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婚約破棄された引きこもり魔女ですが、実は天才魔女でした。王宮で無自覚覚醒します!  作者: 兎丸 蓮


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第57話 解析令嬢と美しき妖精姫の仮面――偽装婚約の熱い残熱

 華やかなバラ園の香りの中、朝露に濡れた花々が光を返し、池の水面は穏やかに揺れていた。

 その優雅さとは裏腹に、エレナの足取りは重く、憂鬱だった。

 胸の奥がざわめく中、皇女殿下と異国の姫が待つガゼボへクロフォードと共に歩み進む。


 ガゼボから注がれる視線がとても怖い。

 見麗しいクロフォードと隣を歩くエレナ。

 それを妖精姫が一瞥する。

 一瞬、彼女が激昂している表情がエレナの脳裏を横切る。


「大丈夫、俺に任せておけって」


 クロフォードは、エレナを安心させようといつものとおりの軽やかな笑みを浮かべる。


「うん、頼りにしてるね」


 相変わらず、こういうところが優しい。

 口は悪いくせに、何気なくエレナの不安を察知し、先回りして取り除こうとしてくれる。


 射抜くような目がこちらに注がれる。


 エレナはぐっと堪える。

 偽りの婚約者――。

 だけど、彼女たちの前では、本物以上の婚約者を演じなければならない。


 いよいよ二人のお姫様たちの前に歩き進んだ。

 多くの視線が注がれる中、クロフォードがよく通る声で目の前の姫様二人にご挨拶をした。


「エリザヴェータ姫、ミシェーラ皇女殿下、ご紹介させていただきます。

 彼女が先程お話にあがりました私の婚約者のエレナ・ヴァービナス侯爵令嬢でございます」


 クロフォードの紹介の声に合わせて、エレナはローブ姿でカーテシーをし、頭を下げた。


「エレナ・ヴァービナスでございます」


 久々に人前で行うカーテシー。

 片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、両手でローブの裾を軽く持ち上げて背筋は伸ばしたままお辞儀。


 幼少期から祖母に厳しく叩き込まれた礼儀作法、これだけは不作法と言わせない自信があった。


 裾の長いドレスと違い、ローブをスカートに見立ててのカーテシーは非常に難しい。

 ローブであろうと、エレナのそのカーテシーは美しい弧を描く。指先は一点の迷いもない。

 

「ほう、これは見事」


 従者や侍女、騎士たちから静かな感嘆のため息が漏れた。


 だが、妖精姫ことエリザヴェータ姫は、それすらも不愉快と言わんばかりに、冷ややかな視線を投げるだけで反応をしない。

 むしろ、取るに足りないと判断した眼差しを浴びせる。

 ぷいっと顔を逸らしたと思ったら、盛大な呆れ返ったため息と気まずい沈黙を送る。


(これは拷問か何かかしら……)


 エレナは、内心冷や汗をかきながら、そっと盗み見、様子を窺う。


 状況がどうであれ、目下の者から話しかけてはならないのがルールだ。

 エレナはそのままの状態で停止する。

 ここは静かにことが過ぎるのを耐えるしかない。


 だけど、そろそろ指先がプルプルしてきた。

 

「初めまして、でいいかしら、ヴァービナス女官」


 沈黙を破ったのは、朗らかな可憐な声のミシェーラ皇女だった。


「は、はい。お初にお目にかかります。

 殿下におかれましては……」


 エレナは緊張のあまりひっくり返った声で、必死に言葉を紡いだ。


「ああ、堅苦しい挨拶は不要よ。

 ほら、顔を上げて」


 その明るい一声で救われ、エレナはようやく顔を上げた。

 目の前には絵物語のように美しい二人の姫がいた。


(こ、これは、すごい破壊力のある美貌の御二人だわ……!)


 同じ女として気後れするどころか、この眩く麗しい光景を拝めただけでも幸運だと思えた。


 エレナと目が合ったミシェーラは、くすっと鈴を転がしたように可憐に笑った。


「ふふ、本当に不思議ね。

 王宮魔術師歴代の中でも一番の腕白小僧なんて呼ばれていたクロフォード・ノーエランド卿にこんな美人な婚約者がいるなんて」


「そんな、とんでもございません」


 エレナは首を振った。

 けれど、ミシェーラの目には好奇心が滲んでいた。


(まさか、まさか、こんなお美しい方に”美人”と言っていただけるなんて……恐縮の極み!)


