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婚約破棄された引きこもり魔女ですが、実は天才魔女でした。王宮で無自覚覚醒します!  作者: 兎丸 蓮


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第42話 無自覚令嬢と金木犀が告げる真実 ―― 古代の残り香と泥人形

「え? なんで?」


 エレナは反射的に腰を浮かせた。


――侯国の魔術師がさっき話題に上がった”古代魔道具”を狙っているらしい。


 レイノルドから打ち明けられた台詞(せりふ)


 エレナの顔が強張った。


「どうして侯国が?」


(まさに寝耳に水だよ……)


「どうやら侯国が、自分たちの国の所有物だと主張しているみたいなんだ。

 しかも数年前に盗まれたとかで、自分たちに返却して欲しいという要請があったんだよ。

 でも、分析しているエレナにはリックランス大臣から何も音沙汰はないんだよな?」


 レイノルドの声が低くなった。


「うん、ないっていうか……それ初耳」


 訝しげに思うエレナは、小次郎を見た。


『いいぞ、こいつらなら研究内容を話しても』


 胡桃を頬袋に入れたまま、もぐもぐする小次郎がエレナの肩までよじ登って耳元で囁く。


 頬を膨らませた小次郎がつい可愛くて、その頭をエレナは指の腹で優しく撫でた。

 小次郎の目を細め、気持ちよさそうにしていた。

 それから、何事もなかったように、エレナの頭に飛び乗り、再び胡桃に齧りついた。


「つまり侯国側は自分たちの国の盗品だから返せ、って言い張っているのね?」


 エレナは確認するように訊いた。


「ああ」


「その証拠は?」


「古代魔道具だからと宝物庫にしまってあった、と言い張るだけで確固たる物証はない」


「それはおかしいよ」


 エレナは首を捻った。


「おかしい?」


 ルシアンがぴくりと片目を開けて呟いた。

 エレナはびくっと肩を震わせた。


「あれ、寝てたんじゃあ……」


「仮眠だ」


 むくっとルシアンは起き上がった。


「で、おかしいっていうのは?」


 ルシアンは目をこすりながらエレナに尋ねた。


 その目は、さっきまで仮眠をとっていた人の顔じゃない。

 まさに鬼の騎士団長の顔つきだ。

 先ほどまでの眠たげな空気は霧散し、その瞳には鋭い光が宿っている。


 エレナは真っ直ぐルシアンに向き合い、背筋を伸ばして座り直す。


「はい。結論から言えば、あの古代魔道具は長い間、マリュード皇国で眠っていたものなんです」


「ほう、マリュード皇国に? 侯国も敵対している国だな」


 ルシアンの顔が一気に険しくなった。


「はい、だから、侯国の言い分がおかしいんです」


「その根拠は? それに、なぜマリュード皇国だと分かった?」


 率直に切り込んでくるルシアンに、エレナは心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。


「えっと……その辺りのはっきりとした文献が見つからなくて、直近の持ち主の魔道具の“ニオイ“を辿って調べました」


「魔道具の記憶の”ニオイ”?」


 ルシアンがそのまま聞き返す。


「はい。けど、文献とか確固たる証拠がなくて、憶測でものを言うことになるんですけど……」


「ああ、憶測でもいい。

 その、”ニオイ”っていうのはなんだ?」


「”ニオイ”――わたしが単にそう呼んでいるだけなんですけど……。

 その……持ち主の個性といえばいいか、持ち主と共にいたときの記憶、って言えば分かりやすいですかね。それぞれオリジナリティのある独特なニオイが強く感じられるんです」


 エレナはうまく説明できないのをじれったく思いながら首を掻く。


「へえ、ニオイねえ……」


 ルシアンが顎を撫で、ちらっと作業台の上にある古代魔道具に視線を投げた。


「古代魔道具は意思が宿るっていいますよね。

 分析魔法を使えば使うほど、当時の記憶の絵が浮かぶというか、香りが漂うっていうか、声が聞こえるというか……。

 論理的に説明しづらいんですけど、その持ち主の記憶の欠片のような匂いと映像が鮮明に漂うんです」


 エレナは言葉を探しながら、ルシアンとレイノルドを交互に見た。

 二人は、要領を得ないと言いたげな複雑な表情を浮かべる。


「つまり、魔道具に宿った当時の記憶をヴァービナス女官は”感じた”ということか。

 その”感じた”ものを”ニオイ”と表現している。その認識で合っているか?」


 ルシアンが確認するように尋ねた。


「はい。そうです。その香りが凄いんです。

 それから、その場にいたような不思議な感覚に襲われるんです」


