第53話 標的令嬢と偽りの誓約 ―― 薬と歪んだ医療国家の影
「はぁぁぁぁ⁉」
クロフォードの絶叫が、重厚な応接室の壁に跳ね返った。
あまりの声量に廊下で控えていた騎士団員たちも「何事だ」と扉の隙間から顔をのぞかせる。
(婚約……)
エレナは、ぽかんとしていた。
その隣でクロフォードの顔がさらに真っ赤に染まる。林檎のように真っ赤だ。
その真っ赤な横顔を直視できず、エレナはスカートをぎゅっと掴む。
(まさか、また誰かと婚約だなんて……しかもクロフォードと……)
「そういうことってどういうことだよ⁉ 婚約? そんな話、初耳だ」
椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで身を乗り出すクロフォード。
だが、マインラートは慣れっこと言わんばかりにどこ吹く風だ。
ルシアンに至っては、鼓膜に響くとばかりに小指で耳を塞いでいた。
「明日の朝に言おうと思ってたんだけどね。
侯国のお姫様が今度はクロフォードに直属警備を、というリクエストがあったんだよねぇ」
マインラートの口元は楽しそうで、表情は明らかに面白がっている。
「は? んだよ、それっ」
「だからね、君はエレナ嬢と絶賛婚約中なので、未婚のお姫様の直属にはなれません。って、お断りするんだよ。
その代わり既婚者の多い第3騎士団が総出で警護にあたってもらうんだ」
「ん???
どういうことですか? 絶賛婚約中って」
エレナは首を捻った。
絶賛、すなわち、継続しているってことだ。
(継続も何もわたしたちは何もないはずだけど?)
「いわゆる偽装婚約だよ。
あー、別に本物の婚約をしたければ、君たち両家には僕が話をしに行くよ。
これでも私は高名な魔術師だからね。
あっという間に婚約成立できるよ」
マインラートは胸を張って、誇らしげに微笑んだ。
「え⁉」
ますます困惑するエレナに、今にも憤死しそうなほど顔を紅潮させるクロフォードを尻目に、ルシアンがコホンと咳払いをした。
「まあ、本気か偽装にするかは、さておき」
椅子に座り直し、腕を組んで前のめりで二人に言う。
「タイミング的にはちょうどいいんだ。
先程の話にもあったとおり、ロシェ・ガルブレイスの言う”支援者”が、ヴァービナス女官と接触を図ろうとしているのが分かった。
このあと、ロシェ・ガルブレイスの足取りを追うにしても、彼がワルト・チェッカレッチと共に逃亡した時点で、二人は切っても切れない間柄であるのは明白。
ワルトが違法薬物を手渡したものをロシェが下町で売りさばいていた犯罪も立証済みだ」
ルシアンの低い声が、熱くなった二人の頭を冷やしていく。
「その支援者たちが今日の接触で諦めたと思えないし、今後、より強硬な手段でヴァービナス女官を拉致する可能性だってありうる」
「そうだね、真面目な話、その”支援者たち”というのが黒の杖だったら立場は相当危うい。
あれは、油断ならない団体だからね。用心に越したことはない」
マインラートの語尾が強くなった。
「俺も、しばらくは周囲を警戒された方がいいと思います」
ノーラン・ターラントも隣から言い切った。
エレナは混乱した。
(わたしが狙われる?)
まさか。けれど、ロシェから感じた得体の知れない不気味な影。
彼の背後に何者かがいるのは確かだった。
足の方から悪寒がすうっと首の後ろまで這い上がってきて、エレナは思わず身震いする。
ふと、エレナとクロフォードは顔を見合わせた。
絡まり合う視線。
互いに気まずそうに視線をばっと逸らして押し黙った。
「ということで、二人は婚約中ね」
ルシアンがびしっと指差した。
クロフォードとエレナは押し黙った。
「クロフォード、不服はないよね?
エレナ嬢を守るため、しいては君の貞操の危機から救うためだ。
クレインバール卿みたいに怪しげな薬を盛られたいかい?」
マインラートがしたり顔でクロフォードに尋ねた。
「盛られたくない」
憮然と呟きながらも、クロフォードは恥ずかしそうにちらっとエレナを見た。
エレナはその視線に気づき、なんとなく恥ずかしくて顔を伏せながら、クロフォードを何度か盗み見る。
バチッと視線が合った。
「婚約……お、俺は別にいいけど……エレナはいいのかよ……?
偽装とはいえ、婚約者だぞ?」
もじもじしながらも、口調だけは偉そうだ。
「わ、わたし?
