第45話 無自覚令嬢と偽りの恋歌 ―― 剥がされた仮面と断罪の地図
名ばかりの爵位にしがみつく父親は酒に溺れ、借金まみれ。
そんな父親に虐げられる母親。
女官として働く傍ら、弟の学費を稼ぐため、わたし、カトリーナ・ガンドルフィは毎日が必死だった。
休みの日は庶民が通う学校で臨時教師を務め、子どもたちに読み書き計算を、女の子には刺繍と声楽を教えていた。
キムバートン・アイヒヴァルトとは、そんな庶民が通う小さな学校で出逢った。
彼は剣術と歴史、簡単な魔術式を男の子たちに教えていた。
中性的な整った容姿と澄んだ青い瞳。
軽快でユーモアたっぷりのおしゃべり。
子どもたちと笑い合って、時には子どもたちを叱る彼が頼もしい。
そして、次第に惹かれていった。
彼の歴史の授業は物語のように語り、子どもたちを夢中にさせた。
男の子たちはそれを何かの冒険談のように楽しそうに聞いていたし、女の子たちも興味津々で授業を覗き見ていた。
この国の誇りを薄めるような言葉が混じっていたのに少々違和感を抱いたが、そのときは特段気にならなかったし、わたしも彼の語り口調に酔いしれた。
――女性は魔法を使わない方が素敵だ。
そんな彼はカトリーナが魔法省の女官と知ると、突如そう言って来て驚いた。
随分と身勝手な思想で、なんだか腹が立った。
わたしの生業はこの魔法だというのに。
だが、よくよく考えてみれば、貴族社会は男社会だ。
女が男と肩を並べるなんて、烏滸がましい。
身の程をわきまえなさい。
そう言われるのが常。
魔法の力だけで、男女関係なく成り上がれる魔法省が特別なのだ。
彼が魔法を使う自分を否定しているようで、ガッカリした。
けど、それ以上に世間の当たり前の感覚がすっかり抜け落ちていた自分にもひどくショックを受けた。
――いいかい、カトリーナ。
女性が魔法を使わなくてはいけないのは、そもそも男に甲斐性がないからだ。
本来女性は男性によって守られ、大事にされなければいけない存在。
大事だから、世間の汚いところを見てほしくない。
女の子には優しくしないと駄目なんだ
彼は澄んだ眼差しでそう言っていた。不思議と甘く響いた。
父の暴力に晒され、守られることなどなかったわたしにとって、その言葉は痛みと同時に夢のようでもあった。
女官になったのもわたしが魔法を使えて、女官になれば高給が貰えるからだった。
父にとって、わたしはお金を稼いでくる道具に過ぎない。
妙齢になったわたしに父は、資産家の後妻を望む貴族老人との見合い話しか持ってこなかった。
だから、女官はどんなに辛くても大変でも辞められない。
辞めたら、どこかの老人貴族の介護、性欲処理要員として嫁がされる。
そんな事情も汲んでくれる彼は、いつの間にかかけがえのない人になっていた。
彼と一緒にいると、泣いてもいい、弱音を吐いてもいいと思えた。
意地を張らず本来の自分でいられる気がしたのだ。
彼も「それでいいんだよ」と優しく言ってくれた。
ある日、そんな彼が、彼そっくりの男性を紹介してきたときは驚いた。
瓜二つともいえるほど、ふたりは雰囲気も背格好も声質も似ていた。
よくよく見ると顔の作りも肌質も目の色も全部違うのに、何故かふたりは似ていると思えて仕方なかった。
――ワルト・チェッカレッチ。
彼はマリュード皇国側に近い出自の貴族で、商人だという。
少し胡乱な感じのする男だった。
綺麗な顔をしているけど、不吉で物騒な男。
安全地帯で囲い込まれ、管理されたキムバートンのようなタイプとは異なり、目の前の男には独特な奇妙な危うさがあった。
商人だからだろうか、彼は口達者で、軽快なおしゃべりで人を笑顔にしていた。
その人物が欲しいものを必ず提供する洞察力も凄まじい。
質の良い商品ばかりを取り揃え、必ず顧客を満足させる、その手腕は、彼が商人として目利きであり、優秀なことを物語っていた。
そのくせ、見た目は若いのにかなり大人びた数々の発言。
キムバートンは、そんなワルトに絶対的な信頼を置いていた。
ふたりは留学中に知り合った学友だそうだ。
それ以来、三人で食事をする機会が増えた。
彼らふたりが話す時は、ぐっと距離が近くなって、聞いたことがない言語で言葉を交わす。