 アカデミー時代、不細工と散々罵られたエレナには、ユリウスに続き、皇族に社交辞令だとしてもそう形容されることで感極まる。


 その一方で、妖精姫は、また、おもむろにため息をついた。


「ミシェーラ殿下、わたし、残念でなりませんわ」


「え? 何が?」


「この国の皆様は礼儀正しく、服装をちゃんと整えてみえるのに、なぜあの令嬢はあんなにみすぼらしい格好で平然とやって来られるのかしら。醜いわ。礼儀違反でなくて?」


 可憐で柔らかな声音に乗せられた言葉は、辛辣な台詞せりふだった。


 礼儀違反?

 エレナは内心首を捻る。


 呼び出されることは、ルシアンのおかげで想定範囲内で心の準備は出来てた。

 とはいえ、一応建前上、エレナはこの展開を知らないことになっている。


 普段と変わらない、いつも通り仕事をする女官でなければならない。

 急な呼び出しに戸惑っているクロフォードの婚約者、を装っているけれど。

 姫様方に呼ばれる前提で、仕事中に公式なドレスを着ている方が逆におかしいのに、何を言っているのかしら。


「あら、それは違うわ。エリザヴェータ姫」


 ミシェーラが言い返す。


「いくつか訂正させてもらうわね。

 そうね、まず、あなたがみすぼらしいと感じたこのローブは、彼女の師匠ソシュール伯爵が特別に選んだものよ。

 布も高級素材だし、彼女の体格に合わせて仕立てられているの。

 全然みすぼらしくないわ」


「なぜ、そこに高名なソシュール伯爵様のお名前が? 

 あの子はしがない魔法使いでしょう?」


「あら、この前のお茶会でお話したと思ったけど憶えていない?」


「え?」


 妖精姫はきょとんとした。


(あれ……?)


 エレナはふと、違和感を覚えた。

 首を傾げたとき、なんとなく妖精姫の瞳の奥の焦点が微妙にズレている気がした。


 ミシェーラはそれに気付かない様子でゆったりと膝の上に手を組み、微笑んだ。


「彼ね、最近弟子を新たに入れたのよ」


「へえ、そうなんですね」


 妖精姫は初耳だと言わんばかりに相槌を打つ。


 どうやら前回のお茶会で交わしたミシェーラ皇女の話題をすっかり忘れているらしい。


(いやいや、これって、明らかなマナー違反では?)


 徹底的に淑女の嗜みを刷り込まれたエレナの方が挙動不審になった。

 なにせ、上流階級の貴族は、お茶会で交わした会話を覚えているのが常識である。


 エレナだって侯爵令嬢の端くれ。

 お茶会に参加するときは必ず参加者の家柄や派閥、好みの茶葉や流行の話題を事前に調べ、相手の言葉を覚えておくよう努めてきた。

 ドレスや髪型だって参加者と被らないように配慮しなくてはいけない。


 いかに多くの味方を作れるか、情報を入手できるか。

 令嬢のお茶会はもはや戦場だ。


 以前交わした会話をさりげなく話題に盛り込むことで「自分の話を聞いてくれていた」と相手に思わせ、親近感を生む。

 そうして徐々に距離が縮まり、仲間になっていく。

 それが貴族社会の礼儀であり、処世術だ。

 そうエレナは、祖母や母に教えてもらった。

 

 見た目が不細工でも、自分はそれなりの高位貴族の娘。

 いいドレスを着て、人の名前と顔と家柄が一致できていれば、最新の話題に疎くて人脈がなくとも、マナー違反はしたことがない。


(わたしが妖精姫なら、相手国のお姫様とのお茶会の内容、絶対一言一句忘れないのになぁ)


 皇女付きの侍女たちをちらっと見た。


 さすが皇族付きの侍女だ。

 そんな失礼な態度の妖精姫の発言があっても静かに口元は笑みを湛え微笑んでいる。

 けど、目に怒りが滲んで見えるのは、やはりエレナと同じ違和感を覚えているからなのだろう。

 

