第31話 新人女官令嬢の洗礼の結末――ドラゴンの髭と魔法オタクの無双
「というわけで、この仕事は君に返すよ」
翌朝。
ディースは出仕してきたリデルを見つけるなり、その作業台の上にファイルをどさどさと積み上げた。
それはすべて、昨日リデルがエレナに押し付けた仕事の山だった。
重苦しい音を立てるファイルの山に、周囲の一般研究員たちがどよめく。
リデルは不機嫌そうに舌打ちした。
「あんのくそ新人、お前に告げ口したのかよ。とんだ卑怯者だな」
「卑怯は君だろ。まだ何も分からない新人のヴァービナス女官に仕事を押し付けるなんて。
貴族紳士としてあるまじき行為だとは思わないのかい? ナンセンスだ」
「ナンセンスだろうが何だろうが、あのチビがファイルを受け取った時点で、それは責任を持って担うべき仕事だ。
引き受けた仕事をまっとうしてこそ魔法省の官僚だろう?
上層部と懇意なのか知らんが、あの程度の魔力で新人のくせに特別補佐官になるなんて、それこそお門違いだ」
リデルは鼻を鳴らし、ふんぞり返った。微塵も悪びれる様子はない。
「あの子は、特別補佐官になるべくしてなった子だよ。
君とは桁違い、文字通り『レベチ』なんだ。……分からないかな?」
「あん? 全然分からねぇよ。結局、できなかったんだろ?」
「二冊だけね」
「は? 二冊……だけ?」
リデルが目を見開いた。
「ああ。びっくりだろ? でもね、本当なんだよ。
君が一カ月かける仕事を、あの子はわずか数時間で終わらせた」
「ちょっと待て、数時間だと……?」
「そう。報告書の内容は完璧。
それどころか、新人とは思えない高水準な仕上がりに、俺の方が勉強になったくらいだ。
ただ、文言の使い方と言い回しに少し甘いところがあったから、そこは俺が説明して訂正させておいた。
あの子、飲み込みが早いから、次はもっと良くなっているはずだよ」
「馬鹿な!」
リデルは声を荒らげて立ち上がり、ファイルを一冊ずつひったくるように確認し始めた。
周囲にさらなる動揺が広がる。
「おい、あの新人、マジかよ」
「リデルの案件って、私たちでも難易度が高いものばかりなのに……」
次々とページをめくるリデルの顔から、みるみる余裕が消えていく。
そのレベルの高さに、彼は言葉を失った。
そんな彼の前に、ディースが一冊のファイルを開いて見せた。
「これだけは、物理的に無理だからやれていないそうだ」
「ほ~ら、やっぱりできないんじゃないか!」
リデルの顔に、わずかな優越感が戻る。
だが、ディースの声は冷ややかだった。
「誤解するな。できないというのは、抽出に百時間以上かかる条件だからだ」
「百時間……」
「ああ、そうだよ。リデル、君はこれを『明日まで』にやれと命令したんだよね?
その時点で残り二十四時間もないのに、完全に無理がある。
そもそも、この研究の締め切りは半月後だ。
今朝までに仕上がっている必要なんて、これっぽっちもないはずだが?」
「そ、それでも、特定のモノを成長速度を促進する『急速的時空高速魔法』を使うなりしてやり切るべきだ。それが特別補佐官の義務だろう!」
リデルは虚勢を張るが、ディースには負け惜しみにしか聞こえない。
「どの口が言うんだか」
ディースは、わざとらしく大きなため息をついた。
「あのなぁ、君が特別補佐官だった時を思い出してみなよ。
高度な時空魔法を使えない君に、時間をいじってでも早急にやれなんて、そんなハチャメチャな依頼が来たことがあったかい?」
ディースはリデルの作業台にわざと腰かけ、その顔を覗き込んだ。
「……それはないが」
「だよね」
急速的時空高速魔法なんて、神業に近い特級魔法だ。
王宮魔術師でも数人しかこなせない代物であり、ディースのような希少な修復魔法の使い手ですら、そうそう手は出さない。
それを単なる時間短縮のために使おうなど、贅沢の極みだ。
「危険な魔法を取り扱うのが特別補佐官の仕事。
万が一、一般研究員の仕事に危険な案件が混じっていた場合は、無理をせず理由を添えて上長に報告する。
それが、この建屋を使う全研究員を守る原則だ」
「んなもん、俺でも知っているさ」
「ふうん。じゃあさ、この仕事をすべてヴァービナス女官に任せたこと、ルールどおり室長には報告したかな?