前々からなんとなく、キムバートンから時折不思議な言葉のイントネーションが混ざるところから、彼がこの国でないところで勉強してきた人だな、とは薄々感じていた。
けれど、実際ここまで他国の言葉を堪能にしゃべれることには驚いた。
知らない言語で話し、共犯めいた目配せをして笑い合うふたり。
キムバートンは彼を熱い眼差しで見つめ、屈託のない少年のような笑顔をよく浮かべた。
ワルトも熱を孕んだ視線を投げかける。
彼らの目配せの意味が正確に理解できない。
まるで恋人同士のようで、胸の奥がざわめいた。
嫉妬と駆け巡る焦燥感。
男に負けたという屈辱感とどうしようもない敗北感。
息が詰まるような感覚。
一緒にいるのが辛い。
キムバートンから置いてきぼりをくらった気分になったわたしは、もう彼らと会うのは止めようとまで思った。
「結婚を前提で付き合って欲しい」
そんなとき、キムバートンから告白された。
あのくすぐったさ、恥ずかしさ、晴れがましさをなんと形容すればいいのかしら。
わたしはすっかり舞い上がって、世界の中心にいるような気がした。
二人で歩いた王都の並木道。
濃い緑がわたしたちの上に影を落として、不思議な一体感を与えてくれた。
彼に選ばれたことが誇らしく、ワルトに対して優越感を抱いた。
付き合い始めて、わたしは有頂天だった。
相変わらずキムバートンはとても優しく、穏やかで紳士的で、わたしを大切に扱ってくれた。
――結婚式まで君には触れない。大事にしたいんだ。
そう言って、彼は手を繋ぐ。
それ以上は触れて来なかった。
それは少し寂しいことではあったけど、それだけ自分が大事にされていると思ったし、愛されていると有頂天になって何も考えなかった。
やがて、キムバートンは、頻繁にワルトの手伝いをするようになった。
――結婚資金を貯めないといけないからね。
そう言って、ワルトとふたりで何度も数ヶ月間、ふらりと西南地方の港街へ出掛けた。
帰ってくると、見たこともないような珍しい品々を大量に仕入れては、貴族の若い子女たちが出入りするサロンで売りさばいた。
ふたりの商品が売れるのは嬉しい一方、放置されたカトリーナにとって、なんだか面白くない。
けれど、カトリーナのために、キムバートンが異国の可愛い雑貨やお菓子を買ってきてくれた。
砂漠の国から届いたという星形の砂の入ったランプ。振ると、夜空のように美しく瞬く不思議で胸ときめく。
食べたこともない色とりどりの砂糖菓子や、北方の国特産の氷の花の粉を練り込んだマカロン。
――カトリーナ、いつもお留守番ありがとう。
カトリーナがこうして「おかえり」と言ってくれるから、俺は安心して商品買い付けの旅ができたんだよ。カトリーナのお陰だ。
キムバートンから注がれる熱い眼差しは、わたしの不安と鬱憤を払拭してくれた。
カトリーナのお陰だ。わたしの頭の中では、その言葉だけが鐘のように明るく響く。
そして、彼らのところには、いろんな人間が出入りし始めた。
それが、彼らの「商売」に関係する人であると徐々に気づき始めていたが、一体それがどういうものなのか分からなかったし、無意識のうちに「知らない方がいい」と自分でも避けていた。
それに出入りする人は、貴族や裕福な商人ばかりで、これといっていかがわしいところは見当たらなかった。
そして、この頃だ。
サブリナがわたしに声をかけるようになったのは。
どこで見たのか、わたしがあのふたりと食事しているのを目撃したらしく、彼らを紹介して欲しいとねだり始めた。
サブリナは厄介な女だ。
縁故採用制度のない魔法省なのに、前魔法省大臣が彼女の実家から賄賂を受け取り、無理矢理ねじ込んで入省させた下級魔法使いだった。
家柄だけを盾に横柄な態度を取る姿は不快としかいいようがなかったけれど、傍から見れば天真爛漫な令嬢そのもの。
彼らが理想とする“保護されて育った女の子”に見えて、少し妬ましかった。
その後も彼女がしつこく纏わりついてきて、しまいには、三人の食事会に強引に割り込んで参加してきた。
ワルトは、突然現れたサブリナに嫌悪を示すわけでもなく、笑顔で受け入れた。
彼は、女性の扱いが驚くほどとても上手だった。
サブリナが喜ぶような会話をぽんぽん披露する。