 きっと今日の昼食時間の侍女食堂で、このことが話題になるはずだ。


――お茶会マナーの礼儀がなっていない世間知らずの幼稚姫。


 一国の姫なのに、祖母から教わった”淑女の嗜み”から最も遠い。

 国のお姫様、それはもはやその国の代表である。

 それなのに、これどうしたものか。


「じゃあもう一度お話しておくわね。

 これは公になっていないことだけど、そのマインラートの弟子の一人がヴァービナス女官なのよ」


 ミシェーラは少し声を潜め、意味深に微笑んだ。


「クロフォード・ノーエランド卿と同じ。二人揃って上級魔法使いなの。

 すごいわよね。こういうカップルはなかなかお目にかかれないわ」


 ミシェーラが面白がるようにエレナに微笑むが、妖精姫は憮然とする。


「高名な魔法使いからの贈り物……百歩譲ってそうだとしても、一国の王族を前に失礼な服装ではないでしょうか? 

 本来は礼儀に沿ってドレスで皇族に会いにくるべきでは?」


「しかたないわ、急遽呼び出したのはこちらよ。

 それが二つ目の訂正ね。

 彼女だってまさか呼び出されるとは思っていなかったでしょ?」


 ミシェーラはエレナに視線を投げた。

 エレナはコクコクと何度も頷いた。 


「そうよね。

 来てくれてありがとうね、エレナ・ヴァービナス嬢」


「いえ、とんでもございません」


 エレナは短く答えた。


「ねえ、エリザヴェータ姫」


 ミシェーラは含みを持った笑みを浮かべ、ティーカップに口をつける。


「むしろ、あたくしたちは彼女にお仕事を抜けて早々に足を運んで来てくれたことに感謝しなくてならないぐらいなのよ」


「感謝? 身分低い者に?」


 訝し気に姫の表情が曇った。



「ええ。身分低かろうと、横柄に振る舞うものじゃないわ。

 侯国も同じだと思うけど、うちの官吏たちはみんな忙しいの。

 中には縁故採用で仕事を怠ける者もいるけど、彼女は違う。


 だって、ソシュール伯爵自らローブを手渡したほどよ。

 それだけ危険な魔法の分析を任されている証拠。

 命の危険を抱えて働いているのに、服装まで気を遣えというのは酷でしょう?」



 ミシェーラは、ティーカップをソーサーに戻した。


 カチリという小さな陶器の音が静まり返ったガゼボに重く響いた。


 思わずエレナの方がどぎまぎするようなミシェーラ皇女の咎めるような台詞だ。

 冷ややかでどこか妖精姫を牽制し威圧的な態度。


 妖精姫は僅かに怯むように、眉をひそめた。


 ミシェーラは明るくて親しみやすい皇女としても有名だ。

 話し上手、聞き上手、愛嬌がある彼女のもとには自然と人が集まる。

 敵をも味方にさせる計算し尽くされている天真爛漫さ。


 その彼女がここまでおもむろに出すこの態度には、皇女付きの侍女たちからピリッとする空気感が漂う。


「それに、侯国だって、治療師や医師には皆敬意を払うでしょ?」


 ミシェーラの口元に冷笑が浮かぶのが見えた。


「我が国は魔法使いにそれと似たような敬意を払うのよ」


 ミシェーラはティーカップを優雅な所作で持ち上げた。


「ですが、侯爵令嬢なのに男性と肩を並べてお仕事しているのは、もはや女を捨てたも同然です。

 そんな方に婚約者は不要では?」


(え?)


 エレナは目をぱちくりさせた。隣のクロフォードの顔も強張って、戸惑うようにエレナに目配せした。

 エレナの違和感をクロフォードも同じように抱いたのだろう。


 なにせ、いまの妖精姫の台詞は、侯国で女医として現場に立つ自分自身をも否定することになる――。


 妖精姫は上目遣いで訝しげにエレナを見た。それから、ゆっくりと首を傾げる。


 エレナはハッとする。

 焦点が合っていない。

 それにその首の傾げ方は、やはりどこか不自然だ。


 幼いエレナのお気に入りのお人形。

 そして、なんとなくマインラートの侍女、カシアとも重なる。

 機械的で、糸で操られる人形のようにぎこちない。


 妖精姫は醒めた目でエレナを見る。


「うーん、不釣り合いね。

 クロフォード様と並ぶと彼女……地味過ぎます。

 すごい魔法を使うのかもしれませんが、女性としてはやはり下の下。

 こんな美しい魔術師様の婚約者だもの、もっと華やかな方を想像していたのに……あぁ、本当に残念でなりません」


 妖精姫は顔を露骨に歪ませ、ゆるゆると首を振った。


 エレナは、姫の人形的な動きに目を奪われつつ、押し黙った。


「……」


(むむ、これは、痛い……)


