第52話 渦中令嬢と深夜の捜査会議 ―― 秘密結社の紋章と予期せぬ婚約宣告
「あー、今日一日で何件事件を抱えてくるんだよ」
ルシアンが頭を抱え、苦渋の声を出した。
「しゃあねえじゃん。っていうか、エレナは全部巻き込まれ事故だぜ」
クロフォードは悪びれる様子なく、応接セットの椅子に座って悠然と脚を組んだ。
結局あのあと、第4騎士団に事情聴取ということで、エレナとクロフォードは王城に引き返すはめとなった。
クロフォードが「俺の馬車に乗れ!」と言うので、同じ馬車で戻ってきた。
道中、小次郎と元〈影〉だったクロフォードが「久しぶり」と再会を喜び合う。
美男子魔術師と可愛い黒リスとが戯れている姿は、視覚的な癒しであり、眼福ものだった。
王城の刑部省に入ると、豪華な部屋に案内された。
そこには帰りたくとも帰れずにいる不機嫌なルシアンと、にこにこ微笑むマインラートが待ち構えていた。
廊下側の壁際には第4騎士団が数名立ち並ぶ。
「ったく。明日の早朝から俺、遠征なんだけど。
どうしてこう事件が立て続けに起こるんだ。
報告書も書かないといけないし、これじゃあ徹夜確定じゃないか」
「お手数をおかけして申し訳ありません」
エレナは申し訳ない気持ちで、マインラートに目で促されてクロフォードの隣に腰かけた。
「いやいや、ヴァービナス女官を責めているわけじゃない。
とりあえず、君が無事でよかった」
ルシアンは取り繕うような笑顔を浮かべた。
「体調は?」
「大丈夫です」
「もし気分が優れなくなったらすぐに言ってくれよ」
「ありがとうございます」
「そうだよ。とりあえずエレナ嬢に何もなかったのが幸いだ」
マインラートが安堵のため息をつく。
「さっ、疲れただろう、温かい飲み物でも飲んで落ち着いて。
あと、小腹もすいただろうから、よかったら食べてね」
あらかじめ用意してあったお茶とサンドイッチをマインラートは、エレナとクロフォードに勧めた。
「ありがとうございます」
エレナはティーカップを持ってお茶をすするように飲んだ。
ふうっと吐息を漏らした。
マインラートの言うとおりだ、温かい飲み物で全身の疲労が滲み出すような安堵を覚える。
ポケットに潜んでいた小次郎がひょこっと顔を出した。
「おや、可愛い連れだね」
マインラートがはしゃいだような声を上げた。
「はい、この子のお陰で助かったんです」
「そうか、リスくん、これ、食べる?」
マインラートがサンドイッチを自分の皿に取り分けて、そこからレタスを千切って渡すと、小次郎がポケットから出て、テーブルの上にぴょんと乗った。
上体を屈めて、おそるおそる尻をうしろに突き出した小次郎は、尻尾をブンブン振りながら、そっとレタスに食いつく。
レタスを口にくわえると、すかさずエレナの椅子の隣に乗り移った。
それから、みんなの視線を避けるようにエレナの背後に回った。
シャリシャリと咀嚼音がするので、気に入って食べているようだ。
ルシアンはどろりとしたコーヒーをぐいっと飲み干す。
「で、早速で申し訳ないが、遺体引き上げ現場の野次馬にワルト・チェッカレッチがいたと?」
第4騎士団から提出された書類に目を通しながら、ルシアンがエレナに確認をした。
「は、はい。でも、見間違いじゃないと確認したくて馬車を降りたんです。
そうしたら、ロシェ・ガルブレイスがいて……」
エレナはロシェが握られた手首を触って、震える自分を落ち着かせようと必死になった。
その様子を察したクロフォードは、ルシアンに目配せした。
「まあ、クロフォードや第4騎士団からだいたいの話を聞いたけど……」
さすがにルシアンもロシェに襲われかかっていたことを口に出すのは憚られるようだ。
「逃亡前ニコライ・イグナートからいろいろ聞いたんだろうな。
奴とは牢獄内で隣り合っていたんだ。