えっと……クロフォードが侯国に行くのは国として困るだろうから、うん、構わないよ」
エレナももぞもぞしながら答えた。
偽装なんだから、そこまで深く考える必要はない。
クロフォードを助けるための一時的手段だ。
そう思うのに、口元が緩み、頬がほころんでしまうのはなぜだろう……。
顔が熱い。
部屋は、妙に生暖かい空気が漂い、沈黙が流れた。
「もうお前らそのままゴールインしろよ」
ぼそっとルシアンが呟いた。
「!」
二人が弾けるようにルシアンを真っ赤な顔で見た。
「それも名案だけど、まあ今それは置いておいて」
マインラートがクスクス笑いながらティーカップをテーブルに置く。エレナとクロフォードに座るよう促した。
ふたりとも気まずいまま、腰を下ろした。
「で、話を戻そうか。
エレナ嬢を狙う目的はなんだと思う?」
「やっぱ、魅了の古代魔道具の封印の解除ですかね」
ルシアンが低く呟いた。
「うん、だよね。僕も実はそう思ってる。
ロシェ・ガルブレイスが、古代魔道具を封印をしたのはエレナだと言っていたのであれば、すでにその話は支援者には伝わっている」
「まあ、そう考えるのが妥当ですね」
「あの、申し訳ございません。
ヴァービナス女官の身が危険なのは理解できるんですが、俺にはあの魔道具がそこまで巨大な力があるとは思えません。
現に官吏登用試験では魔力の少ない男たちだけが魔法にかかったんですよね?」
ノーラン・ターラントが懐疑的な視線を向け、声を上げた。
「いいや、油断するな。
あの魔道具はれっきとした古代魔道具であり、恐ろしいものだ。
な、ヴァービナス女官」
ルシアンが背もたれに手をかけ、エレナに話を促す。
「は、はい」
エレナはハッと我に返って背筋を伸ばした。
「クレインバール卿のおっしゃるとおり、あの魔道具は取扱注意です。
官吏登用試験のときは、魔力がほぼない令嬢が身に着けていたので、あの程度の騒ぎで収まりました。
けど、持ち主の魔力次第で状況は一転します。
持ち主が魔力量のある方だったら……あれぐらいでは済みません」
「持ち主の魔力次第だと?」
ノーランは眉間にしわを寄せた。
「は、はい、そうです。
仮定の話として、妖精姫が身に着けたらどうなるでしょうか?」
ぴくりと、騎士全員のこめかみが動いた。
「魔法がそこまで使えなくても侯国のお姫様には、秘めた魔力量はかなりあります。
強力な魅了魔法で、クレインバール卿はおろか、クロフォードだって術中に嵌めてしまうかもしれない。
そうなれば、姫が皇族以上の権力を握ることすら可能です。
覇権を手中に収めたいと望めば、そのまま国を占拠できます」
「うほっ、それは恐ろしい力だ」
クロフォードがわざとおどけた声を出した。
「あの魔道具にそこまでの巨大な力があったのか……やはり危険だな」
ノーランが唸る。
「エレナ。赤いルビーの修復魔法を使うとき、もう一つの封印魔法をかけたよね?」
マインラートが尋ねた。
「はい。
もちろんです」
エレナは大きく頷いた。
「もう一つの封印魔法とは?」
ルシアンが聞き返す。
「リックランス大臣からも二度とあの古代魔道具が使えないように、頑丈に封印するようご指示がありました。なので、あの赤いルビーには、二重に封印魔法をかけてあります」
「二重?」
「はい、一つ目は試験のときに施した封印魔法です。
二つ目は修復時にかけたもので、術者であるわたしが生きている限り解けません。
万が一、わたしが魔法で殺害されたとしても、封印が解けると同時にルビーそのものが砕け散る仕組みです」
「ほう。生命連動魔法か」
「はい。さらに、いま教育係のディース様が魔道具専用の宝玉箱を作ってくださっています。その箱には封印魔法が施されていて、ルビーを収めれば三重の封印になります。
つまり、術者を魔法以外の手段、――物理的に殺害し、箱を破壊しない限り解放は不可能――それほど厳重なんです」
エレナの強い語尾にマインラートは満足そうに頷く。
クロフォードがエレナに何か言いたげに視線を飛ばす。
ふと、視線が絡み合って、ふたりともみるみるうちに赤くなり、パッと目を逸らした。
「三重の封印……我が国として、最高の封印を施そうとしている。
それならば、安泰だ」
ノーランがほっと胸をなでおろした。
「これを解放するのはかなり骨が折れそうだろうな。
奪う側としても下手に手出しできない。
あれを使いたい連中は、さぞかし焦っているだろうねぇ。
道理で、ヴァービナス女官の業務を邪魔立てしたいはずだ」
ルシアンが苦笑した。
そう、きっと邪魔をしたかったんだと思う。だから、昼間、サブリナとカトリーナがあんな強硬手段に出たのだ。
