第49話 傍観令嬢と同期外交官の焦燥 ―― 畏怖される騎士と規格外の者たち
「さて、君と話すのは初めてだな」
部屋を出るなり、ルシアン・クレインバール総騎士団長がランスに声をかけてきた。
歩みはランスの勤務先の外務省がある執務塔へ向かっている。
「はい。共に侯国をお出迎えする役目なのに、ご挨拶も出来ず申し訳ございませんでした」
「いや、気にするな。いろいろ派閥っていう煩わしいヤツもあるしな」
それは暗に外交がグロウディーナ公爵の領分だから、と言いたいのだろうか。
ランスは曖昧に微笑んだ。
「それに君の同期のレイノルドからいろいろ話を聞いているぞ」
「レイノルドから?」
「ああ、同期の連中は裏表もなく付き合えるってね。
あんな熊みたいな巨体のくせに、レイノルドの奴、昔からすごく繊細でさ」
「繊細……」
(あれが……?)
朴訥で無口、一体何を考えているか分からないのに、存在感だけは半端ない。
悪い奴ではないんだが、彼がいると桁違いの魔力量のせいで、いまだに緊張する。
「アイツさ、学生時代、公爵家の息子だからって表ではちやほや持ち上げられ、裏では掌返し、散々陰口を叩かれた暗澹たる経緯があって、一時期すごい人間不信だったんだよ。
領地に引きこもって、従者のように馬や羊、犬に鶏、様々な動物の世話をして、しまいには魔獣まで手懐けて飼いならすようになって、気付けばいっちょ前の魔獣使い。
それでも、どこか人とは一線置いてた」
「え、魔獣ですか。それは逆にすごいですね。
でも、レイノルドらしいというか……」
「だろ? 公爵家の領地にはアイツが世話していた魔獣が、公爵家の警護にあたっているんだ」
「へえ、そこまで躾けられるなんてすごい」
ランスはなんとなく想像する。
凶暴で危険なはずの魔物たちの前に巨体な彼が立ち、餌を与え、世話をする。
彼を前にすると魔物たちの目が穏やかになり、おとなしく忠実に付き従う。
「な、領地で悪さする魔物は、その魔獣たちが退治してくれるっていう理想的な警備構図を作り上げたんだ。我が故郷でも実践したいところだが、レイノルドが特別なんだよな、手懐けるなんて易々とできるもんじゃない」
「彼なら特殊国境警備隊でも所属できそうですね」
魔法騎士団のある騎士団とは別に設けられた国境警備に特化した警備隊だ。
「そうなんだよ。けど、根が臆病で優しいから、手荒なところは行きたくないらしくてね」
ルシアンは苦笑しながら肩をすくめた。
宰相府棟を出、回廊に出た。
空はすっかり暗く、白く輝く下弦の月が真上まで昇っている。
回廊を通り、二人は執務塔に歩みを進めた。
「まっ、そんな魔獣まで懐くようなレイノルドが、同期の君たちには気を許してて驚いたよ。
さっきは少々きついことを言ったが、君も初っ端があんなわがまま妖精姫相手じゃあ、気苦労も絶えなかったよな。
しかも、教育係は君に丸投げして必要な情報すら与えない。
それじゃあ、正しいことをやりたくてもやれない」
「いえ、こちらこそ。目が醒めました。
外交官として、自分がこの国に利益あることをしないといけない、と改めて思いましたし、今もこうしてクレインバール卿が私と王宮を歩いているのは、私に箔をつけさせるためなんだな、とそのご配慮に感謝しています」
「ほう」
ルシアンの片眉が上がり、ランスはさっと周囲を見た。
回廊を通る二人を遠巻きに眺める官僚が多くいた。
無関心を装いながら注がれる視線。
好奇心を滲ませているものはいい、同じ外務省の官吏の中には大抜擢された新人をどう爪弾きにしようと悪意あるものも含まれている。
けれど、ルシアン・クレインバール卿と縁があると分かるや否や、そんな感情をひた隠す。
「偉いぞ、ちゃんと自分で気付いていたのか」
ルシアンが嬉しそうに僅かに笑顔を見せた。
その笑顔がランスには意外で、なんとなく面映く感じた。