ああ、こんなことなら独房にぶち込んでおくんだった。すまなかったな」
ルシアンが心底すまなさそうな顔をした。
「いえ……」
エレナは力なく首を振った。
サブリナは、何者かに体を鋭い刃物で何箇所も刺され、重石をつけられて王都を流れるテーミナル川に遺棄されたらしい。
犯人は、ドレスの重さも相まって沈んでいくと思っていただろう。
そうすれば数日は発見されないだろうと高を括っていたはずだ。
だが、遺体は橋近くの船に引っ掛かってすぐさま発見されることになった。
「っていうかさぁ、これもそれもクレインバール卿の部下がサブリナ・フィルチ女官を見失ったせいじゃないの?」
クロフォードはぶっきらぼうに容赦なく言い捨て、用意された葉物野菜とハムの挟まったサンドイッチに手を伸ばした。
「確かにそれはこっちの不手際だった。けど、こっちだって好きで見失ったわけじゃない。
サブリナ・フィルチ女官は途中、中央噴水公園で突如馬車を乗り換えたんだ。
その間に尾行していた騎士の馬車の車輪を壊されてね、後を追うのを断念せざるを得なかった」
「それは人為的に車輪を壊されたってことか?」
「車輪の壊れ方から見て、まず間違いないだろうね」
「尾行に気付かれていたってこと?」
「おそらく」
「んじゃあ、手っ取り早く飛行魔法使える騎士使えばよかったじゃん」
クロフォードは軽口を叩く。
「馬鹿か、飛行魔法っていうのは街中飛ぶには何かと難しいんだよ。
遠距離を飛ぶには問題ないが、人目に隠れて短距離をちょろちょろ飛ぶには、かなり繊細な魔力量制限と手加減っていうのが必要で、逆に尾行失敗する確率が高い」
「へえ、俺、みんながそれくらい簡単に出来ると思ってた」
「そりゃあお前なら造作もないだろうけど、一般人はそんな超人技を簡単に出来やしないんだ」
「ふうん。そうなんだ。大変だね」
「ったく、これだから天才魔法使いは嫌いだ。高等な技を誰もが簡単に出来ると思ってやがる」
ルシアンが「けっ」と鼻を鳴らした。
通路側の壁に立っていた第4騎士団員数名も「うんうん」と頷いた。
エレナは恐る恐る尋ねる。
「な、なんでサブリナ様は殺されてしまったんでしょうか?」
「あ~っと、それは……」
震える声のエレナにルシアンが言葉を濁した。
「あのサブリナって女、十中八九、ワルト・チェッカレッチ絡みで殺されたんだぜ」
クロフォードが得意気に口を挟む。
「なにせ魔法騎士団にエレナに対する暴行行為を見咎められたんだ。
ますます窮地に立ったんだろ?
王城で沙汰を引き起こしたとあれば、女官としても、当然貴族令嬢としてもう終わり。
二度と社交界に顔は出せない。
ってなると、工作員にとっては、もはやこれっぽっちも利用価値がない。
ハッキリ言って用なしだ。
血も涙もない工作員なら、邪魔な女を平気で消すよ」
「我々も同意見です。
王都の川に遺棄した時点でかなり焦ってると感じましたね」
いかつい顔の第4騎士団団長のノーラン・ターラントが口を挟んだ。
「だろうなあ。今日立て続けに起きた一連の事件にワルト・チェッカレッチがすべて絡んでいるなら、ことごとく奴の計画は失敗している。
そりゃあ焦るだろ」
ルシアンは後頭部を面倒臭そうに掻く。
「帰国まであと二日で何を焦っているんだろうな」
クロフォードが言った。
「あと二日しかないから焦ってるんだろ」
ノーランが続いた。
「もしくは、それが狙いなのかもしれないよ。
我々に何か他の物事から目を逸らさせたいがためにあえて事件を起こしている、その可能性は否めない」
マインラートは穏やかにお茶を飲んだ。
「だな。まあ、一つ一つ片づけていくしかないだろ」
ルシアンは肩をすくめた。
「実は、ヴァービナス女官がワルト・チェッカレッチらしき男を目撃している頃、ランス・マクィーン外務官とそれに付き添う騎士の数名が、侯国の魔術師と姫さんと面直で会話をしているんだ」