そして、あの不気味な影魔法を交えた式神の侵入もその一環。あわよくば、奪う気つもりだったのだろうけど。
つまりは、そういった情報も彼女らによって外部に漏れていた。
「ってなると、次の問題だな」
「何故侯国の魔術師は、見え透いた嘘をついてまで、古代魔道具が欲しいんだろうか、ってことだな」
クロフォードが口火を切った。
「ひょっとすると、我が国の総合魔法力がどれほどのレベルか推し測っていたのかもしれないぞ」
ルシアンがティーカップに手を伸ばす。
「魔力のない素人に使わせ、取るに足らない魔道具だと認識して侯国に渡すか。
もしくはあの魔道具の危険性だとちゃんと正確に認識できて渡すのを拒むか。
そこを冷静に観察してる。
俺たちは奴らに出方を試されている、そういう見方もできるぞ」
「フン、随分と舐められたもんだな」
クロフォードが鼻を鳴らした。
「まあ、こちらもヴァービナス女官のところに現れた強奪泥トカゲを魔法騎士団最強男のところで厳重保管しているからな」
「厳重保管?」
「魔力透視無効化を施した保管瓶の中に、しかもターラント軍師閣下の執務席にいる」
ぎくりとノーランが顔を強張らせた。
「へえ……軍師閣下のところねぇ」
クロフォードがにやりと笑ってノーランを見た。
ほかの騎士団員たちも顔を蒼ざめて、ノーランの顔を盗み見た。
エレナはきょとんとした。
軍師閣下……?
「現軍師閣下はノーランの父親だ」
ルシアンが苦笑する。
「軍師閣下は鬼騎士団長なんて呼ばれている俺より、さらに残忍で怖い御仁だからな。
あの人の側に保管しておけば、瓶のガラスから訳わからん念を送られて、こちらを探られるのも、手札がばれることもない」
「厳重っていうか、トカゲ相手にそこまでやる?
たしかに最凶だけどさぁ」
クロフォードが呆れ返った。
ニーデル・ターラント軍師閣下。
そういえば、噂で聞いたことがある。
軍部で最も戦略思考を持ち、情報戦に強いとか。騎士団員たちから漂う雰囲気から戦々恐々とする何かと厳格な人物のようだ。
「あのトカゲは本来、もっと巨大で魔力量も凄まじい獰猛な使い魔の一種だった。
けれど、あのサイズのトカゲしか侵入できなかった。
それは、それだけヴァービナス女官の結界が頑強で強力だったからだ。
まあ、どちらにしろ、魔道具は奴らの手元に戻って来なかった。
ましてや魔道具を狙った使い魔の泥トカゲも行方不明。
あちらとしては、嫌でもうちの魔法力が相当なものだと認識を改めているさ」
「でも、元はマリュード皇国の古代魔道具です。このまま諦めてくれますかね?」
エレナは怪訝そうに首を捻った。
「いいや、非人道国家のマリュードが、あんな使えそうな魔道具を軽々と手放さないでしょうね」
ノーランが声を上げる。
「それは同感だな。
あの国が工作員にあえて手渡したということは、それだけ価値のある作戦が決行できると見込んでいたに違いない」
クロフォードが再びサンドイッチに手を伸ばす。
「だとすると、やっぱり妖精姫を使って、この国の軍部を乗っ取って、クーデターでも引き起こすつもりなのかもな。
ああいう魔道具は防御に秀でた魔術師相手より、武官たちの方が効果絶大だったりするからね」
「いや、国の覇権を獲るならば、それよりも軍部を乗っ取って皇帝陛下に魅了魔法を使った方が一番手っ取り早い。
クーデター起こすよりその方が効率的だ」
ノーランがクロフォードを見た。
「ああ、なるほど。
んじゃあ、同様にインリューラーク王国も、魅了魔法の古代魔道具が手元にあれば、あちらの王を魅了する気だったのかもな」
「それで、最終的に侯国が侵略してくるというのか?」
「いや、そこは侯国よりもマリュード皇国だろ」
「でもあそこは政治的には敵対してるぞ」
「それ、それなんだよ。
侯国の第二王位継承者のケイントリア大公がマリュード皇国に対して徹底抗戦体勢だというけど……。
なんだかんだ交易はしているから、商人レベルで交流はあるみたいなんだよね」
クロフォードとノーランが推測を組み立てていく。
けれど、エレナは妙に落ち着かなかった。
なんだろう、すごく腑に落ちない。
男性優位の国家のマリュード皇国は、女性が上位に立つのが嫌がることで有名だ。
けど、そもそもあの魔道具は女性しか使えない。
古代魔道具分析のときだってそう。
ずっと暗いところにあった記憶、”ニオイ”が色濃く残っていた。
金木犀と居心地のいい甘いお香。
そんなある日、ふと、明かりが差し込み、持ち出された。
なぜ、長く封印され眠るように保管してあった古代魔道具をいまさら使う気になった?