 偽装とはいえ、まるで鋭い刃物に抉られたように胸が痛む。

 そりゃあ、わたしはクズだし根暗だし、人と向き合う自信がない意気地なしだ。

 いくら偽装とはいえ美しいクロフォードと婚約だなんて烏滸がましいにもほどがあるし、月とスッポンとはよく言ったもので、その差は歴然。


 エレナは内心不貞腐れたような気分になった。


(だけど、ここまで他国の姫に、一介の貴族同士の婚約にとやかく言われる理由はない)


「クロフォード様」


 妖精姫は潤んだ熱い瞳をクロフォードに向けた。


「彼女はあなたに相応しくありません。

 お考え直されたらいかがですか?」


 はっきりと断言した。


 彼女は自分の魅力をよく熟知している。

 男に愛されるように洗練され、その混じり気のない眩しさに惹かれる。


 だが、クロフォードは鼻で笑い、拳を握りしめながらも外面の良い笑みを浮かべ続けた。


「いいえ、エリザヴェータ姫」


 クロフォードがエレナの肩をぐっと引き寄せた。


「お言葉ではありますが、考え直す必要性をまったく感じません。

 彼女の控えめで堅実、地に足がついた慎ましやかなところに私は物凄く心惹かれてます。

 似合うとか似合わない、不釣り合いとか華美とかそうじゃないとかどうでもよくて、人として彼女は温かいし、一緒にいて心休まるんです」


 一言一句はっきりとした口調で、堂々と怯むことなく胸を張って言った。

 その声はガゼボの空気を震わせるほど低く、そして熱を帯びていた。


「私が彼女じゃないと嫌なんですよ」


 エレナの肩を抱くクロフォードの手に、ぎゅっと力がこもった。


 偽装とはいえ、毅然と言い切るクロフォードにエレナは驚き、それから胸が異様なまでに心が昂ぶってカッと体が火照った。


 エレナはそっとクロフォードを見上げた。

 

 一瞬、視線が絡み合い、ふたりはぴくりと震えた。

 なんとなく気恥ずかしくなって、互いにますます顔を赤く染める。それから、ふっと笑えて、微笑みが交わされた。


(ふふ、変なの、偽装のはずの婚約が、ほんの一瞬だけ本物に思ってしまう)


 甘酸っぱくくすぐったいようなものが胸をざわつかせる。


 周囲がまたざわざわとした。

 中でも、妖精姫の護衛についた第3魔法騎士団の人たちの面白がった動揺が伝わってくる。


「あら、まあ。これはびっくり。まさかノーエランド卿からそんなセリフが出るなんて、熱烈ね」


 ミシェーラからも興奮したような声が漏れ出た。


 妖精姫の顔がひどく歪む。

 だが、すぐに笑みを取り繕い、勝ち誇ったように続ける。


「実は、わたし、エレナ・ヴァービナスのお名前を聞いて、すぐに従者に調べさせたんですよ。どんな方なのかと」


 妖精姫はもったいぶったような口調で話し出す。


「だって、わたしが婿にと希望する方のお相手だもの。

 ちゃんと確認しておかないとね」


 妖精姫の鋭い眼差しがエレナに向けられた。

 エレナは不気味さを感じ、一瞬息が止まりそうになった。


「そうしたらね、破廉恥な経歴を見つけましたのよ」


 妖精姫はクスクス笑って、優越感に満ちた瞳を向ける。


「彼女、少し前まで別の方と婚約していたそうですね。

 その容姿が原因で破棄されたとなんとも憐憫誘う理由です。

 それなのに自身の容姿を整える前に、爵位を盾にして、次から次へと婚約者相手を変える。

 令嬢にあるまじき奔放さですわ。いささかふしだらじゃありませんか? 