「ほう……。魔術式のように建設的に理論を構築できるわけじゃない感覚か。

 理屈を超えた直感。

 確かにそういうのは理屈抜きで感じるのが魔法だったりもする。

 まだ魔術式が論理的に解明されていない新しい魔法は、そういう感覚もあるよな。

 なんとなくだが、まあ理解できる」


 ルシアンは顎に手を当て、首を傾げながら頷いた。

 どうやら、なんとなくでもこの不思議な感覚を分かってくれたようだ。


 レイノルドは理解できないのか「むむむ」と唸っている。



 魔法は使える。

 魔力だって感じられる。


 けれど、この魔法という奇跡の力の全容をはっきりと理論的に、まだ誰も説明できない。

 

 それだけ魔法というものはまだ人知を超えているということ。

 人間が魔術式を描いたりして確実に分かっていることは、まだまだごく一部ということだ。


 だから、魔法はおもしろい。



「それで、そのニオイから何が分かった?」


 ルシアンが改まった口調で尋ねた。


 エレナは二人に少しでも伝わるように必死で言葉を紡ぐ。


「最新の所有者はご存知、セインレイム准男爵令嬢です。

 彼女は、綺麗なマリュードナバロー語を話す男からあの魔道具を受け渡されていました。

 ニオイから強い金木犀きんもくせいの香りがしました」


「あの、エレナ、すまない、花に詳しくなくて……」


 困った顔でレイノルドが口を挟む。


「金木犀とは、花の色は黄色からオレンジ色だよな?」


「うん、それ。甘くて濃厚な香り」


「ああ、そこに清涼感が絶妙に調和した独特な香りがする、あれかな……」


 レイノルドは記憶を探るように考え込んだ。


「そう。それで、そのニオイは香水のように強く、ずっと続きます。何十年に渡って」


 エレナはすっと瞼を閉じて、古代魔道具から漂う”ニオイ”を思い出す。


「それからニオイは変化します。

 城の庭園を大輪のダリアが色とりどり咲き乱れる映像をわたしに見せました。

 そこから香る懐かしい感覚、たぶん、このアイルナバロー帝国……ううん、建国年から考慮すると、ナバロー王国時代にあたります」


 この王宮は亡国ナバロー王国の宮殿を浄化し、そのままうまくリメイクして、魔法力で造り上げている。

 いろんな連合諸国の集まりで成り立った国であるからこそ、歴史をすべて破壊せず、伝統を重んじてあえて残すスタイルだ。


 エレナが見たダリアが咲き誇る城は、現在の王城の骨格部分は変わらない。


「その前は砂っぽかったり、肉を焼くような匂いにスパイスの香りとか入り交じって渾然一体(こんぜんいったい)となっていたり……。

 それがまた鼻がひん曲がりそうなほど強烈で、言語も全然分からない。マインラート様に確認しても聞いたことのない言語だとおっしゃるし……。

 なので、その辺りは、ごめんなさい、文献も残っていないので、わたしでは特定できませんでした」


「まあ、言語についてはその筋の学者に確認するのが手っ取り早いな」


「はい。マインラート様が確認してくださっています」


「じゃあ、その回答待ちになるな。

 もし、それが敗者の国なら、確固たる文献記録が残っている方が奇跡だ」


 現存している文献は、たいてい勝者だけの歴史だ。

 なぜなら英雄譚として後世に残したいという思いや、神格化し、その国の権威を示すためのものだったりするからだ。

 

 だから、敗者の歴史はそうそう残らない。

 敗北者の英雄譚はいらない、統治するのに邪魔だ。

 ない、と言われればそれまで。

 そこは資料的に空白地帯になってしまう。


「でも、その、あの魔道具のルビーの金具に刻まれた文言から辿って、神話に近い文献は見つけました」


 エレナは山積みの古書からいくつか本を取り出して、二人の前のテーブルに広げた。


「へえ、すごいじゃん」


 ルシアンが感心しながら椅子に座り直した。


「えっと、この文献を辿ると、あの魔道具は、侯国のよりさらに東、砂漠を越えた香辛料で有名なイヴァノフ地方の聖スヴェトラーナ王国の創成期に作られたようです」


 エレナは自分のメモ書きの入った古代大陸地図を広げた。

 ルシアンとレイノルドはエレナが指差す地図を食い入るように見た。


「ふうん、イヴァノフ地方かぁ。完全に伝説級の国名だな。そこは古代ダンジョンも多いところだ」


「はい、そうです。ちなみに、赤いルビーはここ、イヴァノ湖に棲んでいたレッドドラゴンの魔石です」


 大陸地図で目立つ大きな湖。


 エレナは、分析中に赤いルビーに触れた瞬間を思い出した。


 まるで竜の息吹のような震えが体中を駆け巡った。

 先日リデルから引き受けた杖の材料分析で感じたときと同じ感覚だ。


”ドラゴンの髭”


