第55話 深慮令嬢と報復令嬢の捕縛の連鎖 ―― 散りゆく花が遺した最高の手土産
一方、その頃、王都のスラム街近く。
狭い路地を抜けると、古びた石造りの建屋が迷路のように並んでいた。
埃と腐臭が混じり、すれ違う男たちの視線が肌を刺す。
カトリーナ・ガンドルフィは、無表情にまっすぐ前を見つめ、縫うように建屋の間を歩き続けた。
――数刻前。
「極刑はこれで本当に免れるのね?」
カトリーナは第二騎士団副団長マッシュ・モラレスを見た。
「ああ、もちろん。
あんたは極寒の修道院送り、ガンドルフィ男爵家はお取り潰しにはなるけどな」
外套のローブを羽織った端正な彼は、こんなときでも美しく微笑む。
「それでもいい。弟がわたしのせいで辛い目に遭わないなら」
「心配するな。噂も届かないような東部の街で商人見習いとして働けるよう口利きしてやる」
「その約束、違わないでよね」
「もちろんだ」
カトリーナも軍部から支給された特別仕様のローブを羽織っていた。
これには追跡、盗聴付与魔法が施されている。
両方ともかなり難易度が高い付与魔法だ。
(ご丁寧に複合攻撃魔法まで付与されているのね、これも逃亡防止かしら)
カトリーナは苦笑した。
ローブを脱ぎ捨てた瞬間、雷属性の攻撃魔法が発動するようになっている。
そのくせ、防御魔法が全然付与されていない。
守る気はない。
自分の身は自分で守らなくてはいけない。
カトリーナはフードを目深に被った。
「行ってくるわ」
カトリーナは無言で、マッシュ率いる第二騎士団員に背を向けて歩き出すと、背後から「俺たちは上から見ている」と声がした。
カトリーナは、静かに頷いた。
――サブリナが殺された。
心臓が跳ねた。
次は自分かもしれない。
そう思った瞬間、急に怖気づく。
犯人はワルト・チェッカレッチと手を組んでいた彼らの支援者たち。
そうマッシュは言っていた。
『お前もこのままだと殺される可能性が高い。
サブリナ・フィルチは口封じで殺されたからな。
どうする? アイツらに一泡吹かせたくないか?』
そうマッシュに言われ、司法取引を持ち掛けられたとき、心は決めた。
わたしはキムバートンがすごく好きだった。
彼の望みが達成できるなら、この命は惜しくない、そう思っていた。
けど、利用されたと分かり、屈辱が怒りに、寂しさが憎しみに変換された。
*
カトリーナは目的地を目指して歩く。
途中、物盗りなのか人攫いなのかよく分からない胡乱な男たちに囲まれるが、カトリーナは魔法詠唱を呟きながら、ずんずん進んだ。
襲い掛かる彼らの足首を蔦が絡め取る。
逆さ吊りの悲鳴を背に、ただ前を見て歩いた。
見覚えのある街角に入り込み、古い石造りの三階建てに入る。
煙草の匂いがした。
そこで男の人影を見つける。
周囲に他に誰もいない。
肝心のワルト・チェッカレッチだっていない。
代わりに、年は四十前後か、年齢不詳の大きな体躯のブロンド髪の彫の深い男がいた。
彼はキムバートン・アイヒヴァルトの協力者であり、ワルト・チェッカレッチの商人仲間だという。
このアイルナバロー連合帝国の貴族だという彼は、仕立ての良い黒の外套を羽織っていた。
カトリーナは深呼吸して彼に近寄った。
心臓がバクバクする。
顔が引きつらないように気を付けて。
自分を奮い立たせる。
「お待たせ」
「遅かったな」
男は紫煙を吐いた。
カトリーナは、ハッとした。
なんとなく彼が、キムバートンに似ていたから。
どきっと胸が思わず高鳴った。
