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婚約破棄された引きこもり魔女ですが、実は天才魔女でした。王宮で無自覚覚醒します!  作者: 兎丸 蓮


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第40話 無自覚令嬢とコーヒーの香り ―― 騎士団長の貞操危機を救う!?

 低く響くバリトンの声が、広間の空気を一瞬で静めた。

 命令ではなく宣言のように、重厚な響きが石壁に反射し、聞く者の胸に刻まれる。


 漆黒の髪を後ろへ撫でつけた端正な顔立ち。

 鋭い輪郭と冷静な眼差しは、ただ立っているだけで威圧感を放つ。

 軍服に包まれた均整の取れた体躯は、動かずとも力強さを漂わせる。


 ルシアン・クレインバール総騎士団長。


 その後ろにはレイノルド、それから騎士団数名がいた。


 エレナは驚いた。


 いつの間に。


 全然気配を感じなかった。

 これだけ巨大な魔力量の人たちが現れたのに、気付かないなんて。


 女官たちから媚びの声を含んだ動揺の声が上がる。


「え、え、なんで。どうして、ここにクレインバール卿が?」

「しかも、アラン・リックランス様もいるわ」

「やだ、ハウルデュース公爵の御子息もよ」


 驚いて声が出ないエレナに気付いたルシアンは艶やかに微笑んでから、レイノルドと控えている騎士たちに視線を投げた。


「狼藉を働いた令嬢たち全員、身元照会しろ。逆らうなら現行犯で逮捕していい」


 ルシアンの低い声は、石壁に反響してその場の空気を一瞬で凍らせた。


「え⁉」


 やや遅れて、先輩女官たちは一同ぎょっとし、動揺の声が走った。


「おやおや、何を驚かれているんでしょうか?」


 ルシアンが威圧感帯びた微笑で、女官たちを見回してエレナを庇うように立ち塞がる。

 女官たちは思わず後ずさりした。


「だって当然でしょ? 一人の女官を、しかも新人を多数で寄ってたかって暴力を振るうなんて。

 穏やかじゃないですねえ」


 恫喝含んだ声音に女官たちの顔が強張り、一斉に肩を震わせた。

 誰一人声を発せられない。


「ここは王城の一角だ。

 皇帝陛下のおられる場所で、そんな野蛮な行いを許すわけにはいかない。ただでさえ、離宮に他国のお姫様を迎えている最中。

 そんな大事な時にこの愚行とは。ただで済むと思いますか?」


 ルシアンの笑顔は美しい、けれど、もはやその笑顔にほだされる令嬢はいない。

 その瞳は冷ややかに光り、視線だけで女官たちを射すくめるからだ。

 

 エレナは、何も悪いことをしていないのに、背筋に冷たいものが走った気がした。


「なあ、アラン、魔法騎士団総団長としてこれは見過ごせないよな」


 磊落らいらくに、ルシアンが隣に控えていた美形騎士に声をかけた。

 眉目秀麗で緑髪の猫っ毛な彼は、中性的な美しさを湛えた笑顔を浮かべた。


「ええ、おっしゃるとおりですね。悪ふざけでも常軌を逸した言動の数々、一線を越えてます。これは厳重に処罰されるべきですね」


 バラバラと女官たちはたちまち騎士に囲まれ、血の気が失せる。


 レイノルドと騎士たちが女官たちの身分証提示を求め、レイノルドはその内容を手に持っていた書類の束に書き残し始めた。


「エレナ・ヴァービナス女官、大丈夫?」


 ルシアンは呆然としゃがみ込んだままのエレナに手を差し伸べた。


「は、はい、ありがとうございます」


 状況が飲み込めていないエレナは、ルシアンの手を取って、立ち上がった。


「怪我は?」


「ない、ないです。危機一髪のところで登場されたので……」


「そう。よかった」


 エレナの膝は僅かに震えていた。

 喉は渇き、声が掠れそうになる。

 それでも、一歩踏み出し、女官たちを真っ直ぐに見据えた。


(もう、あの頃のわたしじゃない。すごく頑張った)


