第29話 新人女官令嬢の洗礼は続く――変態研究者と黒リス
「はぁはぁぁ……んっ、はぁはぁはぁ……」
甘やかな息継ぎが次々と漏れて響く。
エレナは、扉の奥から聞こえる艶めかしい喘ぎ声に、顔を真っ赤にして小さな身体をさらに小さくする。
「アイツ、また防音結界を施すのを忘れているな」
教育係で、兄の学友であるディース・アッシュベリー。
彼から、小さく舌打ちをする音が聞こえた。
「あ、あの……」
「ああ、ごめんね、驚くよね」
「はひ……」
エレナはこくりと頷く。
「一応あれでも立派な研究をしている最中なんだよ」
「え……」
「えっと、研究者の名は、アメリア・レンフィールド伯爵令嬢。
一言でいえば、“スケベ専門研究家”だ」
「すけ……? はい?」
真顔で説明するディースに、エレナは首を傾げた。
「アメリアは特別補佐官の中でも最年長者なんだ。
一応頼りになる姐さんなんだよね。
でもね、まあ、これが驚くほどかなりの変わり者っていうか……個性の域を超えているんだよね」
「はあ」
「信じられないよね?」
ディースはエレナの反応に、気まずそうに頬を掻く。
男女の営みの甘い声が、こうしている間にも続いている。まさに、絶頂を迎えようとしているのか声はどんどん激しさを増す。
エレナはフードを両手で引っ張って、喘ぎ声をなんとか遮断しようとした。
「あの、すみません、耐えられません……防音結界、使ってもいいですか?」
「え、あ、うん。いいけど」
エレナは防音結界をアメリアの研究室に張る。
ぴたりと、いかがわしい喘ぎ声が止んだ。
ふう、とエレナが安堵のため息をつくと、ディースは声をあげて笑った。
エレナはきょとんとする。
「いやぁ、ごめんごめん。もうあの声にここの連中は馴れちゃったからさぁ。
エレナちゃんの反応が新鮮でね。
そうだよね、ふつうはこういう反応だよね。うん、可愛い」
ディースはさり気なく「可愛い」なんて言う。
が、その声を耳にした女性陣たちからの殺気を感じ、「ヒィ」と喉から慄く声が小さく漏れ出た。
エレナは背筋が凍る思いがした。
「しかも、無詠唱で今、結界張ったね。
なかなかの腕前だよ」
さらに褒め称えるディースの発言に、下からジェラシーに似た鋭い視線が刺さる。
「あ、あの、そのアメリア様は何の研究をされているんですか?」
エレナは慌てて話題を変えた。
「ああ、それ、言ってなかったね。
う~ん、一言でいえば、魔力がそれぞれ人にあって、それがわりと揺らぎやすく、特に男女の睦み合いで変化する。
というそんな論文を書いているんだ。そういう話って今まで聞いたことある?」
「ええ、まあ……」
試験を受けると決めた時、クロフォードがそう言っていた気がする。
それで不倫を見破れるとか。
「彼女はその第一人者。
そういう魔力の変化の研究を深掘りしているんだよ。
一見破廉恥な研究だと思われるけど、実際、医学的には結構役立つみたいでね」
「へえ」
「魔力過多解消や、魔法使い特有の難病治療開発にも繋がってる。わりと注目されているんだ。
いろんな医薬品にも詳しいし、王宮医務室とも連携して、新しい病気治療薬とか治療法を開発している」
「すごい!」
「これもその実験。
魔力がどう変化していくのか、っていう観察なんだって」
なるほど、それで、激しい女性の喘ぎ声が生々しく聞こえてきたのね。
(とはいえ、なんと紛らわしい……)
けど、世の中には、知らない魔法を研究している人が多くいるのだな。
改めて自分が井の中の蛙でいたことを実感した。
「アメリアは、研究の邪魔をすると凄い剣幕で怒鳴って来るから、こういうときは放置しておくに限る。
だから、本人紹介はまた改めてするね」