鼓動が速まる。見れば見るほど、かつて愛した男の面差しと、その男が重なる。
「王城で爆発はなかったそうだが、しくじったか?」
男の声にカトリーナは我に返る。
「しくじってないわ。
予想よりも魔法騎士団の連中の取調べが長引いて、倉庫に侵入できなかっただけよ」
カトリーナは肩をすくめた。
平然を装いつつも、カトリーナは気持ちは昂っていた。
なにせ、男の声がキムバートンになんとなく似ているのだ。
腹立たしい。
キムバートンにいいように利用されたのに、いまだ彼の面影を追いかけている。
そう思った途端、どこかが鈍く疼いた。
「ワルトは?」
その感触を振り切るようにカトリーナは、周囲を見渡して尋ねた。
「ワルトも少々問題が発生したらしく、今夜はこっちに来れないそうだ」
男は煙草を地面に捨て、火を靴底で擦り消した。
カトリーナはそれをじっと見つめた。
ああ、わたしもこうやって彼らに使い捨てされたのよね。
美味しいところだけ搾取して、用がなくなれば消される。
ワルトの問題というのは、間違いなくサブリナ殺害に絡んでのことだろう。
「なんだ、今頃怖気づいたか?」
男がせせら笑う。
「いいえ、違うわ」
「明日は仕掛けられるんだろうな。爆破羅」
「無理ね」
「は?」
「突然結界なんか張られちゃって、刑部省の人間しか入れなくなっちゃったのよ」
男は一歩近づき、恫喝滲む声でカトリーナを見下ろす。
「いいか、運命の決行日だ。
必ず実行するんだ。
こういうときこそ、透明マントだ。有効活用しろ」
冷ややかな恫喝は、さらに威圧的に迫りくる。
ふん、なによ。
今更そんな脅し、何も怖くない。
「なんとかするわ。ここまで来たら一蓮托生よ。
何が何でもキムバートンの敵は獲るわ」
カトリーナの瞳には、揺るぎない眼光が光っていた。
「ほう。それは頼もしいな」
男は嘲笑を浮かべた。
「ところで、例の地図は出来たのか?」
「ええ。ここにあるわ」
カトリーナは地図を手渡した。
「軍備の入っている刑部塔と、魔法省と共同棟全体図、それから大まかだけど王城の見取り図」
「王宮、執務塔や宰相府は?」
「あそこは一般研究員じゃあ滅多に入れないのよ。
特に宰相府は新人挨拶に行った以来入ったことがない。
もう何年も前だから中の構造なんて覚えていないわ」
カトリーナは首を緩く振った。
「ふん、そんだけお前が下っ端ということか」
男は地図を広げて確認する。
「あら、下っ端でもここまで情報を入手できたことを感謝して」
「まあ、刑部省がここまで記載してあれば問題ないだろう」
「ねえ、本当にやるの? 明日」
「ああ、無論。
我々、黒の杖の準備は万端だ」
「古代魔道具は回収できたの?」
「いや、あれの回収は難しいだろう。
ワルトの奴も相当手間取っているらしいからな。
なんだあ、エレナ・ヴァービナスと言ったか、少々厄介な魔法使いだな。
王宮魔術師に魔法騎士団どころか元筆頭王宮魔術師マインラート・ソシュールとも繋がっている」
「しかたないわ、あの子、ピーテル・リックランス大臣のお気に入りだもの。
実際、わたしもあの子の魔法力を見て敵わないと思ったぐらいよ」
「そうか」
男はニッと笑って、外套の内ポケットに地図をしまった。
それから何かを取り出し、カトリーナの額に冷たい筒状のものをぴったりと充てた。
「じゃあ、お前はもう用なしだ」
「え」
背筋がひんやりした。
突きつけられた筒状のもの、それはこの国では持ち込み禁止の武器だ。