 全員の身分証を確認し終えると、ルシアンは冷笑を女官たちに向けた。



「さて、女官の皆様方。

 此度こたびの無粋な行いは、今夜中にでも魔法騎士団から各部門長、そして家長に沙汰を通達します。

 その旨を是非ともご承知おきいただき、明日朝一に刑部塔へお越しください。

 それでは、本日もお勤めご苦労様でした」



 女官たちは気まずそうに互いに顔を見合わせ、お辞儀をして慌ててその場を去って行く。


 緊張感あった場の空気がようやく緩み、エレナはようやく小さく息を吐いた。

 それでも、震えは収まらない。


 去っていく女官たちの後ろ姿をそれとなく見送りつつ、ルシアンが1人の騎士に目配せをした。


「行け」


 短い指示に、騎士は「はっ」と返事をして彼女たちの後を追うように去った。


「本当に大丈夫だったか? エレナ」


 その間にレイノルドがすかさずそっと尋ねた。

 彼の灰色の瞳はひどく憂いを帯びていて、エレナを心配しているのがよく伝わってきた。


「あ、うん。穏便に終わらそうと頑張ったんだけどね」


 エレナは気まずくなって頬を掻く。


 まさか馬乗りになってまで暴れるとは思わなかった。

 髪を引っ張られたとき、過去の嫌な思い出が蘇って動けなくなった。

 そのときを思い出し、そっと肌をさする。


「遠目から見て、ほとぼりが冷めたら声をかけよう、と言っていたんだが」


 レイノルドは部下に指示を出すルシアンをちらっと見ながら、エレナに視線を戻す。


「さすがにあれはないな。

 女性が馬乗りになって、相手を罵倒するとは」


「まあね」


 エレナは苦笑を浮かべた。


「それにしても、すごいグッドタイミングで通りかかったんだね。

 全然気配なくてびっくりしたよ」


「ああ、それは騎士団長クラスともなれば、近づく瞬間まで魔力を完全に遮断、つまり、隠密行動し、現れた瞬間に一気に解放して威圧する訓練をしているんだ。

 俺も父上の付き合いで小さい頃からやらされていたんだ」


「へえ。魔力制御とは違うの?」


「あれは、継続的に行うものだろ? 

 魔力遮断は一時的にすぎない」


「そうなんだ。どちらにしろ、本当偶然とはいえありがとう」


 エレナがレイノルドの顔を覗き込んでお礼を言うと、レイノルドは複雑そうな表情を浮かべ、ルシアンの顔を改めて正面から見た。


「実は、さっき、魔法省から内部通報があったんだ」


 レイノルドの視線に気付いたルシアンがエレナに向き合った。


「サブリナ・フィルチ女官が、()()騒ぎを起こしたってね。

 そこにエレナ・ヴァービナス女官も関わっていると聞いて確認しにきた」


「内部通報、ですか?」


「そう、カトリーナ・ガンドルフィ女官が自首してきたんだ」


「え?」


「後輩に悪いことをしてしまった、って。

 それからリデル・フォールド子爵とディース・アッシュベリー侯爵子息両名からも正式な通報があった。

 まあ、サブリナ・フィルチ女官には以前から騎士団も目を付けていたんだがな」


 ルシアンは肩をすくめた。


 さっきも『また』と言っていた。


「あの、目を付けられてしまうほど、フィルチ女官は元々問題児だったんですか?」


 エレナが恐る恐る尋ねると、ルシアンが腕を組んで言葉を選ぶように慎重に話す。


「問題児というか、そうだなあ、ヴァービナス女官は知っているか? 