「ランスと……」
「ああ。だから、一概にヴァービナス女官が見たのがワルト・チェッカレッチだと断言できない。他人の空似かもしれない。
とはいえ、姫さんと会った彼らがヴァービナス女官ほど魔力感知ができる奴らかというと違う。
それに、あそこの魔術師は口元を隠しているから人相が分かりにくい。
ひょっとしたら外交官と会った魔術師の方がダミーかもしれないし」
「やっぱりエレナと侯国の連中を検分してもらわないといけないわけか。
ワルト・チェッカレッチねえ、まったく胡散臭い奴だよなあ」
クロフォードが舌打ちをした。
「さすがにもう深夜に近い時間だ。侯国の魔術師様にお目通りは難しい。
明日に持ち越しだ。
とはいえ、そこで分かるはずさ。一連の事件すべてワルト・チェッカレッチ絡みなのか、もしくは全然別件なのか、ってね。
で、次だ」
ルシアンは視線をノーランに投げた。
「殺害現場で何か目ぼしいものは見つかったのか?」
「はい。殺人現場は、王都郊外のテーミナル川の上流の橋付近で放置されていた馬車のキャビン内で間違いありません」
「テーミナル川の上流ねえ……今日はその地域の話をよく聞くなあ」
ルシアンはもったいぶったように言って、顎を撫でた。
キムバートンが隠した財産は、その辺りの廃屋だった。
魔法省から帰る直前地図で確認してみたら、あそこはかつてマーケットの中心街だった場所だ。
だが、昨今、人気有名店が南部に集中したためか、一様に寂れて、空き店舗や空き家、廃屋が急増し、治安も悪化している地域でもある。
そういえば、あの辺りにキムバートンの実家の屋敷があることも地図を見て初めて分かった。
ワルトばかりクローズアップされ、キムバートンのことをつい抜け落としがちになるが、そもそも彼はどういう人物だったんだろうか。
その彼に恋をしたカトリーナ。
彼女とは、昼間あんなことがあったけれど、一応顔見知り程度で、朝夕の挨拶も交わし合う仲。
他には特に接点はなく、名前すら今日まで知らなかったけど、サブリナに比べるとどこか冷静で醒めた印象があった。
儚げな面影の中に、強い芯と信念、どちらかといえば理知的。
そんな彼女が命がけで愛した男性。
彼女は、すべてをなげうってでも一緒にいたいと願った。
試験会場では、そこまで気に留めていなかったキムバートンが今更ながら気になり始める。
「それで、殺害現場のキャビンなんですが」
ノーランがルシアンに淡々と報告を続ける。
「馬は放たれたようで、キャビンだけ川の空き地に捨てられるように放置されていました。
キャビン内の金目のものは、その辺りに住む貧困層の者たちに奪われてしまった後でしたが、内部は血塗れのまま。なので、気味悪がってか、珍しく血のついたものは多少残っていましたね。
おびただしい血の量だったことからも、犯人はかなりの返り血を浴びてます。
そして犯人は御者を装って、彼女を殺害したと考えられます。
ちなみに、キャビンに防音結界を施した形跡はありませんでした」
「防音結界なしか。
まあ、あの地域なら住民も少ないし、少々騒いでも誰も気にしないのか」
「ええ、そもそも治安が良くない。
悲鳴を聞いたところで、誰も好き好んで関わろうとはしません。
聞き込みをしても、皆、知らぬの一点張りでしたね」
「ある意味、殺人現場にはうってつけか。
あの周辺警備を今後は強化しないといけないな」
「はい。俺も同感です。
あの事件以来、無法地帯と化してます」
「あの事件……ああ、あれか。
十年前のあの結社の摘発」
ルシアンが顎を撫でるように触りながら言う。
「あの摘発以降、住民が『物騒だ』といって、こぞって引っ越したんだよな」
「はい、ちょうど南部に新しい商店ができ始めたのも相まってでしたね。
それで話を戻しますが、その橋の手摺から擦れたような痕の血痕が発見されました。
