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婚約破棄された引きこもり魔女ですが、実は天才魔女でした。王宮で無自覚覚醒します!  作者: 兎丸 蓮


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第51話 負けず嫌い令嬢と悪意の再会 ―― 蠢く脱獄囚と沈黙の路地裏

 夜の街はざわめきに満ちていた。

 通りを行き交う人々をかき分けて、エレナは歩き進める。


 ただ一人、探すべき、ワルトの影を見失わぬように。

 魔力を思い出して魔力感知を鋭くしてみるが、人が多くて逆に目が回りそうだ。

 

 遠くから御者の戸惑う声が聞こえたが、それどころじゃない。


 彼を見つけないと。

 

 橋の手前に集まった群衆は、興奮と不安を織り交ぜ、押し合いながら声を張り上げ、何やら騒がしかった。


 なんだろう。


 なんだか殺伐としていて、みんなが河原を見下ろしている。

 街の街灯の炎が揺れ、影が幾重にも重なり、熱気と汗の匂いが空気を濁らせていた。


 その渦の中に、エレナは思い切って足を踏み入れた。


 胸の鼓動が群衆のざわめきに紛れ、視界は人の波に呑み込まれる。

 

 ワルトは、平民の服装だった。

 とはいえ、あれは結構仕立ての良い服だったから、一見中流階級の子息に見えた。


 彼を探しているうちに、エレナはいつの間にか石畳の川に近い部分へじりじり追いやられる。

 気を付けていないと、うっかり濡れた石畳に靴が滑りそうになる。

 

 不意に、そこでパッと目に入ったのは、痛々しいほど白い布に覆われた人影だった。

 

 あれは――。


 溺死遺体。

 

 誰かが誤って落ちたのか、川から引き上げられたときはすでに亡くなっていたようだ。


 だらりと力なくはみ出た人形のような生気の抜けた腕と足。

 石畳に触れる指先は妙に白く冷たそうだった。

 水色の髪が濡れて張り付き、川の湿った匂いに混じって鉄のような生臭さが鼻を刺す。


「殺されて川に捨てられたんだって」

「可哀想にねえ、若い女の子らしいよ」

「しかもどこかの貴族の令嬢って話だ」

「お気の毒にねえ」


 周囲でボソボソと交わされる会話が聞こえる。


 口では愁傷じみた言葉を吐くのに、どこか興奮する群衆たちから声のざわめきが耳を突き刺す。

 

 が、次の瞬間、エレナは身体が震え、その顔には恐怖が引きっていた。


 あそこから僅かに漂う魔力を、わたしは知っている。


 人は亡くなってから数日間は魔力が遺体からも放出され続けると聞いたことがある……。


 群衆のざわめきの中、布の端が風に揺れた。 

 街灯のオレンジ色が不気味に照らす。

 

 あの白い布の下には水色の髪の令嬢の遺体がある。


 背筋が氷のように冷え、吐き気が込み上げる。

 見覚えのある水色の髪。

 知っている魔力。

 もう動くことのない体。


 背中を波のような戦慄が駆け上がって、エレナは口元を手で覆った。

 肌寒さを覚えた。

 彼女の魔力から、かすかな死臭が滲み出し始め、かつての傲慢なパワーを一切感じられない。


「……うそでしょ……」


 かすれた声が漏れた。


――サブリナ・フィルチ。


 つい数時間前、エレナの髪を引っ張り罵ってきた彼女の魔力、それと同一だ。

 間違いであってほしいと願っても、この不快な魔力の感触は、紛れもなく彼女のものだった。

 

 動揺したエレナは、蒼ざめた表情で群衆をかき分け、何度も人にぶつかりながら路肩に停止している馬車に踵を返した。


 ぶつかるたびに人々が怪訝そうな視線を向け、ときには罵声も浴びせられるが、もはやそれどころじゃない。


(どうして、なんであの人、殺されているの?) 


 さっきまで生きていたじゃない。わたしを罵って髪を引っ張って……。

 一体この数時間の間に何があったの?