 以前魔法省で貴重な魔植物の種だったか球根だったかが紛失したとかいう事件」


「はい。研究していた特別補佐官が責任を取って辞任したとか」


「そう、それ。実はその種を持ち去った犯人は彼女ではないかという疑惑があったんだ」


 エレナはハッとして息を呑んだ。



「まあ、そういうこと。彼女は普段は天真爛漫てんしんらんまんな女官ということらしいが、気に入らない令嬢を陰でいびる癖があると、貴婦人の間でも度々問題視されていたんだ。


 その事件の種の紛失騒動のときは、怪しくとも証拠がなくて無罪放免だった。

 だが、今回は確固たる証拠があるというじゃないか。

 そんなフィルチ女官の人となりをこの目でチェックしておきたくて来てみたら、想像以上のじゃじゃ馬で驚いたよ」


 はははは、とルシアンの乾いた笑い声が回廊に響いた。

 その笑いは冷たく、誰も返す言葉を持たなかった。


(道理で、アメリア様もディース様、しかもリデル様までも出張ってわたしを擁護したのは、そういう経緯があったからなのね)


 もしそうなら、彼女は前回同様、気に入らない後輩、つまりエレナを同じような手で辞めさせようとしたことになる。


「エレナ・ヴァービナス女官」


 唐突に猫っ毛の騎士が改まった声でエレナの前に立った。


「初めまして。魔法騎士団第2騎士団長を務めてますアラン・リックランスです。いつも父がお世話になっております」


 彼が礼儀正しく自己紹介をしてきたが、エレナは何が何だか分からず一瞬ぽかんとした。


「父……」


 少し間を置いて、彼が魔法省大臣ピーテル・リックランスの息子だと気付き、慌てて頭を下げた。


「い、いえいえ、こ、こちらこそ、いつもお世話になっております」


 そういえば、採用試験時にピーテルが誇らしげに騎士団長になった息子がいると語っていた。

 彼が、その、ウワサの息子。

 どことなく面差しが似ている。


「こんなことで顔を合わせることになってしまい、残念です。本当にお身体は大丈夫ですか?」


 アランは心配そうにエレナの顔を見下ろした。


「は、はい」


 キラキラした美しい顔がすぐそばにあって、エレナはなんだか落ち着かなくなる。


(この人も父親に似て将来、父親同様、イケオジになるのかしら)


「な、何も問題ありません。

 お心遣い痛み入ります」


 エレナが深々とお辞儀をすると、アランは両手を振る。


「いえいえ、何もなければいいんです。

 嫁入り前の女性に怪我があってはいけませんからね」


 父親のピーテルに似た柔和な物腰で微笑むアランにエレナはどきっとする。


 社交辞令とは分かっているものの、顔を覗き込まれると、その距離感が近くて、息苦しくなるし、妙に頬が火照る。

 美形が微笑む姿はやはり心臓に悪い。

 

 言葉に詰まるエレナは、やっぱりイケメンは苦手だと常々感じた。



「それではヴァービナス女官、早速帰るところ申し訳ないのですが、少しお時間もらえますか?」


 アランは慇懃丁寧いんぎんていねいに切り出した。


「通報をしてくださったリデル・フォールド子爵とディース・アッシュベリー侯爵子息両名をご紹介いただけないでしょうか? あとルシアン様の身を隠せるところをご用意いただけると助かるんですが」


「身を隠す?」


 エレナが目をぱちくりさせていると、レイノルドがこそっと耳打ちした。


「実はルシアン様、妖精姫のお守を第3騎士団に投げだしてきたんだ」


 ああ、なるほど。


「えっと、でしたら、クレインバール卿はわたしの研究室で待機していただく形でもいいですか? 