遺体は橋から落とされた模様。現に鑑定魔法の結果、サブリナ・フィルチ伯爵令嬢の血液と一致しています」
ふと、ノーランの眉間にしわが寄り、何かを躊躇う。
「……ただ奇妙なのはキャビンには見たことないような魔法陣が描かれてまして……」
「魔法陣?」
全員が怪訝そうに身を乗り出す。
「はい。いま魔法技術捜査研究所で鑑定しています。
それでも解読不能なら日数はかかりますが、明日魔法省へ改めて依頼します」
「そうか。魔法残滓は検出できたか?」
ルシアンが尋ねた。
「いえ、まったく」
ノーランは首を振った。
「凶器と思しき刃物は川の上流の底で発見されました。
これは推測ですが、物理的な凶器で殺害したのは、魔法残滓を残さないためかと思います」
「それはつまり、魔力残滓を辿られるのを恐れる者が手を下したということか」
「恐らく。あんな魔法陣を残した人物が魔法を使えないなんてありえません」
そのとき、扉がノックされ、一人の騎士が入ってきて全員にお辞儀をする。
それからノーランに耳打ちをした。
「そうか、ご苦労。また何かあれば報告頼む」
「承知いたしました」
騎士はそう言うと、改めて深々と頭を下げ、部屋を出た。
突如ノーランはぴしっと背筋を伸ばし、低くよく通る声で報告する。
「ご報告いたします。ロシェ・ガルブレイスを殺害した犯人の魔力残滓を追い、先程捕獲できたとのこと」
全員からほっとする安堵のため息が漏れた。
「現在事情聴取中ですが、所持品検査により犯人はどこかの貴族の従者であり、魔法使い。
その外套を脱がすと、血塗られた服を着てたので、彼がサブリナ・フィルチ女官殺害の犯人で間違いないです」
「その血痕がサブリナ・フィルチ女官と一致したということか?」
「はい、そうです。ただ、これまた奇妙なのは……」
ノーランがまた言い淀んだ。
「なんだ? 奇妙続きはよくあることだ」
「はあ、そうなんですが。あれはまるで……」
この先をいうのを憚る、というかのようにノーランはますます言葉を濁した。
全員、不審そうに顔を歪め、ノーランに注目する。
「どうした? 歯切れが悪いぞ」
「ええっと、申し上げます。
その魔法使いは非常にキムバートンと似た顔立ちの人物でして……またワルトとも、なんとなくですが、雰囲気が似ているんです。
ただいまその魔法使いを尋問している騎士たちは、王都にいた二人を直接しょっぴいた者たちなので、彼らの人相をよく覚えております」
「似ている? 兄弟か親戚関係なのか?」
「いえ、身元は確認中です」
(あ、また、キムバートンだ)
ふとエレナはその名に反応する。
亡くなっても、彼はなにかとまだ爪痕をくっきり残している。
そういえば、ワルトとキムバートンもすごく似ていると誰かが言っていたっけ。
「それでですね、問題は、左胸に例の結社の証である紋章魔法陣があったことです」
ノーランのその一言で、部屋いっぱいに張り裂けるような張り詰めた空気が満ちた。
「結社ってなに?」
エレナは声を潜めてクロフォードに尋ねた。
「ああ、そっか。一般には知れ渡ってなかったっけ」
クロフォードがあっけらかんと言った。
「『秘密結社 黒の杖』」
例の結社は『秘密結社 黒の杖』という。
これもだ。また出てきた。
キムバートンが財産を隠した廃屋の元の持ち主。
魔法騎士団に摘発された秘密組織。
さっきからキムバートンとセットになって登場している。
ルシアンが重々しいため息をついて天井を仰ぎ見た。
「まったく、本当、こう次から次へと……」
頭を抱え始めるルシアンを横目に、クロフォードがエレナに小声で説明をする。
「端的に言えば、アイルナバロー連合帝国建国前のナバロー王国の王権復古を望む、ナバロー王国の残党から結成されている新興宗教団体だよ」
「宗教団体ということは、ナバロー王国が国教としていたアミラス教の?