彼は魔法を使えないから魔法銃でもない、鉄の塊――拳銃。
魔法を介さぬ物理的な死。
上級魔法使いの防御壁すら容易に貫通する、この国では禁忌とされている異国の兵器だ。
カトリーナも魔法使いの端くれ。
後輩で新人のエレナ・ヴァービナスの防御魔法に遠く足元も及ばないが、多少なりとも、防御魔法は施せる。
けれど、この至近距離では絶対に無理。
(このまま死んだら、司法取引が成立しない。弟も母も救えない)
どくどくとこめかみが脈打つ。
「悪いな、カトリーナ」
カチャっと引き金を引く冷たい音がした。
「ま、待って」
震える自分を鼓舞し、カトリーナは声を張り上げた。
「あんたたちの最終目的を教えて。
どうせ死ぬなら冥途の土産として知ってても差し支えないんじゃない?」
こめかみに汗が噴き出てきた。
「フン、いいぜ。
お前はサブリナよりもいろいろ動いてくれたから特別だ。
教えてやるよ」
「ありがとう」
「と言うと思ったか」
男は容赦なく引き金を引いた。
爆音。
だが、それと同時にカトリーナは残った魔力のすべてを右拳に凝縮させた。
「がはっ……あっ!」
銃弾が彼女を貫くのと、カトリーナの武装魔法を帯びた拳が男の顔面を砕くのは、ほぼ同時だった。
*
「あぁあ、残念。
やっぱ、殺されちゃったか」
マッシュは地面に横たわるカトリーナを冷ややかに見下ろした。
「けど、まあ、頑張ったんじゃない?」
カトリーナの右手は堅く握り締められ、血が滲んでいた。
撃たれる直前、彼女は男の鼻を狙って殴った。
(道理で、銃声が二発聞こえたわけだ)
一発はカトリーナの反撃で天井に、もう一発は逃げきれず、彼女のこめかみに。
「武装魔法で殴ったんですか?」
隣にいた騎士がマッシュに尋ねた。
「ああ。それ」
武装魔法は身体の一部に魔力を宿し、相手に物理攻撃を加える技だ。
武官しか使わないが、強い者なら習得は容易だ。
この血は彼女を殺した男のものだ。
鑑定魔法を使えばこの血であの男を細胞レベルで探れる。
それに応じて、男が犯罪者なら男の素性も分かるかもしれない。
最期に最高の土産を残してくれた。
「尾行は?」
「はい、飛行魔法でレックスが対応しています」
「そうか」
いつも黒の杖メンバーには巻かれてしまう。今回どこまで探れるか。
「鼻の骨の折れた四十前後のブロンド短髪、ガタイのいい彫の深い男、そいつを隈なく探せ。
拳銃を所持している。気を付けて探せよ。
この情報は第5騎士団にも伝えておけ」
マッシュが騎士メンバーに命令を下した。
***
石畳を叩く足音が、夜の静寂を無様に切り裂いていた。
男は殴られた顔面をハンカチで押さえ、血の混じった荒い吐息を漏らす。
鼻筋は歪み、一歩踏み出すたびに脳を揺らすような激痛が走った。
(くそ、あの女……あんな隠し玉を持っていやがったとは)
背後からは騎士たちの怒声と、剣の擦れる金属音が近づいている。
男が逃げ込んだのは、幼馴染の貴族が構える屋敷だった。
一見頑強な塀だが、正門から少し離れた壁に、大人一人ようやく入れるサイズの隠し穴を見つけた。
潜り抜け、庭園を狂ったように駆ける。
目指すは二階、見慣れた主の部屋だ。
木によじ登り、バルコニーに飛び乗り、窓の中をそっと覗いた。
部屋の中では、窓に背を向け、寝椅子に座り、優雅にワインを嗜んでいる貴族の男、屋敷の主がいた。
男は、窓を叩き割らんばかりに拳を打ち付けた。
屋敷の主は驚愕に目を見開き、蒼白な顔で窓を開ける。
「馬鹿な、なぜここへ来た?」