 結晶化魔法と酷似したドラゴンの気配。

 興奮で、思わず胸が高鳴った。


(あの仕事は本当にかなり有意義だったなあ。リデル様に感謝っ!)


 リデルの引き攣った顔をなんとなく思い浮かんだ。


「『旧ガルガンチュア帝国物語』というあちらの地方の伝承をまとめた物語があります」


 エレナは改まった声で話を進めた。


「ああ、伝説の勇者が出てきて云々って話だろ?」


「はい、その中に、イヴァノ湖に棲んでいたレッドドラゴンを退治し、その魔石から作った古代魔道具が登場します」


 二人が古代地図を興味深そうに眺めている間に、エレナは古くて分厚い神話本をしおりが挟んであるページまで開く。


「実は、この魔道具についてのデザイン描写がちゃんと絵画として記録されていたんです。

 それがこの古代魔道具が一致しました」


 二人の前にそのページを差し出した。

 そこにはまさに、あの古代魔道具と酷似した絵が描いてあった。金細工の細かな部分までしっかりと描かれている。


「ほう、これはすごい。見間違えようがないな」


 ルシアンは感心し、レイノルドも歴史のロマンを感じたのか、少年のように目を輝かせた。


「とはいえ、さすがに数千年前です。そこまでいくとさっきの“ニオイ”は感じ取れませんでした」


 エレナは苦笑した。


「いや、ここまでちゃんと文献に残っていれば充分だ」


 ルシアンがそういう傍らで、レイノルドも大きく頷いた。

 エレナは褒められてなんだか、こそばゆい気持ちが胸いっぱい広がって、思わず笑みが溢れた。


「えへへ、そうですか。で、あの魔道具、発端は聖スヴェトラーナ王国の国王が大陸の東方、ガルガンチュア大帝国の老王に嫁ぐ妹姫ために作り、贈ったものなんだそうです」


「ほう」


「ガルガンチュア大帝国はご存知かと思いますが、とても厳しい差別主義の残忍な国でした。

 なので、せめて老王に好かれれば無下に扱われることはないだろうと思い、作ったそうです」


「へえ、遠くの他国に嫁ぐ娘への親心かねぇ」


 ルシアンが顎を撫でた。


「ですが、彼女が嫁いだ数年後ガルガンチュア大帝国は滅びました。

 その後、伝承を辿っていくと、エーテルヴァード王朝、アンバーフィヨル妖精公国、ヴァルチュール魔国、シプの国とおとぎ話でしか耳にしない国に渡ります」


 エレナは、地図で、この辺に存在していただろう、と言われている位置を次々と指差す。


「実はこれらの国には共通点がひとつだけあったんです」


「すべて傾国の美女で滅んだとされている国々だな」


 即座にルシアンが言い当てた。


「はい、そのとおりです」


 この総騎士団長はなかなか歴史に造詣が深いらしい。


「まさか、古代魔道具の魅了魔法で滅んだのか?」


 ハッとしてレイノルドが尋ねた。

 エレナは首を振った。


「さすがにそこまでは……。

 けど、その可能性は高いかも、です」


「ふむ、どれもこれも大陸の東方北部の国々ですね。侯国とはかけ離れています」


 レイノルドが唸るように地図を見入る。


「だな。それ以前に、随分と年代物の魔道具であったことが判明したことは興味深い」


 ルシアンはしげしげと作業台の上の魔道具を見つめた。


「要約すると」


 レイノルドは地図で古代魔道具の移動した箇所を指差す。


「古代魔道具は聖スヴェトラーナ王国で作られ、ガルガンチュア大帝国に渡り、幾つもの滅亡した国を巡った。

 それから、たぶん砂漠を越えて、ここ、アイルナバロー連合帝国建国前のナバロー王国に辿りついた。

 そして最後にマリュード皇国へ至り、再びこの国にやってきた。そういうことだな」


 エレナは大きく頷いて、語尾を強める。


「で、話は戻しますが、肝心なのが金木犀です」


「金木犀ねえ」


「はい、この植物は、一年の大半が雪降る寒い地方の侯国では育ちません。

 逆にマリュード皇国は一年中咲き誇っていると聞きます。

 魔道具から漂った香りは、まさにその金木犀でした」


「それでさっきの結論になるわけか。