瞬く間に、サブリナはワルトの虜になった。
わたしは、彼女が気に入ったのがキムバートンでなかったことにほっとする一方、正直あまり好ましくないと思えた。
なんとなく、自分だけの居場所を奪われたような感覚があって嫌だったからだ。
その後、四人で会う機会が増えた。
憂鬱だった。
サブリナは、早々に嬉々として自分の両親にワルトを紹介したそうだ。
彼女の両親は、ずっと縁遠かったサブリナの初めての恋人を諸手を挙げて歓迎していたという。
そんなある日、ワルトとキムバートンが「官僚になりたい」と言い出した。
キムバートンは、官吏登用試験の受験資格があったから、あとは勉強に励めば問題ない。
だが、問題はワルトだ。
ワルトはこの国出身の貴族でなかったし、そもそも洗礼式だって受けていない。
だから受験は難しい、と思った。
けれど、そこはサブリナが親の力を借りて、教会の牧師を買収、洗礼式の記録を改竄して、無理矢理受験資格を獲得したのだ。
――しかし、彼らは国賊としてあの日魔法騎士団に捕縛された。
それでも、わたしの胸には、なお、彼の青い瞳の残像が焼き付いていた。
*
「二人が怪しいと思ったきっかけは?」
カトリーナは震える指をぐっと抑え、静かに眉目秀麗なマッシュに尋ねた。
「内緒。でも、これを教えてくれたらいいよ」
マッシュは机の上に、カトリーナが倉庫侵入時に使っていた薄絹の布を無造作に置いた。
縁には銀糸で繊細な刺繍が施されており、光の照らし具合で淡い紋様が浮かび上がる。
「この透明マントはどこで入手したの?」
またあの目だ。
口元はやんわり微笑んでいるくせに、人を小馬鹿にしたような侮蔑が含んだ冷徹な目。
「知り合いの商人よ」
カトリーナはぷいっと視線を逸らした。
臆面もなく真正面から彼を見るのが耐えられないからだ。
「へえ、知り合いの商人ねぇ、名前は?」
「知らないわ」
「そうか、じゃあ、教えてあげられないな。
でも、どうせワルト・チェッカレッチだろ?」
カトリーナはたちまち顔に血が昇るのを感じた。
だが、漣のように起きる当惑をぐっと押し殺して、必死に表情を隠すように冷静を装った。
「何言ってるの? 彼は貴族よ、商人じゃない」
「ふうん、そうやってしらばっくれる気?
否定は早かったね。
つまり、君はワルト・チェッカレッチを知っているんだね」
「それは……」
ぎくりとした。
マッシュの乾いた声に背筋に冷たいものが走り、カトリーナは必死に表情を繕った。
「知っている人は知っているでしょ。
社交界とかで顔を合わせたりとか……」
歯切れの悪くなるカトリーナにマッシュは口元を歪めて笑った。
「申し訳ないんだけど、ワルト・チェッカレッチは一度もこの国の公の社交界に顔を出したことがないんだぜ」
「え、まさか……」
ワルト・チェッカレッチは顔の広い男だった。
確かに大きな夜会や舞踏会では見かけたことはないけど、若者が集まるサロンや食事の席では必ず誰かが彼に声をかけていた。
マッシュは冷淡に続けた。
「大貴族の皆さんはチェッカレッチ家を存じない。
彼が姿を見せるのは、酒場か貴族専用の食事処、小規模な若者貴族サロンばかり。
大々的な社交の場は避けていたんだよ。何でだと思う?」
「え? し、知らないわよ」
カトリーナは喉が詰まるように乾き、視線を逸らした。
「へえ、知らない、ふうん……。
そうそう、そういえば最近ひとつ奇妙な証言があってね」
マッシュはもったいぶった口ぶりで、ねっとりとした視線を向けた。
「今日の昼過ぎのことなんだけどね、王城内で彼そっくりの某国の魔術師を見かけたっていう証言があった。
しかも君とサブリナ・フィルチ女官の三人が密会してた、とね。
かなりの修羅場だったとかで、証言者も驚いていたよ」
背中が冷たくなる。
嫌な汗が流れ始める。
「なんのこと?」
自分の迂闊さに腹が立った。
けど、ここは誤魔化して乗り切るしかない。
「そうか。それもしらばっくれるわけだね。
うん、わかった。
それじゃあ、話を変えようか」
マッシュは気を取り直して、机の上に没収されたマントを指で摘んで弄ぶ。
「このマントね、実はインリューラーク王国の古代魔道具なんだぜ。
最近盗難に遭ったんだって」
「わたしは盗んでないわ」
すかさず否定する。