目に見えるものがぐにゃりと歪み、かすかに眩暈がする。
マリュード皇国の商人は、なんと言ってセインレイム准男爵令嬢にあの魔道具を渡したんだっけ?
ますます心臓がどくどく鳴っている。
(落ち着け、落ち着くの。よく考えて)
ノーランとクロフォードの言うとおり、使い方次第で世界征服だって夢じゃない。
けれど、使い手は女性限定だ。
さっきから何かが引っかかる。
「マインラート様、さっきの話を彼らにしても差し支えないですか?」
何かを思いたったようにルシアンは、マインラートに話を振った。
「うん、そうだね。
ここまで話が混雑してくると共有しておいた方がいいんじゃないかな」
マインラートは肩をすくめた。そして、全員を見廻す。
「さて、今から僕たちが話す内容は上層部にしか打ち明けていない内容ばかりだ。
魔法騎士団には共有するだろうが、それもごく一部の人間に限る。
心して聞くようにね」
みんな面喰った顔をし、すぐに襟元を正すようにして背筋を伸ばした。
「ノーラン、いまから話す内容をあとで第3騎士団のトーマスにも伝達しておけ」
「承知しました」
かしこまってノーランは肯定のお辞儀をした。
「さて、それでは話そう。
ナイトレルム侯国の現状を」
ルシアンの改まった声は、一段と低くなった。
「実は、半月前から侯国潜入の諜報官が途絶えているんだ」
「え……」
みんなが息を呑んだ。
「政変が起きていると思われる」
ルシアンの声は低く重たい。
「彼らを探しているマインラート様の使い魔も消息不明だ。
インリューラーク王国とも連携して探ってはいるが、侯国側で何か起きているのは明白だ。
恐らく、そこにマリュード皇国が絡んでいる」
「まさか。マリュード皇国が攻めてきたのか?」
クロフォードの顔つきが険しくなった。
「武力では攻められてはいないだろう。
内部でじわじわ侵略されている可能性が高い」
「内部で……」
エレナは絶句した。
「侯国の政変に敵国のマリュード侯国が絡むのは違和感があるのは当然だ。
侯国はマリュード皇国と表向きは敵対関係だ。
だがな、実際はクロフォードの言うとおり、貿易商レベルで交流があった」
「貿易商って……まさかワルト・チェッカレッチですか?」
エレナは驚いた顔でルシアンを見た。ルシアンは小さく笑った。
「あいつだけとは限らない。様々なマリュード皇国の連中が侯国に飛び交っている。
まあ、ここでワルト・チェッカレッチの名前がこれだけ飛び交っているからな、あれを連想するのはしかたない」
ルシアンはカリカリと頭を掻く。
「そうだな、一度軍部がつかんでいる厄介な逃亡者ワルトの話もしておこうか」
ルシアンの話によると、ワルト・チェッカレッチが裏社会と麻薬、奴隷売買、盗品の仲介などなど悪事に手を染めた貿易商なのは、第2騎士団の調査で明らかになった。
その活動資金の八割が薬物。
特に、通称”ホップラブソング”は他ではなかなか手に入らない質の高さで、言い値で取引されているという。
「あ、あの、ごめんなさい。
基本的なことかもしれませんが教えてください。
どうしても不可解なことがあります」
エレナはおずおずと手を挙げた。
「おう、どうぞ」
ルシアンが鷹揚に頷いた。
「魔法新聞では、その原材料のハーブは世界的な脅威になり得るということで、各国が根絶したと載ってました。けど、実際は違うんですか?」
「うん、良い質問だ」
ルシアンが少し楽しそうに目を細めた。
「そのとおり根絶したよ。
けど、それを唯一、医療用という名目で管理し続けている国がある。
それがナイトレルム侯国だ」
「え?」
マインラート以外がぎょっとして一斉にルシアンを見た。
「なんであんな危険なものを管理してるんですか?」
「そうです、あれのせいで、いま王都の貧困層は大変なんですよ」
壁に並んで話を聞いていた騎士団員たちが口々に言う。動揺を隠せないようだ。
小次郎はそれに飛び上がるように驚き、そそくさとエレナのポケットの中に入った。