 パニックに襲われ、一瞬、喉の奥にこみ上げるものを感じたが、必死に押し留める。

 鼓動がドクンドクンとやけに早まって息がしづらくなった。

 視界が揺れる。

 馬車に乗ったらこの状況を冷静に考えよう。


 御者のいる馬車まであと少しというところで、不意に手首を掴まれた。


 弾かれるようにして顔を上げると、そこにはロシェ・ガルブレイスが笑みを湛えていた。

 冷ややかな夜風がエレナの頬を掠めた。


「やあ、エレナちゃん」


 エレナは状況が把握できなくて、声が出なかった。


「久しぶり。元気していた?」


 爽やかすぎるその笑顔が、場違いで逆に恐ろしい。


「なんで、あなた、脱獄して……」 


 声が震えた。


「うん、脱獄したよ」


 にっこりと平然と答えるロシェ。


 初めて王立図書館で会った時のように清潔感に溢れ、一見品行方正な育ちのいい貴族子息。

 黒の外套の襟元から覗く仕立ての良い服、ほのかに高級なムスクの香水が香る。肌艶もすごくいい。

 逃亡犯とは思えぬほど身綺麗に整えてある。


「す、すごい元気そうね……」


「うん、元気だよ」


 ロシェは満足そうに笑って、その声は妙に誇らしげだった。

 そして、すっとエレナにロシェは詰め寄る。


「実はね、俺には支援者たちがいるんだ」


 耳元で囁かれ、エレナはびくっと肩が震えた。


「あはは、そう怯えないでよ。

 でね、その支援者の代表がエレナちゃんに会いたいって言っているんだ。

 これはなかなかないことだよ?」


(支援者?)

 

 エレナの胸がざわめいた。


(誰のこと? 

 なぜ私に? 

 いったい何が起きてるの?)


 頭の中でこれまでの出来事を最速で巻き戻そうとするも、恐怖と混乱で思考がまとまらない。


「けど、その前に少し二人きりで話がしたいな」


 ロシェは平然とした表情で、周囲をキョロキョロ見回し、誰もいない路地裏で視線を向けた。


「あそこがいいかな。さっ、行こう。ここは人が何かと多い」

 

 ロシェは強引にエレナの細い手首をぐっと掴んだ。


「え、いやよ」


 エレナは首を振って力いっぱい抵抗した。


「いいじゃない」


 そんなエレナの腕をぐいっと力ずくで引っ張って、ロシェは半ば強引に人混みをかき分けて歩き進んだ。

 

 エレナは顔をしかめた。

 ロシェに掴まれた手首が痛い。


 強い力だ。


――怖い。


 魔法詠唱を唱えて逃げようと試みるが、唇が震えてうまくいかなかった。

 声が喉に張り付いて出ない。

 

 けれど、至近距離で魔法を発動すればロシェだけでなく、周囲を巻き込んでしまう。

 そう理解していても、無性にこの場からすぐさま逃げ出したい衝動に駆られた。

 なのに、恐怖で足がすくむ。


 自分の無力さを呪った。

 魔法を使えても、男の腕力には勝てない。


 ロシェはずんずん人混みをつき進み、路地裏にエレナを連れ込んだ。

 群衆のざわめきが遠のき、夜気が重く沈む。


 街灯の光も届かない路地裏はさらに暗い。月の明かりも届かない。

 エレナはすうっと体から血の気が引くのを感じた。


「ここならゆっくり話が出来るね」


 ロシェはエレナを壁に押し付けるように立たせた。


 怯えるエレナを真っ直ぐ見つめるロシェの影が迫った。

 不気味に落ち着き払っているロシェの瞳が目の前にある。

 