「うん、大丈夫。
誰も君が盗んだなんて思ってないから」
カトリーナはほっとする。
やってもいない罪を擦り付けるようなことはさすがにしないようだ。
「だって、君の実力じゃあ厳重な警備体制の他国の宝物庫に侵入すらできないでしょ。
君はそこまで優秀な魔法使いじゃない」
マッシュは事なさげに言い捨てた。
カトリーナはまたカッと顔が熱くなった。
屈辱感に満ち、唇を噛みしめた。
こめかみがドクドクと鳴り響く。
暗に「お前なんか魔法使いとして歯牙にもかけていない」と言いたいのだろう。
思い出すのは、新人のエレナ・ヴァービナスの防御魔法だ。
あれは凄まじかった。
あんな貧相な恰好で、貧弱な魔力量なのに、緻密で美しい魔法結界。
驚愕した。
あの子なら、この男も認めるのかもしれない。
それから、キムバートンにも。
「そう、それでインリューラーク王国から窃盗犯の魔力残滓が送られてきたんだよね。
まさに国際指名手配ってやつだ」
マッシュは急に思い出したように言い、白々しく笑った。
不愉快な笑みだ。
そもそもこの男の笑顔に、絆されることは、もう絶対にないと思う。
それでも、この美貌で色めき立つ令嬢が後を絶たないことで有名だし、数時間前の自分もそんな彼女らに混じってぽーっと彼の美貌に見惚れていた。
「そうしたら、意外な人物の魔法残滓と一致したんだよ。
誰だと思う?」
ふいに、マッシュが身を乗り出して、まさに屈託のない令嬢たちが蕩けそうな甘い笑顔で、カトリーナに尋ねた。
「さぁね」
カトリーナは腕を組み、マッシュからおもむろに視線を逸らした。
「本当に? そうか……。
実はね、先日のワルトとキムバートンが王城の正門周辺に仕掛けた爆破羅から漂う魔力残滓と見事一致したんだよね」
「まさか、キムバートンが犯人だというの⁉」
思わずカトリーナはキッとマッシュを睨みつけた。
「いいや。彼が実行犯だなんてけっして疑ってはいないよ。
なにせ盗難が起きた頃、君とキムバートンは学校で子どもたちに授業をしていただろ?
街のバザーに出すものを子どもたちと毎日夜遅くまで作っていたとか。
それを君以外の数人の教師からも証言がとれている」
カトリーナはほっと胸を撫で下ろした。
マッシュは続ける。
「となると、自ずと、消去法でワルト・チェッカレッチになるんだ。
っていうかさぁ、ワルト・チェッカレッチって何者? 貴族? 泥棒? 怪盗? 商人?」
「え?」
「彼ね、こういっちゃあなんだけど、彼の記録そのものがこの国にないんだよ。
不自然に洗礼式をこの国で行った記録だけは残っているけど。
それもさぁ、ここ直近、無理矢理付け足したように記録されてるんだよね」
カトリーナはなんとなく視線を床に落とした。
そりゃあそうだろう、サブリナの両親が娘のためカネを握らせて捏造した記録だ。
「ワルト・チェッカレッチっていうのは偽名だね。
そもそもチェッカレ家は四大公爵家のひとつ、グロウディーナ公爵家の傍流となっているけど、後継が生まれなくて数年前に絶家しているんだ」
「じゃあ、キムバートンは?」
「ああ、彼は腐ってもこの国の貴族の五男坊として生まれた記録があったよ。
あそこは子だくさんだからね、両親の意向で生まれてすぐに他国の親戚に弟と養子に出したんだって。
これについては、正式な届け出が出てなくてねぇ……」
マッシュは1枚の書類をペラペラめくりながら、頭を掻く。
「彼を捕縛した直後、彼の両親がそう弁明していたらしいね。
すごかったらしね、『キムバートンが行ったテロ行為に我が家は何も関係ない』ってね、縋りついて来て聴取した騎士団員たちはかなり手こずったそうだ」
マッシュは大袈裟に手をひらひら振った。
カトリーナはぐっと拳を握った。
爪が掌に食い込み、痛みで必死に気を紛らわせた。
(キムバートンは両親から切り捨てられたって話してくれたわ)
どうしてそんなふうにあんな素晴らしい彼を切り捨てられるのか。
侮辱だと思わないんだろうか。
彼は国賊でもなければ、泥棒でも怪盗でもない。
彼は、間違いなく善人だ。
だってあんなに優しくて正義感あって人情に厚い。
彼は友人のワルトを見捨てることができなかった。
それだけよ。
(わたしだけは彼を信じる!)
