俺は敏腕営業部長 〜自称社畜な猫の恩返し〜
自分で言うのもなんだが俺は敏腕営業部長だ。
めっちゃイケててカッコよくて、しごできで、ラブリーでセクスィーな営業部長。
俺のたゆまぬ営業努力によって、猫型の看板を掲げるこの喫茶店はいつも繁盛してるんだ。
もちろん、こだわりの美味いコーヒーと紅茶とスイーツと、昭和レトロなインテリアも素敵だけどな。
それだけでやっていけるほど、この業界は甘くない。
俺の出番って訳。
見よ、つやつやの黒で構成された魅惑のボディーを。
触り心地バツグンのベストもちぷに299パーセントな足裏を。
そして! 長年の経験で磨き上げられた接客テクニック!!
気難しいお客が来ても、愛想を欠かさず媚び売って。
ゼロ円スマイルいくらでも。
口も八丁、足も八丁、しっぽ振るのもためらわない。裸踊りにドジョウすくい、お笑い芸人の真似事も何のその。
なおウチは猫カフェではない。一緒にするなよ。
一流の喫茶店にふさわしい接客を、超一流の俺が担当しているのだ!!
寄ってらっさい見てらっさい。買ってくれたらサービスしちゃうよ。
ずーっと、そうやって生きてきた。
もういい年齢だが妻子はいない。
まごうことなき社畜というやつだな。
仕事が恋人みたいなもんだ。
社長には恩がある。
俺がまだガキの頃、親がいきなり居なくなった。
理由は今でも分からない。
とにかく俺は家も追い出されてしまい、食うにも困って、その辺の道端で小さくなって震えてた。
そこに社長が通りかかった。
で、きったねえ洟水垂らしてた俺を拾って、あっためて、メシ食わせてくれた。
しかも行くところがない俺を舎弟に迎えて、一から仕事を教えてくれたのさ。
そりゃあ一生、着いていくだろう?
すげえいい人なんだが、抜けてるところがあってな。
少し前なんか、悪いヤツにだまされそうになってたんだぜ。
のっぺりした顔の男で、社長にやたら色目を使ってた。
しかしココロがきれーな社長はだませても、敏腕営業部長の目と鼻は誤魔化せない。
コイツはダメだ。
嘘とタバコと借金と、他のオンナのニオイがぷんぷんする!
ヤツは俺にもすり寄って来たが、極低温の塩対応をしてやった。
寄るな。出ていけ。ここは俺と社長の大事な本社、店舗兼自宅だぞ。キサマなんぞの入る隙間はない!!
いつも愛想のいい俺があんまり冷たくしたもんで、社長も思うところがあったようだ。
ヤツが帰った後、ぽつりと言った。
「君は、あの人が好きじゃないみたいね」
当然だ。
あんな薄ぺらい屑は我が社にふさわしくない!
次は爪を隠さない右ストレートをお見舞いしてやるぜっ。
……と意気込んでいたんだが幸か不幸か、屑は二度と来なかった。
✳︎✳︎✳︎
そんなことが何回かあったかな。
なんせ社長はモテる。俺にゃ負けるが。
ちょっと声をかけられるレベルから唐突に薔薇の花束持って現れるのまで色々いた。
みんな俺が追っ払ってやったさ。
くるくると四季が変わって、冬のある日。
久しぶり、と言って一人の男が来店した。
「何年ぶりかしら」
「そうだね。オリジナルブレンド、今もある?」
「あるわ。ご注文はそれだけ?」
「じゃあアップルパイも」
男は社長お手製のサクサクアップルパイを少しずつ崩しながら大事そうに食べ、コーヒーをおかわりした。
「猫を飼い始めたの?」
「ええ。五年くらい前かしら……大切なパートナーよ」
「なるほど……うわ、膝に乗ってきた。人懐こい子だね」
「でしょ? 利口な子で厨房には入ってこないし、混んでる時や動物が嫌いな人には近寄らないけど、構ってくれる相手には甘えに行くの。とっても優秀なウチの営業部長でね、お客様の人気者よ。この子目当てに来てくれる人もいるくらい」
「俺も通おうかな」
「あなた、そんなに猫好きだった?」
「好きになったんだ。たった今」
よっしゃ。
常連客、ゲットだぜ。
俺はデキる男だから、俺達みたいなのが嫌いだ、というヤツの前には出ない。
コイツはこの業界じゃ初心者っぽいが、我が社自慢のもふもふと親和性の高いオーラが出ている。問題ない!
