2.踏切の夢
バスを降りて数分。行き止まりでもないのに皆が足を止める。
信号待ちでもない。学校はもう目の前にある。
カンカンカンと無情に鳴り響く鐘の音。
彼ら彼女らの足を止めるのは踏切だった。
最初にバスを降りた男子生徒は鞄を落とさないよう抱えて走ったが間に合わず、黄色と黒色の遮断機に進路を阻まれる。
どうせ間に合わないさと欠伸混じりに歩いてきた他の生徒に追い付かれ、『無駄な努力』と嗤われた気分だっただろう。
どうして学校の前に踏切があるのか、どうして踏切が無駄に長いのか。
急がなければ遅刻してしまうというのに、遮断機は彼らの都合など関係なく降りたまま。
渋滞するように道路にたまる高校生諸君。
そこに黒い日傘を差す黒髪の少女と頭だけ傘に突っ込む金髪の少女が居た。
「だる」
「ここの踏切長すぎじゃね?」
暑さに苦しむ玄河と武城。
横を見れば横断歩道があるのだが、今は工事中。
数週間前まで使えていた橋だと言うのに、頭を下げた作業員のイラストが封鎖している。
老朽化の影響で改修工事が必要になったようで、数か月は使えないことが記されていた。
頭を突っ込んでくる玄河の金色の髪が、武城の顔にかかる。
ほのかに香る桃の匂い。
香りが爽やかだからといって暑苦しいことに変わりない。
武城は首を曲げて玄河の髪を回避する。
「マジ勘弁、日傘の意味ねーもん」
「日焼けはなんとかなるんじゃね」
傘の縁にフリルがついた可愛らしい紫外線をカットの日傘。
直射日光を遮っても、コンクリートに跳ね返って飛んでくる熱までは避けることが出来ない。
両面同時焼き。ちょっとした焼き魚の気分である。
武城と違い、玄河はUVケアをなにもしていない。武城の傘に入るのも、日光から逃れるためであり、紫外線を気にしたわけではない。
「あんたも日焼け気にしなよ」
「えー、あたしは健康肌って感じで好きだけど」
玄河の日焼け肌は天然ものである。元々地肌が濃いのもあるが、日差しが強い時期は一層黒くなる。
黒い肌に金の髪。外で彼女を探すと一瞬で場所がわかる。
頭だけが太陽の光でギラギラと光るものだから、彼女が待ち合わせで迷子になることはない。
「お婆ちゃんになったときシミになるよ」
「マ?」
「マ」
ヤッベと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ額から汗を垂らす玄河。
口元に垂れた汗をペロリと舐めながら、困った様子を見せる。
武城はバッチイなと思いながら白い目で玄河を見るが、彼女はまるで気にしていない。
「あでもあたしらがシワシワになったころにはシミ消す薬とか出来てっかもね」
閃いたと手を鳴らし、楽観的な希望的観測を告げる玄河に、武城は大きく溜息を吐く。
「日頃から気をつけろっつー話なんだけど」
「気を付けてもどうしようもないことってあるじゃん?」
「この暑さとか?」
「そそ、メイクキメて来たのにマジないわ」
「ガッコ着いたら即行直す」
実際、彼女たちの化粧はそれほど崩れていないが、汗に薄っすらファンデーションが滲んでいた。
この踏切が上がれば学校まですぐである。
けれど出席を取るまでの時間も僅か。化粧直しをする暇があるのだろうか。
周囲の生徒たちも時計と遮断機を何度も見ては、その場で足踏みをする。
「あっつう」
「なっがあ」
目の前で遮断機が降りたせいもあり、踏切を待つ時間がとても長く感じる。
赤く光る矢印が点いては消え、消えては点き、いつまでも右か左に赤い光が灯っている。
電車が過ぎたかと思えば反対側の矢印が点灯し、その矢印が出ている間に消えてた矢印が復活する。
電車が線路を踏み鳴らす轟音が蝉時雨さえ吹き飛ばす。