「まあまあ、落ち着け。
お前らは王都やその外の薬物依存者を見てきてるからな、居ても立っても居られない気持ちは痛いほど分かる」
ルシアンがすぐに諭すような顔になった。
「だが、あれはそもそも薬だったんだ。
特に、侯国は極寒の地ゆえ、凍傷や低温火傷してしまう者が多いらしい。
そういった重度の手術に強力な麻酔薬が不可欠らしく、その際ホップラブソングの材料は麻酔薬として最高の素材、医療用として使っている。
使い方によっては危ない薬とは一概には言い切れない。
一応危険性を考慮して国家で管理しているそうだ」
「ですが、そういうときって治癒魔法じゃないんですか?」
騎士団員の一人がすかさず質問した。
「ああ、この国の人間ならそう考えるよな。
けど、どうやらあちらでは、治癒魔法を使える『聖女』しかいないんだと。
『聖女』なんて多数いるわけじゃない。
だからこそ、独自の薬学と外科手術が発達したんだ」
みんなが「へえ」と感心した。
国柄が違うと魔法の質も変わって来る、とは聞いたことがあったけれど、そういうことなのだろう。
この国では、数は多くないが聖属性を少しでも持っていれば治癒魔法が使える。
エレナは擦り傷を治癒するくらいなら使える。
「けどさ、薬を育てるにしても使用の際、副作用はないわけ?
魔法使いは廃人化するぜ」
今度はクロフォードがルシアンに尋ねた。
「クスリというのは、当然ながら純度が高いほど効くし、高価なんだよ。
しかも、純度が高いと中毒どころか下手すると一発で死んでしまう。
だからこそ、いろんなものを混ぜて薄めるんだ。入手しやすい値段にするためにもね。それが末端価格というものになる」
「つまり、純度を調整させているんだな。
クスリの成分が魔力に絡みつかない程度に弱めにして。違うか?」
「ああ、そうだ。とはいえ、ホップラブソングは、魔法使いにとって諸刃の剣。今でこそ基本禁忌薬として設定しているらしい。
そもそも侯国では魔法使いとそうでない者とは体の構造が違うということで、それぞれ別枠で治療が確立されているんだと」
「ふうん。変な感じがするな。
この国の場合、物理的な医療行為を行う前に、まず治癒魔法を施される。
その後、魔法で治癒できなかった部分を医療が補助的に処置することになっているけど」
「ああ、あそこはその逆」
――魔法に頼らず、薬物と外科手術を徹底的に発達させた。
「だからこそ、あそこは君主や法律よりも医師会の権限が強いんだ」
「医療国家ってやつか」
クロフォードは肩をすくめた。
そのとき、エレナはハッとした。
「交流があるって、さっきクロフォードが言っていたのは、ひょっとして薬の売買のことですか?」
エレナが思わず身を乗り出して尋ねると、ルシアンはにかっと爽やかに笑う。
「そう、正解。なかなか冴えているな。
侯国は、薬草を国庫で設営した巨大温室で栽培し、運営は、国家プロジェクトとして侯国医師会が主だっている。
他国で違法でも、彼らにとっては合法な医療薬品だ」
「ふうん、そんな話、初めて聞いた」
クロフォードが相槌を打つ。エレナも頷く。
「大々的にこの話を発表していないらしい。
俺もこの十日あまり、姫さんからようやく聞き出した情報だ。
……そういえば、温室の発案者は自分だと言っていたな」
ルシアンは思い出したように呟き、顎に手をやった。
「彼女の母方の家系が代々薬草に詳しいらしくてな。
土地の痩せたあまり植物のない高山地帯で、山や畑から病気に効く植物を集めて、乾燥させて、煎じたりオイル漬けにしたりして処方するとか、いわゆる千年続く民間療法があるって」
「へえ、さすが。
将来、ターラント卿を抜く軍師になると言われている男。
そういった情報収集は欠かさないね」
皮肉めいたクロフォードにルシアンは気まずそうに頭を掻いた。
「なんなら、お前が俺の代わりに明日、その姫さんから情報収集してもらってもいいんだぞ」
「は?」