あれは随分前に禁教になったよね」
「そう、魔法使いは邪悪とか言っていたアレね」
クロフォードが呆れるように肩をすくめた。
「そういえば、アミラス教は女の人が魔法を使うのはよくないっていう考えの教義だよね? 何かの本で読んだことある」
「ああ、まさにそれ」
かつてこの地は、ナバロー王国と呼ばれていた。
魔法を持たぬ王族が支配し、呪術によって魔法使いたちを縛り従わせた「呪術大国」だった。
だが、その暗い歴史ゆえに、今では呪術は禁術とされ、研究も実践も固く禁じられている。
現在の国教は、魔法を尊ぶヴォンミロク教である。
そのヴォンミロク教や皇族の思想と真っ向から対立するため、アミラス教は廃教、禁教となった。
この帝国は多民族の連合国家であり、文化や宗教も多様だ。そのため主だった宗教弾圧は行われていない。宗教対立は民族や文化の衝突を招き、テロや内乱に繋がりかねないからだ。
もっとも、度を越した信仰や布教は禁じられている。
それでも僻地には旧ナバロー王国に忠誠を誓う貴族の残党が潜み、密かにアミラス教を信仰しているという。
エレナの故郷のヴァービナス伯爵領にも、わずかながらその信徒が隠れ暮らしていると伝えられている。
「『秘密結社 黒の杖』って連中はな、ナバロー王国の思想を丸ごと引きずってやがる危ない連中なんだ。
で、魔法使いを滅ぼそうと今も本気で企んでいて、しかも、王族の復古を本気で望んでる」
「滅びて二百年以上経っているのに?」
「ああ、だから、名簿も記録も残っちゃいねぇ。構成員も組織図も潜伏先も、全部不明のまま。
しかも妙に資金が潤沢で、根城をあちこちに散らしてるから末端しか捕まらない。
魔法騎士団も長年取り締まりに動いてるが、正直手詰まりなんだよ」
クロフォードは、ちらっと報告をし続けているノーランとルシアンに視線を飛ばした。
「魔法使いを滅ぼすってなんか……なんかマリュード皇国みたいだね」
「そりゃあそうだろう。なにせマリュード皇国自体が、亡国ナバロー王国の残党が作った国だからね。
根本が一緒なんだ、思想は酷似しているはずだぜ。
ただ、マリュード皇国と違うのは、禁忌の呪術を使って、すでに滅亡したナバロー王国王族の魂を蘇らせようと本気で目論んでいるところだけだ」
「それは反魂の術を使うということ?」
「そう」
「いろんな文献を読んだけど、いままでそれを成し遂げた人はいないよ?」
「ああ、そうだよ。でも、アイツらは本気だ。
しかも、単純な魂を入れ替える呪術は成功している。その代償で大勢の生贄を捧げてまでね」
「魂の入れ替え?」
エレナは身の毛がよだつ思いがした。
「ああ、さっき話に出た十年前の廃屋。あそこで生物実験が行われてたんだ。
そこでまさに魂の移し替えをしていた最中だったらしくて、実際、その現場は当時騎士見習いだったクレインバール卿やまだ現役だったマインラート様が目撃している」
クロフォードがさっとルシアンとマインラートに視線を流す。
「俺も聴取報告を読んだけど、結構おぞましかったな」
―― 石造りの地下室は、湿った苔と血のような鉄臭に満ちていた。
壁には奇怪な紋章が刻まれ、蝋燭の炎が揺らめくたびに影が歪み、まるで生き物のように蠢いて見える。
中央の祭壇には冷たく横たわる人間の遺体。
その胸元に、結社の術者が獣の魂を呼び込もうと呪文を唱える。
獣の咆哮とも呻きともつかぬ声が混じり合う。