サービスサービス。どうぞ今後ともご贔屓願いますよ、っと。
優秀な営業部長として断言するが、この男、まあまあ良さそうだぞ。信頼できて、金を持ってるニオイもする!
こういうヤツなら歓迎だ。
「撫でてもいい?」
「嫌がられなければ」
「分かった。では敏腕営業部長どの、よろしくお願いします」
ふむ、礼儀正しいじゃないか。合格だ。
しっぽ以外なら許可してやろう。
✳︎✳︎✳︎
それから一週間に一度くらいのペースで男が来るようになった。
飲み物は毎回コーヒー。
お供はいつも、今週のスイーツ。
スフレチーズケーキ。
モンブラン。
レトロプリン。
サヴァラン。
いちごサンデー。
パンケーキ。
チョコレートサンデー。
バナナカスタード。
ブルーベリーレアチーズ。
チェリーパイ。
ティラミス……
うちのスイーツはちょっとしたものなんだぜ。
社長が週替わりで色んなのを出してるんだ。
で、ヤツは通う楽しみができたとか言って、一度に一種類、一つしか注文しない。
とは言え毎週、毎週、よく甘いもんばっか立て続けに食えるなあ。
ちびちびとフォークで薄く切って、それは丁寧に味わってるのを見ると。
ほんとに惚れてるんだな、と思うね。
「相変わらず甘いものが好きよね」
社長は優しい顔でその様子を眺めてる。
間違いじゃあないけど……たぶんコイツ、社長が作ったんなら焦げた失敗作でも同じ感じで食うぜ? 分かってねーなあ。
あーあ、胸焼けしそうだぜ。
飲み食いが終わった頃合いを見計らって俺は営業に向かう。
かわいい毛玉が来ましたよ、っと。
プリチーな肉球(299)もサービスしちゃうぜ。
「やあ営業部長。今日も精が出るね」
これが仕事だからな。
そのうち男は時々、ランチタイムにも顔を出すようになった。
うちは社長とアルバイト一人で回してる小さい店だ。
だからランチは一品だけのローテーションになってる。
火曜日がナポリタン、水曜日がハヤシライス、木曜日がミートソース、金曜日がカレーライス。
先代の社長から受け継いだ伝統らしい。
土日はランチなしでドリンクと軽食と週替わりスイーツだけ、月曜日は定休な。
でも男は同じメシでも飽きないみたいで、いっつも美味そうに、幸せそうに食ってる。
毎日コレでいいって顔してやがる。
「野菜も食べないと身体に悪いわよ」
俺、知ってる。
社長がこっそり、コイツにだけ付け合わせのミニサラダを増量してやってること。
バレない程度に、ほんのちょっぴりだけどな。
千切りキャベツふた口ぶんの愛。
やっぱり胸焼けしちゃうぜ。
✳︎✳︎✳︎
春が来て、夏が過ぎて、秋が近寄ってきて。
日曜日の営業が終わった。
明日は定休日だ。
いつもなら、社長とのんびりまったりしたり遊んでやったり、火曜からの仕込みを眺めたりして過ごす。
ところが今週は社長がなんだかソワソワしてる。
「……あのね。明日、彼と食事をしてきてもいいかしら?」
なるほど了解。
俺はデキる男だ、留守番もお任せあれ。
今までだって友達と行ってたろ、研修を兼ねて。美味いもん食ったら店のメニューに活かせないか研究してるよな。
「――あの人と私、昔お付き合いしてたの。でもあの人にアメリカへ海外転勤の辞令が出て……私はその時、前のオーナー……叔母さんが亡くなって、このお店を引き継いだばっかりで。一緒に来てほしいって言われたけど、できなかった。色々考えてお別れしたのよね」
ふーん……なるほど……分からん!