 魔法省研究員はほぼ退省していないですし、わたしの研究室ならわたし以外は出入り出来ないよう結界を施してます。なので、問題ないと思います」


「それは助かる」


 ルシアンが心の底からほっと胸を撫でおろした。

 よっぽど妖精姫から離れたかったみたいだ。


「いえ、そんな。

 こ、こちらこそ騎士団の方々のご登場に助けていただきましたので」


 エレナはふと閃いて手を叩いた。


「そうだ、ちょうどこの前、王都で流行っているコーヒーという飲み物の豆を購入したばかりなんです。

 よかったら、皆様、お召し上がりになりますか?」


「それはありがたい」


 背後に控えていた騎士たちから声が上がった。


「おいおい、捜査する側の人間がもてなされてどうするよ」


 ルシアンが盛大に苦笑を浮かべ、それからしげしげとエレナを見る。


「ふうん、随分と様変わりしたな」


「え?」


「あれだけ挙動不審で、人の顔もしっかり見れなかったのに。

 どもって喋る癖もだいぶ減ったな。

 毅然とした感じも出て、凛々しくなったというか……成長してる」


 麗しいルシアンにじっと見られて、心臓が跳ねたエレナは落ち着かなくなった。

 なんとなくレイノルドの後ろにすすっと隠れる。


「そ、それはたぶん、新人教育でたっぷり鍛えられたからだと思います……」


「そうです、エレナはマナー講習の先生に随分と目をつけられ、いや、目をかけられて、毎日毎日喋り方の練習をさせられてましたから」


 レイノルドがエレナに付け加えるように答えて目配せした。

 そのとおりだ。エレナは苦笑いを浮かべて頷いた。


 他のみんなは軽々とクリアした挨拶の仕方や、口上を述べる話し方をエレナは全然出来なくて、マナー講習の教師に目を付けられていた。

 ローゼルはもちろん、ほか男性陣も「俺を練習台にしてやってみろ」、と随分と協力的に練習に付き合ってくれた。


 それでもエレナだけ特別講習を受けることになり、夜遅くまで居残りさせられ徹底的に直され、研修最終日になんとか合格を出してもらえたのだ。


「ほう、それはご苦労さん。

 講師はアラザルディ男爵だったな?」


「はい、そうです。それはもう厳格な方でした」


 隠れるエレナの代わりに、レイノルドが元気に答えた。


「はは、ご苦労さん。頑張った甲斐があったな。ちゃんと成長しているぞ」


「お陰様で……」


 エレナはすごすごと声を出しながら、レイノルドの後ろからルシアンを覗き見た。


「たぶん、レイノルドとか同期のみんなが馬鹿にせず、根気よく付き合ってくれたからだと思います」


 エレナが照れくさそうに笑うと、ルシアンは一瞬目を見開いた。

 それに気付いたレイノルドが、間髪入れずさっとエレナのフードを被せた。

 その様子をルシアンは意外そうに見、そして、ニヤニヤする。


「ほう、なかなかいい仕事をするな、レイノルド。

 ヴァービナス女官は将来、殿下の右腕になるんだ。

 フード被っていないと、いろいろ今後の活動に支障が出るからな。

 これ以上、余計な輩に顔を覚えられないように、フードを被せたのはファインプレイだ」


「ああ、はい」


 レイノルドが不貞腐れたような顔をし、頬を赤らめた。


「あの、レイノルド、ありがとう、フードを失念してたよ」


 エレナがこそっと礼を言うと、レイノルドは最初困ったような顔をしていたが、やがて僅かに微笑んだ。

 その表情にエレナの胸の緊張も少し解け、温かさが広がった。



「え、なにこれ」


 ディースが戻って来たエレナを見、ぎょっとするような声を上げた。

 ディース以外にも、魔法総括調査研究室に残っていた研究員数人が慌てふためいた。


「お~、やっと騎士団到着かあ?」


 リデルが仮眠室から呑気に伸びをしながら大部屋に入って来た。


「え!」


 飛び上がるほどリデルは驚く。


 まさかルシアン・クレインバール総騎士団長が直々に現れると思っていなかったようだ。

 リデルはすぐに敬礼ポーズを取った。


「ご無沙汰しております、クレインバール総騎士団長閣下」


「ええ、ご無沙汰してます。お元気でした?」


 ルシアンは悠然とした美しい凍り付くような笑みを浮かべた。


「も、もちろんです! 先日は大変お世話になり、ありがとうございました!!」


 リデルがますます姿勢を正す。


(リデル様がちゃんと人を敬ってる……)


 室長相手ですら、適当なしゃべり方だったのに。

 彼がかしこまった台詞せりふを言うのを初めて聞いたエレナは、すごく物珍しいものを見た気がした。


「いえいえ、騎士団長として当然のことをしたまでですから」


 ルシアンの凛然とした声が響く。

 さっきまで気さくにエレナのフードの話をしていたときと雰囲気が違う。

 彼が口を開けば、低い声が空気を震わせ、場の空気を一瞬で支配する。


(魔力がすごいからかなぁ)