やがて遺体の指が痙攣し、瞳がぎょろりと開く。
そこに宿るのは人の理性ではなく、獣の狂気。
人間の顔に獣の呼吸が宿るその異様さは、見る者の背筋を氷のように凍らせた。
部屋の隅には、失敗作と思しき屍が積み重ねられていた。
人の骨格に獣の毛皮が貼りつき、半ば崩れた肉体からは腐臭が漂う。
結社の者たちはそれを気にも留めず、ただ次の実験に没頭していた。
アジトの庭を掘り起こせば無数の遺体が出てきた。
「ましてや死者の魂を蘇らせようなんてしたら、もっと生贄が必要だ。
実際、その怪しげな術に使うために、この国の民だったり異国の奴隷だったり、犠牲者が毎年何百人も出ている」
「けど、……奴隷って、もうこの国にはいないよ?」
「表向きはね。
こっそり奴隷を使っている貴族もいるんだ。
奴隷は家畜だって言ってね」
「ひどい」
エレナは顔を歪めた。
「ああ、ひどいもんさ。
黒の杖もマリュード皇国も。過激な危険思想を持つ非人道的な連中なんだ」
「じゃあ、わたしを仲間に会わせたいって言ったのは『秘密結社 黒の杖』かな」
「仲間?」
その瞬間、みんなの表情が一変し、エレナに視線を投げた。
「ロシェ・ガルブレイスが仲間と言っていたのか?
一応アレの家は敬虔なヴォンミロク教信者だったはずだぞ」
ルシアンの声がぐっと低くなった。
「し、支援者たちと言ってました」
「ほう。
どんな奴らなのか、その辺は言っていたか?」
エレナは急にみんながこっちを見たので、その圧迫感に身体を強張らせた。
「えっと、どんな、とは言ってませんでした。
ただ、ロシェ・ガルブレイスの服装から、かなり良い物を着ていたので、たぶんですけど、貴族か何か、それ相応の資産を持っている人のところに身を寄せていたと思いました」
エレナがしどろもどろに言うと、ノーランが顎に手を当てて呟く。
「確かに身だしなみはキレイなものでしたね」
「言われてみれば……」
クロフォードも思い出したように呟いた。
「仕立ての良い衣類に、所持品の財布にはいくばくかの金貨。
それに無精ひげは生えておらず、身なりも清潔。
入浴と散髪も定期的にしていた感じです。
あの手の男は身だしなみにうるさいですからね」
ノーランがぽつりぽつり言った。
「なるほど、支援者か……。
いままで検挙した黒の杖の連中も身なりはかなり良かったな。
家が資産家の商人だったり、金回りのいい下級貴族だったり、奴らの共通点は、カネに不自由していない」
「そういった活動資金が続くから、あの結社は亡国が滅亡して以来ずっと活動できているんだ。
隠れアミラス教の貴族信者やアミラス教を信仰する国とか、どうせそういったところが援助してね」
「アミラス教を信仰する国……、マリュード皇国の国教はそうですよね」
「ああ、そうだ。
宗教繋がりでマリュード皇国と繋がっていてもおかしくない団体だ。
だとしたら……」
ルシアンは顎を撫で、考え込む。
「なあ、マインラート様。
ものは相談なんだが」
ふと顔を上げたルシアンがマインラートに話を振る。
「奴らが着ていた服からどこで生活していたか魔法で分かりませんかね?
そうすれば、黒の杖の構成員やアジトも分かって一網打尽できるんですけど」
「冗談はよしてくれよ。
魔法はそんなところまで感知できません。
だいたい、いい服を着ているのなら、仕立屋さんを当たればいいでしょ?」
「いやいや、王都にどんだけ仕立屋があると思ってるんですか?
