第41話 無自覚令嬢とコーヒーブレイク ―― 聞き捨てならない密告
焙煎豆の香ばしい匂いが漂うエレナの研究室。
ルシアンがすっかり寛いだ表情で話題を変えた。
「ところで、ヴァービナス女官。先日の官吏登用試験のときに騒がせた魅了魔法の古代魔道具を分析しているっていうのは本当か?」
「え、あっ、はい、わたしが承ってます」
「どこまで分析は終わった?」
「だいたいのことは。あとは、資料文献と照らし合わせをして、術式に誤りがないか確認する段階です」
「へえ。じゃあ、報告書があがってくるのはもう少し先か」
ルシアンは独り言のように言った。
エレナは不思議だった。
(なぜ今更、あの魔道具の分析進捗を知りたがっているのかしら)
先日から感じているカトリーナから、否、正確には彼女の持ち物から漂う不吉な気配。
そこに僅かにサブリナにも移った魔力。
そういうことも相まって、小さな不気味な胸騒ぎがエレナの胸を掠める。
「分析の進捗具合を上に報告はしているのか?」
ルシアンが身を乗り出して尋ねた。
「えっと、教育係のディース様にはお伝えしてます。
ちょっと上層部の許可を頂いて調べたいことがありましたので、今はすべてディース様にお任せしています」
「ふうん……」
何かを思案しながら、ルシアンは顎を撫で始めた。
「何かあったんですか?」
「ちょっとね……」
ルシアンが言い淀んでいると、どこからともなく壁伝いで小次郎が部屋に入って来た。
小次郎はちょこちょこ器用に柱を駆け回る。
ルシアンとレイノルドの視線が小次郎に釘付けになった。
魔力の強い二人には、小次郎の姿がはっきり見えているようだった。
「小動物を飼っているのか?」
レイノルドがどこか嬉々とした様子で、エレナに尋ねた。
「飼っている……っていうか棲みついた感じかな?」
エレナは誤魔化すように笑った。
さすがに、〈影〉専用の使い魔です、だなんて口が裂けても言えない。
「へえ。あれは、黒いけど、リスか?」
レイノルドは、まるで宝物を見つけた子どものように興味津々で、小次郎の動きを目で追う。
「う、うん。珍しいよね、黒リスなんて。
悪さもしないし、むしろ人の言葉も分かるみたいで、なかなか楽しい共同生活を送っているよ。な〜んてね」
エレナは小次郎がふつうのリスであるかのように言う。
(うぅっ、緊張する……)
尋問のプロである魔法騎士団の、しかも鬼の総騎士団長を目の前にとぼけるのはかなり心臓に悪い。
顔が引きつるのを感じながら、精一杯「何でもないような笑顔」を振りまく。
そのとき、ルシアンが扉にふと視線を投げた。
「ヴァービナス女官、ここは誰でも自由に扉を開けられるか?」
「えっ、いいえ。防犯のため、わたし以外は開けられないよう結界を張ってます」
「そうか、それならいい」
不意に、ルシアンが欠伸をかみ殺すような仕草をした。
よく見れば鋭かった目力が少しだけ緩んでいる。
「悪い……少し眠らせてくれ」
「え、あっ、はい」
ルシアンはかなり寛いだ表情で、背もたれにどすっともたれかかって、腕を組み、静かに身体を沈み込ませ、軽く瞼を閉じた。
しばらくすると、すぐに規則正しい寝息が聞こえ始める。
あまりの寝つきの良さに驚きつつ、エレナが棚からブランケットを取り出して、ルシアンにそっとかけた。
「ルシアン様はここ数日、不眠不休だったからな。
たぶん警護の重圧から解放されて気が抜けたんだろうな」
「なるほど……それだけ気を張っていたんだね」
「ああ」
「コーヒーの成分カフェインが効き始めるまで、二十分ほど昼寝するとスッキリするって聞くよ。
レイノルドもいまのうちに仮眠とっておく? もう一枚ブランケットあるし」
エレナが引き出しから新しいブランケットを取り出そうとすると、レイノルドは首を振った。
「いや、俺は大丈夫。
それよりも、エレナが昼間『令嬢が選ぶお姫様わがままリスト』を作ったらどうか、という提案をしてくれただろ?」
「あ~、そんなことも言ったね」