カトリーナは怒りに似た苛立ちを覚えた。
それに目を丸くさせたマッシュが、しげしげとカトリーナを見た。
「その様子だと、君は本当に彼のことを何も知らなかったんだね。
彼らがどんな悪事をしてきたかを」
マッシュは今度、心底憐れむような目を向けた。
憐憫の情と哀切が込められる。
それは屈辱を越えて恥辱としかいいようがない。
むかむかと純粋な怒りが湧いてきた。
「悪事は全部ワルトのせいよ。キムバートンは唆されただけよ」
カトリーナはマッシュを睨み返した。
「ふうん、恋は盲目とはよく言ったもんだ」
マッシュは鼻で笑った。
いらっとした。
けど、そんな憮然とするカトリーナを尻目にマッシュはますます嘲笑った。
「キムバートンはマリュード皇国の間諜であり、工作員だよ。
爆破羅をメインで作ったのは、キムバートンだ」
「まさかっ!」
マリュード皇国は、亡国ナバロー王国の王族や貴族が逃げ込んで建国した国だ。
彼らは二百年経ったいまでも、この国を手に入れようと虎視眈々と狙っていて、今も隙あらば手中に納めようと蠢いている危険国家だ。
そんな物騒な国とキムバートンが関係しているわけがない。
「もう一度調べ直してよ!」
カトリーナは思わず立ち上がって、机を力任せに思いっきり叩いた。
「爆破羅だってきっとワルトに頼まれて渋々なのよ。彼が武器を作るなんてあり得ない。あれだけ子どもたちにも好かれてて平和を愛する人だったわ!!」
マッシュは愉快そうに肩を揺らして、くっくっと笑った。
「いやあ、君は立派だよ」
わざとらしく、パチパチと拍手をする。
「そこまで恋人を信じてあげられるんだから。まさに愛の力?」
その声は明らかに軽蔑が含まれていた。
どうして。どうしてあんたにそんなことを言われなきゃならないの。
全身を熱くて嫌なものが駆け巡った。
部屋の端に静かに立っていた書記官のドレイク・フロストパンセがカトリーナの肩を叩いた。
「座りなさい。女性に乱暴はしたくない」
冷ややかな声にゾッとして、カトリーナは静かに座った。
その間、ずっとマッシュは肩を揺らして笑い続けた。
「君にキムバートンの華麗な経歴を教えてやるよ。
奴は他国に養子に出されたあと、親戚の伝手でマリュード皇国の軍人養成学校に入学したんだ。
そこでスパイ活動のありとあらゆることを学び、このアイルナバロー連合帝国に戻って来た。
奴の目的は亡国となったナバロー王国を再興するためだ」
カトリーナは絶句し、首をゆっくり振った。
そんなわけがない。
あんな素晴らしい人が、敵国の工作員でこの国を滅ぼそうと画策していた?
すぐに「まさか」と打ち消した。
「キムバートンの本質は残忍極まりないぜ。エグいエグい。ええっと」
マッシュは手元にあったファイルをめくって、その中の書類を読み込む。
「工作員だとバレそうになると数十人の関係者全員を食中毒と偽って毒殺。
ある時は潜入していたその村人を皆殺し、自分に懐いてた女子供は奴隷として人攫いに売りさばき、アイルナバロー連合帝国にテロ行為を何度も仕掛けている。
しかも、この国の錬金術師など、学術権威者や技術者たちをマリュード皇国に拉致監禁した事件にも深く関与しているみたいだ」
研ぎ澄まされた刃で切ったような口調。
カトリーナは咄嗟に何を言われたのか分からなかった。
「参ったよなあ、俺、何度もコイツとニアミスしてたんだぜ。
残党がまさかこんな形で炙り出せるとはね」
マッシュは面倒そうに資料を見ながらカリカリ頭を掻く。
「ああ、そうそう、もうひとつ、残酷なお知らせしないといけないことがある」
マッシュの澄んだ双眸がカトリーナを射抜くように見た。
「アイツは最初からあんたを利用する気満々だったんだ」
「そんなわけないわ」
すかさず反論した。
「じゃあ、知ってた?