 ねえ、クロフォード様。そう思いません?」


 エレナに向ける視線から一転、きゅるんと大きな目をウルウルさせながら妖精姫はクロフォードに切実に訴えた。


 その笑顔に、エレナはゾッとした。


 なぜだろう。この笑顔、わたし、知ってる。

 既視感を憶え、同時に疑問を抱いた。


 それにどうして、一介の女官にすぎない自分の身元をここまで調査しているのだろうか。


 エレナがクロフォードの婚約者(偽)と耳にしたのは、早くても朝一のはずだ。

 それなのに、南部の田舎侯爵家令嬢の婚約破棄の噂を一国のお姫様が、この数時間でそこまで詳細を嗅ぎつけられるだろうか。


(誰かが彼女に吹き込まない限り知る由もないローカル情報だよ……? 

 あらかじめ、わたしのことを知っていない限り……)


 エレナはハッとした。


 そっか。やっぱり、ワルト・チェッカレッチがこの御一行の裏に潜んでいるんだ。 


 この国の魔術師として潜んでいた彼なら、しかも、元婚約者であるニコライからわたしの話を聞いてもおかしくない。

 むしろ、ロシェが昨夜接触してきた時点で、ロシェからわたしの情報を積極的に探って、それを妖精姫に話した可能性の方が高い。


 エレナは必死で妖精姫の侍従たちをそっと盗み見た。


 絶対にいるはずなんだ。

 けど、どこにいる? 


 マッシュが持って来た鑑定結果から、ワルトがここに潜んでいることが判明した。

 そして、あの彼もやはり……。


 とはいえ、あの鑑定結果は、とてもじゃないが信じがたい事実だった。

 まさか……と誰しもが思っただろう。


 だからこそ、マッシュが直接エレナのところに結果を持って来た。国が()()の秘密に気付いたことを、()()に察知されないために。

 あの鑑定結果は、この国でいま、最重要機密情報だ。


 エレナの胸にざわめきが走る。


(ワルトはどこ? 絶対にこの庭園に潜んでいるはずだよ……。そして、あの()だって……)


 エレナが必死でワルトの魔力を探っている間。


「あら、それの何がいけないの?」


 あっけらかんとした声でミシェーラが強い口調で反論をし始める。


「そこまでお調べになったのならすでにご存知だと思うけど、そもそも彼女には婚約破棄の落ち度はまったくないのよ。

 あたくしも噂で婚約破棄の話を聞いたわ。

 けど彼女の容姿云々が原因ではなく、相手側の男が浮気が発覚した。先方が家と家の約束を反故したのだから婚約破棄は当然でしょ」


「でも……」


 ぐっと妖精姫が言い淀んだ。


「彼女の父親のヴァービナス侯爵だって、信頼の置けない男に可愛い娘をやりたくないから破棄したの。

 婚約者として駄目だった男と結婚させて上手くいくと思う? 

 逆に完璧な婚約者でも結婚した途端、浮気に走る殿方もいるの。

 むしろ、前向きに新しい縁を結ぶのは素敵だと思うわ」


 妖精姫の言葉を遮ってミシェーラは畳みかけた。


「どこの親もなんだかんだ親子の情があれば、子どもの幸せを常に願うものよ。

 時の権力者の中には、子どもを自分が成り上がるための道具として扱う者もいるみたいだけど、ヴァービナス侯爵は子煩悩で有名よ。

 現にあなただって、侯国王に頼んで遊学しながらお婿さん探しをしているのでしょ?」


「えっ、まあ……ええ、そうですわね」


 平静を装っているが、妖精姫の声からはかすかに怯えのようなものを感じた。


「ほらね」


 艶然と微笑むミシェーラに、ますます妖精姫が言葉に詰まった。


「エリザヴェータ姫だって、インリューラーク王国に遊学していたときは、あちらのミゲル・ライデルヴォーク騎士に懸想し、昨日まではルシアン・クレインバール卿に、本日からはクロフォード・ノーエランド卿、『意中のお相手が随分とコロコロ簡単に変わるのね』って言われたら、いささか心外じゃない?」