社長の話は時々難しいんだ。
結局別れたってところは理解したが。
俺は社長をいつも観察してるし、社長も俺の気持ちをかなり正確に読み取ってくれるけど、分かり合えない時もある。生き物の種類が違う。言葉も違う。
でも思いやることはできる。
他ならぬ社長のためだ。
拝聴するふりをしてやろう!
いつも通り膝の上で丸くなったまんま目を閉じて、耳だけぴこぴこ動かす。
あ、ちゃんと聞いてますよ社長。なでなでが気持ちよくて寝てなんかいませんよー。
社長がクスッと笑う気配がした。
「……彼、今は独立して自分で仕事を回してるんだって。パソコンがあればどこでもできるって凄いわよね」
へー。
そういやランチタイムも終わりかけの空いてる頃に来て、社長と喋ったり俺を構ったりしてるもんな。
「それでね。お互い、もっと良い人を見つけようって言ってさよならしたのに……二人ともダメダメで見つからなかったみたいなの。ねえ、いつか彼が私達チームの一員になってもいいと思う?営業部長の意見を聞かせてくれない?」
ふむふむ、それなら聞いたことあるぞ!
ヘッドハンティングとか言うアレだな!!
あの男を副社長辺りに迎えると。
うむ、そうに違いない! いいぞ!
俺、アイツは割と気に入ってる。
ちょっと……いや、かなり奥手なところはあるが、優しくて誠実で、うんと仕事のできる男だ。
俺ほどじゃないけどな!
にゃーと軽く返事をして、しっぽをタシタシしてやると社長はほっぺを赤くした。
そんで翌日は早めに仕込みを済ませた後、オシャレして出かけていった。
✳︎✳︎✳︎
楽しい毎日だった。
社長がいて、副社長候補というかほぼ内定者のアイツがいて。引き抜き工作は順調そのものであり、後はXデーを待つばかり。
ところがアイツ、なかなか肝心のポイントが詰められないようだ。
ええい、何をやってる。パンナコッタ食ってる場合じゃないぞ。
いいか、手本を見せてやる。
すりすり、もふもふ、しっぽフリフリ。
こーゆー三段活用で行くんだよ。簡単だろ? ほら、この通りにやれ!
社長にはもっと甘えていいんだ。ずっと待ってたんだから。
……もう少し時間をくれ?
人間は三十を超えると臆病になるんだ、だって?
そんだけ生きてりゃ十分だろっ。
時間は有限なんだぞ!! 全くもう。
社長も社長だ。
アイツが気になって気になってしょうがない癖に、素直になれないらしい。
今日も結局、何にも言えずにただの客扱いして、客のまんま帰らせてしまった。
何やってんだよー、社長もさあ。
意地になって豆を挽いてる場合じゃないぞ。
穏やかな気持ちを込めないとコーヒーに余計な苦味が立つとか何とか言ってたじゃん。
俺、あの精神論が割と気に入ってたのに!
「――何だか順調すぎて……逆に怖くなってしまったのよ。前もそうだった。幸せだったのに、突然、ね。だから……もし、また上手く行かなかったらと思うと……」
……だってさ。
ダメだったら次行けばいーじゃんかよお。猫はみんなそうしてるぜ。
そんなに好きなのか?
「あと少しだけ時間が欲しいの」
にゃーにゃー言ってやったが、社長は首を振るばかり。
はー。
そんなに好きなのか。
あーもー、仕方ないなあ。
もどかしく思いつつ、他のお客様も忘れちゃいけない。
営業に励んでたんだよ、な。
――――でもなあ。
何でも終わりはあるもんだ。
最近ちょっと身体がだるいかなーとか思ってたら、急に。
ほんと、急に。
空の上から突然の転勤辞令が出てしまったのだ!
おかしいなあ、社長はすごく俺の健康にも気を使ってくれてたんだけど……
あーあ、よりによって二人がデートに行ってる時じゃなくてもいいだろ。
神様ちょっと意地悪だよな。
俺の才能に嫉妬したのか?