アイツは男にしか興味ないんだぜ」
「え?」
「あんたに見せてた顔は、ぜ~んぶ演技。
しかもワルトと熱々の恋人同士。
同棲していたし、二人の愛の巣で、肉体関係がある証拠も見つけたんだよねえ、これが」
カトリーナは愕然とした。
一瞬、頭が真っ白になった。
でも、すんなり納得した。
どうしてキムバートンが頑なにわたしに触れなかったのか。
手を繋ぐだけで、ハグもキスもしない。
そう、ずっと彼はわたしなんか触れる気なくて、最初から愛してなかった。
「残念ながら、あんたは利用されたんだ。
キムバートンにとって、駒の一つに過ぎなかった」
優しく紳士的に振舞いも、恋人のフリをしたのも、ありのままの自分を受け入れたのも全部彼らの任務のため。
いいように使われたのだ。
カトリーナは血が頭に上り、視界が赤く染まるようだった。
キムバートンにとって、駒の一つに過ぎなかった。
マッシュの言葉がくっきりと胸の奥を刺す。悔し涙が滲んできた。
「それにしてもさぁ、このキムバートンって奴は、困ったことをしてくれたね」
マッシュはファイルをパタンと閉じて、手を組み、わざとらしく大きなため息をついた。
「アイツさぁ、この国の内部から崩すために、各地の教育部門で庶民の子どもたちに間違った歴史を教えていたんだからさ」
「間違った歴史?」
「ああ、そうだよ。
畏れ多くも我が国の皇帝陛下の祖先が、ナバロー王国から卑怯な手を使って王権を奪った、ってね。
あんただって、そこのアルバイト教師で、帝国公務員だったんだからさ、彼の授業聞いたり教材見たりして、微妙に違和感を覚えてたんじゃねぇの?」
ことなさげに尋ねてくるマッシュだが、その目はひどくカトリーナを責めていた。
武官と文官だが、同じ皇帝陛下に忠誠を尽くした臣下の帝国公務員。
「それは……」
カトリーナは居堪れなくなって、視線を床に落とした。
「なあ、何で魔法騎士団に相談しなかった?」
マッシュはぐいっと身を乗り出す。
「ああ、そっか。その時点であの男に惚れこんでいたか」
カトリーナはぎくりとした。
そうだ、わたしは薄々気づいていた。
彼の教える歴史が物語調だったとしても、かなり歪んだものだと。
あえて見て見ぬふりをしていた。
英雄を滑稽に語り、どこかこの国を卑下するような響き。
わたしの胸には小さな棘が残っていた。
けど、彼に嫌われたくなかった。
愛されたかった。
国に忠義を尽くす帝国公務員にはあるまじき行為だったとしても。
「お陰で国としても歪んだ歴史を放置しておくわけにはいかなくてね」
マッシュの暗い目がカトリーナを見据えた。
「間違いなく、キムバートン以外にもマリュード皇国の工作員たちは、この国の平民として紛れ込み、様々な場所で歪曲した歴史を子どもたちに吹き込んでいる。この国を確実に内部崩壊させるために」
またこの目だ。
なんて冷たい目。
人を殺すのも躊躇いのない目だ。
カトリーナは茫然自失としたまま、マッシュの話に耳を傾ける。
「だからね、宰相閣下が直々に動いて、わざわざ著名な歴史学者たちをお招きしたんだよ。
それから、宮廷お抱えの吟遊詩人たちに正しい歴史物語を説いたんだ。今頃その吟遊詩人たちが各地を飛び回って、正しい建国物語を謳っているよ。
平民の彼らは日々の日銭を稼ぐのに必死だ。
繰り返し繰り返し伝えれば、やがて歪曲した建国物語は風化するだろう。
まあ、そこで殊更『吟遊詩人の話は間違っているぞ』と喚き散らした奴らは、第9、第10騎士団が各地で捕縛、残党を一網打尽するつもりだけどね。大いに騒ぎ立ててもらおうか」
イヒヒ、と意地悪く笑うマッシュ。
カトリーナにはその声すら遠くなっていく。
自分の心が崩落していくのを自覚した。
キムバートン、ねえ、あなたは何を見ていたの?