もしそんなに緊急性があるなら、とっくに室長が動いて、王宮魔術師に応援要請を出しているはずだよね。
だけど、室長は『そんな要請は受けていない』とおっしゃっていたぜ?」
「はあ!? お前、オーヴァーストリート様に告げ口したのかよ!」
リデルの顔が、恐怖で青ざめた。
「告げ口だなんて心外だな。俺は彼女の教育係だ。
今後の教育方針を相談したついでに、不当に仕事を押し付ける輩がいなかったか報告しただけだよ。
それが不当な指示に該当するか、あるいは君なりの正当な理由があったのか、判断を仰いだだけさ」
ディースは鷹揚に手を広げ、艶やかな笑みを浮かべる。
「それともなんだい? 室長に知られて何か困ることでもあるのかい?
君の論理では、新人はこれくらいの量をこなすのが当然なんだろう?」
「お前……感じ悪いぞ」
「君に言われたくないね。
いくら皇族の血縁者だろうと、ここで働いている限りは一介の帝国公務員だ。
『帝国公務員は皇族でない限り、不当な命令や指示、不要な重圧をかけてはならない』
この法を破れば、当然処罰の対象になる」
リデルは絶句し、唇を噛みしめた。
「とりあえず、不可能な薬草抽出以外、分析はすべて完了している。
君は新人に仕事を押し付けたことで、自分自身があの子より劣っていることを、ここ、全研究員の前で証明しちゃったわけだ」
微笑む顔は絵画のように美しく整っている。
ふだんなら黄色い歓声が上がるディースのスマイルだ。
だが、今のその声には、冷徹な怒りが孕んでいた。
彼のうちに渦巻く激昂。
それだけリデルの行いが目に余ったからだ。
――新人女官である特別補佐官のあの子を無下に扱えば、ディースを敵に回す
周囲もようやく、その当たり前の事実に気づき、身を正した。
そこへ、エレナが息を切らして戻ってきた。
(なんだろう、みんなで何を囲んでいるんだろう?)
不思議そうに覗き込むエレナの視線の先には、ディースとリデル。
そして、二人の手元には自分が書いた報告書があった。
嫌な予感がエレナを襲う。
(もしかして、不備があってダメ出しされてる……? ひゃぁぁ、どうしよう!)
魔法の内容も薬草の分量も何度もチェックしたはずだが、何か間違っていただろうか。不安でたまらない。
びくびくと立ちすくむエレナに気づいた研究員たちが、ざっと道を開けた。
エレナはそれにも飛び上がるように驚いた。
「ああ、おはよう、エレナちゃん」
ディースが昨日以上に爽やかな笑顔で手を振った。
周辺に煌めくエフェクトが見えそうなほどのイケメンパワーだ。
「お、お、お、おはようございます。遅くなってすみません」
ディースの眩しさに目を逸らしながら、エレナはおずおずとリデルの作業台へ近寄った。
「あの、リデル様」
一冊のファイルとサンプルの杖を差し出す。
「これですが……遅くなりました。
サンプルの杖の成分、すべて判明しました。
内容はこのファイルに記載してありますので、ご確認をお願いします」
リデルは訝しげにファイルを受け取って、中身を入念に確認する。
現在の帝国では魔法詠唱と術式で魔法を発動させるため、杖は使われない。
他国や旧王国の遺物である「杖」の材料特定は、木材の産地から生息環境、さらには製造工程まで、気の遠くなるような文献調査と分析魔法が必要な重労働だ。
それを、この怪しげなローブの新人が、一晩で?
「はっ、マジかよ……」
中身を確認し終えたリデルが、驚愕の声を漏らす。
「どうだった? エレナちゃん」
ディースがリデルを無視して、周囲に聞こえるような明るい声で尋ねた。
「やっぱりエレナちゃんの見立て通り、最後の材料はドラゴンの髭だったかい?」
「は、はい! そうでした!」
「実物、見せてもらえた?」
「はい! 王宮医務室の同期に頼んだら、教育係の先輩方も協力してくださって。
あっという間に現物確認ができました。
しかも、一部だけ結晶化魔法を施して確認してもいいと、特別に許可を頂けたんです!」
「へえ、それはすごいね」
「はい! ドラゴンの髭をこの目で見るだけでも貴重なのに、結晶化までさせていただけるなんて!
恐悦至極、その場でお言葉に甘えて、確認作業をさせていただいちゃいました!」
目を輝かせて興奮するエレナに、周囲のざわめきが大きくなる。
――新人が結晶化魔法を使える。
それは前代未聞の事態だった。
想定外の魔法スキルに気圧されたリデルは、パタンとファイルを閉じ、奇妙な生き物を見るような目つきでエレナを凝視した。
その様子にディースは笑いを噛み殺す。
王宮医務室の連中も、滅多にお目にかかれない「結晶化魔法」を見られてラッキーだと思ったに違いない。
それに、リデルのこの反応。
「それで、サンプルの結晶と生薬の結晶が一致したんだね?」
「はい、ピッタリでした!