 侯国の魔術師が所有権を言い張るのは、おかしい、それは出まかせだ、そういう断言できるわけか」


 ルシアンの言葉にエレナは頷いた。


「“ニオイ”は、持ち主と魔道具の記憶です。

 声だって聞こえる。言語もその場の雰囲気も。もし侯国が関わっていたら、インリュー語が混じって聞こえるはずなんです。けど、全然聞こえない。

 侯国独特のニオイは雪や吹雪のイメージがあります。それも登場しない。むしろ……」


「むしろ?」


 ルシアンからそれとなく先を促されるが、エレナは言い淀む。


 この先、話してもいいのか、少しはばかられる。

 でも、この際、話した方がいいかも。



「不思議なことに、官吏登用試験会場で会った……キムバートン・アイヒヴァルト子爵令息とワルト・チェッカレッチ男爵令息から感じた情景や香り、特にワルト・チェッカレッチ男爵令息、彼から感じたニオイと似ているんです。変ですよね?」


「ほう」


 ルシアンは眉をひそめた。


「実は、この結論が合っているかどうか検証したくて、彼らがどこで長く生活をしていたか知りたくて、上にお伺いを立てている最中なんです。それによってあの古代魔道具の直近の経路が決定打になると思ったんです」


「ふうん、なるほど、勉強になったよ。

 いやぁ、よく調べた、新人にしては上等だ」


 ルシアンはぱちぱちと拍手をする。

 それから、じっと地図を見、エレナを意味深に覗き見た。



「ここで、いいことを教えてやるよ。

 金木犀は――マリュード皇国の国花だ」


「え、そうなんですか? ちょっと意外。

 もっと派手な花を国の花に指定しそうなのに」


「だよな。俺もそう思う。

 けど、あのオレンジ色が黄金色と似ているだろ?

 つまり国家を豊かにするとあちらでは考えられているようだ。

 古代魔道具から感じたニオイ、マリュード皇国で合っていると思う。


 じゃあ、他国は育ててないのかというと、たまに天然ものが森に生えていたりするが、なにせ、マリュード皇国からいちゃもんつけられても面倒だからと、周辺諸国は国花の金木犀を育てないんだ」



 金木犀の香りは令嬢たちの間で一時期流行った。


(お母様が香水を身に纏っていたこともあるが、いつの間にかその流行は廃れたっけ)

 

 今考えると、ひょっとしたら、敵国マリュード皇国の国花だから、国として禁止したかもしれない。

 そんな歴史の裏側を想像する。



「んで、今から俺が言うのは独り言だ。聞こうが聞こえまいがどっちでもいい」


 ふいに、ルシアンは天井を仰ぎ見た。



 エレナは、ルシアンの言うことの意味がいまいちよく分からず、目をぱちくりさせた。

 その傍らでレイノルドがふっと笑った。



 そして、しばらく間があってから話し出す。



「キムバートン・アイヒヴァルト子爵令息はマリュード皇国の間諜で、獄中死した」



 ルシアンの抑揚のない声が部屋に響いた。

 エレナは息を呑んだ。



「死因は毒。奥歯に仕込まれた猛毒だ。

 この手口はマリュード皇国の皇帝専属の暗殺部隊が、敵に捕縛されたときに行う手法。

 毒の成分も過去のマリュードの間諜が使ったものと一致したし、毒そのものもマリュード皇国でしか作ることができない特殊な材料が使われている」


 ルシアンは肩をすくめた。


――失敗したら死。


 それだけ他国に潜入するというのは命懸けということだ。

 これは他人事じゃない。


(わたしだって〈影〉諜報部隊として他国に行く可能性もないわけじゃない)


 背筋に冷たいものが走った。


「それから、ワルト・チェッカレッチ男爵令息は脱獄した。

 彼の家柄を辿ると、亡国ナバロー王国の出、帝国建国時にマリュードへ王族と共に逃げた記録がある。それからは貿易商としてこの国で活動していた痕跡が見つかった」


「え、じゃあ……」


 エレナの胸がざわめいた。


 セインレイム准男爵令嬢に古代魔道具を渡したという商人っていうのは、ワルト・チェッカレッチ男爵令息?