 魔力感知がそれなりに鋭い人は焦るどころか、戸惑い、慄く。


 見ると、残っていた研究員たちは荷物をまとめ、そそくさと帰り支度をし始める。

 アメリアも部屋から出てちらっと下の階層を見下ろすが、ルシアンの存在を確認すると怯えた表情で部屋に閉じこもった。


 それだけこの御仁の魔力は計り知れない。


 武官は魔力を隠さず牽制に使うが、文官は逆に制御して悟らせない。

 マインラートやクロフォードが魔力制御をするのはそういうことだ。


「アラン、予定通り事情聴取と事実確認を取っておけよ」


「ええ。ルシアン様は詳細をヴァービナス女官から聞いてくださいね。

 立会人はレイノルドでお願いします」


 ルシアンの威厳ある口調をやんわりと慣れた様子で受け止めたアランは、早速リデルとディースに事情聴取を始めようとする。


「ああ、君たち」


 帰ろうとしている研究員にルシアンが声を掛けた。

 全員がびくっと肩を揺らす。


「はいっ!なんでしょうか!?」

 

 やけに腹の底から出したハッキリした声で返事をした。


「申し訳ないが、俺がここにいるのは極秘で頼むね。

 特に、侯国の人間がもし来ても『見ていない』と言ってくれ」


「はい!もちろんです!! 閣下!」


 全員顔を緊張させ、コクコクと頷いた。


「おい、ディース。ヴァービナス女官が帰ってから騎士団に来てもらう予定だっただろ? 

 なんで、クレインバール卿がヴァービナス女官も連れ戻したんだよ」


 エレナがルシアンとレイノルドを二階の自分の研究室に案内している間に、リデルが小声でディースに言った。


「知らないよ。エレナちゃんを巻き込まないようタイミングを見計らってはいたんだけど……」

 

 ディースは困惑したまま声を潜めた。


「偶然ですよ」


 アランがしれっと二人の会話に口を挟んだ。


「すれ違ったんです。サブリナ・フィルチ女官たちに集団暴行を受けそうになってね」


「え⁉」


 ディースとリデルの顔がサッと蒼ざめた。


「彼女には少々お灸が必要なようで。

 後程、彼女の人となりを再度教えていただいてもよろしいでしょうか?」


 魔法省のボス、リックランス大臣にそっくりな息子の彼からは、口元には美しい笑みを湛えられている。だが、その眼光は鋭く、怒りが滲み出ていた。


 リックランス大臣は中性的に美しく、非常に優秀な魔法使いである。


 そして、魔法省には沈黙のルールがあった、それは、ふだん温厚な彼を怒らせてはいけない。

 きっと、息子の彼も父親同様絶対に怒らせてはいけないタイプの人間だ。


 ディースとリデルは顔を見合わせ、お行儀よくアラン率いる第2騎士団の聴取に応じた。




 研究室にルシアンとレイノルドが入ると、部屋を不思議そうに見渡す。

 エレナは部屋の奥の応接セットに座るよう勧めた。

 それから魔道具のポットにお湯を沸かす。


 コーヒー豆をミルで挽き終わった頃、お湯が沸いた。エレナはコーヒーを八人分淹れる。


 香しいコーヒーを淹れる香りが研究室中に漂う。


 コーヒーをルシアンとレイノルドに渡す。


「おう、ありがとう」


 ルシアンはコーヒーを受け取ると、その香りで頬を緩めた。

 王都のお買い物で買ったクッキーをお茶受け菓子として出した。


「ありがとう、クッキーも助かる。少し腹が減ってたんだ」


 レイノルドがはにかむように笑った。


 そういえば、ローゼルもこれを欲しがっていたなあ、とエレナはふと思い出す。

 明日、差し入れで、あげよう。


「あ、これ、うまいな。澄んだ苦味が癖になる」


 ルシアンは目を輝かせてコーヒーを飲み続けた。


「本当ですね。俺、コーヒー、実は苦手だったんです。でも、これなら平気だ」


 ルシアンとレイノルドがご機嫌でコーヒーを飲んでいる間に、エレナはお盆に乗せて一階で事情聴取をしている騎士たちと、リデル、ディースにコーヒーを差し入れした。


「おい、チビ。いつの間に魔法騎士団様方と仲良くなったんだ? しかも、クレイバール卿が随分と親しげじゃないか」

 