「匿ってほしい」
倒れ込むように滑り込んだ男の傷口から、赤黒い血が豪奢な絨毯へ滴り落ちた。
「お前を隠せば、俺まで同罪だぞ!」
「頼む……これまでの誼だ……。あの女官の件は、うまくやるから……!」
血の匂いと、男の体から漂う微かな硝煙の乾いた異臭。
屋敷の主は、震える手で彼を立たせた。
彼とは幼馴染であり、学友。そして、いまも志を共にする同志。
「……わかった。奥の書庫へ入れ」
苦い決断を下した瞬間だった。階下から、地響きのような怒号が轟いた。
『第5魔法騎士団である! 門を開けよ!』
「なっ……!」
従者たちの悲鳴と、扉を打ち壊す衝撃音。
男を壁際の書棚の影へ押し込んだ刹那、部屋の扉が爆風で吹き飛んだ。
「そこまでだ」
雪崩れ込んだのは、冷徹な仮面を被ったかのような魔法騎士たちだった。
貴族の男は咄嗟に書棚の前に立ちはだかったが、騎士団の先頭に立つ軍服姿の第5騎士団長が、冷ややかに指先を鳴らす。
「――魔力探査。
……鼠が一匹、隠れているな」
刹那、空間から染み出した銀色の魔法の鎖が、蛇のような速さで二人を絡め取った。
「ぎゃっ!?」
鉄の冷たさが二人の肌にそれぞれ食い込み、魔力を封じる術式が全身の自由を奪う。
「男爵、貴殿を国賊幇助として逮捕する」
団長が、屋敷の主である男爵に冷ややかな視線を落とす。
男爵は膝をつき、深い絶望を噛み締めた。
騎士は頷き、書棚の影に隠れていたもう一人の、ブロンドヘアの顔面が血塗られている男に視線を投げた。
「貴殿はアイヒヴァルト子爵だな」
男、アイヒヴァルト子爵は恐る恐る騎士たちを見上げる。
「やはり間違いない。第2騎士団から連絡が入った殺人容疑の男と風貌が一致している。貴殿は殺人容疑の疑い並びに国賊幇助で捕縛する。それから、その怪我についても詳しく聞かせてもらいたい。いつ、誰にやられたのか」
団長は言葉を切る。
ますますアイヒヴァルト子爵の顔が強張った。
そして、部下の騎士たちに顎をしゃくって指示をし、アイヒヴァルト子爵の懐を探させる。
騎士は眉間にしわを寄せ、首を振った。
見つからない。
「アイヒヴァルト子爵、拳銃はどこだ?」
「何のことだ?」
アイヒヴァルト子爵は視線を逸らして抵抗を続けている。
口元にはうっすら笑みすら浮かんでいた。
「しらばっくれても無駄だ。その手から硝煙臭がする。もう、ごまかせないぞ」
その様子を呆然とした表情で見つめる男爵は、ひどく後悔していた。
(ああ、やはり助けなければよかった……)
廊下から妻と娘の泣き叫ぶ声が聞こえる。
彼は悟る。
彼に手を差し伸べた瞬間に、自らも奈落の底へと引きずり込まれたのだと。
そして、アイヒヴァルト子爵もまた、激しい後悔の中にいた。
(そもそも、アイツが俺の前に現れてから狂っていったんだ……!)
その瞬間、アイヒヴァルト子爵の脳裏にあの青い瞳が横切る。
冷ややかに見下ろされる怜悧な目。
ゾッとし、震え上がった。
(くそっ……!)
舌打ちをして、青い瞳を頭の中から追い払おうとする。
だが、余計に迫りくる。
ガタガタと体が震え始めた。
俺はアイツに命令されたことはすべてやり切った。
ちゃんと逃亡中に、仲間に、あの女から手に入れた地図とアレを渡し終えた。
そう、アイツに比べれば魔法騎士団なんて怖くない。
(アイツに比べれば――)
アイヒヴァルト子爵は身を縮こまらせた。
――夜の王都は、さらに深い闇へと沈み、王都全体が、嵐の前触れのようにざわめき始めていた。