「でも、わたしは……」 


「そうそう、二人の婚約はソシュール伯爵のご縁で結ばれたのよ」


 ミシェーラは続ける。


「ノーエランド卿はいわばヴァービナス女官の兄弟子よ。

 同じ師匠の元、共に魔法を習い、切磋琢磨し合って修行に励む、毎日のように顔を合わせていたら恋が芽生えて婚約に発展してもおかしくないわよ。

 ね? ノーエランド卿」


 ねっとりとしたミシェーラの視線がクロフォードに向けられた。


「はい、さすが殿下。

 まるで見てきたかのようにおっしゃる」


 クロフォードがにっこり微笑んだ。


 その通りだ。まるで、ミシェーラ皇女は事前に打ち合わせをしてきたようにスラスラ話す。

 そこにエレナも戸惑っている。


「ふふ、ソシュール伯爵から事前にお話を聞いておいたのよ」


 茶目っ気ある笑顔をミシェーラは、エレナとクロフォードに向けた。


 なるほど。事前にマインラートが彼女に事情を話したのか。

 だから、偽装であるにも関わらず、ここまでスムーズに話が進んだわけね。

 エレナは内心大きく頷いた。


「まさに殿下のおっしゃるとおりでございます」


 クロフォードが口角を吊り上げて、ニッと笑った。


「知り合った当初、彼女は元婚約者の不誠実な言動に心を痛めておりました」


 クロフォードは演技かかった素振りで、なおかつ悲し気に表情を曇らせる。

 哀しみのこもったように見える憂いを帯びた眼差しはなんとも言い難い色気を含む。



「エレナは元婚約者を吹っ切るために魔法だけじゃなく、勉学にも励み、必死で辛い状況を打破しようともがき、努力し続けたんです。

 私はそんな健気な姿には胸を打たれました。


 この国の官吏は男女関係なく国内最難関の試験に合格しなければなりません。

 が、彼女はこのとおり合格しました。その上、新人なのに魔法省の特別補佐官という魔法のスペシャリストしかなれない役職に就きました。これはまさに異例の大抜擢です」



 甘い台詞がすらすらと零れ落ちるクロフォードは、大袈裟に手を広げてエレナを称賛した。


 エレナは唖然とした。

 いかにも嘘臭い三文芝居のような台詞だけど、妙な恥ずかしさが込み上げ、胸を甘く締め付ける。


「ええ、そうよね」


 くすっとミシェーラは笑った。

 もう少しで声を上げて笑いだしそうに、肩を揺する。


 含みある視線がエレナにも注がれた。

 

(あれ? ミシェーラ皇女殿下は、この状況をすごく面白がっている.......?)


 兄のユリウス殿下も、あの鬼総騎士団長と呼ばれるルシアンを面白半分で揶揄っていた。こういうお茶目なところからお二人の血の繋がりを感じる。


 その時、ふと、気配を感じた。


 なんだろう、どこかで感じたことがある。


 エレナは従者たちをチラチラ見た。


 口元に笑みを湛えながらも、瞳に怒りを滲ませる皇女付きの侍女たち。

 キラキラした侯国の麗しき男性従者。


 昨日襲ってきた泥トカゲの持ち主、ワルトの気配は一向に感じない。


 だけど、その中に、一人だけ、場の空気から浮いている男がいた。


 年齢不詳、大柄でガタイがしっかりとしているけれど、佇まいから気品が溢れている。

 瞳は青色で、口元を布で覆ったローブを羽織り、一見すればただの従者。


 侯国の従者の中で魔力が強そうなのは彼だけだ。

 きっと彼が侯国の魔術師の一人なのだろう。


 なのに、なぜか彼の立ち居振る舞いには奇妙な違和感があった。


 周囲の侍女や従者たちが礼儀正しく振る舞う中、彼だけはエレナから視線を逸らし、まるで何かを試すように冷ややかに庭園を観察している。


 ひょっとすると。


 心の中でその名を呟いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 確証はない。

 けれど、エレナの頭の中には一人の男が浮き上がる。


 官吏登用試験会場で見たワルトとマリュードナバロー語を話す男。

 凶悪兵器である爆発物の爆破羅ばくはらと同じ魔力。


 どろりとする暗い泥のような、そう、あのトカゲに似ている不吉な感覚。

 確信めいた予感にエレナは震えが止まらなくなり、指先がじんわりと冷たくなった。

 