 エレナの胸は締め付けられ、心臓がどくどく波打つ。


「な、なんで、わたしなんですか?」


「なんでって……」


 見上げたロシェは首を傾げ、楽しげに笑った。


「一度ね、エレナちゃんとゆっくり話がしたかったんだ。

 ほら、図書館のときも試験のときも、君には逃げられてしまったからね。

 そうそう、君、官吏登用試験に合格したんだってね、おめでとう」


 じろじろ奇妙な目つきで見てくるロシェに、身震いをする。

 エレナは怖くて視線を地面に落とした。

 すぐそばにロシェの足があった。


「そう、それも古代魔道具を封印する特別試験を受けて合格したとか。

 ニコライが度肝を抜かれてたよ。

 封印魔法はそう簡単に出来ない。魔法があまり使えない俺にだってそれぐらい分かってる。

 あれは上級者向けの魔法だ。

 まさかエレナちゃんがそこまでの魔法を使える使い手で、しかも皇太子殿下の認めるほどの……」


 ロシェの手が、素早くエレナのローブのフードをまくり上げた。


「美人だったとはね」

 

 ニヤリとロシェがわらった。

 肌が粟立ち、ゾッとした。


 エレナは震え上がって、肩を強張らせた。


 なのに、頭だけは妙に冴えていた。

 ここならさっきより人がいない。

 魔法を使えばいい。そうしたら、走って逃げよう。

 

 けれど、魔法を使おうと思っても、怖くて声が出ない。

 足がすくんで動けない。

 

 ロシェは笑みを浮かべ、エレナの顔を食い入るように見た。


「おかしいと思ったんだよね。ニコライは君を散々『不細工で陰険』って言うんだけどさ、ヴァービナス侯爵家は代々美人家系だぜ。

 いくら田舎貴族でも、君のお母様のヴァービナス侯爵夫人もむかしは王都中の男たちを虜にしたっていうくらいの美女だ」


 エレナの髪を一房と手に取ったロシェは、じっとエレナのアメジストの瞳を見つめて、口元に近づける。そして、匂いを嗅ぐ。


「う〜ん、極上の女のいい匂いだ」


 その恍惚とする表情、穏やかな口調が余計に不気味で身の気もよだつ。


「ほら、そのアメジストのたれ目、嗜虐本能をそそるっていうか、たまらないね」


 ロシェはエレナの耳元まで顔を近づけ、胸いっぱいに匂いを嗅ぐ。


「まったく、ニコライは節穴だよ。君の美しさに気付いてなかった。

 アイツ、本当おっぱいにしか興味ないお子様なんだよね。

 こんな輝く原石にケチつけるなんて贅沢だ。

 そんなんだから、チャンスを逃すんだ。

 せっかく脱獄しても、君に復讐をしに行くって言い張ってさぁ、本当、馬鹿だよね。

 で、すぐ王宮魔術師のノーエランド卿に捕まっちゃったんだ」


 ロシェは知らない。エレナが薬で暴徒と化したニコライを駆逐したことを。

 かといってここで口に出す必要もない。


 ねっとりしたロシェの目と視線が合った。


 むせかえるような男の情欲溢れた暴力的な眼差し。


 ロシェは髪を放すと、エレナの顔を覗き込んで、ぐっと顎をつかんだ。


「こんな別嬪さんを不細工呼ばわりだもんなあ。

 あぁ~、本当超絶エロい顔してるよなぁ。

 その口元のホクロがすげぇセクシー、やっぱ、たまんねぇ」


 舌なめずりをするロシェの視線は、劣情を帯びていてぎらぎらと光る。

 いつもなら自然に口をついて出るはずの詠唱が、言葉にならない。


 エレナはじんわりと視界が涙で揺らぎ、ぎゅっと手を握り締めた。

 

 いままで感じたことのない恐怖。

 胸の奥で魔力がざわめくのに、声はまさに闇に縫いとめられているみたいだ。


 貞操の危機、といえばいいんだろうか、身の危険を感じて警鐘が鳴る。

 

 ロシェはつかんだ顎を持ったまま、左右に回して熱心にエレナの顔を観察する。

 

 物理的な暴力とは違う男の腕力。


 やだ、怖い。

 

 その瞬間、小次郎が飛び出した。


 エレナの顎を持つロシェの手に勢いよく齧りついたのだ。


「痛っ! いたたたた!!」


 ロシェが反射的にエレナから離れた。


「んだよ、この黒いの!!」


 ロシェは手を乱暴に振り回して、小次郎を地面に投げ捨てた。

 だが、小次郎もリス。

 優雅に身体を翻して地面に降り立ち、エレナの肩に乗ってシャアアア!と声を上げて牙を剥いた。


「くそぉ」


 ロシェは血の滲む手を舐め、小次郎を睨みつけた。


「エレナちゃんのペット? 

