第七話 来ない朝
その朝、嫌な予感で目が覚めた。
理由はない。
目覚ましより早く起きただけ。
それなのに、胸の奥が落ち着かない。
窓の外は晴れていた。
昨日と同じ、静かな朝。
(大丈夫だ)
そう思いながら制服に袖を通す。
けれど手が少し震えている。
学校へ向かう道も、電車の中も、やけに時間が長く感じた。
教室に入る。
視線は自然と、彼女の席へ向いた。
――空いている。
まだ早いだけだ、と自分に言い聞かせる。
鞄を置き、席に座る。
五分。
十分。
始業のチャイムが鳴る。
担任が入ってくる。
それでも――
彼女は来ない。
「白石は、体調不良で休みだ」
ただそれだけの説明。
クラスは「そっか」で終わる。
けれど、僕の中だけが終わらない。
授業の内容は一つも頭に入らなかった。
ノートも取っていない。
時計の針ばかり見ていた。
昼休み、屋上へ向かう。
誰もいない風の中で立ち尽くす。
あの日、彼女が座っていた場所を見る。
胸が苦しい。
――会いたい。
ただそれだけだった。
理屈も、遠慮も、もうなかった。
放課後、僕は駅とは反対方向の電車に乗った。
行き先は分かっている。
あの病院だ。
ホームに立つ間、心臓が落ち着かない。
電車の揺れがやけに大きく感じる。
やがて病院へ着く。
白い建物。
あの日と同じ景色。
足が止まりそうになる。
それでも進む。
受付で名前を言う勇気はなかった。
ただ廊下を歩く。
一度来てしまうと、不思議と分かる。
あの場所だと。
静かな病棟の奥。
人の少ないフロア。
そして、見つけた。
開いたままの病室の扉。
中を覗く。
ベッド。
機械の音。
カーテンの揺れ。
そこに――彼女がいた。
酸素マスクをつけ、眠っている。
顔色は白く、腕は以前より細く見えた。
胸の奥が壊れる。
僕は静かに中へ入った。
足音を立てないように近づく。
ベッドの横に立つ。
声が出ない。
ただ、ここにいることだけが現実だった。
「……神谷くん?」
かすかな声。
目が、ゆっくり開く。
僕を見て、驚いた顔をしたあと、小さく笑う。
「どうして……」
僕はやっと言えた。
「会いたかった」
それが、本音だった。
彼女は少し目を細める。
「そっか」
短い言葉。
けれど、嬉しそうだった。
僕はベッドの横の椅子に座る。
何を話せばいいか分からない。
でも、帰りたくなかった。
しばらく沈黙が続く。
やがて彼女が言う。
「……知ってるんでしょ」
心臓が止まる。
「私のこと」
逃げ場はなかった。
僕は、ゆっくり頷いた。
彼女は少しだけ息を吐く。
「そっか」
それは、悲しみじゃなく、
どこか安心した声だった。
「ごめんね、言えなくて」
「……ううん」
僕は首を振る。
「言わなくてよかった」
本当は違う。
知りたくなかった。
でも、彼女の前ではそれを言えなかった。
彼女は天井を見上げる。
「ねえ、神谷くん」
「なに」
「私ね、怖かったんだ」
初めて聞く、弱い声だった。
「いなくなるのが、じゃないよ」
少し間を置く。
「忘れられるのが」
胸が締めつけられる。
僕は、初めて彼女の手を握った。
自分から。
「忘れない」
言葉は自然に出た。
「絶対に」
彼女の手は、驚くほど軽かった。
でも、確かに温かい。
彼女は静かに笑う。
「……よかった」
機械の音が規則的に響く。
夕日が窓から差し込む。
僕は理解していた。
この時間が、
永遠じゃないことを。
それでも、手を離さなかった。