……ごめんな、社長。
✳︎✳︎✳︎
超・長期間の遠距離転勤をすることになった。
目の前にはどこまでも続く白い花畑。
好きなところに寝そべって、のんびり、まったり、ごろごろしてればオッケーなんだとよ。
気が向いたらちょうちょを追っかけたり、他のヤツと遊んだりもできる。
待てやコラ、と最初は思ったね。
こんなの仕事じゃない。
ただのロングバケーションだろ?!
ところが新しい上司にさとされた。
今は休むのも仕事のうちなんだってさ。
ほへー。世の中、色んな仕事があるもんだよな。
思えば俺はずーっと働きづめだった。
自分で選んだ仕事は楽しかったし大いに充実していたが、新しい業務もまあ悪くないかもな。
――――が、ふと心配になった。
そうだ、社長はどうなったんだ?
それに副社長候補は?
ちゃんと幸せになったのか?
花畑をトコトコ歩いて、今の上司のところへ行った。
上司は小さな池のほとりに住んでいる。
キラッキラのド派手な金髪で、背中に羽根が生えてる変わったお兄さん……に見えるが年齢は分からん。いいヤツだけど。
で、やり残した仕事なんだと訴えた。
放っておくなど、俺の愛社精神が許さないのだ!
「律儀な猫もいたものだね。責任感強いなあ」
上司は俺のプロ意識の高さに感心したようである。
うむ、もっと褒めていいぞ。
社畜のカガミであると!!
「下界における『社畜』って、そう言う意味だったかな……? まあ良いか。見せてあげるよ、こっちへおいで」
上司は俺を抱き上げると、指先で池の水面を軽くつついた。
すると、水面にゆらゆらと何かが浮かび上がる。
現世の光景だ!
おおスゲー! テレビ画面みたいだな。
そしたら…………
『ごめんね。ごめんね……』
社長、泣いてた。
真っ暗な部屋で一人ぼっち。
顎が外れそうなくらい驚いたぜ。
ななななな?! なんでだよー?!?!
副社長候補おおおお!何してくれてんだああああ!
「うーむ、これは……」
上司が困った顔になった。
え、原因はヤツじゃなくて……俺?!
……社長は俺の転勤にすごーく責任を感じているらしい。
副社長候補と出かけてる間だったもんだから特に。
デートに浮かれて、俺の世話がおろそかになっていたんじゃないか。
早く帰ってきていれば、病院へ連れていくことができれば、助けられたんじゃないか。
イチャイチャしていた自分が許せない。
もっと気をつけていれば……もっとしっかりしていれば……
必要以上に自分を責めてしまい、副社長候補ともギクシャクしてる。
店も臨時休業だと?!
いや違う。違うよ社長。
上司に教えてもらった。
俺の身体は生まれつき内臓にちょっと欠陥があって、長く生きられなかったんだってさ。俺も知らなかったけど。
直前まで元気で過ごせたのは、社長のきめ細かい健康管理のおかげ。
痛いとか苦しいとかもなかった。
だから社長、自分を追い詰めないでほしい。
幸せになってほしい。
社長も副社長候補も全然悪くない。
だが……このままだとまた別れちまうんじゃないか?
自然消滅とか言うアレだ。
何しろあの二人は奥手、臆病、おっとりしすぎの三拍子そろった極端じれじれヘタレなカップル。
くっつかなかった前科もある!
マズい。
これは、ひっじょぉお〜にマズいぞ。
俺の!敏腕営業部長の!名誉に、関わる!!
百万猫力の社畜パワーを貸してやりたいが――――
「すまないけれど、キミを戻してあげることはできないんだよ。一番重いルールなんだ」
上司の許可が下りない。
そ、そこを何とか!
「うーん……ああ、後任の派遣は認められている」
後任。
つまり誰か有能なヤツを探してきて俺の仕事を託すのか。
……ちょっと不安だが、それしかないな。
✳︎✳︎✳︎
――という訳で俺は上司の前に、きゃわゆい子猫ちゃんを連れてきた。
これから現世へ出発する毛玉の中から、これはという一匹を選抜したのだ。
「その子で大丈夫かい? 毛並みや性別もキミと違うようだが……」
確かにコイツは、社長が好きなライ麦パンのトーストへココアクリームをシマシマに塗ったようなキジトラ女子。全身ブラックでクールに決めてた俺とは全然違う。
でも良いのだ。大事なのは毛皮じゃなくて中身。
営業部長として磨かれた俺の直感が、このキジトラなら間違いないと言っている!