 だとしたら、あの2人が官吏登用試験を受けた目的は、爆発物の爆破羅ばくはらを仕掛けただけでなく、クレインバール卿がユリウス殿下に申し上げたとおり、


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 と推測していたことが的を射ていたということにもなる。


「ゾッとするよな。

 試験当日仕掛けられた爆破羅と、セインレイム准男爵令嬢に持たされた古代魔道具。

 ヴァービナス女官があの場を収めなければ、混乱に生じてキムバートンは王宮のさらに奥、皇帝陛下のいらっしゃる宮殿にも仕掛けるつもりだったらしい」


 ルシアンは渋い表情になる。


「これは推測だが、爆発直後、そのまま古代魔道具を使って武官を誘惑し、王城内でクーデターを起こす。そして、その混乱の隙にマリュード皇国兵が侵入。この国を獲るつもりだったんだろう」


 ルシアンの盛大な独り言が終わると、彼は残った冷めたコーヒーをぐいっと飲み下した。



 エレナは、その光景を想像するだけでも、背筋が氷の刃でなぞられたように震えた。


(よかった、わたし、試験の混乱時、騒ぎを収拾するために魔法を使って……)

 

 けれど、ますます不可解だ。

 マリュード皇国と侯国は敵対しているはずなのに。


(どうして侯国は自分の国のものだと言い張っているのかしら)


 彼らは一体何をしようとしている? 

 自分の国に悪用される前に古代魔道具を手に入れたい、と思っているとか?

 いや、それならあえて自分の国のものだったなんて嘘をつかなくていい。

 

 協力国なのだし、素直に……。



 ふいに空気が変わった。



 耳鳴りが響き、説明のつかない圧が肌を撫でる。



 刺すような視線。



 思わず身体をかがめ、反射的に扉を見た。


 不気味な気配に気付いた瞬間、胃の奥がぎゅっと縮み、吐き気が込み上げた。

 うっ、とエレナは声を飲み込んだ。



 そのとき、扉がノックされた。

 びくっとして、エレナは立ち上がった。



 異様な気配。

 扉の向こうに誰がいる?



「何かいるな。動くな」


 ルシアンが扉に鋭い視線を飛ばしたまま制した。

 小次郎が何かを威嚇するように低く不穏な唸り声を発し、扉を威嚇した。



 ルシアンとレイノルドが立ち上がり、エレナの前に立ちはだかって、剣に手を当てる。


 なぜかエレナには顔のない大きな泥人形が頭の中で思い浮かぶ。


 冷たい泥の感触と匂い。



――ドンドンドンドンドン!



 全身をびっと震わせ、三人は反射的に身構えた。


 太鼓でも打ち鳴らすような凄まじい音で叩かれ、ドアの振動で部屋の壁まで揺れ始めた。

 ヒリヒリする痛みがすぐ近くまで迫ってきているような、濃厚な暴力の気配。


 荒々しい震動が、結界越しにエレナの鼓膜を直接揺さぶる。

 何かが扉を破ろうとしている。暴力的な力が扉を叩いている。



 剥き出しの情念。



 エレナは冷や汗をかきながらも、それを弾き返す防御魔法を無意識のうちに頭の中にイメージをした。


「来るぞ」


 ルシアンが低く呟いた。

 空気が急に重くなり、喉が塞がれて呼吸が浅くなる。


 気配の正体を見極めようとする本能に縛られ、足が床に縫い付けられたように動けず、ただ硬直するしかなかった。



 突然、小次郎がエレナを振り返った。


 小次郎のつぶらな眼光が鋭く光り、そして作業台の上に保管してあった古代魔道具の元に駆け寄った。





 ふっと火が来たように扉の外の気配が消えた。

 しんと静まり返った室内。


「大丈夫か?」


 ルシアンに声をかけられて、ハッと我に返った。

 気付けばエレナは汗をぐっしょりかいていた。

 それはレイノルドも同じようで、ルシアンだけが涼しげだった。

 

 それからルシアンは視線を作業台へ投げた。

 エレナとレイノルドも自然とその視線の先を辿った。



 視線の先には、小次郎が引き出し付近で何かを咥えていた。


 三人は作業台に寄る。


 そこには小さな茶色いトカゲ。

 トカゲは手足をばたつかせ抵抗をしているが、小次郎が離さない。前足でトカゲを抑え込む。


「これ……」


 それは泥で出来たトカゲの形をした人形だ。精巧に作られている。


「古代魔道具を狙った侯国の魔術師の使い魔か」


 小さくルシアンが忌々しげに呟いた。


――侯国? 