 コーヒーをリデルに手渡すと、リデルが小声で尋ねてきた。


「仲良く……は、全然ないですけど」


 なんだかんだ祖母が持ってきた見合い話に、登用試験のときや、ニコライを確保したときとか、間接的にご縁はあるようだ。


 けれど、それをここで口に出すわけにはいかない。


「たぶん、同期が軍部上層部専属の文官だからです」


「なるほどねぇ」

 

 リデルはなんとなく納得したようで、コーヒーに口をつけた。


 まだコーヒーに馴染みがないものの、煙草をたしなむ男性に大変好まれているようで、騎士たちは大喜びで受け取って、口にする。



「そうそう、あれ、教えてくれてありがとう」


 部屋に戻ると、唐突にルシアンに急にお礼を言われ、エレナは首を捻った。


「あれ、とは何のことでしょうか?」


「ヨヒンベアドルナ」


「ああ、あれ。でも、結局あれはどういう意味だったんですか?」



催淫剤さいいんざい



「へ⁉」


 エレナは顔を赤らめ、胸がどきりとした。


「そう、俺は危うく催淫剤入りのお菓子を盛られるところだったんだよ」


 嫌悪の色を濃くしたルシアンが、ひとり掛けソファに身を投げ出す。


「お、恐ろしいことをするんですね、あちらの国の人は。手段を選ばないというか……」


「だろ?」


 ルシアンの顔が歪んだ。


「エレナが昼休みの時、中庭で俺に聞いてくれて本当よかったよ、本当ありがとう」


 レイノルドはコーヒーを飲みながら、しみじみ言った。


「ううん、わたしもあそこでレイノルド様と会えてよかったよ」


 どうやらあの直後、レイノルドは早速ランスにその言葉の意味を確認したらしい。


 そうしたらランスが顔を赤らめて

「催淫剤だぞ。どこでそんな単語を聞いたんだよ」

 と怪訝そうにしていたという。


 その二時間後には、妖精姫と皇女殿下お二方がお茶会を催すスケジュールがあった。

 そこにルシアンも当然護衛として付き添う、否、付き添われる予定だった。


 たぶん、そのときにこれみよがしにルシアンに

「自分が作ったお菓子だから召し上がって」

 とか、なんとか理由を付けて、食べさせる予定だったのかもしれない。



 催淫剤は医学的・薬学的に性欲や性的興奮を媚薬以上に誘発する強力な作用を持つ薬だ。


「実は……先日わたしと同期が知らない若手官僚の方からお菓子を貰ったんです」


 エレナはぼそっと話す。


「で、毎年そういったお菓子には媚薬を入れる人がいるから気を付けなさいって言われてて、

 念のため薬のスペシャリストの先輩に調べてもらったんです」


「ほう」


 ルシアンは片眉を上げた。


「同期って、ローゼルか」


 レイノルドも興味深そうに身を乗り出した。エレナは頷く。


「で、結果、もらったお菓子にも似たような成分の薬が盛られてました。

 先輩は、『これ食べてたら、かなり乱れて危険だったわよ』なんて、笑いながら恐ろしいことをさらりと言ってましたけど、正直ぞっとしました」


 薬はその人の年齢や体の大きさなどから効果のある量が変わると聞く。


 これだけ体格のいい御仁に飲ませるんだ。

 きっとエレナやローゼルに持った媚薬以上の強力な効果があるものだろう。


「それは、本当に食べなくてよかったよ」


 レイノルドが強張って、心の底から言葉を紡いだ。


「いるんだよなぁ、そういう輩が。毎年そういった話は耳にするが、今年もかぁ。