「キミが納得してるなら問題ないか。お嬢さんはどう? 彼の後任になってくれるのかい?」
よろこんでー!とキジトラお嬢は明るく返事をした。
そう、人懐こくて物怖じしないところが気に入ったんだ。
きっと俺の期待に応えてくれるさ。
キジトラお嬢よ、頼んだぞ。
お前には、俺がやり残した仕事を全うしてもらいたい。
なに、社長を幸せにするだけの簡単な仕事さ。
やり方は社長が教えてくれる。一から十まで。たくさん愛してくれるから……そいつを真似して、返してあげればいいんだ。
余裕があれば、店のお客にもお裾分けをやってくれ。
ついでに副社長候補にもな。
わかったのー!がんばるのー!とお嬢は元気いっぱい。
まだ短いしっぽをキリッと立てて、地上へと降りていく。
何とか、うまく行ってくれよ。
後は神頼みってヤツだが、上司は「世界存亡の危機でもないと手出しできないんだよねえ……」とか言ってて、どうにも頼りない。
でも一緒に見届けてくれるってさ。
……いないよりはマシかな。うん。
俺は大きくて優しい手に撫でられつつ、じいっと下界を見つめた。
✳︎✳︎✳︎
そしてキジトラお嬢は生まれる。
どこかの天井裏だ。野良猫の子になったみたいだな。
まだふにゃふにゃの赤ん坊。大丈夫かな?
みー!
お嬢はやる気満々。
母猫が餌を取りに出かけ、きょうだい達はみんな満腹で寝てる時に――――
やたら短い足をぱたぱたさせて、ず〜りず〜り腹ばいで進み出した。
みー!みー!みー!みー!
やさしーしゃちょーにあいにいくのー!
ふくしゃちょーこーほにもあいにいくのー!
すてきなカフェのおうちのこになるのー!
天界で見ていた俺は、うげっ、という喉声が出そうになったね。
ま、待て、早まるなーっ!!
さすがに生後3日はマズいぃいい!
目もあいてなくて、ろくに歩けもしない。固形物もまだ食べられないんだぞ?!
親猫とはぐれる、イコール、こっちに逆戻りじゃないか!!
上司ー! 何とかしてくれえー!!
「うーん……いや、だからね? 現世には干渉しちゃいけないんだってば」
ダメじゃんんんんん――!!
お嬢はみーみー言いながら、もがもが、ウロウロ、あてもなくさまよっている。
戻るのは多分ムリ。見えてねーもん。
げっ。しかも何かの段差から落っこちた。
その勢いでコロンコロン転がっていくー!
あーあーあー……これは……詰んだか……
俺が考えた最強の売上倍増計画は、光の速度で頓挫したかに見えた。
いやだって、まさかキジトラお嬢があんなに無謀なヤツとは思わなかったんだよ!
想定外だよおおお!
なんたるジェネレーションギャップ!!
じ、時代が俺について来られなかったのか?!
そんな馬鹿なぁあああ?!?!
――ところがその時、水鏡に映る景色が変化したんだ。
がさごそ音がする。
こんこんと下からノック。
きりきり、がちゃがちゃ。
がりがりがりがりがりがりがり…………
ぱかん。
天井板が外された。
回転は止まったものの、へそ天で動けなくなってるお嬢――その1メートルくらい先だ。
懐中電灯の光が射した。
✳︎✳︎✳︎
――もしもし? 突然ごめん、夜も遅いのに。
写真送ったけど見てくれた?
そう、子猫。
鳴き声するから、天井裏を開けてみたら居たんだ。
一匹だけで、みーみー鳴いてた。
親猫やきょうだい猫? いや、見える範囲にはいなかった。
どうしたらいいかな、すまない、他に猫に詳しい人を思いつかなくて。
……え?
このサイズだと生後数日?
一刻の猶予もない?
ど、どうすれば……
はい?
今から、来る?
――――えっ?!