「はい。クレインバール卿と私の会話の内容は聞き取れなくとも、新人の私があなた様と一対一で話している事実は、若手官吏には大きな衝撃になります」
「衝撃ね。まあ俺は文官の連中には怖がられている存在だからな」
ルシアンはくっくっと楽しそうに低く笑った。
「不快じゃないんですか?」
「いや、逆にそれでいいんだ。
アイツらは俺の魔力が怖い。不気味なんだろうな。
もし俺たちの会話を魔法で傍受しようものなら、俺にそれを悟られるし、それどころか魔法騎士団に目を付けられる。それは何かと避けたいはずだ」
正直、誰もが武官や王宮魔術師に注目されるのは避けたい。
ランスはルシアンの表情を読もうとするが、見事に何も読めなかった。
愉快そうに笑う彼の全身からは、何か気圧されるような迫力すら感じる。
「そうですね、同期のレイノルドにさえ、うちの外務省の先輩方はいい顔をしません」
「だろうね」
ますます愉快そうにルシアンは肩を震わせて笑った。
「我ら武官は、常に畏怖される存在であるべきなんだ。
睨みを利かせていれば、それは国内外の平穏に結びつく。
なにせ、敵国は常にこの国を取り込んでしまえるように、水面下で我々軍部の切り崩しを狙っている。
ってことで、あえてここでさっきの話をするぞ。
まあ、一応防音結界だけは施そうか。国家機密に相当する内容だからな」
「なるほど、長時間立ち話をするほど、私はクレインバール卿との対等な仲だと見せつけられるんですね」
「そういうこと」
ルシアンは、口角を上げ、笑ってみせた。
それから、ランスには聞こえないくらい小さな声で魔法詠唱を呟き、簡単な結界を作った。
「これで良しっと」
ルシアンは得意げに言った。
ランスは息を呑んだ。さすがだ。
部屋という箱もなく、こんなに容易く結界を張るとは。
結界魔法は通常、壁や柱といった物理的な境界がある屋内で使われる。
屋外では境界が曖昧になり、術式も複雑、魔力量も要する。
それなのに、あっという間に。
(この人の魔力は、噂どおりすごい……さすが総騎士団長だ)
「魔力の弱い奴らは、近寄ってくることはない。
というより、ここに結界が張られているとも気付かず、無意識のうちに避ける」
ルシアンが平然と言った。
「なぜですか?」
ランスは素直に疑問に思ったことを口にする。
「どうして、ここまで俺の立場を気にしてくれるんですか?」
本来、下っ端の文官が上級武官と交わることは滅多にない。
魔法省だけがちょっと特殊な立ち位置だが、それでも末端の下級魔法使いと武闘派上級魔法使いが交わることだって滅多にない。
「あなた様が目をかけているレイノルドと私が同期だから、という理由だけでここまでしてくださるわけじゃないですよね?」
「おお、なかなか単刀直入、確信めいてくるね。
これを親切心とは思ってはくれないのか」
ルシアンは冷笑した。
「親切心ではない、と思ったから質問させていただいております」
「ほうほう。それでこそ外交官。
常に疑え、常に探れ、常に情報を集め、その中の真実を見極めろ。
足を掬われるなよ」
「話を逸らさないでください」
ランスがむっとして言うと、ルシアンはまたくっくっと肩を震わせて笑った。
「あはは。いいね、君には見所がある。
だが、まだ若い。もう少し感情を押し殺せると最高だね。
んじゃあ、そんな若人の君にあえて言うわ。
俺はね、グロウディーナ公爵が嫌いなんだ」
「え?」
「戦争をしたがる好戦的な御仁とはいろいろ気が合わなくてね。
君のような骨のある若者をあの御仁の捨て駒にしたくないのさ」
「それだけですか?」
ランスは拍子抜けしたような表情になった。
「ああ。それだけ。シンプルだろ?」
「まあ、そうですけど」
「これでも俺はね、先見の明があるって自負している。
有望株にはそれなりに期待して、それなりに応援したくなる。
