第50話 負けず嫌い令嬢と綻ぶ結界 ―― これから忍び寄る不穏な気配
――遡ること1時間前。
エレナはようやく馬車に乗り込み、マインラート・ソシュール邸へ向かった。
疲れた。
今日はいろいろあり過ぎて、瞼を閉じると、走馬灯のようにいろんな場面が駆け巡る。
ローゼルと妖精姫の御一行を中庭で呑気に眺めていたのが、もはや遠い昔のようだ。
エレナは馬車のキャビン内の椅子にぐっと腰を沈めた。
怪しい影と土魔法の合体魔法の襲来には驚いた。
あの襲来で、研究室の結界に綻びが出ていた。
自分の防御魔法はかなり強い方だと思っていたし、マインラートも褒めてくれるほどだったから、少し自信のある魔法だった。
けど、あの攻撃魔法を仕掛けた人物。
侯国の魔術師、もしくはマリュード皇国の魔術師。
――わたしよりも強いか同等。
綻びが生じた時点で、負けた気がして悔しかった。
気合いを入れて、新たに防御魔法をかけ直した。
最大限の魔術式を駆使して防御結界を張り直し、魔法騎士団が用意した警報器なる魔道具もお借りして、何重にも厳重に結界で施錠した。
とりあえず、そう簡単に侵入されることはないだろう。
たぶん、クロフォードでも解くのは難しいはずだ。
しかし、マインラートならきっと解けちゃう。それでも、あの方が少しでも手間取るなら及第点だ。
まだまだわたしは弱い。
『なあ、エレナ。あのでっかい武官、俺様にご褒美くれるって言っていたよな?』
目を輝かせた小次郎がエレナに尋ねる。
「でっかい武官って……クレインバール卿のこと?」
『そう、そいつ!』
「う~ん、たぶん憶えていたらくれるんじゃないかな、忙しそうだったし」
『くれないから、エレナ、催促頼む』
「えー、催促するよりもわたしが用意するよ」
『やったぁ!』
最近小次郎はよく食べる。
出会った当初は「使い魔はお腹減らないんだぞ」とか言っていたのに、胡桃を昼食時にあげるようになったら“食べる”ことを楽しむようになり、しまいには、なんとなく口さみしくなるとエレナに何か食べ物をねだって来るようになった。
それはそれで可愛いから、ついあげちゃうんだが、使い魔だから肥満になったりしないんだろうか。そっちが心配だ。
でも、いまは小次郎の無邪気さになんとなく救われる。
「それにしても、今日は小次郎があの場にいてくれてよかったよ。
結界の綻びから侵入されるとは思わなかったし」
しかも、トカゲという生き物のような泥人形を使って。
『そうだろ、そうだろ。俺様はすごいんだ!』
小次郎は得意気に窓枠をよじ登って、どや顔をする。
「うん、ありがとうね」
『けど、あれだけすごい魔力で襲ってきたのに、最終的にはトカゲだもんなあ。
俺様が対抗出来るサイズでよかったぜ』
「だね」
トカゲは使い魔というよりも、昔読んだことがある東方の古文書にあった“術式”、「呪術」の式神というものだろう。
魔法とは違う術。
あれがもし「呪術」で合っているなら、それはもうエレナにはお手上げだ。
アイルナバロー連合帝国では、「呪術」は禁術とされ研究することも禁止されているからだ。
何かの古代書物で知ったことによると、呪術は魔法のように魔力残滓は残らないという。
けれど、術そのもの、たとえば今回だと式神の泥人形を手中に収めていれば、術者の魔力残滓に似た痕跡を検出することができ、また、感じ取ることは出来るとか。
今回の泥トカゲは呪術と魔法の融合だった。
呪術で隠蔽しようとしていたみたいだが、魔法を術強化で融合したせいで、魔力残滓が濃厚に残っていた。
未知なる生物だが、ルシアン・クレインバールは嬉々としてトカゲを捕獲した小次郎を褒め称えた。
レイノルドやアランは、小次郎をエレナに懐いている小動物としか思っていないようだけれど、きっとルシアンは気付いている。
主様の使い魔だって。
ひょっとしたら、ルシアンなら、その”主様”の正体も知っているのかもしれない。
「ねえ、小次郎は何であのタイミングで研究室に来てくれたの?」
馬車の窓に張り付いて外を見る小次郎に尋ねると、小次郎は得意そうに尻尾を左右に振った。
『主様が教えてくれたんだ! 侯国の魔術師があの古代魔道具を欲しがっている、ってな。
それで、俺様に「確認をして来い」ってお命じになられたんだぞ。
エレナもそろそろ屋敷に帰る時間帯だったし、行ってみて正解だったな。
さすが、主様だ!』
小次郎はまるで自分のことのように自慢げにしゃべる。