……………………?!?!
✳︎✳︎✳︎
現世を映す不思議な水鏡。
そこには今――――
片手に、みーみー鳴いてる子猫。
もう片手に通話が切れて沈黙しているスマホを持って、ぴきーんと固まってる男が見える。
副社長候補だ。
ここってアイツが住んでたのか!
上司の顔を見ると、にっこり笑った。
「後任の派遣は認められていると言ったでしょ。現世へ降りる『前』に配慮はするよ。でも、そこからは運次第だ」
そういうことだったのか。
あ〜びっくりした。
てっきり最初からやり直しかと……
い、いや待て。今の無し!
すすす全て俺の計算のうちだっ。
そのくらい知ってたさ!
「はは! 大丈夫、分かってるよ。ほら、キミの大事な人が来たようだよ」
水鏡の中ではインターホンが鳴り、副社長候補があたふたとドアを開けていた。
「――猫はどこ?」
足早に入ってきたのは、もちろん社長だった。
……ちょっと痩せちゃってないか?
顔色、良くないんじゃないか?
表情もすっげえ険しいぞ。心配になってしまう。
――が、リビングへ足を踏み入れた途端に社長は呆れ顔になった。
「何これ?」
「ご、ごめん。実は最初、どこから猫の声がするのか分からなくてさ……留守の間に家具の下や後ろに入り込んだのかと思って、動かしたりしたもんだから……」
あっちこっち探し回ったが見つからず、最後に天井裏へ潜ってみたらお嬢を発見した……という流れだったみたいだ。
確かに、なかなかの惨状だわなあ。
本棚、ラック、ソファにテレビ。
斜めになってない家具が一つもないぜ。
副社長候補本人も、よく見ると薄汚れてるな。埃かぶって汗まみれ。
そりゃ、でかい本棚を移動させたり天井裏に潜ったりしたんだ、そうもなるか。
まあキジトラお嬢を救出しようと思ってやったんなら仕方がないよな。
社長も同じ結論になったみたいで、ヤツの腕の中でタオルに包まれてるお嬢をそっと抱き取ってから、ビシッと言った。
「この子は見ておくわ。あなたはシャワーを浴びてきて。今すぐ。いい男が台無しよ」
ぬはー! ドきっぱりした社長命令!
俺も絶対に逆らえなかったやつ!
「あ、はい……」
副社長候補なんて当然ひとたまりもなく、風呂へ出向させられた。
だからアイツは知らない。
空き巣に遭ったように散らかり放題の部屋を見渡して、社長がとても優しく微笑んだこと。
「良い人に見つけてもらったわね」とお嬢に声をかけたことも。
うにゃー、みーみーとお嬢の返事は騒がしい。
いや、返事っつうか……
もがいて逃げようとしてる?
社長に子猫用ミルクをもらい、色々お世話をしてもらってる間はおとなしかったが。
終わるとまた、みーみーうにゃうにゃーの再開である。
……しかしシャワーを浴びて清潔な部屋着に着替え、身綺麗になった副社長候補が戻ってきて隣に座ると声が止んだ。
「あらら……あなたのことが好きみたい」
社長は埃だらけのお嬢を優しく拭いてやりながら――子猫は風呂に入るだけでも体力を消耗するから、すぐに洗わないで拭くだけにするという――、隣に座った男を見上げる。
副社長候補、何気に背が高いんだよな。俺、首が痛くなる時あったもん。
「もしそうなら光栄だけど……え、猫にも刷り込みってあるの?」
「刷り込みは鳥のひなだけよ。でも、助けてくれた人が分かるのかもね。賢い子なんじゃない?」
みー!とお嬢が同意する。
社長は笑い、それから真面目な顔に戻った。
「……でもね。現実問題として、こんな小さな子猫のお世話は大変よ。昼も夜も2、3時間おきにミルクをあげなくちゃいけないし、トイレもまだ自分でできないし。あなたは仕事もあるでしょ? 飼うのは難しいと思う」
「そうか……君はやったことあるの?」
「私も赤ちゃん猫は初めて。営業部長も拾った時は子猫だったけど……この子よりはだいぶ大きかったから。でも一応、知識はあるわ。行きつけの動物病院もある。お店は休業中だから時間もある。……任せてもらえないかしら?」
「…………」
副社長候補は無言になって、社長とお嬢を交互に見た。
お嬢はみゃうみゃう鳴きまくり。行っちゃヤダー、さびしーの、いてほしいの、みんないっしょがいいのー、と言ってる。
とは言え水鏡越しに聞いてる俺にしか分からんよな。副社長候補は猫語なんて知らない。
だが――必死の訴えが通じたのかな?