 刹那、魔術師とエレナは目が合った。


 内臓を冷たい指で撫でられたような寒気が走った。

 全身に冷や汗がどっと噴き出す。


 エレナはすぐ視線を逸らして何事もなかったように振舞った。

 けれど、鼓動は早鐘のように鳴り響く。


「ねえ、ヴァービナス女官はノーエランド卿のどこに惹かれたの?」


 面白がるミシェーラの質問にエレナはハッとして、一瞬躊躇(ためら)う。


「えっと……」


 ちらっとクロフォードを盗み見た。


「は、はい。その……魔法が心の底から好きなところです」


「あら。もっと詳しく聞かせて」


 ミシェーラが興味を引いたように笑みを浮かべて、身を乗り出した。


「え?」


 まさか突っ込まれると思ってなかったエレナは内心激しく動揺した。


「だって、クロフォードって顔しかいいところがない悪ガキだって有名よ」


 ミシェーラは全然悪ぶれる様子もなく、鈴を転がしたように可憐に笑う。


「失礼ですね、顔だけって」


 クロフォードが分かりやすくムスッとした。


「ほら、こうやってすぐ反抗心剥き出しにするのよ」


 クスクスとミシェーラは笑ってせがむ。


「魔法が好きなところなんて、すごく素敵だわ。

 だから、教えて」


 憮然とするクロフォードの横顔を見て、エレナもふっと笑う。


 そのとき、ぎくっとした。

 妖精姫から注がれる視線は鋭かった。


(あぁぁぁ、すごいこっちを見てる! 

 これはど、どうしよう……なんと言えばいい?)


 クロフォードには、わたしがどう思っているかなんて一度も打ち明けていないし、知らないはずだ。

 このまま何も言わないままだと、きっと偽装と見抜かれてしまうだろう。

 だったら……。


 誰にも打ち明けていない秘密の気持ち。


 エレナは思いついたように顔を上げた。


「はい、その……ま、魔法を教えてもらうとき、クロフォード様はいつもすごく目をキラキラさせて教えてくれるんです。す、すご〜く、すごく楽しそうに。

 そんな彼を見ていると、わたしも魔法がますます好きになって彼のことも……自然と好きになってて……」


 エレナは言っているうちに自分の顔がますます赤くなっていくのを感じた。

 そして、隣にいたクロフォードが目を見開き、そのうちエレナのそれが伝染したかのように、耳まで真っ赤に染めあがった。


 沈黙が流れた。


 エレナはざわめく心を必死で抑え込んだ。


(まさかこんなところで公開告白をさせられるなんて……!)


 でも、嘘じゃない。

 本当の気持ちをオブラートに包んで話しただけ。

 

 実際、クロフォードだからこそ、この偽装婚約を引き受けた。

 

 だって、彼が別の女性と自分と話しているように、キラキラした少年のような笑顔を見せるのは、すごく嫌だったから。

 

 けど、この気持ちが本心だなんて打ち明けるつもりはない。

 彼にとってわたしはそんな色めいた存在じゃないのは、よく分かっている。


「はあ、初々しいわ。羨ましいわね」


 ミシェーラが羨ましそうな眼差しを向けた。


 その台詞を皮切りに、帝国側の騎士や侍女たちが頷いた。

 なにやら慣れない温かく見守る空気に、エレナは奇妙な居心地の悪さを覚える。

 頬がますます暑くなるのを感じた。


「嘘つき」


 突如、妖精姫が恐ろしい顔で立ちあがり、声を張り上げた。


「婚約なんて嘘でしょ!」


 周囲がきょとんとした。


「本物だったらここでキスしてみなさいよ」


 妖精姫が言い放った台詞にエレナもクロフォードも肩を震わせて驚いた。


「わたしは信じないわ。そんな噂聞いたこともない。

 だいたいあなたみたいな()()()()()()()()()()()()()()()()()が……」


「え?」


 妖精姫が一瞬こめかみを強く抑え、眉をひそめた。

 だが、次には、キッとエレナを睨みつけた。


「ほら、早くキスして証明しなさいよ!」


 声を荒げる妖精姫の怒声に、場の空気が一瞬で凍りついた。

 重たい沈黙が降りた。


「別にいいですよ」


 クロフォードがけろっとした笑みを浮かべた。

 それから、そのまま勢いよくエレナの腰を引き寄せた。


「え?」


 焦ったのはエレナだ。


 クロフォードのミントの香水が鼻孔を刺激し、エレナの心臓が跳ね上がる。

 一気に体が火照り、耳たぶまで赤くなったのを実感した。


「キスすれば、それで俺たちに関わらないってことでいいですよね?」


 クロフォードの口調は強きだった。エレナが見上げると、クロフォードの唇の端が得意気に上がっていた。

 視線は妖精姫を射抜いたまま、クロフォードの手がエレナの顎に触れる。


(キ、キスなんて、長年婚約していたニコライともしたことがないのに……!

