第34話 新人女官の観察記 ―― 妖精姫の奔放と深淵の泥
「ええ? それじゃあ、あのお姫様はルシアン・クレインバール様にぞっこんってこと?」
「うん、そうみたい」
「っていうか、今回のご遊学は表向き。
侯国の魔法軍事国家協力国巡りって言っているけど、本当の目的はお姫様のお婿さん探し。
しかも二か国しか廻らないらしいのよ」
「ええ? 二か国だけ?」
「うちのアイルナバロー連合帝国と、隣国インリューラーク王国だけなんですって」
「え? 南のビファーヘイブン共和国は?
あちらも魔法使いが多いし、皇太子殿下とそのご学友もいるのに」
「あそこは共和国。
共和国は正当な君主がいない国だから、侯国はあそことは同盟を組まないのよ。
侯国が欲しいのは、即戦力になる魔法軍事君主制国家の騎士」
「それでクレインバール卿なのね」
「そう、あの方、顔はいいでしょ?」
「まあね。でも、あの方って冷たいわよ。
上級貴族の令嬢には外面の良い作り笑顔を見せるけど、実際冷遇しまくっているっていうし」
「そうそう、礼儀正しくて紳士なんだけど、なんか距離を感じさせる方よね。
けど、その上っ面だけの笑顔に世間知らずの小国のお姫様は惚れこんじゃっているみたい」
「ああ、そういうこと」
昼食の侍女食堂は今日も噂で賑わっていた。
あれ以来、リバーラスと会うことはないが、他の侍女たちと顔馴染みになってきたせいか、余所者扱いされることもなく、むしろ、軽く会釈し合う侍女も増えた。
座って食事を始める頃にはすっかり空気のような存在になり、毎日いろんな話を耳にする。
今日は白身魚と根菜のクリームパイ包み。
ハーブと焦がしバターの香りが食欲をそそる。
それとフルーツ。フルーツは官吏食堂で売れ残ったのか少し萎びていたが、味は悪くない。
カリカリ……。
エレナの隣の椅子には隠れるようにして小次郎がちょこんと座り、エレナがあげた胡桃を小さな咀嚼音をたてながら、美味しそうに食べていた。
ここ最近の食堂の話題は、北の小国のナイトレルム侯国のお姫様のご遊学だ。
お姫様の名は、エリザヴェータ・イロヴナ・ミハイル・パヴロヴィチ姫。
陶磁器のように透ける透明感ある肌に、淡いシルバーブロンドヘア。
少々幼さの残る薔薇色に染まった頬と自然に赤く色づいた唇。
端正な顔立ちやその淡い色彩と儚い雰囲気から、“妖精姫”との二つ名を持つほどの絶世の美少女、らしい。
美の秘訣は毎朝欠かさず飲むお茶なんだとか。
そんな彼女たち御一行様を迎えるにあたり、王宮はまるでおもちゃ箱をひっくり返したような忙しさだった。
宿泊先の離宮は大規模な清掃が入り、ホキアンのいる総務省は備品の準備に追われていた。
王宮魔術師のクロフォードや、軍部のレイノルドとネイトは警備体制の会議で連日深夜まで残業。
王宮医務室は希少な薬の棚卸しと発注に奔走し、モレーノも東奔西走していた。
特に多忙なのは外務省だ。
難解なインリュー語を操るランスは、新人であることなどお構いなく、皇女御一行への外交官兼通訳として連日活躍していた。
「え、それなのに身を挺して負傷したクラレンス殿下に感謝の意を伝えなかったの? あのお姫様」
呆れ返った声が別のテーブルから聞こえた。
「そうよ、殿下は腕にかすり傷とはいえ、ひどい話よ」
「まったく、あの世間知らずのお姫様には困ったものね」
クラレンス殿下、第3皇子の名だ。
どうやら妖精姫は、祖国から遊学先に向かう道中で命を狙われるアクシデントが続いており、この国でも同様の事件が起きてしまったらしい。
事件の発端は王都内を視察中。
姫が突然「蒼い花畑を見たい」と言い出したことだった。
蒼い花畑は、王都近くの温暖な気候のユーモネア領地の有名な観光地であり、いまちょうど見頃、花が満開の季節だった。
そして、予定をすべてキャンセルし、急遽姫様御一行とその護衛らはそこへ向かうことになった。
もちろんエスコート役には第3皇子クラレンスが任じられた。