「気を付けろよ。あの姫さん、医療に精通しているのか、ツボ押しとかいって、やたらと体を撫でまわるように触って来るからな」
「冗談、好きでもない女に撫でまわされるなんてごめんだ」
クロフォードがぎょっとした顔で、慌てて口をすぼめた。
その瞬間、エレナとクロフォードの手が触れ合う。
どきっとして、互いに肩を震わせ、視線が交わる。
互いに気恥ずかしくて、視線を逸らした。
「その温室の話は初耳ですが、密かに侯国の医療に各国の富豪が殺到しているって聞いたことがあります」
ノーランがしみじみ言った。
「それは事実みたいだよ」
マインラートが頷いた。
「治癒魔法でも治療が難しい奇病や難病から、はたまた容姿を変えるための整形手術だって盛んだ。
あの国はね、医師会が最も強く、法律も医師優遇。魔法不要論が台頭し、魔法使いは不遇なお国なんだそうだ。
あのお姫様もそういった医療教育を受けていると事前報告で聞いているよ」
「ええ、そのようですね」
ルシアンが乾いた声で言う。
「母方の知識も相まって薬品や薬草諸々に造詣が深く、彼女自身も医師の一人として従事していると自慢げに語ってましたね」
エレナは驚いた。
それにしては、いろんなことへの責任感が置いてきぼりになっているけど。
「あの方、女医さんなんですか?」
思わず質問をぶつけるエレナに、ルシアンは苦笑した。
「言いたいことは分かる。
あれでも女医だ」
苦虫を嚙み潰したような表情で、皿に手を伸ばしたクロフォードがサンドイッチを手に取った。
「ってことは、医療知識のある姫さんが本日持ち込んだハーブも、インリューラーク王国の騎士の妻に贈った堕胎効果のある茶葉も、全部計画的、確信犯ってことだよな」
「ああ。確固たる物的証拠はないけど、状況的にはそうだね」
ルシアンの表情は硬くなり、エレナは冷や水を浴びせられた気がした。
そこまでして、意中の男性を手に入れようとしたの?
「だからこそ、我々上層部は綿密に打ち合わせをしたんだよ。
なぜ、医療国家が魔法軍事国家の騎士を婿に望むのか、なぜ、この時期に遊学しているのか、とか含めてね」
「確かに一理ありますね。
現物主義な侯国がなにゆえ魔法大国の我が国に遊学しに来たのか」
ノーランが納得したように頷いた。
「あの……金木犀は温室にありますか?」
ふと、エレナがルシアンに尋ねると、一瞬ルシアンは顔をしかめた。
「ああ、古代魔道具のニオイから感じた香りの元となる木だったな」
ルシアンは少し考えて首を振った。
「悪い、そこまでは聞いてない」
「そうですか。
ありがとうございます」
もし、侯国の温室で金木犀も育てていたら、古代魔道具から感じた”ニオイ”から『侯国にはなかった』と判断したその推測自体が誤っていたことになる。
「金木犀も薬になるのか?」
ルシアンの質問にエレナは頷いた。
「はい、そうらしいです。
金木犀は薬膳の世界では“桂花”という生薬名で載ってました。
独特の芳香で体内の気の巡りを整え、消化不良ぎみの時などにいいそうです。
特に胃を温める性質があるので、冷えが原因の腹痛の改善に役立つそうですよ。
寒い地域には適してます」
「なるほど」
「侯国の温室でも、いくつかの植物がどうしても育たないと聞いたことがあるよ。
その中に金木犀も含まれていたかな」
マインラートが思い出したように呟いた。
「そうなんですか?」
「うん、土の相性の問題だったかな。
けど、金木犀はマリュード皇国の国花だからね。
敵国の国花を育てていると、我々のような協力国、友好国から非難される可能性もある。
あえて、政治的配慮で育てていない可能性が高いね」
「とはいえ、政治は敵対でも医療は結託している。権限も君主よりも医師会が強い。
その医師会にマリュード皇国がバックについたってことはそのうち育て始めるかもしれない」
クロフォードは眉を寄せ、その声が重く響く。
窓の外でざわりと風が鳴った。
エレナの胸に広がる違和感は、言葉にできないまま膨らんでいった――。




