うだけなのでした。


 同じ理由で、彼女は決まったパートナーを持たない生き方を選びました。そのほうが自分にとっても相手にとっても自由でいいと思ったからです。一生を添い遂げたいと思うほどの相手は幸か不幸か現れなかったし、ちょいちょい誘いをかけてくる男どもに穴を貸してやることで、可愛い子供たちにも恵まれました。


 もちろんパートナーがいない分、子供たちが生きる術を身につけるまでの間はとても大変で、ときには血を吐き、体中の毛が抜けてしまうほどのストレスを抱えたこともあるけれど、それでも彼女は自分の信じた道を進む充実感と満足感を選んだのです。


 大きな後ろ足で軽く地面を蹴り、彼女は巣のある穴ぐらのなかへと戻りました。そこには可愛い子供たちが待っています。


 子供たちには生まれてから半年ほどの間に、水のある場所やエサになる草の生えている場所、そしてほかのうさぎに絶対に迷惑をかけてはいけないということだけをしっかりと教え込んでいます。後は好きなように生きるといいけれど、それだけは覚えておきなさいと。



 薄暗い巣穴の中には、今は2匹の子供が残っていました。


 1匹はまだずっと小さなころに近所の子うさぎたちにいじめられて右の後ろ足を折ってしまい、それ以来うまく跳ねることもできず、巣穴の外へは出ようとしなくなってしまいました。母親が運んでくるわずかな牧草だけを食べて命をつないでいます。彼女は子うさぎの体を優しく舐めてやり、声をかけました。


「アタシが生きている間は、こうしてずっとそばにいてやるよ。でもね、もしもアタシも兄弟もいなくなって、だれも食べ物を運んでくれなくなったら、おまえはここでひとりで骨になるしかないんだよ?それでいいんだね?」


 子うさぎは目を細めてにっこりと笑います。


「かあさん、それ、もう何度も聞いたよ。僕はこのまま、母さんがいなくなるまでこの穴の中で暮らすよ。そして食べ物が無くなればそれで仕方無い。この穴の中で母さんのそばにいることだけが、僕の幸せだから」


 子うさぎは母親の体にぺったりと身を寄せて甘え、瞳を閉じます。母親はその身を受け止め、優しく囁きます。


「そうかい。それがおまえの選んだ道ならかまわない。好きなようにするといい」


 彼女はこれまで育ててきた子供たちに思いを馳せます。


 まわりのうさぎと同じようにパートナーを見つけて無事に巣立っていった子供たちも、もちろんたくさんいました。そして彼女はその相手がたとえどんなにろくでなしであっても、決して反対はしませんでした。ただ、「それがおまえの選んだ道ならかまわない」と優しく微笑むだけです。


 遠くの森で暮らしたいと言った子うさぎもいました。ただ大好きな草だけを食べ続けて過ごしたいと出て行った子うさぎもいました。それぞれの子うさぎが、それぞれに選んだ道を、彼女は一切反対をせずに満面の笑みを浮かべて送り出してやりました。


 小鳥たちの噂話で、そうして出て行った彼女の子供たちが短命で亡くなったという話が聞こえてくることもありました。それでも彼女は胸の痛みを堪えて、あの子たちが選んだ道だから、誇りを持って生きることができたのならそれでいいと思いました。



 彼女がこんなふうに子供たちを育てるのには、ささやかな理由があります。


 彼女の母親は、とても旦那に従順な『正しいタイプ』のうさぎでした。近所の井戸端会議にも出て、旦那の暴言にも耐え、できるだけ波風立てないで人生を過ごそうとしているように見えました。


 ある日、母親はふらりと村に入ってきたキツネに鋭い牙で切り裂かれ、半死半生で巣穴に戻ってきました。巣穴には父親はおらず、子うさぎも彼女一匹が残っているだけでした。母親は彼女に向かって、初めて本音を漏らしたのです。



ああ

本当はもっといろんなところに行きたかったよ

結婚だって、実はほかにもっと大切な人がいた

もっとやりたいことはいくらでもあった

やりたくないことばかりやってきた

ずっとずっと我慢してきたんだよ

ねえ

おまえはもっと自由に生きるといい

やりたいことがあれば、なんだってやるといい

ほら

我慢していたって、いつかはこうして終わりがくる命なんだ

寿命をまっとうしたところで

10年かそこらの命なんだ

それなら

終わりが来るまでの短い時間

やりたいことをやらずに終わるなんて

そんなに悲しいことはないだろう

ねえ

おまえは

自分の思う道を進んでいきなよ

誰に遠慮がいるものか


それはおまえだけに与えられた命なんだから



 息も絶え絶えに母親が語った言葉は、彼女の胸にしっかりと刻み込まれました。

母親は直後に亡くなり、同時に彼女は父親には何も告げることなく巣穴を飛び出して、自分だけの生活を始めました。


 誰にも守られないその生活は、とてつもなく不安で恐ろしいものでしたが、同時にこれまでに感じたことのない喜びに包まれたものでもありました。世間の厳しさを肌身で味わい、そしてそれを切りぬけていく日々は彼女にとって何物にも代えがたい輝いた毎日となったのです。


 そして今。


 巣穴に残ったもう1匹の子うさぎが、恥ずかしそうに彼女に打ち明けます。一番下の甘えん坊な女の子で、ほかの兄弟からも愛されて守られて大切に育てられてきました。


「おかあさん、わたし好きな相手ができたの」


「そうかい。よかったじゃないか」


 末の娘の可愛らしい告白に、彼女は目を細めました。


「で、相手はどんなやつなんだい?」


「あのね、お兄ちゃんに連れられて行った、あの森で出会ったの」


 湖のむこうにある、さまざまな生き物が雑多に暮らすあの森。この村にくらべれば、たしかにまだ幼い娘の目を惹くものはたくさんあったに違いありません。胸の奥にかすかに嫌な予感を感じながら、彼女は娘の言葉を待ちました。


「とても綺麗な色の毛をしていたわ。堂々と歩く姿もとっても素敵で・・・お兄ちゃんは絶対にあんなやつのそばに行ってはいけないって言ったけど、でもわたし、好きになっちゃったの」


 娘の好きになった相手は、百獣の王、ライオンでした。


 兄はこの幼い妹に、そばに寄れば間違いなく殺されてしまうであろうことも、むこうから見ればただのエサにしか見えないことも話していたようです。それでも娘は目を輝かせて言いました。


「わたしは彼のそばにいきたい。たとえあの牙で襲われたとしても、後悔しないわ。あんなに素敵だと思える相手はほかにいないの。ねえ、おかあさん、わたしはあの森で彼のそばで暮らしたいの」


「そうかい。おまえが選んだ道なら、それでかまわない。ただ、森で暮らす前に目と目が合った瞬間に食い殺されるかもしれないよ?」


「いいの。この村でなんの魅力も感じない男たちと結ばれるより、そのほうがわたしにとってはずっと幸せよ」


 その決意を固めた言葉を聞くと、彼女は黙って巣穴を出てすぐに戻ってきました。たくさんの白い花をくわえて。


 その花を輪のようにして、可愛い娘の耳に飾ってやります。二度と合うことはないだろう娘への花嫁衣装のつもりでした。


「ああ、可愛いねえ。よく似合うよ・・・さあ、行っておいで」


「おかあさん、ありがとう。行ってきます」


 またひとり、子供が巣立って行きました。元気よく跳ねる後ろ姿を見ながら、彼女はうっすらと涙を浮かべました。そして自分のお腹のなかで動き始めた新たな命を感じながら、「幸せって、なんだろうね」と小さく呟きました。


(おわり)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