サンプルの髭と、たぶん同じ種族の竜だったのでしょうね。
もう本当に本当に貴重な機会でした!」
周囲の研究員たちは呆然と立ち尽くしていた。
「変な子……」
「あたし、杖の分析苦手なのに、貴重だなんて思ったことないわ」
「結晶化魔法なんて、普通は刑部省が証拠固めで使うような鑑定魔法だろ。新人が使いこなすのかよ……」
羨望と困惑が混じった声が飛び交う中、ディースはますます愉快そうに微笑んだ。
「そっか、それはエレナちゃんにとって有意義な時間だったね。
ドラゴンの髭なんて滅多に見られないし、ましてやそれを結晶化できる機会もそうそうないしね」
「はい! ものすご〜く、得難い経験をさせていただきました!」
「くそがっ。……完璧だ!」
しまいにはリデルが盛大に舌打ちをし、食いしばった歯の隙間から、引きつった笑みを絞り出した。
「お前、やるじゃないか」
「ありがとうございます!」
皮肉に気づかないのか、エレナは晴れやかな表情でリデルを見上げた。
「改めましてリデル様、この度はこんな貴重な研究をさせていただき、ありがとうございました。
すごく勉強になりましたし、有意義な案件を任せていただけて大変恐縮です。
報告書の書き方も、これだけたくさん書いたので、次はちゃんと雛形通りに書けると思います!」
嫌がらせを素直な感謝で返す奇妙な新人に、リデルは引きつった顔のまま一歩引いた。
「エレナちゃん、あとは俺とリデルでやっておくから、君は自分の研究を続けていいよ」
「はい! ありがとうございます。では、失礼します!」
エレナは意気揚々と返事をして、スキップ気味に自室へ戻っていった。
それを見送るディースの顔は、満面の笑みだ。
「どう? あの子、レベチだろ?」
「……ああ。お前の言っていることがようやく理解できた。
あいつ、頭がおかしい」
「あはは、ただの魔法オタクだよ。他の特別補佐官たちと変わらないさ」
ディースは肩をすくめた。
周囲の男性研究員たちのエレナを見る目つきが一気に変わった。
これで当分、彼女の邪魔をする者は現れないだろう。
リデルは悪態こそつくが、実力は認める男だ。
彼が一度認めれば、逆に周囲から彼女を守る盾にもなる。
(女性に対する男の嫉妬やその卑しさは、同性からみても辟易するからね)
「ってことで、今後は邪魔しないでやってよね」
「お前、さてはあの女に惚れているな!だからそうやって庇うんだろ!?」
リデルの負け犬の遠吠えに、ディースは深いため息をついた。
「君って時々、とんだ勘違いおバカ野郎になるよね」
「なんだと!」
「あのさ、俺は結構リアリストなんだ。彼女の研究成果が乏しければ、教育係である俺の給料に響く。
教育係は後輩の粗相に対して連帯責任を負うリスクの高い役目だって、忘れたのかい?」
ディースの醒めきった声に、リデルが言葉を詰まらせた。
エレナが、ノックスの妹だから。
ノックスが心配しているから。
ノックスの信頼を勝ち取るため。
――すべてはノックス・ヴァービナスのためだ。
そうでなければ、誰が自らリスクを負うものか。
「なあ、リデル、もう忘れたのか?」
ディースが、リデルの耳元でそっと囁いた。
「君が特別補佐官から降格された時、お世話になった教育係のラニエス嬢を連帯責任で閑職に追いやったこと」
リデルの顔から血の気が失せた。
かつて彼が恋焦がれた先輩を、自分の無知な魔力暴走によって失脚させてしまった過去。
その時まで、彼は教育係が自分の尻拭いをする制度を知らなかったのだ。
ディースは唇を噛みしめるリデルを横目に、鼻歌まじりで自分の研究室へと戻っていった。
*
教育係というのは大変な仕事だ。
責任重大。
エレナは配属当初、どんな人が担当になるか不安でたまらなかった。
ローゼルも同じで、試験当日の威勢はどこへやら、すっかり怯えていた。
(わたしは恵まれている)
自力で這い上がってきているローゼルに比べ、兄の縁でディースという心強い味方を得た。
これは本当に幸運なことだ。
『エレナ、行くぞ』
――昼休み。
小次郎が現れ、元気よく声をかけてきた。
「う、うん!」
心臓が早鐘を打つ中、エレナは大きく返事をした。
『今日から早速、情報収集だぞ』
小次郎の楽しそうな声が響く。
――いよいよ、〈影〉任務、デビューだ。




