第9話 踏み出した令嬢の決意――官吏登用試験の当日は、予期せぬ再会と共に
試験当日。
エレナの顔色はとにかく優れなかった。
「どどどどどどどどうしよう……」
舐めてました、ごめんなさい、官吏登用試験。
過去問、難しすぎて半分以上理解できていません。
(せっかく毎日のようにマインラート・ソシュール様と、
クロフォード・ノーエランド様からも教えてもらっていたのにぃ)
込みあげる焦燥感。
出題範囲は膨大であり、
どう控えめに見積もっても理解に要するのに
物理的な時間が足りなかった。
エレナの頭の中では過去の問題がぐるぐる回っていた。
一つでも多くの単語を、
記述式の模範解答を覚えようと必死で頭に叩き込む。
せっかく用意してもらった豪華な朝食も、
今朝はなんだか胃がキリキリして受け付けない。
とにかくプレッシャーという圧力で押しつぶされそうだった。
「今日だったよね? 試験」
食後のお茶を優雅に飲むマインラートの声。
エレナはびくっと肩を震わせた。
マインラートとは朝と夕の食事を共に摂るようになっていた。
食堂のテーブルはとても長細い。
家主としてテーブルの短辺部分に座り、
そこから離れたところにエレナ、
その対面にノックスが座っている。
美しい彼には意外なことに妻はいないらしい。
クロフォードによると、「絶賛募集中」ということらしいが、
本人がそういったことにまったく興味がないようで、
数多く寄せられる見合い話もお断りしている状況らしい。
「ノックスくん、悪いけど、
食事が終わったなら席を外してくれないか?」
食後のコーヒーを飲み終わったノックスに
マインラートが声をかけた。
「あっ、はい」
ノックスはナプキンで口元を拭くと、
若干訝しげな表情をしながらも食堂を後にした。
「さて、エレナ。
緊張しすぎているようだけど、
まあ、とにかく、気楽に構えて行っておいで」
マインラートはにこやかに言うが、
その笑顔がエレナにとって最大のプレッシャーだった。
(こんなにもよくしてもらって、
しかも元王宮魔術師筆頭様に甲斐甲斐しく教えてもらったのに
合格できないなんて。
そんなの申し訳なさすぎていたたまれなくなる)
「まあ、官吏登用試験はおまけみたいなものだから。
エレナは試験会場で怪しい奴、
ちゃんと見つけておいでね」
「は、はい……」
エレナは返事をするも、ますます不安でいっぱいになる。
「そうそう、これね、事前簡易調査の結果なんだけどね」
マインラートは執事に書類の束を手渡し、
執事がエレナの席まで持って来た。
「これ……」
「そう、今回の受験者名簿」
思った以上にたくさん受験者がいる。だいたい七十名ほど。
書類には受験者のプロフィール。
名前、年齢、性別、親の名前、親の爵位、髪の色、目の色、身長、
体格などの身体特徴。
魔法の有無。
そして最終学歴が記載してあった。
年齢制限のないこの試験、
一度落ちて今年受験する者には、不合格だった回数もそこにある。
その中で名前の頭に手書きで「★」や「レ」印がついているのが
いくつかあるのに気付いた。
「★の印は縁故採用確定者。
つまり、”准帝国公務員”になる人材。
クロフォードから聞いたかもしれないけど、
縁故採用できるような上級貴族は、男性は公爵位の子息まで、
女性は侯爵位の有力貴族の令嬢だ」
この国の爵位は上位から
皇弟の大公、
公爵、
侯爵と辺境伯爵、
伯爵、
子爵、
男爵。
そして、多大なる功績を挙げた平民が特別に叙爵される
一代貴族の准男爵とされている。
縁故採用は、上級貴族の子女が対象だ。
高位出自だが、
将来的にその個人の能力が中枢政治の戦力になりえる可能性の低い者を、
とりあえず作業者の一人として雇用する制度だ。
「彼らも准帝国公務員として受かる前提で来ているけど、
一応彼らも建前上試験は受ける。
上級貴族出身者ばかりだから身元は問題ない。
だからまあ、
今回の〈影〉採用試験の不審者洗い出し人物から外していい」
エレナは順に名前を見ていく。
★印が付いている名前は、
全員毎年更新される「大貴族辞典」で見たり聞いたりしたことのある、
名立たる貴族の子女ばかりだ。
他の受験生の名も確認する。
その中でも知り合いがいないか、
つい気になってしまった。
そして、一名の受験者名を見て息を呑んだ。
――ニコライ・イグナート。
「そうそう、一点残念なお知らせがあってね、
元婚約者のニコライ・イグナートも