光り指すあなたの端正な横顔。
自分が思うよりも、わたしはあなたに恋をしていた。
息ができない。
あんなにそばにいたのに。
まるで、嘘みたいに薄っぺらい関係性。
でも、忘れられないの。
わたしには、あなたの横顔ばかりが思い出される。
足元が崩れていく錯覚が襲う。
バランスを失い、何を信じていいか見失う。
「さて、君の罪は、窃盗および窃盗未遂と、度重なる刑部省への建造物侵入罪だ。
あと、魔法省で事件を起こして捜査を混乱させた公務執行妨害」
マッシュが仕切り直す。
同時に、ドレイク・フロストパンセが机の上に一枚の手書きの地図を置いた。
カトリーナはサッと顔を強張らせた。
「あんたの所持品からお手製の地図が見つかった。
これは最早、共謀罪越えて、国家反逆罪に国家転覆罪も視野に入れるべきだな」
ぎろりとドレイクが眼光を鋭く光らせてカトリーナを睨んだ。
「へえ、君、軍部内部の詳細地図を作ったんだね」
マッシュが感心するように、地図をまじまじと眺め見た。
「武器庫に、火薬庫、押収品保管庫、資料室、会議室に訓練場、書斎に……これはすごい、驚いたね、君、案外地図描くのがうまいね」
子どものようにはしゃぐマッシュの声が三半規管にねっとり絡みつく。
「すごく見やすいし分かりやすい。
これなら初めて刑部省を訪れた人でも、一目瞭然で迷子にならずに済むな。
しかも、軍部上層部のお偉いさんの部屋まで丁寧に書いてある。
これを闖入者が使えば、帝国は一瞬で混乱に陥るだろうね」
マッシュは地図を指でなぞりながら、絶賛する。
「いやはや、地図屋に転職できるほどの腕前だ、素晴らしいね」
けれど、カトリーナは全然褒められている気がしない。
むしろ、皮肉めいた笑みが不気味でしかたない。
「さて、では、これは何のために作ったの?」
不意に声が低くなった。
「んで、誰に渡す予定だった?
ひょっとして本当はこの後ワルトとサブリナ嬢と落ち合う予定だったかな?
そうなると、これは国家転覆罪どころか、まさに国賊だね」
「わ、わたしが描いたわけじゃないわ。
も、貰ったのよ、ワルトからよ」
毅然としようにも声が震えた。
「ふうん、筆跡で誰が書いたのか鑑定できるのに?」
したたかなマッシュの目に、カトリーナはぎくりと肩を震わせた。
「別にいいぜ、ここで貰ったと言い張っても。
その代わり、筆跡が君のモノと一致したら、偽証罪追加するだけだから。
ま、国賊だからねえ、微罪の微罪になるなぁ」
「爆破羅設置については?」
ドレイクが間髪入れず低く尋ねた。
「あぁあ、そうだった。
すっかり大事なことを失念していたよ」
マッシュは大袈裟に自分の額を掌でペチペチ叩く。
「ワルトとキムバートンの置き土産の爆破羅を盗んだから窃盗罪追加。
それも窃盗罪でも最も証拠物を盗んだってことで、窃盗罪でも罪の重い国家重要物窃盗罪だ。
で、爆破羅設置は、もはや爆発物取締罰則違反、おめでとう!
極刑決定だね。
一族もろとも道連れ確定?」
マッシュはにこやかに言った。
カトリーナはいやいやと首を振った。
「わ、わたし、そ、そんな、国家転覆なんて考えてない。
ただ、キムバートンの敵討ちをしたかっただけよ」
今頃になって震えが起きる。
血の気が引いて、背筋が凍り付く。
「だとしても、数々の罪を犯したのは事実」
カトリーナはガタガタ歯を震わせた。
(あぁ、わたしはなんてことをしてしまったのかしら)
マッシュはゆっくりと両手を組み、威圧感を込めてカトリーナを見据えた。
「さて、もう一度聞く。
この地図は誰に渡す予定だったんだ?
答え次第では罪が軽くなるかもよ」