 エレナは首を捻った。


 ちがう、この匂いは古代魔道具からも感じ取った異国独特な……。


「マリュード皇国の魔術師」


 エレナは確信めいて呟いた。

 ルシアンとレイノルドがハッとして目を見開いた。


「クレインバール卿がおっしゃられた侯国の魔術師は、マリュード皇国から派遣されてきた方です」


 はっきりと断言できた。


「なぜそう思った?」


 ルシアンが懐疑的に尋ねた。


「これも荒唐無稽な話だとは思いますが」


 エレナは何も入っていないガラス瓶を小次郎に差し出した。

 小次郎は咥えた泥トカゲをガラス瓶の中に入れ、エレナはさっとコルクで蓋をした。


「これから匂うんです。

 古代魔道具同様、金木犀のニオイ」


 エレナは瓶を持ち上げ、二人に中のトカゲを指差した。


「いいや、全然荒唐無稽じゃない。

 むしろ筋が通っている。納得した」


 ルシアンが半笑いを浮かべた。


 トントン……


 外から扉がノックされ、三人同時に顔を強張らせた。

 ルシアンがふと目を細めた。


「大丈夫、この魔力はアランだ」


 ほっとしたような声を出す。


 エレナが扉を開くと、血相を変えたアランたちが立っていた。


「大丈夫でしたか?」


 みんな心配そうに部屋の中を覗き込む。


「はい。あの、扉の外はどうなってたんですか?」


 アランと騎士たちは困ったように顔を見合わせた。


「突然、大きな影に覆われたんだ。あれはこの国にない“影魔法”だ!」


 顔を蒼ざめたリデルが横から口を挟んだ。


「影魔法?」


 エレナが不思議そうな顔をすると、リデルが思い詰めた表情で言う。


「ああ。影魔法っていうのは北の国、昼間でも太陽が差し込まない時期があるところで“呪術”と混ざり合って発展した魔法なんだ」


 呪術という概念はこの国にはない、魔法とはまた別の術式で魔法とはまったく別物の術式。


 主に今回遊学に来ているナイトレルム侯国や、まさに敵国のマリュード皇国の最北端の半島などで使われている術だ。


「そうです、その魔法が突然ヴァービナス女官の研究室を飲み込むように囲んだから、俺たち、びっくりしたんです。こちらがどんな魔法を使ってもその影は払えなくて困りました」


 アランが早口で言い、最後ほっと安堵のため息をついた。

 エレナたち三人が無事だったことに心底ほっとしているようだ。


「影を取り払うなら、対抗する属性の光魔法か、相殺する闇属性の魔法じゃないと難しいぞ」


 ルシアンがエレナの後ろから、ぬっと顔を出した。


「正確には、あれは影と土の融合魔法だ。

 ヴァービナス女官の研究室の結界は雷属性魔法で施されている。

 しかも闇属性も光属性も使える魔法使いは研究室の外側にはいない。

 ――つまり、相手はあえて相性の悪い土魔法、そして、この国にない影魔法で侵入しようとしたんだろう」


 ルシアンがため息交じりで言うと、全員息を呑んだ。


「ちょっと待ってください、闖入者ちんにゅうしゃはエレナちゃんの結界の魔法属性を事前に知っていた、ということですか?」


 ディースが慌てて尋ねた。


「ああ。だろうね。じゃないと、あんな乱暴な強力魔法は使わないよ。

 ましてや、影と土を合成させようとは思わないだろ。

 事前に情報収集し、研究し、対策して、対抗属性で攻撃を仕掛けた、そうとしか考えられない」


 ルシアンの言葉に、ディースとリデルが眉をひそめ、顔を見合わせた。


「アラン、捜査終了したか?」


 困惑する雰囲気の中、ルシアンが鋭い声を出した。


「いえ、あと少し」


 アランはさっと顔を強張らせ、静かに首を振った。


「そうか。少しお前の耳にも入れておきたいことがある」


「いまの、絡みですか?」


「ああ、そうだ」


 ルシアンはアランの部下になる騎士たちを見た。


「残りはお前らで対応できそうか?」


「はい、問題ありません」


 一人の騎士が代表として緊張した面持ちで敬礼して答えた。


「そうか、じゃあ、頼んだ。アランは部屋に入ってくれ」

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