今回試験を受けるみたいなんだよね」
エレナの手がガタガタと震え、胃がますますぐるぐる回った。
マインラートは肩をすくめ、侍女に目配せする。
侍女は深い紫色のローブを持ってきた。
マインラートがそれを手に取って、
震えるエレナの側まで来てそっと優しく被せた。
「これ、羽織って行っておいで」
「え?」
「これはね、試験会場の結界に入っても、
このローブを羽織った者だけが魔法を使えるように
特別に処置しているんだよ」
マインラートはエレナの視線に合わせて屈む。
「そして、フードを被れば、
相手には着用している者の顔がはっきりと分からない
認識阻害魔術も施してある。
試験は名前を呼ばれないし、呼ばれても受験番号のみだ。
君がエレナ・ヴァービナス嬢だと、
君が名乗らない限りは誰も気づかない」
「あ、ありがとうございます」
エレナの目からじんわりと涙が出た。
それだけもう、ニコライとは関わりたくなかった。
「さて、気を取り直して受験者リスト一覧の話に戻ろうか」
マインラートがにこっと笑うと、席にまた戻って話を続けた。
「いいかい、 “レ”印は不審者候補、三名。
これは本人が、というよりも家柄とか、
懇意にしている貴族の派閥から怪しいと前々から睨んでいる人物たちだ。
これはあくまでもデータ上での話だから参考程度に聞いて」
「ひゃ、ひゃい。わ、分かりました!」
しまった、声が裏返った。
「緊張しているんだね」
マインラートはクスクス笑った。
「試験問題も気になるところだろうが、
まずは〈影〉としての採用試験通過を第一優先に考えようか。
エレナ嬢は落ち着いてやれば何でもできる子だ。ね?」
「は、はい」
「それじゃあ、話を続けるよ。
まず一人目がローゼル・イースティリア。
婚約しているし結婚目前。
なぜいまさら女官になりたがるのか、
皆目も見当がつかない」
エレナはこの名前に聞き覚えがあった。
――今世紀最大悪役令嬢
社交界でそう噂されているほどの嫉妬深い女性。
彼女の婚約者が随分と束縛されてお困りなんだとか。
「まあ彼女の場合、
彼女自身よりもその婚約者の父だ。
いろいろ胡散臭い噂の絶えないウルーム伯爵でね、
彼は若い頃から過激派思想を論文で大々的に発表していたりしていた。
ウルーム伯爵との関係性を含めてちょっと要注意、ってことかな」
嫉妬深い令嬢で、婚約者の父が危険思想家。
確かに穏やかじゃない。
「二人目は、キムバートン・アイヒヴァルト。
彼の父親アイヒヴァルト子爵は、
我がアイルナバロー連合帝国建国前の
亡国ナバロー王国の教えをいまも密かに頑なに信仰している」
「確かアイヒヴァルト子爵領地は、
ナバロー王国以前の古き遺跡が数多く残っている地域でしたよね?」
「よく知っているね」
「昔の遺跡とか、
あそこの古書を集めた図書館に興味があって、
幼い頃父に連れて行ってもらった覚えがあるんです」
「そっか。
まあ、あそこはそういう歴史と伝統が詰まった領土だからね。
地域性もあるね」
マインラートは頷く。
「けどね、
彼は留学するという名目で
旧ナバロー王国の残党が多く残っている敵国の
マリュード皇国の学園に通っていた形跡があるんだ」
「え、でも、この書類の最終履歴がキムバートン・アイヒヴァルト様、
この国のアカデミーになってますけど?」
エレナは首を捻った。
「卒業三カ月前にアカデミーに編入してきて、
そのままアカデミー生として卒業した。
だから最終学歴がアカデミーになるんだよ」
「ああ、そういうことですか」
その昔。
アイルナバロー連合帝国が建国される前。
「ナバロー王国」とこの辺りが呼ばれていた頃。
魔法を使うこと自体が、汚らわしいこととされていた。
それでも男の場合は、
国のために王族と従属契約をすれば、
特別に魔法の使用許可がされた。
だが、女は違う。
女が魔法を使うのは破廉恥で”はしたないこと”と忌避された。
処刑された歴史もある。
なぜそこまで魔法を使うのを厭うのかというと、
ナバロー王国の王族はその血統からか、
魔法使いが生まれなかったから。
そして、女性を特に禁止したのは、男性優位社会だから。
また、信仰的に魔法を使える女は、
悪魔と交わり特別な力を授けられる邪悪な魔女とみなされ、
魔女は、悪魔と契約を結んで得た力とされた。
魔女は、悪魔の使い。
悪天候をもたらして人間や家畜に害をなす。
災いをなす危険分子として扱われたのだ。