しかし、妖精姫は、馬車の同席にクラレンスではなくルシアン・クレインバールを強く望んだ。
侯国の外務官も、「なるべくお姫様のご意向に沿うように」と要望を出したらしいが、軍部は警備体制に問題が生じるということで、丁重にお断りをした。
当然だ、第3皇子を差し置いて、一介の騎士が他国のお姫様と同乗するなんてあり得ない。
侯国の常識は知らないが、この国では未婚の高貴な身分の女性が婚約者でもない男性と二人きりになるのはご法度だ。(エレナのように職務に従事する女性は例外である)
その後、花畑を見学するも、案内するクラレンスへの態度は素っ気なく、さらに麓の湖のボートには、
「クラレンス殿下ではなくクレインバール卿と2人きりで乗りたい」
と駄々をこねた。
そこへ突如ナイフが姫に向けて飛んできた。
側にいた騎士とクラレンス殿下が即座に気付き、咄嗟に姫を庇って身を挺した。
だが、傷を負ったクラレンス殿下に彼女は感謝することはない。
むしろ、自分を危険にさらした責任をとって、
「ルシアン・クレインバール卿を我が国に婿入りさせてちょうだい。命の危険を感じた責任を取るのが筋ではなくて?」
と、正気の沙汰と思えない無茶苦茶な要求をしてきたらしい。
どんな理屈でそんな荒唐無稽な要求ができるのか、エレナには理解しがたい。
「ねえ、小次郎くん。侯国ってそこまでうちの国に大きな態度が出来る強国だっけ?」
小次郎は胡桃を口から放して、少し考えた。
『いいや。あそことは軍事提携を組んでいるに過ぎない国だ。
互いに国境がマリュード皇国と隣り合っているからな。
万が一のために先々代が協定を結んだだけの協力国。
だが、いまとなっては、その協定もこの国にとって旨味はなく、もはや風化寸前だ』
「それにしては、国賓扱いだよ?」
『国賓じゃない、賓客。
国賓級の扱いをしているのは、若手に経験を積ませるため。
だから今回の手配は若い者が中心になっているだろう?
エレナの同期もそうだ』
「なるほど」
つまり、将来本物の国賓を迎えるための練習台というわけだ。
先々代の頃は留学生も行き交っていたが、ナイトレルム侯国内は数年前まで凄惨なお家騒動で国内が混乱していた。
留学や貿易の話も立ち消え、今では年に数回挨拶の手紙を交わす程度の疎遠な関係になっていた。
今回の遊学は、両国の国交回復、また魔法軍事国家の我が国と関係性を強固にし、軍備増強を狙う意図があるのだろう。
「そういえば、聞いた?」
また別のグループでも侍女たちが声を潜めて話し出す。
「あのお姫様が、もう一つの遊学先、インリューラーク王国でもお気に入りの騎士を強引に婿入りさせようとして、ひと悶着があったらしいの」
「えぇ~、やっぱり。トラブルメーカーな感じはしたのよね」
「どこまで不躾なお姫様なのかしら」
侍女たちの口ぶりは辛辣だった。
本来、他国の姫を侍従風情が蔑視するのは許されない。
けれど、それだけ国として侯国を重要視していない証拠でもある。
そもそも、エスコート役の温厚で穏やかな第3皇子クラレンス殿下を無下にしたのは、よくなかった。
第2皇子に比べてクラレンスは、彼は下の者にも分け隔てなく接する人格者で、母君も慈悲深く民に慕われている。そんな親子を冷遇するのは到底受け入れられない。
「インリューラーク王国で妖精姫が婿入りを希望したのは、すでに愛妻家のイケメン騎士団長だったの。
それなのに、あのお姫様は彼に『妻と離縁して自分の婿になるべき、それが運命なのだ』と言ったらしいわ」
「まあ、図々しい」
「似たようなことをクレインバール卿にも言うんじゃない?」
「っていうか、騎士団員の機嫌の悪さから、すでに色々やらかしてるんじゃないかっていう話」
「やっぱりぃ。単なる協力国のお姫様なのに、国賓レベル級の待遇だからいい気になっているのね」
「きっとそうよ。国際問題にならないのが不思議なくらいだもの」