サブリナ、カトリーナの件が強烈で、エレナの記憶からすっかり抜け落ちていた。
「あれ、実はかなり役立ちそうだ。
俺の教育係の妹が王宮付き侍女やっていてな、早速作成したらしいんだ。
これがなかなか驚くほど的を射ていて、姫の突拍子もない要求を先回りして対処できているそうだ。
ルシアン様が警護から外れた後の現場がパニックにならずに済んでいるよ」
「本当? お役に立ててよかったよ」
「そう、それで、今度……」
レイノルドが急激に頬を赤く染め、大きな体を縮こませ、もぞもぞし始めた。
「お礼を……させてくれないか。どこかお茶でも……奢らせて欲しい」
「お礼? いいよぉ、そんなの。同期でしょ。気にしないで」
「けど……」
そのとき、小次郎がエレナの肩に飛び乗った。
「すごい、懐いてるな」
レイノルドが吸い寄せられるように、小次郎にそっと近づく。
「たぶんね、この子、胡桃が欲しいんだよ」
エレナがそう言うと、小次郎が「待ってました!」と言わんばかりに頷いて目を輝かせた。
「本当だ。コイツ、言葉、本当に分かるんだな。目がキラキラしているぞ」
レイノルドの強面が、ふにゃりと緩む。
「でしょ?」
エレナが引き出しから胡桃を小次郎に渡すと、小次郎はすぐさま齧りついた。
「あのさ、またリスを見に来てもいいか? なんなら胡桃を差し入れするから……」
レイノルドも目を輝かせて、胡桃を堪能する小次郎を嬉々として眺める。
「うん、いいよ。レイノルドは動物、好きなの?」
「ああ。屋敷に猫5匹、犬3匹、文鳥3羽飼っている。タウンハウスにも猫が3匹、犬が5匹、主に番犬と鼠捕獲用だ」
「ふふ、毎日楽しそうだね」
「ああ、楽しい」
レイノルドが穏やかな笑みを浮かべた。
「俺……本当は獣医になりたかったんだ」
ぽつりとレイノルドが話し始めた。
「けど、公爵家が人間でなく、『動物の医者とはけしからん』という祖父の叱責があって、諦めたんだ。
魔法騎士団からもスカウトが来ていたんだが、せっかくなら剣を交えることではなく、獣医になるためにしていた勉学が役立つ方がいいと思ってね。それで、文官になった。
結局のところ、エレナも知ってのとおり、官吏登用試験は不合格だけど、魔力量だけで拾ってもらった」
レイノルドは自嘲気味に苦笑して頭を掻いた。だけど、その表情はどこか晴れやかだった。
「それを言ったら、わたしだってそうだよ」
エレナが笑うと、レイノルドも声を立てて笑った。
「あはは、そうだった」
エレナは目を見開いた。
レイノルドが声を出して笑ったのを聞くのは初めてだったからだ。
「でも、これも特殊能力。適材適所って奴なんだってな。ルシアン様がそう言っていた」
レイノルドがぐっと拳を作る。
「俺の動物の医学の知識が魔獣討伐や討伐後の魔獣遺体の活かし方とか役立ってて……食料困窮している地域とかの支援にも使えるって」
その声が誇らしげになった。
「それはすごいことだね。
魔獣の体の作りは私も興味あるよ。
魔法の薬品とか新しい魔術に使えるかもしれないし。ねえ、今度教えて」
「え、ああ、もちろん。
じゃあさ、そういうのも含めて……その、今度お茶をしないか?」
レイノルドが熱のこもった眼差しでエレナを見た。
「あ、そういうこと」
エレナはぽんと手を打った
「そういうことなら是非ともお茶しましょう。
けど、奢りとかはいらないからね。
レイノルドの貴重な知識をご教授いただけるんだからね」
一瞬、レイノルドは呆気にとられ、ますます苦笑した。
「分かった」
エレナはレイノルドと笑い合ってコーヒーを互いに飲んだ。
その傍らで、小次郎がご機嫌に尻尾を振って、胡桃をカリカリ食べている。
さっきまでの緊張で張り詰めていた空気が、湯気に乗って広がる柔らかな香りに溶けていく。
コーヒーの香りが古い魔導書やインクの匂いに混じり、ほのかな甘苦さが心を包み込む。
「……そういえば、言い忘れてた」
レイノルドがはっとした。
「実は、さっき話題に上がった”古代魔道具”。
あれを、侯国の魔術師が狙っているらしいんだ」