 最近では女性だけでなく、男性も被害に遭っているらしいからな、レイノルドも気を付けろよ」


「え、俺ですか?」


 レイノルドはぎょっとした顔つきになった。


「ああ。お前は公爵家の令息。俺も、この地位があるから差し入れの手作り菓子には、いろいろ気を付けてるんだよ」


 ルシアンはため息交じりに額を抑えた。


「あの、もしお茶会で何も知らずに、クレインバール卿が催淫剤入りのお菓子食べていたら、妖精姫様はそのまま寝室に連れ込む打算だったんですかね?」


 エレナが尋ねると美しいルシアンの顔が大きく歪んだ。


「たぶんね。お茶会後、妖精姫から『寝室に大事な本を忘れたから一緒に取りに行って欲しい』と直接頼まれていたからね」


「それは確信犯、いえ、随分と本気度が高いですね……」


「はぁ、そんな本気、全然嬉しくねぇ」


 心底嫌悪を滲ませた声でルシアンは頭を抱えた。


 ルシアンの艶めいた話は、エレナとのお見合い話が破談して以来ずっと聞かない。

 何人か候補者はいた、とか、逆に立候補者もいた、と聞くけれど、どれもこれも成就しなかったらしい。


 そんな天下の騎士団団長様だって男だ。


 見た目愛らしい妖精姫を前に催淫剤の効果があればたちまち理性を失い、欲情して、そのまま男女の関係になったかもしれない。


 そうなると、さすがに国としても責任を取らざるを得なくなる。

 国は、この魔力の塊の武人をみすみす手放さなくてはいけなくなり、将来の辺境地の軍事力も落ちる。


(つまり、わたしはこの麗人の貞操の危機を救い、ついでに国の軍事力損失も未然に防いだわけだ。偶発的だったとはいえ、ちゃんと役に立てて何より)


 心が少しほっこりするものの、昼間に見かけた可憐な妖精姫の大胆不敵な恋愛モンスターぶりには同性ながら恐怖心を抱く。


 妖精姫は、見た目にそぐわずかなりえぐい性格をしているようだ。


「……怖い人だなあ、エリザヴェータ姫って」


 思わずエレナが呟くと、苦虫を嚙み潰したような表情で二人も重々しく頷いた。


 エレナは背筋が寒くなって、湯気の出ているコーヒーを口にした。 

 


「ところで、どうやって逃げてきたんですか? あのお姫様、かなりクレインバール卿をお気に召していると聞いてますよ」


「『国家を揺るがすような緊急案件が入った。騎士団長として行かねばならない』」


 棒読みで言うルシアンの目が据わった。


「なるほど」


「一応ね」

 

 ルシアンは肩をすくめ、抑揚なく言う。


「そんな話を聞いたからには、うちの団員に菓子作りを監視させたんだよ。

 皇女殿下用に振舞う予定の菓子の材料は普通だったが、俺用に作ろうとしていた菓子には性欲増進用ハーブどころか、違法ハーブも混じってた。

 さすがに、すぐに没収させたけど、いい気分はしないな。


 うちの外交官から、我が国ではあれらのハーブが違法であり、王城持ち込み禁止していることを妖精姫に話してもらったけど」



 言いにくそうにルシアンが言葉を濁した。


「けど……?」


 思わずエレナは膝を乗り出して先を促す。


「肝心の姫様はにっこり微笑むだけで何も反省した様子はなかった」


 エレナは不吉なおぞましさを感じた。


 訪問先のルールに平然と違反できる神経。

 それを反省しようとしない図太さ。


 双方の国の仲を拗らせないためにも、一国の姫であれば最大の配慮をするべきじゃないだろうか?