 躾がなっていないね」


 ペッと血の含んだ唾をロシェは地面に吐き捨てた。


「あぁあ、本当生意気だよ」


 ロシェがじりじりエレナに近寄る。


「捨てられた女のくせに。大人しくしていれば痛いことしないよ。

 ほら、安心して。俺が可愛がってあげるからさ」

 

 満面の笑顔を湛えて、ゆらりとロシェは揺れる。

 すっとエレナの腰に手を伸ばして抱きすくめようとする。


 ゾゾッと背筋が凍りつく。

 本能的な恐怖に理性が押し潰される 。


 いやだ、来ないで。

 いやだいやだ。

 

 エレナは必死で首を振った。



「お前さぁ、お前のダチと同じで頭悪いだろ?」


 突如、ロシェの背後に影が覆う。


 ロシェは振り返る。


 その瞬間、ひゅっと音が走って、ロシェの体が横に吹っ飛んだ。

 どすん、と鈍い音とともに地面に転がる。その人影がロシェを拳で殴ったのだ。


「ク、クロフォード……」


 ロシェを殴った人物、エレナは涙目でクロフォードを見つめた。

 クロフォードは殴った手を振る。


「くそっ、だから物理攻撃は好きじゃないんだよ」


 悪態をつきながら、クロフォードが魔法を放つ。

  


   「――氷の王(アイシリオス)

     白き牢獄(ブラン・カリギュラ)をここに築け」



 一瞬でロシェの首から下を氷漬けにした。


「な……! 

 さ、寒いっ!」


 首から上は凍らされていないため、ロシェは頭の中が真っ白になりながらも寒さを訴えた。

 クロフォードの拳には血が滲んでいた。


「クロフォード、血……」


「大丈夫」


 クロフォードはぶっきらぼうに言い放ち、ロシェに鋭い視線を投げつけた。


「おい、誰にエレナを襲えと言われた?」


 冷徹なクロフォードの声が地面を転がるロシェに振り落ちた。

 恫喝を滲ませた若草色の眼光が射抜く。


「そ、それは……」


 寒さと戦慄に震えるロシェは、思わず視線を泳がせた。


「早く言え、言わないと今度は火あぶりにするぞ!」


 クロフォードの溢れ出る怒気を孕んだ魔力に、ロシェは「ヒィッ」と恐怖に慄いた声を出した。


「ワルトだよ、ワルト・チェッカレッチ!! 

 あいつが古代魔道具の封印をした魔女を連れて来いって言ったんだ。

 アイツもかなりの魔法つ……」


 エレナとクロフォードは、同時にハッとして反射的に後ろに跳んだ。



 鋭い風の刃がロシェを襲った。



 次の瞬間、ロシェの首だけが無造作に地面に転がっていた。



 氷漬けになった胴体から鮮血がじわじわと流れ出し、鉄臭い匂いが路地に広がる。


 切断面は鋭利な刃物で切ったように滑らかで、赤黒い肉がまだ脈打つように見えた。


 蒼白な肌、殴られて腫れた頬。

 何が起きたのか理解できないまま見開くロシェの瞳。

 口は半開きで、声にならない声を残しているかのように見える。

 

 その異様な生首から、無情に血が流れ続ける。



 エレナは釘付けになり、胃の中のものがすべて逆流しそうなほど、熱い塊がせり上がってきた。


 喉の奥にせり上がる酸っぱいものを今度は耐え切れず、エレナは慌てて奥の路地裏の排水溝へと走り、胃の中のものをすべて吐いた。

 