多くの民族が集まってできたこの国には、
まだそういった保守的な信念を貫く貴族たちがいる。
(そのせいで、
わたしも「強力」な魔法使いっていうのをおばあ様が伏せていたんだよね)
二人目の不審者候補は、旧王国信仰の家系。
留学歴が怪しい。
エレナは必死で頭の中にインプットした。
「で、三人目がワルト・チェッカレッチ。
実はこの家柄、まったく耳にしたことがなくてね。
調べていくとグロウディーナ公爵家の傍流だというんだ」
エレナはその公爵名を聞いて、なんとなくぎくりとした。
四大公爵がある。
リックランス家(魔法省大臣)
デメトリオ家(宰相)
ハウルデュース家(軍部総帥)
グロウディーナ家(外務大臣)がある。
この中で魔法を使えない血統は、グロウディーナ公爵家だけだ。
だが、代々外国との婚姻政策で周辺諸国との太いパイプを持っている。
そのためグロウディーナ公爵家の発言力はかなり大きい。
だからこそ、
怪しい一門がいたとしても傍流だと言われてしまえばそれまで。
「彼らの一族の経歴は不明。
魔法騎士団でも要注意貴族として
目をつけていろいろ探っているらしいけどね」
三人目は外交貴族の傍流、経歴不明か。
なかなか胡散臭い。
「いろいろあるんですね」
エレナはちらっとマインラートを見た。
マインラートが、
”グロウディーナ公爵”の名にエレナが反応したことに
気づいていないか確認するために。
「まあ、それだから皇帝陛下は〈影〉を結成したんだよ。
クロフォードも僕も、以前は〈影〉として仕えていたんだ」
「え、そうだったんですか?」
どうやらマインラートは、
エレナが公爵の名に反応したのには気づいていないようだ。
平然と話を続ける。
「うん。でもまあ、いろいろあって、顔を晒してしまってね。
それ以来、王宮魔術師として籍を置いているんだ。
でも、〈影〉出身者というのは誰も気付いていない。
だから、秘密だよ」
マインラートは人差し指を口に当てた。
「はい。それだけ〈影〉だと知られない方がいいんですね」
エレナは大きく頷いた。
「そうだよ、〈影〉と知ったうえで、
わざと誤った情報を意図的に流そうとしてくる奴がいるからね」
「あっ、なるほど。正当な情報が手に入らなくなりますね」
「そういうこと。
まあ、毎年官吏登用試験直前の会場は何かと荒れるからね。
気を付けていっておいで」
マインラート・ソシュールは艶然と微笑んでエレナを送り出した。
*
試験会場は王宮内だった。
王城は大きな堀で囲まれていて、
エレナはマインラートが手配した馬車で堀にかかる橋を渡り、
王城入りした。
入り口は正門のみ。
付添人は禁止。
馬車から降りると、
そこにはマインラート・ソシュール邸以上の
広い庭園が広がっていて圧倒された。
大きな塔がいくつかある。
その奥側に皇帝陛下たちが
お住まいになっている宮殿がある。
正門は受験生たちで埋め尽くされ騒めいていた。
そんな受験生が王宮内を無闇にうろつかないように、
少し行った先は、
厳重に会場までの通路を画一的に
案内人が随所に立っていた。
お陰で、
初めて王城に来たエレナでも
迷うことなく試験会場に出向けた。
途中何人かの受験者のグループとすれ違った。
どうやら縁故組の両家の子息たちの集まりのようだ。
アカデミーでいえば学園ヒエラルキーで上位に属する者たち。
学年ごとに集まっているようだ。
「あの令嬢見たか?」
「ああ、見た見た。胸がはち切れんばかりにでかかったよな」
「そうなんだよ、ドレスの胸元からぽろりって感じでさぁ」
「あれって男爵令嬢だっけ」
「いやいやあれはセインレイム准男爵家の庶子だよ」
「どこの准男爵だって?」
「南西部のミーコム地方のだよ」
「ああ、グロウディーナ家が後見になっている家柄だとか……」
どうやら彼らは今から開始される試験よりも、
胸の豊満な令嬢の話題で持ち切りなようだ。
確実に合格できるとわかっている
縁故組はお気楽で羨ましい。
(こっちは、さっきから胃がキリキリしていて痛いというのにぃ)
試験会場はまだ会場時間になっていない。
まだ中に入ることが出来なかった。
会場出入口に徐々に人が集まる。
さっきの男たちが言っていた巨乳令嬢っぽいのもいた。
彼女の周囲には男たちがたむろっていて、
彼女のご機嫌取りに必死だ。
難関試験前だというのに、余裕があることで。
エレナは冷ややかに彼らを見た。
(ああ、わたしは早く座って落ち着きたい!)