 ますます妖精姫の言動に不信感が募る。


「っていうか、そもそも俺は他国の人間を厨房に入れるのは反対だったんだよ」


 ルシアンが苛立つように後頭部を掻いた。


「それは厨房を使うことを賛成した方がいるということですか?」


 エレナが尋ねると、ルシアンは初めて面喰ったような表情を見せた。


「ああ、そうだよ。鋭いな」


「誰ですか?」


「グロウディーナ公爵だ。彼が『それくらい構わない』とおっしゃってね」


――ナディア・グロウディーナの父親だ。

 苦く重いものが胸に広がった。


 新人全員で各大臣にご挨拶に伺ったときの緊張が蘇る。


 高飛車で横暴な娘の姿ばかりが印象に強く残っていたが、父親はまるで別人だった。

 冷静沈着で、リックランス大臣とはまた違う中性的な美を持つ聡明な方だった。


 あの知的さがなぜ娘に受け継がれなかったのかと内心首を捻ったほど。

 そういえば、ランスの上官でもあったな、とエレナは思い出した。


「外務大臣が……それはまさに鶴の一声ですね」


「ああ。とはいえ、さすがに違法材料を王宮の厨房に持ち込まれては、易々と使わせられない。

 総帥からグロウディーナ公爵にその旨は伝えてもらったし、陛下にだって報告がいっているはずだ。

 さすがにグロウディーナ公爵も異物混入未遂事件かつ禁止ハーブの持ち込みがあったとあれば易々と許可を出すまい」


 ルシアンは心底ほっとした顔をしながら、クッキーを口にする。


「あの、次期妖精姫がクレインバール辺境伯夫人になることはないんですよね?」

「え?」


 ルシアンとレイノルドはきょとんとした。


「ほら、妖精姫がクレインバール辺境伯夫人になれば、クレインバール卿はこの国を去らずに、 姫も想いを添い遂げれるからハッピーエンドかなあって思って」


「ああ、それは絶対にあり得ないね」


 ルシアンがひらひらと手を振った。



「妖精姫、エリザヴェータ様はナイトレルム侯国の第一王位継承者だ。他国に降嫁なんてもってのほかだ。

 っていうか、さすがに王命でもない限り、たいした攻撃魔法を使えない女性をクレインバール領地に迎え入れることはできない。


 医療知識は驚くほど持ち合わせているようだからその辺は評価するが、俺の故郷は魔物が多いから、自分の身は自分で守れないと厳しいんでね」



 不意に、含蓄ある眼差しをルシアンはエレナに飛ばした。



「でも、あの方、魔力量はそれなりにありますよね?」


 エレナが真剣な声で尋ねた。


「ああ。けど、魔法の使い手としては彼女自身の話を聞く限り稚拙。あの魔力量も宝の持ち腐れだ。

 我が領地に迎え入れる嫁は、”魔法使い”じゃなきゃだめなんだ」


 ルシアンの言葉に、エレナは胸の奥で納得した。


(やはりその条件は必須なんだ)


 そのとき、じっと、ルシアンが顎を触りながらエレナを見た。

 熱心に見つめる奇妙な目つきに居心地の悪さを覚える。


 エレナは場の空気を変えたくて、慌てて声を出した。


「それじゃあ明日以降の警備はどうするんですか? 

 凄まじい行動力と積極性があるようですし、ましてや異物混入未遂を反省している素振りがないようなら、また似たようなことをするかもしれませんよ」


「ああ、それね」


 ルシアンがエレナから目を逸らして、レイノルドに目配せをした。

 視線がようやく自分から外れて、エレナはようやくほっとする。


「今回の異物混入未遂もあって、ルシアン様には西南地域の魔物討伐に行ってもらう予定だ。

 さすがに異物混入までされたとあっては、父上……総帥がこれ以上彼女の好き勝手やらせられない、そう結論づけた」


 淡々とレイノルドが答えた。


「確かに。それが一番無難ですね。ことがあってからでは遅いですから。

 けど、薬を盛るぐらい奇想天外なことをするお姫様がそう簡単に諦めてくれますかね? 

 西南地域まで押しかけるんじゃないんでしょうか?」



「大丈夫、西南地域には飛行魔法を使って向かう予定だ。

 飛行魔法で早ければ数時間、そうだな、新人騎士引き連れていくから、まあ半日はかかる。

 馬車で向かえば軽く半月近く。


 さすがにあれでも一国の姫だからな、我が国での遊学スケジュールは残り二日。

 そこまで予定を引き延ばすことはできやしないさ」



 ルシアンはニヤニヤしながら、悠然とコーヒーを飲んだ。


 彼女の警護から解放されて、緊張がすっかり解けているようだ。まるで重荷を下ろしたかのようだった。

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