ディースは、歩き進め、再び自分の部屋の前に立つ。
「で、君の隣の部屋が俺の研究室。
俺は修復師として、魔法に関する珍しい書籍や道具、設備など壊れたものを修復することが多い。
分かりやすい例は王宮内図書館にある魔導書の修繕かな。
ああいうのは、僅かな汚れや破損で魔力が漏れ出たりするし、封印が不完全だと記述してある術が暴走することもあるんだ。
それらを完璧に直すついでに、新しい修復魔術を確立させる。そんな仕事さ」
「うわあ、難しそう」
クロフォードとケーキの約束は果たされていないが、修復魔法を教わるようになった。
だから分かる。
あれは、高度な時空魔法だ。
魔術式に対する深い理解力と緻密な操作技術の両方がないと、なかなか構築できない。
エレナが習得するには、まだまだ時間がかかりそうだ。
ディースはそのどちらも高水準で維持し、理解しているのだろう。
「すごいですね。
わたしは修復魔法履修中で、使うことができません……」
「俺の場合、得意分野を伸ばしたって感じだよ。
逆に、エレナちゃんが任された古代魔道具解明とか、未知なる魔法研究をするのは苦手なんだ。
あれは多彩な魔法の知識と、粘り強さがないとできない仕事だからね。
君こそ素晴らしいよ」
「いえいえ、そんな!」
エレナは首をブンブン振った。
「あはは、まあ、こういうのも適材適所だからね。とはいえ」
コホンとディースが軽く咳払いをした。
「ちょっと先輩ぶって言うのであれば、苦手分野でも得意でも命じられた任務はやり切ること、それが一番かな。コツコツやれば、なんとかなる」
「はい。頑張ります」
ガッツポーズをするエレナに、ディースは小さく笑った。
それからふっとその目が昏く、鋭くなった。
「それと、これは注意喚起だ」
ディースは声を潜める。
「必ず研究室には鍵をかけること。
なんなら、進入されないよう結界を施しておいた方がいいかもしれない」
「え?」
「俺たち特別補佐官の仕事は、珍しいものを取り扱うことが多い。
世間的にも価値が高いし、その研究成果となれば高値で売れる。
特に敵国なら言い値で買ってくれるかもしれない。
さっきも古代魔道具の解析を頼まれただろう?
これを盗もうとする輩もいるかもしれないから厳重にね」
「盗む、というのは、その敵国の外部犯ですか?」
エレナも声を潜めた。
「いや。外部犯ならまだ分かりやすいし、相手が処罰されても致し方ないと腹を括れる。
けど、問題なのは内部犯だ。すごく厄介でね。
以前、ここにいた子が貴重な研究材料を盗まれてしまってね。
管理不十分、管理不行き届きで処罰された。
十中八九、彼女を妬んだ一般研究員が犯人だったんだろうけど確固たる証拠がなくてね。
で、ショックで彼女は女官を辞めてしまったんだ」
ディースの顔が哀しげに歪む。
「き、気を付けます」
「うん、そうして。
アメリアもその昔、新薬発表目前でデータを盗まれたことがあったんだよ。
他にも隣の魔道具開発室では、先輩上官が後輩の開発品を盗んで敵国へ亡命、その発明品を自分の名で発表したりしたこともあった。
と……まあ、いろいろ生臭いこともあるわけだ」
ディースは肩をすくめる。
「自分の身は自分で守るよう心掛けて」
「は、はい」
「でも、何かあったらすぐ相談して。
1人で抱え込まないこと。いい?」
「わ、わ、わかりました。ご忠告ありがとうございます」
エレナがディースから指導を受けている間――。
一階の一般研究員たちの目は悪意のある視線を向けていた。
*
エレナは研究室の扉を開けた。
自分だけの研究室。
思わず口元に笑みが溢れた。
(やったぁ、〈影〉試験に合格したから割り当ててもらえたのよね!)