マズイ、緊張のし過ぎで、
いよいよ胃が本格的に痛くなってきた。
エレナは胃を抑え、うずくまり気味で会場まで歩く。
「大丈夫ですか?」
ふと女性がエレナに声をかけた。
ぱっと顔を上げると、そこには小柄な美少女がいた。
明るめの栗色の長い髪を頭の高い位置で一つに結い上げ、
くりっとした蜂蜜色の双眸がとても印象的だ。
「だ、だだだ、大丈夫です。ちょっと緊張して……」
「ああ、分かります。
私も今朝から胃が痛いんです。
ちゃんと出来るのかなあって心配で」
「そ、そうなんです。朝食も食べれなくて……」
「それは大変!」
彼女は声を上げた。
「甘いモノはお好きですか?」
躊躇いがちに尋ねて来る彼女をエレナは正面でまじまじと見る。
思わずどきっとした。
(すごくこの人、可愛い)
「好きです」
エレナは、
まるで愛の告白をしているような勢いで言うと、
彼女は花開くように笑った。
それからシンプルな平服のスカートのポケットから、
小さな布袋を取り出して開けた。
「じゃあ、これ、よかったら食べてみませんか?
クリモナの甘煮です。
糖分が足りないと頭は回りません。
甘いモノはリラックスすると同時に脳を活性化させるんですよ。
だから、たくさん持って来ちゃいました。
といっても私の手作りだからお口に合うか分かりませんが……、
って、毒とかは入ってませんからご安心くださいね」
彼女の語尾はあたふたとしながらも、布袋を差し出した。
「クリモナ……って?」
エレナは首を捻った。
ヴァービナス侯爵領地では聞いたことも見たこともない植物名だ。
「ああ、王都中心に生息している栗の仲間ですよ。
うちの裏庭にすごく大きなクリモナの木があるんです。
結構な栄養素があって、疲労回復効果だってあるんですよ」
「へえ、よくご存知ですね」
「ふふ。興味半分でいろいろ調べちゃいました」
彼女は布袋から一粒焦げ茶色の光沢ある豆サイズの実を取り出すと、
ペロンと口の中に入れた。
「あっ、すみません、
お里が知れちゃいますね、
こんなことしていたら」
彼女は口をもぐもぐさせながら恥ずかしそうに笑った。
エレナはくすっと笑みが零れた。
確かに立ち食いはお行儀悪い。
でも、そんな彼女の姿は
小動物が木の実を食べているようで可愛いと思えたし、
元気づけようとしている彼女にありがたかった。
「そんなことありませんよ」
「もし良かったらどうぞ、美味しいですよ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、いただきます」
エレナも差し出す布袋から、
クリモナの甘煮を取り出し、口に入れた。
その途端、
濃厚なシロップの甘さが口の中に広がった。
思わず両頬を両手で覆う。
「すごく美味しい~」
「本当ですか?」
「うん、すごく癒されます」
「あ~、お口に合ってよかった」
彼女は嬉そうに頬を綻ばせ、
エレナも思わず笑顔が出た。
「チッ、女も受けんのかよ」
エレナとお菓子をくれた彼女の前を
通り過ぎた男が露骨に舌打ちをした。
エレナと彼女は顔を見合わせた。
「あんなこと、いまだに言う人、いるんですね」
憮然とした表情で彼女が言った。
「ですね、
王宮にはたくさん女官が働いているって聞きましたけどね。
そんな差別をする人はいないって」
エレナは、
ピーテル・リックランス大臣が
そう言っていたのを思い出しながら、呟いた。
「そうですよね」
彼女も強く頷く。
「へえ、美味しそうだなあ。
わたしにもくれませんか?」
どこかで聞いたことのある男の声。
彼女とエレナは声の主を見た。
エレナはぎょっとした。
先日図書館で見かけたロシェ・ガルブレイスだ。
そして、その後ろには
元婚約者のニコライ・イグナートがいるではないか。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
もし『続きが気になる!』『エレナ頑張れ!』と思っていただけたら、
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※本作は「カクヨム」にも『カァーム・ビュラクラト ―元引きこもり魔女王宮奮闘録―』というタイトルで掲載しております。