 しかも、私の初キスはこんな大衆に晒されるの⁉)


 不本意であり、すごく恥ずかしい。

 けど、やぶさかではない。


「エリザヴェータ姫」


 ふいに、すっとした聞き慣れた声がした。

 一斉に周囲が声の主を見た。


 前に進み出たのは外交官のランスだった。


 何故彼がここにいるのか、エレナの頭はパニックになった。

 けれど、冷静に考えてみれば、彼がここにいるのは当然のこと。

 彼がこの遊学の担当外交官だ。


「ここは我が国の皇帝陛下がいらっしゃる王宮です。

 二人の婚約の真偽が気になっているようですが、さすがに人前で口づけは風紀が乱れますのでご容赦ください」


 ランスが落ち着き払った声で咎めるように言った。

 それから、ちらっとエレナを見る。


「恐れながら、エレナ・ヴァービナス女官は私の同期仲間でして、彼女とクロフォード・ノーエランド卿との婚約は同期の知るところです。

 が、エリザヴェータ姫のおっしゃられましたとおり、ヴァービナス女官が婚約破棄してまだ日も浅い。

 いろいろ古めかしい慣習を大切にする貴族が口うるさく横槍をいれる可能性もあるため、公然と発表は控えているんです。

 もし証明が必要というのであれば、同期官吏全員を呼び寄せ、証明いたしますが、いかがでしょう?」

 

 ランスは鮮やかな笑みを浮かべ、深く姫に頭を下げた。


「結構よ」


 気に入らないとばかりに妖精姫の顔が歪んだ。


「そうですか」


 ランスは鮮やかに微笑んだ。


 エレナはほっとする。

 クロフォードは微妙な顔つきになりながら、少しずつエレナから手を放し、距離をとった。


(あぁ、びっくりした……)


「ああ、それと、姫様におひとつお伝えすることが」


 ランスは何かに閃いたように、人差し指を立て、大袈裟に声を上げた。


「なによ?」

 

 不快そうに妖精姫がランスを睨みつけた。


「昨晩、姫様が嗜んでみえた赤ワイン、帰国時にお土産にと仰ってましたね」


「ええ。だから?」


「あれは彼女の故郷のヴァービナス侯爵領が産地なんですよ」


 妖精姫は言葉を失った。


「素晴らしいワインを育む土地には、優秀な人材が育つものです。

 その味を否定されるのであれば、お土産リストから外させていただくのが、姫様への礼儀かと存じます。いかがいたしましょうか?」


 そう発言するランスの眼光が鋭く光った。

 まるで獲物を追い詰めた猟犬のようで、妖精姫はびくついた。


 恐らくランスは、怒っている。

 エレナはそう感じた。


 どうやら彼は偽装婚約のことはすでに知っているようだ。

 これも事前にマインラートがミシェーラ同様、話をしておいたのだろう。


 だが、それよりも妖精姫の数々のエレナ・ヴァービナスを愚弄する発言に対抗して、

「そこまで軽視するのであれば、この国最高峰と称賛されるヴァービナス侯爵領産のワインを侯国のお土産として用意する必要ありませんよね?」

 と暗に仄めかしている。


 つまり、これ以上の侮辱を帝国は許さない、と遠回しで言って圧力をかけているのだ。


 ワイン外交とはよくいったもので、これは少々意味合いが異なるけれど、優雅な外交辞令の中に、鋭利な刃を隠して突きつけている。


 さすがにこの言葉の意味が理解できたのか、妖精姫は不愉快さを露骨に示しつつ、無言で椅子に腰を下ろした。



「ふふ、そろそろ時間ね。

 とても有意義で楽しかったわ」


 ミシェーラは肩を揺らして、クスクス笑う。


「ヴァービナス女官、忙しいところ来てくれてありがとう。

 また今度改めて会いましょう。

 クロフォード、彼女を送って差し上げて」


 ミシェーラは優雅に微笑むと、エレナに手を振った。


 クロフォードは胸に手を当て、深くお辞儀をする。

 それから、そっとエレナの手をぎゅっと繋いだ。


 エレナは繋がれた手のひらから伝わる熱で、みるみるうちに真っ赤になった。

 胸の鼓動はまだまだ収まらない。

 

 クロフォードの言葉と温もりが、偽装のはずの婚約を揺らす――。

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