踏切の向こう側には教員が立っており、生徒たちを見張っていた。
そうでもしなければ痺れを切らした生徒が渡るであろうことを彼らは知っている。
もちろんこちら側にも教師は立っている。二人とも規律重視の口うるさい先生である。
いくら焦っていても、彼らの前で違反をするような生徒はいない。
何度目だろうか、電車が左に抜けた後、玄河が「あっ」と声を出す。
「これ、なんか越えられない踏切みたいじゃね?」
「なにそれ」
あまりに自然に出てきた「あっ」に、武城は気づかず問いを返す。
少し微笑む玄河の顔を見て、武城はようやくその意図に気づく。
「夢に出る奴」
「は? 夢?」
「踏切の夢、聞いたことない?」
◆◆◆踏切の夢◆◆◆
「なんか夢の中に踏切が出てくるじゃん?」
「出てきたことないけど?」
学校の夢を見ることなら武城にもあった。それこそテスト前に勉強している夜などそうだ。
テストが始まると問題用紙には自分の知らないような問題ばかりが載っていて、全く解けないような夢を彼女はたまに見る。
もしくはアルバイト先の夢だ。客にセクハラをされたからぶん殴ってしまう夢は既に三回は見ている。
けれどわざわざ踏切が出てくるような夢を見たことはなかった。
あったとしても覚えていなかった。
「んで、どうしても踏切通らなきゃいけないんだけど、通れないの」
「開かずの踏切的な?」
「的な」
「回り道するしかなくね?」
この踏切も、学校へ行くための道の一つに過ぎない。
長く待たされるのが嫌いな生徒は遠回りして、反対側の道から学校に行っている。
しかし、この踏切がいくら長いと言っても、遠回りして学校に行くより長いことはない。
結局待っている方が早く学校に辿り着けるから、皆この踏切に苛立ちながらも待っている。
「思うじゃん? 出来ないんだよね」
「は? なんで? 夢じゃん。好きに生きればいいじゃん」
「マイタケ哲学ぅー」
「うぇーい」
どこが哲学なのだかわからないが、両手人差し指で指してくる玄河に応じて、武城も同じノリで返す。
夢というものは自分の脳内で作られた架空の世界のはず。
夢を夢だと意識出来たら、夢の中の全てを自分の思い通りに操れるはずではないか。武城はそう考えていた。
ゆえに、夢の中くらい好きに生きられるものだと思っていたが、どうやらそうではないようだ。
「夢だからこそ出来ないこともあるみたいだよ」
「夢なのに?」
「なのに。他の道が無いとか、どうしても踏切渡らなきゃいけないとか」
「あー、なんか訳わかんないけど目的がある夢ってあるね」
特に風邪をひいた時はそうだ。
熱に浮かされ頭の中身がこんがらがる。脳みそをかき混ぜられて真面な思考が出来るわけもない。夢ならば一層そうだろう。
風邪をひいたときは特別そうであるが、特に用もなく見る意味不明な夢も散見される。
なぜか『私は怪盗なの。捕まるわけにいかないわ』『この舞台を成功させなきゃ』『無限の彼方へさあ行こう』など色々なシチュエーションが強制されることがある。
しかもそれを『当たり前』のことだと認識してしまうから厄介だ。おそらく催眠術にあった人もそういう気分になるのだろう。
「マジで?」
「あんたが振ったのに梯子はずすなよ」
「メンゴ」
相手の話に賛同した途端に知らぬ顔。友人でなければ会話が終わるレベルの愚行である。
愚行は言い過ぎかもしれないが、玄河は武城に甘え過ぎている節があり、武城もまた玄河を甘やかし過ぎている節がある。
「それで?」
「ん?」
「話終わり?」
「まさかー、これで終わるわけなくね?」
「終わることあるから聞いてるんですけど?」
可能ならばここで話が終わって欲しいと心底願っているが、玄河には関係のない事である。