副社長候補はすぐに顔を上げて言った。
「君が言う通り、俺一人じゃ難しい。君一人でも大変だろう。……二人で飼わないか?」
「え?」
社長の目がまんまるになった。
全然そんなこと考えてなかったんだな?
社長、頑張り屋さんだもんな。このままお嬢を引き取って帰宅して、一人で面倒を見るつもりだったんだろう。
が、副社長候補は引き下がらなかった。
「君、今にも倒れそうな顔してる自覚ある? この子を連れて帰って、俺がいないところで、また一人で無理するなんて……とても見てられない」
「だ、だからって二人で? 突然すぎるわ。ちょっと待って」
「待たない。猫も人間も、いつ居なくなるかなんて分からないんだ。もう後悔したくない」
「……私にはお店があるのよ。居なくなったりしないわ。どこかに行っちゃったのは……あなたの方だったじゃない」
「ん、ごめん。あれは俺が悪かった。でも、二度とどこにも行かない。なんのためにフリーランスになったと思う?」
「え?! それは、一流企業だしお給料もいいはずだし、なんで辞めたんだろうと思ってはいたわよ……そんな理由……なの?!」
「そんな理由だよ。――で、猫の話に戻るけど。ここはそもそもペット不可のマンションだから飼えない。一晩だけ許してもらって、すぐ引っ越そう。できれば君の家で、住み込みで猫の面倒を見る従業員として雇ってくれると嬉しいんだが。駄目かな?」
「だ、駄目じゃない、けど……住み込みって、あなた仕事は?」
「パソコンがあれば、どこでもできるって言ったでしょ。しばらく仕事量はセーブするけど、子猫が大きくなったら食い扶持は稼げるようにする。大丈夫、ここのところ仕事しかしてなかったから、貯金も結構ある」
「でも」
「生き物を飼った経験はないが、これから覚えるよ。誰だって最初は素人だろ?」
「そ……そうだけど。その……」
社長は俯いてしまった。
耳が赤い。
「それ、猫のためよね……?」
声も、すごく小さい。
すると副社長候補は顔を寄せて、社長の耳元で言った。
「うん。小さい猫と大きい猫、俺はどっちも大好き。喜んで下僕になるよ」
おおっ、強火の口説き方だな?!
社長は耳どころか首筋まで真っ赤になった。
「――――何言ってるのよ! ばか!」
「本気だ」
「余計に悪いじゃない!! ……はあ、分かったわ。みんな、まとめて面倒見ればいいんでしょ」
「太っ腹な社長でありがたい。よろしくね」
「た・だ・し! 下僕じゃなくて猫のための従業員よ。そこは間違えないで」
「はい。心を込めてお猫様の世話をさせていただきます」
「だからそれは……」
みゃーうー!
小さい猫こと、お嬢が無邪気に大賛成した。
ミニマムサイズの足としっぽをジタジタパタパタさせて、な。
――それがいいの、さいこーなの、げぼくゲット〜なのー!
にゃうーにゃうーと大喜びだ。
二人の人間、もしくは大きい猫とその下僕は顔を見合わせ……どちらからともなく吹き出し、笑い始めた。
お嬢、よくやったぞ。
さすが俺の後任だ!!