侍女たちは怒りを滲ませながら食事を口に運ぶ。
国際問題に発展しなかったのは、たぶん、侯国が小国で、インリューラーク王国もアイルナバロー連合帝国も国際問題に発展させてまで、戦争をするつもりはないからだ。
つまり、両国にとって取るに足らない存在。
目くじらを立てるだけ時間の無駄。
そんな戦争を引き起こしている間に、覇権国家であるマリュード皇国に攻められでもしたら一大事だ。
「なあ、聞いたか? 南西部のミーコム地方の港で海賊が出たって」
ふと男の従者たちからの話し声が聞こえた。
「ああ、聞いた。あそこの自衛警察団と特殊国境警備隊、第8魔法騎士団が退治に出たんだろ?」
「そうそう、けど一歩遅かったらしくて、船は海賊によって全焼。乗組員全員死亡だって」
「うわぁ、悲惨だな」
「それ、うちの国に来た密輸船だったらしいぜ」
お盆にランチセットを載せた男が、彼らと同じテーブルに座って話を加わった。
「密輸船? 麻薬とか武器とかか?」
「奴隷船だって」
「うへぇ、人身売買目的か」
「そうみたいだ。海賊的には金銀財宝目当てだったのが、奴隷百人も乗っている船には用がなかったみたいで、さっさと燃やしたって話」
「目的と違うからってえげつないなあ。
奴隷とはいえ、人間だろ?」
「ああ、もちろん。奴隷商人や海賊とかああいう違法でアングラマネーで生業をしている奴らは奴隷を人間と思っていないんだろうね」
「ってことは、西方の大陸の人間を奴隷として運んで、ミーコム地方経由で極秘にマリュード皇国に運搬する気だったのかな」
「じゃないかな、その辺をいま魔法騎士団が調べているらしい」
エレナはお盆を持って席を立ちあがった。
小次郎が慌ててポケットに入った。
「物騒だね、海賊に奴隷船」
エレナがぼそっと呟くと、小次郎が神妙に反応した。
『そうだな。しかし、珍しいなあ』
「珍しい?」
エレナは食べ終わった食器とお盆を返却口に返した。
『最近の海賊と奴隷商人は表裏一体だ。
海賊も馬鹿じゃない。
その筋に知り合いがいて闇オークションに売り出すとか、それこそ奴隷商人と交渉して金をもらって見逃すとかするはずなんだ』
「小次郎くん的にも違和感があるんだね?」
『そうだな、百人もの奴隷が乗る船だろ?
それを簡単に燃やすだろうか?』
*
「みんな、忙しそうだねぇ」
ローゼルがのんびりと呟いた。
エレナもローゼルも、妖精姫をおもてなしする必要がない部署のため、これといって普段と変わらない日々を送っていた。
他の同期たちは、国賓級の来訪を想定した練習として、妖精姫の滞在対応に駆り出されている。
「そうだねえ」
「ねえ、それより、明日、約束忘れてないよね?」
ローゼルが念押しするようにエレナに声をかけた。
「もちろん!」
初めての、友達と王都でお買い物。
「じゃあ、明日王都の中心部の噴水で待ち合わせね」
「うん」
ローゼルが嬉しそうに手を振って、執務塔へ戻って行った。
(明日、楽しみだなぁ〜)
エレナも魔法省へ戻ろうと歩き出そうとした瞬間。
不意に、エレナは一気に全身が覚醒するのを感じた。
――古い魔術式の気配。
どこ?
必死で探る。
エレナは周囲をきょろきょろ見渡す。
何も変哲のない昼休憩。
仲間うちで笑い合う官僚たち。
明るい日差し、小鳥のさえずり。
華やかな笑い声がする。
あれは一般研究員の先輩女官たちだ。
まただ。
どこかに、いる。
彼女たちがエレナの横を通り過ぎる。
その瞬間、背筋を焼き切るような鋭い電流が走った。
え?
じりじりと焼けるような不快感。
楽しげな笑い声を上げる先輩女官たち。
だがエレナの視界はどろりと濁り、まるで冷たい泥沼の底から見上げているような、形容しがたい嫌悪感に襲われた。
魔法省の重い扉が閉まるとともに、その気配は霧散する。
(気のせい?)
いいえ、違う。
エレナは混乱した。
こめかみには、うっすら汗が浮いていた。