そこをなんとか便利な上級魔法でぱぱっと」
「無理です。
地道に探してください」
マインラートは「ふん」とルシアンに背を向けた。
「靴も、キレイでした」
エレナはぼそっと呟いた。
「靴?」
「はい、すごくいい靴履いているなあ、と思いました」
ロシェが怖くて視線を落としたとき、ふと目にした靴。
「ニ、ニコライもすごく靴にこだわっていて……。
あの、よく『類は友呼ぶ』っていいますよね。
だからロシェもニコライみたいにこだわって、オーダーメイドで作っているのかなって……。
靴は材料費も服よりもかかりますし、軒数も仕立屋より多くない。
いい靴なら靴屋のブランドの刺繍か焼き印があるはずです」
「確かに」
ルシアンがノーランに目配せし、ノーランは頷いて一人の部下に確認してくるよう指示を出した。
「エレナ嬢、いい観点だね」
マインラートがにっこり微笑んだ。
「自分の危機だったのに、そこまで冷静に観察できたのは重畳。
ここにいる武官のみなさんとクロフォードはお洒落にそこまで関心が高くないからね、いい仕事をしたよ」
みんな気まずそうに目線を逸らした。
確かに、ここには目立ったお洒落さんはいなさそうだ。
「いえ、そんな。たまたまです」
「ふふ、謙虚だねえ」
マインラートはご機嫌そうだった。
ソワソワしながらクロフォードに視線を投げた。
「そうそう、クロフォードはなぜそんなタイミング良くエレナ嬢を助けられたの?」
口元には意地悪な笑みが湛えられていた。
「え、それは……」
クロフォードがぎょっとして、口ごもる。
「それは?」
マインラートが面白がって言葉を濁すクロフォードに先を促した。
「ほら、マインラート様が今夜はエレナがお屋敷に帰って来るって言ってたから。
その、ついでに食事をご馳走になって久々に色々話をしようと思ってて……先触れはちゃんとしたぜ。
けど、マインラート様からの返信はなくて、でもまあ、とりあえずさっさとマインラート様邸へ向かえばなんとかなるかなって思ったんだ。
そうしたら、エレナの魔力をあの野次馬たちの中から感じて、なんとなく胸騒ぎがしたから俺も馬車を降りたんだ。で、あんなことがあって……」
早口で言い終えるクロフォードの語尾がだんだん小さくなって、気まずそうに視線を泳がす。
僅かに耳たぶが赤い。
「ヴァービナス女官は、いまマインラート様の屋敷で世話になっているんだっけ?」
ルシアンが素っ気なくマインラートに尋ねた。
「そうだよ。ヴァービナス侯爵家のタウンハウスはしばらく使っていないということだし、僕も手が空いた時に、彼女にはたくさんの魔法を教えたくてね。
代理保護者であり、師弟関係ということで、彼女を預かっている」
「ほう、そのマインラート様の屋敷に、クロフォードがわざわざヴァービナス女官に会いに行って色々話をしよう、と」
ルシアンは腕を組んで背もたれに身体を沈めて、エレナとクロフォードを順に時間をかけて眺めた。
「マインラート様、こいつら、実はもう付き合ってんの?」
エレナとクロフォードはぎょっとした。
クロフォードは危うく椅子から転げ落ちそうになる。
「僕はそれでもいいと思っているんだけどねえ」
「ちょ、ちょっと待て!
何か誤解してるぞ」
「そうです!
わたしたちそんな関係じゃないです」
エレナとクロフォードが顔を真っ赤にして、同時に立ちあがった。
「ほう、息もぴったりじゃないか」
ルシアンが意地悪くニヤニヤ笑った。
「ね? 素直じゃないんだよ」
「ですね。これは若さか?」
顎を撫でながらルシアンは眉間にしわを寄せ、エレナとクロフォードをじっと見た。
「っていうか、お前らもう付き合っちゃえば?
どうせ、明日からは婚約者なんだからさ」
「「は?」」
エレナとクロフォードの声が重なった。
「そうですね。ヴァービナス女官を守るためにも、ちょうどいい口実だ」
ノーランがぼそっと呟いた。
「はあ?」
ますます意味が分からないと、クロフォードが顔を真っ赤にさせ、ノーランを弾けるように見た。
「うん、そうだね。
ってことで、二人ともそういうことだから」
マインラートはにこにこ、誰よりも楽しそうに微笑む。
――殺人に脱獄犯との遭遇。
激動の夜の終わりに待っていたのは、さらなる予測不要な爆弾発言だった。