「そうだね。その情報ひとつで小次郎を寄越してくれるなんて洞察力が鋭い方なのね。
ねえ、主様は侯国の魔術師について何かおっしゃってなかった?」
『う~ん、「胡散臭い」って言っていたなあ』
「なるほど。小次郎は侯国の魔術師を見たことある?」
『具体的に俺様は誰が魔術師なのか分からんけど、あそこの男どもは二種類いるのは知っているぞ』
「二種類?」
『そうだ。素顔を出したキラキラ星人、侍女たちは“きらめき集団”と呼んでいたなあ』
きらめき……庭園を妖精姫と闊歩する色素の薄い異国の麗人たちを思い出した。
なかなか的を射ている。
『それと、口に布を覆って外套のフードを被ってる顔が見えない奴。
なんとな~くだが、あのきらめき集団は姫さんのお世話係の侍女みたいな男版で、その、顔が見えない奴らが国の偉い職に就いている付き人だ。
その中に魔術師がいるんだろうけど、モヤモヤした霧の中にあるみたいで、輪郭がよくつかめないんだ。だが、魔力は驚くほど持っているわけじゃない。せいぜいエレナ程度だ』
「ふうん」
小次郎にかかれば、エレナはそこまで「強い」魔法使いじゃないらしい。
じゃあ、エレナより魔力量の少ない魔法省の一般研究員は?と聞くと、『雑魚だ』と容赦なく切り捨てる。なかなか手厳しい使い魔リスだ。
魔法省にはいろんな部署がある。
どこも特別補佐官と一般研究員で分かりやすく分断されていた。
ディースから紹介された他部署の特別補佐官は、アメリア並みの魔力のお化けやエレナ以上に魔法オタク変人が大勢いた。その手のプロ、と言えば聞こえはいいが、どちらかというと専門知識溢れる奇人変人のスーパー魔法使いばかり。
けれど、それはごく一部。大半は一般研究員だ。
魔力量の少ない下級魔法使いもいれば、上級に近い中級魔法使いもいる。
だが家柄が下級貴族だと、魔力の少ない上級貴族に雑用ばかり押し付けられ、ひどいときは手柄まで横取りされるケースだってあるらしい。
ふと、サブリナを思い出す。
彼女にしてみたら、ぽっと出の新人が自分より上の階層で働いているのは、面白くなかっただろう。彼女はムードメーカーで、魔法の腕はともかく話題豊富で場を盛り上げる存在だったとか。
その一方で、わたしのヒューマンスキルが著しく低い。お茶会やサロン、夜会などで情報を集める勇気も気力もない。
だからこそ、魔法使いとかそんなこと関係なく、人とコミュニケーションを繰り広げ、会話を切り盛り出来る彼女のような令嬢たちを無条件に尊敬する。
いつもローゼルのフットワークの軽さに舌を巻くが、ローゼル本人に言わせると「私はコミュ障なのよ」と笑っていた。
そのローゼルがコミュ障なら、わたしは一体何なのだろう。
ローゼルからすると、同期のレイノルドを除いた男性同期陣はもっと凄まじいという。
特にネイトとランスは容姿端麗さを武器に社交界へ顔を出し、艶めいた噂に事欠かないというから、ますます自分のヒューマンスキルの低さが際立って落ち込む。
とはいえ、あの二人の見た目はそんな感じだ。
なのに、ぽんぽん飛び出す毒舌。
思い出すと、ふと笑いが込み上げた。
その矢先、馬車の速度がぐっと落ちた。
エレナは何事かと窓の外を見た。小次郎も同じように覗き込む。
馬車は橋を渡る手前で止まり、人だかりができていた。
よくよく見ると、橋の下段、川との境目。
土砂が剥き出しになった石畳の上に、魔法騎士団の軍服を着た者たちが集まり、何かを調べている。
「申し訳ございません、お嬢様。この先は通行禁止になっているようです。
なので、少々回り道をして帰りたく存じますが、よろしいでしょうか?」
若い御者がエレナに声をかけた。
「うん、もちろん。全然いいよ……」
そう答えた瞬間、視界に見知った顔が飛び込んできた。
――ワルト・チェッカレッチ。
激しく揺さぶる衝動。
群衆に紛れ込み、遠巻きで魔法騎士団たちを野次馬たちと覗き見ている。
レイノルドの話が脳裏をよぎる。
侯国の魔術師のローブをまとい、女官と揉めていた。
「ちょっとごめん、降りる。道の隅に停めて待ってて」
エレナは馬車から降り、小次郎もすかさずエレナのローブのポケットに入った。
夜のざわめきに包まれた人ごみの中、ただ一人、犯人の影だけが群衆と逆に揺れていた。
エレナはポケットの中の小次郎と迷わず人波へと踏み出す。
胸の鼓動が夜のざわめきに紛れる。
――その一歩が、取り返しのつかない夜へ続いていることを、エレナはまだ知らない。