むざむざ目の前で、しょうもない嫉妬心や対抗心、虚栄心で新人が潰されるのを眺めるほど悪趣味じゃねぇ。
むしろ、頑張っている新人に手を貸してやりたいのさ。
それが人情ってもんだろ?」
ニカっとルシアンは歯を見せて笑った。
レイノルドが彼に憧れている気持ちが分かった気がした。
この人は兄貴分体質。
実際、小心者で自尊心ばかり強い自分の兄よりも兄らしい。
ルシアンはその後、ランスが知りたがっていた魅了魔法の古代魔道具の盗難未遂のことを語った。
そこで、すとんと、官吏登用試験会場で見たあの異様な風景の理由に、ようやく腹落ちした。
ランスは思い出す。
多少魔力がある自分は何も影響なかったが、魔力のない仲間たちが突如次々と操られ、試験官たちに不服の声を荒げた。
あれは不気味な光景だった。
「話してくださってありがとうございます。
要約すると、その古代魔道具を上級魔法使いが封印し、エレナがリックランス大臣の指示で分析を進めていた、けど、変な魔術で魔道具を盗もうと侵入され、それが侯国の……ひょっとしたらマリュード皇国の魔術師かもしれないと」
「そうだ」
ルシアンは鷹揚に頷いた。
ランスは、なんとなくその上級魔法使いがエレナのような気がした。
けど、あえてここで口に出す必要はない。
「それで、エレナが分析していた魔道具はいまどこに?」
「ああ、それね。そのままヴァービナス女官に一任してある」
「え、それは危ないんじゃあ……」
ルシアンはゆるゆる首を振った。
「いや、マインラート様がおっしゃったように、あの子の防御魔法は凄まじいよ」
ルシアンの顔つきが神妙になる。
「あの子の魔法を舐めたらいけない。俺と同等、もしくはそれ以上だ。
あのマインラート様ですら一目置いている。
逆に彼女の結界に綻びを作った魔術師の魔力は俺たちの想像以上で、今後も注意が必要だ」
「クロフォード・ノーエランド様の仮婚約者に据え置いたのは、ある意味彼女の護衛にもなると?」
「そう。どんなに秀逸でも彼女は一人の女性だ。男の腕力には勝てない。
それに、クロフォードはこの国で最高峰の魔法使いだ」
ランスはハッとして、頬がちりちり灼けるように感じた。
彼女を守れるのは、俺じゃない、そう言われている気がして、沈鬱な気持ちになった。
「でも、君の同期は本当に桁外れの魔法使いだよ。ああ、このことももちろん内密にな」
「それはもちろん、承知しております」
その時、結界の外でルシアンに大きく手を振る騎士がいた。
「ん? エヴァン?」
ルシアンが目を細めて覗き込み、結界を解いた。
「ああ、よかった。やっぱルシアン様だ」
エヴァンと呼ばれた騎士がこちらに走って来た。
長身に鍛えられた体、短く切り上げたブロンドヘア、爽やかで気品を漂わせる顔立ち。
社交界で何度か顔を合わせたことがある第1騎士団に身を置く花形騎士、エヴァン・ゴルマンだ。
ルシアンの弟子としても名が知られている。
「探したんですよ、ルシアン様」
エヴァンが親しげにルシアンに声を掛けた。
「お前なら魔力感知ですぐ分かるだろ?」
「そうですけど……」
エヴァンはちらっとランスを見、軽く会釈した。
「ああ、彼の前なら話しても問題ないぞ」
ルシアンがそう言うものの、エヴァンは躊躇う。
「いえ、あの……」
「どうした? 第1騎士団のお前がいるってことは何か急ぎなんだろ?」
ルシアンが歩み寄ると、エヴァンは声を潜めて耳打ちした。
眉をひそめたルシアンは、盛大にため息をついて後頭部を掻きむしる。
「どうしてこう次から次へと……」
ルシアンがランスに向き合った。
「悪い、火急の用が出来た。これで失礼する」
「あっ、はい。いろいろありがとうございました」
ランスがお辞儀をすると、ルシアンは軽く手を振ってからエヴァンとともに走り去っていった。
残されたランスは、結界の余韻がまだ漂う回廊に一人立ち尽くした。




