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涙を知らない僕が、最後に泣いた日  作者: 大きい橋


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1/9

第一話 触れないように、生きている



人には、それぞれ距離がある。


友達と肩がぶつかるくらいの距離。

家族と並んで歩く距離。

恋人と手を繋ぐ距離。


僕は、その全部が苦手だった。


――正確には、“触れること”が怖い。


朝の満員電車。

人の波に押され、僕は吊り革を握る。


隣のサラリーマンの腕が、ふと僕の手の甲に触れた。


その瞬間だった。


視界が揺らぐ。


駅のホームが消え、代わりに知らない部屋が現れる。

薄暗いアパートの一室。散らかったテーブル。

缶ビールの空き缶。床に落ちた写真立て。


写真には、笑っている小さな女の子と若い女性。


男がしゃがみ込み、震える手で写真を拾う。

顔は見えないのに、分かる。


さっきまで隣にいた、あのサラリーマンだ。


「……ごめん」


掠れた声が、頭の奥で響く。

誰もいない部屋で、男は泣いていた。


次の瞬間、景色が戻る。


電車の揺れ。

ブレーキ音。

朝のざわめき。


僕は、何もなかったかのように立っている。


でも胸の奥に、知らない感情だけが残る。


(まただ)


これが、僕の日常だった。


僕は人に触れると、その人の“過去”が見える。


夢じゃない。妄想でもない。

小学生の頃からずっと続いている。


最初は意味が分からなかった。

ただ怖くて、何度も母に言いかけてやめた。


ある日、クラスメイトと遊んでいて転んだとき、手を掴まれた。

その瞬間、僕は見た。


笑っているその子が、家で一人、机を叩いて泣いている姿を。


次の日から、僕はその子と話せなくなった。


人は、見えている姿だけじゃない。


優しい人にも、嘘がある。

明るい人にも、後悔がある。

家族にも、隠しているものがある。


知りたくないことばかり、知ってしまう。


だから僕は、距離を置くようになった。


握手をしない。

ハイタッチもしない。

できるだけ壁側を歩く。


触れなければ、見なくて済む。


高校では、僕はほとんど話さない生徒として認識されている。


クラスメイトの名前も半分くらいしか知らない。

昼休みは屋上の端のベンチで一人で過ごす。


無気力だと思われているらしいけど、それでいい。

誰にも期待されないのは、楽だった。


人を信じる必要もないから。


その日、転校生が来た。


「白石澪です。よろしくお願いします」


教室が少しだけざわつく。

明るい声だった。


僕は窓の外を見たまま、顔を上げなかった。


関係ない。

どうせ話さない。


そう思っていたのに。


昼休み、屋上のドアが開いた。


ここは人が来ない場所のはずだった。


足音が近づく。


「ねえ」


顔を上げると、転校生が立っていた。


「神谷くん、だよね?」


どうして名前を知っているのか分からない。

僕は返事をしなかった。


彼女は気にした様子もなく、隣に座る。


「ここ、好きなの?」


「……静かだから」


久しぶりに、声を出した。


彼女は少し笑った。


「私も」


距離が近い。


反射的に、僕は少し体を引いた。

触れないように。


彼女はそれに気づかないまま、空を見上げる。


「ねえ、神谷くんって、人と距離置くよね」


心臓が跳ねた。


「別に」


「ふーん」


彼女は立ち上がる。


「じゃあさ、確認してもいい?」


「……なにを」


そのときだった。


彼女が、僕の手を掴んだ。


終わった、と思った。


また何かが流れ込む。

知らない過去。知らない感情。

頭の中に押し寄せるはずだった。


けれど――


何も、来なかった。


景色も変わらない。

頭痛もない。

声も聞こえない。


ただ、彼女の手の温度だけがある。


僕は固まった。


初めてだった。


「……どう?」


彼女が覗き込む。


僕は言葉を失ったまま、彼女を見た。


なぜだ。


どうして、この人だけ――


“何も見えない”。


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