天界から特大の花丸を送ってやろう。
副社長候補は別の部屋から毛布を持ってきて、社長と二人でソファに座ってくるまった。
日付が変わって、ゆっくりと時計の針が動いていく。
社長達は寄り添ってウトウトしながら、お嬢がおなかを空かせたり寂しがったりして鳴くたびに、起きて面倒を見てやった。
お嬢が眠ればソファへ戻って、くっついてうたた寝して。温もりを分け合って。
二人と一匹で、夜を超えた。
ようやく新しい一歩を踏み出せたんだな。
良かった。
本当に、良かった――――――
――むにゃ むにゃ うにゃあ……
いけめんなー げぼく ゲットなのー
きねんすべき だいいちごうー なのー……
…………ただ少しばかり、物騒な寝言を呟いているキジトラお嬢の将来が心配だ。
✳︎✳︎✳︎
結局、副社長候補は副社長に昇格したのかしないのか、社外取締役になったのか。
よく分からんが、もう副社長でいいだろ。
めでたく自称下僕なパートナー(社長は住み込みの従業員だと言い張っているが)に就任してみせたアイツは、帰宅した社長とお嬢を追いかけるように、可及的速やかに荷物をまとめて引っ越してきた。
「ちなみにあの後、マンションの他の入居者からも猫の声がするって苦情が出てね。天井裏をもう一度よく捜索したら、野良のお母さん猫と子猫が見つかって保護団体に引き取られたってさ」
「あら、情報ありがとう。少し心配だったの」
「運良く、すぐに貰い手がついたみたいだよ」
「良いおうちが見つかって何よりだわ」
「この家ほどじゃないかもしれないけどね」
「また、そんなこと言って……」
いやー、社長んちの店舗兼自宅は小さいけど戸建だし、何しろ可愛い猫付きだし、なかなか優良物件だと思うぞ。
元々、早くに両親を亡くした社長が叔母さん(先代社長)と住んでた家だ。住人が増えても問題なかった。
俺が残した形の生活用品も、使えるものはお嬢にお下がりされた。
社長は俺の写真に向かって長いこと手を合わせていたけど、全然問題ないぞ。ソイツ俺の後任なんだ、ふさわしい待遇をしてやってくれ。
にゃう にゃう にゃうー
あたらしいおうち だいすきなのー
お嬢もこの環境が気に入ってるようだ。
身体が成長して動けるようになると、方々を探検して自分の縄張りを確かめていた。
もちろん――――
「おお〜! この子が二代目営業部長ですか? こりゃまた、ちんまいお姿になって」
「いやぁこれはかわええなぁ〜課金が止まらんわ〜。紅茶のおかわり頼もうなあ〜」
「ここのコーヒーと猫ちゃんが恋しかったのよ。また通わせてもらうわね」
「わあ、週替わりスイーツが猫のパンケーキ? 黒猫とキジトラの二種類? え、選べな〜い! もー! 体重なんて気にしなければいっか! 両方くださ〜い!」
「すみませーん! こっちはナポリタン四つと猫お願いしまーす!!」
満を持して営業再開したカフェも盛況さ。
副社長は普段、二階でパソコンに向かって自分の仕事をやっているが、手が空くと店の方に来て掃除やら皿洗いやらを手伝ってる。
幻のイケメン店員として密かな人気があるようだ。
お嬢も下僕ども……じゃない、二代目ファンクラブができてサービスに余念がない。
みんなに可愛がられている。
俺の仕事の集大成だ。
これが見たかったんだ。ずっと。
「――良かったね、営業部長。こっちも久しぶりに心洗われる光景を見せてもらった。この役目も悪くないなと思えたよ」
上司がぽんぽんと頭を撫でてくれた。
うんうん。俺の社長は素晴らしいだろ。
最高にホワイトでハートフルで、コーヒーの香り漂うエブリデイキャットな職場だろ。
でも上司だって、とても良い上司だと思う。
もし落ち込むようなことがあったら、いつでもキュートな俺の毛並みと、もちぷにが自慢の肉球(299)で癒やされていいぞ。許可する。
「ふふ、ありがとう。キミも、いつでもまたおいで」
ふりふりと俺はしっぽを揺らして、温かい膝の上から飛び降りた。
少しだけ遊びたくなった。せっかくだ、心置きなく楽園のバカンスを楽しもうじゃないか。
上司の許可ももらったし、あとは定期的に見に来よう。
俺は敏腕営業部長。
いつだって、縄張りのパトロールは欠かさないのさ。
〈終〉