 そのとき、軍服を着た男たちがバラバラと路地裏に駆け込んできて、クロフォードとロシェの遺体を取り囲んだ。


「お~、思ったよりも早い登場だね、第4騎士団ノーラン・ターラント団長」


 クロフォードは軽口を叩きながら、一度だけエレナの青ざめた顔を盗み見た。

 そして、エレナの視線を遮るように、一歩横にずれて自分の背中でその凄惨な遺体を覆い隠す。


 そのまま、後ろにいる彼女には一切振り返らず、現れた屈強な体格の、その中でも一際険しい形相の男を見た。


「こんな間近で強力な攻撃魔法を感知したんだ、当然だろ」


 低く野太い声が響く。


「ああ、そっか。

 悪い、生け捕りにしたんだけど、死なせちまった」


 クロフォードは肩をすくめた。


「いや、あれは不可抗力だろ。

 いま、コイツを殺した魔法使いを部下たちが追っている」


「そうか、遺体検分中に申し訳ないな」


「問題ない」


「口封じかな」


「だろうな。

 あの遺体の女もこの男と同じ理由で殺害された可能性が高い」


「もう用無しってことで?」


「ああ、たぶんな。

 これ以上生かしても余計なことしか話さない、それならさっさと殺してしまえ、的な感じだろう」


 遠巻きで野次馬たちが路地裏を覗き込む中、ノーラン・ターラントは部下たちに指示を出した。


 エレナは口元をハンカチで拭い、そんなやりとりを遠巻きで見る。


『大丈夫か?』


 心配そうに小次郎がエレナを見て、必死で短い手でエレナの背中をさすった。


「うん、ちょっと動揺しただけ。ごめん……」


『無理するな。魔物と人間の遺体は違う。感性の鋭いエレナにはきついはずだ』


 小次郎はよじ登って肩に乗ると、エレナの頬に頬ずりをした。

 小次郎の毛がちょっと硬くて、くすぐったくて、エレナはふっと笑った。


「ありがとう、今日は小次郎に助けてもらってばっかりだね」


『褒美は予定どおり林檎と、そうだなあ、他にうまい果実追加でいいぞ』


 小次郎は尻尾を振りながら、目を輝かす。


「そうだったね、小次郎に今日頑張ったご褒美で林檎を屋敷でご馳走しようと思ってたんだ」


 そうしたらこんなザマだ。


 エレナは気を取り直してフードを被ってクロフォードの元へ向かう。

 ちょうどクロフォードもこっちに走って向かって来た。


「大丈夫か?」


「うん、ごめん。ちょっと動揺した」


「いい」


 クロフォードはそっとエレナの両手を握った。その温かさにエレナはどきっとして、それからすごく安堵した。


「あの変態野郎に何もされていないか?」


「え?」


「アイツ、エレナの顔とか腰、触ってやがっただろ?」


 クロフォードは、まじまじとエレナの顔を臆面もなく見つめた。


「大丈夫、髪と顎を掴まれただけだから。

 腰もほんの少しだけだし」


「まったく汚い手で触りやがって」


 クロフォードはそう吐き捨てるように言うと、そっとエレナの顎を撫でた。


「少し赤くなってる。

 痛いか?」


「ううん、気持ち悪いな、とは思うけど」


「だよなあ。

 怖かったよな、あんなふうに男に近寄られたらさぁ。

 俺がエレナなら絶対に泣くって」


 そういうクロフォードの方が本当に泣きそうな顔をしていた。

 そう思ったら、一気に気が緩んで、視界が滲んだ。


 涙が零れた。


「ほ、本当は、す、すごく、こわ、怖かった……」


「うん、そうだよな。

 怖かったと思う。もう大丈夫だ」


 クロフォードはエレナの頭を抱きかかえて自分に引き寄せた。



 騎士団の灯りが夜を照らし、夜の騒ぎは収束へと向かう。

 エレナはクロフォードの胸にすがり、涙をこぼし、ようやく安堵を知る。


 その抱擁の温もりに包まれ、恐怖は少しずつ溶けていく。



――弱さを許された瞬間、エレナはようやく息をつけた。

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