「いつまで待っても踏切開かないから、踏切のバーあるじゃん?」
「遮断機ね」
「シャダーンをくぐっちゃったりするの」
キャシャーンだかジャガーンだか分からないが、往年のヒーローのような、近年のダークヒーローだかのような呼び方になるが、許容範囲なので良いだろう。
呼び方はともかく、降りた遮断機は電車が通過するまで人や車を通さないためのものである。
例え近くに電車が来ていなかったとしても、移動速度は百キロ前後ある。十秒もすれば三百メートル弱を通り過ぎる速さだ。
「ダメじゃね」
「わかるー」
「なんのための遮断機かわかんなくね?」
「それな。けど電車も全く通らないのに降りてるバーだから」
「遮断機ね」
「いい加減ジレッたくなってくぐるわけ」
「ダメだね」
いくらジレッたいからと言ってもダメなものはダメである。
そんなに通りたいなら別の道を探せば良いのだが、「そうか別の道が無いのか」と武城は苦い顔をする。
「それな下巻」
「上巻どこ行った」
「くぐったら電車来て轢かれて終わり」
「そりゃ終わりだ」
「んで夢から醒めるわけ」
夢は夢でもダメなものはダメなようだ。
もしかすると深層心理で『遮断機をくぐって踏切に入ると電車に轢かれる』と意識されている結果なのだろうか。
きっと夢から醒めてホッとすることだろう。そして「ああ、夢で良かった」「踏切はちゃんと守ろう」と思うわけだ。
教育的な夢だとも言えるが、死を疑似体験するのは悪趣味と言える。
「ヤな夢」
タチも悪いし気分も悪い。嫌な事尽くしの厭な夢である。
「これ毎晩見るとかシンドクね?」
「は?」
「は?」
武城の「は?」に対し玄河から「は?」が返ってくる。
いや「は?」はこっちのセリフだ、と言わんばかりに「は?」の顔を強調する武城。
「毎晩て何?」
「え、これ一度見るとしばらく寝るたび見るだけだけど?」
「だけだけどってだけじゃなくね」
「だけじゃん?」
「いや、シンド」
「わかる」
毎晩踏切の夢を見て、たまに死ぬとか考えただけでも気分が重くなってしまう。
そんな夢に囚われてしまったなら学校に行くことさえ億劫になるだろう。
夢というものは、現実に存在してないように思えるかもしれないが必ずしもそうではない。
夢を作っているのは脳だ。脳が夢を見ているのだ。脳が作り出した世界を脳が認識して初めて夢は成り立つ。
それは現実世界と何が違うのだろうか。目や耳という感覚器官を通して脳が現実世界を認識する。
最終的に脳が認識している部分だけで言えば、夢も現実も変わりない。
「そのうち夢か現実かわかんなくなりそ」
武城がため息混じりに呟いた言葉。あながち間違いではないのだ。
夢で体験したことを元に、恐怖を感じてしまうことがある。
仮に夢で知り合いに殺されたとして、次にその知り合いと会った時、一切の恐怖を感じずに接することは難しいだろう。
夢が現実味を帯びた感触であるほどその感覚は強くなる。
玄河もそれを肯定する。
「そうなんだよね。それで最後は現実の踏切に飛び込んで終わり」
「は?」
「は?」
「え、なに、終わりって?」
武城の理解が遅れる。
物語の重要な部分が話の中からいくつか落とされていた。
「え、だから、踏切の夢って自分が電車に轢かれるまで醒めないじゃん?」
それを武城は聞いていない。
「現実の踏切に飛び込むまで『しばらく』この夢って続くわけじゃん?」
「いや無理」
流れる汗は暑さのためだったのに、いつの間に冷や汗に変わる。
カンカンカンと鳴り響く警報音。
いつまでも響き続けるその音は、まるで自分の脳内に響いているように錯覚が始まる。
自分の気が狂ってしまう前に、どうか早く踏切が終わってくれることを願うしかなかった。