思い起こせば、王都に上がってすぐの王宮魔術師採用試験。
あの時、無意識に使ってしまった無詠唱の防御魔法、使ってしまった直後、ずっと後悔していた。
女のくせに生意気だ。
人に災いをもたらす魔女だ。
そう罵られないため、中央の人たちには隠していたから。
けど、あれがあったから、〈影〉になれた。
(人生、何がきっかけになるか分からないものね……)
中心部になればなるほど、そういった古い考えの”魔女”を憎む偏見はなくなり、エレナの魔法をすんなり受け入れてくれている。
――いいか、エレナ。
〈影〉諜報部隊に採用されるだけの高い魔法能力があれば、いの一番に未知なる魔法や古代魔道具に触れる権利を得られる。その分、気を引き締めないと怪我をするから気を付けろよ。
クロフォードにそう言われていた。
危険といわれるけど、あまり恐怖心を感じない。
なにせ、魔法は嘘をつかない。
手順を踏んで魔術式を誤らなければ、人間のように裏切ってくることもない。
ヒューマンエラーだって起こさない。
機嫌を窺ったり、ぶしつけな質問もしたり、奇異な目で見てくることもない。
エレナにとって一番怖いのは、人間だった。
オーヴァーストリートから受け取った古代魔道具を作業台にそっと置いた。
最近の魔道具の動力源は、錬金術で作られた魔石だ。
品質も随分と優れていて安全性も高い。
けれど、古代魔道具は違う。
魔物や魔獣討伐で得た魔石をそのまま使っているからだ。
錬金術で造った人工的な魔石より、天然の魔石は稀少で、力も効果も圧倒的に凄まじく、耐久性あって、エネルギー切れを起こすことも少ない。
ただし、不確定要素は多く、魔毒や瘴気を含んでいる危険性も高い。
――細心の注意を払わなくてはいけない。
そうだね、その辺はちゃんと気をつけなければ、本当に痛い目に遭う。
魔道具の分析の基本は、家庭教師の魔法使いから学んでいる。
けれど、古代魔道具は初めてだ。
(まず、どこから手を付ければいいのかな。迷う)
本棚を見ると、
『古代魔道具 魔力浄化魔法の魔術式の編成について』
『古代大陸の魔法史 魔道具編』
『考古学魔法図鑑』
などなど、分析方法や浄化魔法についての関連書籍がずらりと揃っている。
他にもエレナが欲しがっていた分野の蔵書が揃っている。
なんて贅沢。
試験勉強で通った王立図書館よりも品揃えがいいかもしれない。
(しかも、王宮内図書館で禁書以外なら読んでもいいって室長言っていたよね。
それって、まさに天国じゃないの⁉)
禁書への興味はと〜ってもある。
けれど、王宮で保管してある蔵書だけでも、一般貴族には公開されていない稀少な書物ばかりだ。
エレナは足取り軽く、ステップを踏む。
そのまま部屋に置いてある数々の実験道具や備品を見て回る。
「あ……これ」
最新加熱用魔道具も備え付けられていた。
火を起こさずにお湯を用意出来る。
しかも魔道具の端に記されているロゴを見ると、数々の魔道具を輩出している工房の最高級ブランド品だ。
これならお気に入りの茶葉を持ってくれば、いつでも好きな時にお茶が飲める。
(お茶の淹れ方を領地で教えてもらって良かった。
早速明日、お気に入りのティーセットを持ってこよう。
あとクッキーとかの焼菓子に、ちょっとした空腹を満たす飴玉。他にも……)
『よお! エレナ・ヴァービナス嬢』
急に声が聞こえて、エレナは飛び上がるほど驚いた。
甲高い小さな男の子みたいな声音。
周囲をきょろきょろ見回して、声の主を探す。
『おい、ここだ、ここ!』
作業机に黒い小さなリスが後ろ脚で立ちあがり、両手を広げてその存在をアピールしていた。
「え、リス?」
エレナは不思議に思い、作業机に近づいた。
「ひょっとして、あなたがしゃべった?」
『いかにも。俺様リスの小次郎様だ』
偉そうにふんぞり返って黒リスは胸を張った。
エレナは目をぱちくりさせながら、身を屈めてまじまじと黒リスを見た。
「小次郎って……」
クリクリの漆黒の瞳に小さな耳、もふもふで艶やかな黒い毛並み、そしてくるんくるん回る尻尾。
リスがしゃべったことよりもその愛くるしさに目を奪われる。
「か、可愛すぎる」
『おう、俺様は可愛いんだ!』
黒リスの小次郎は恥じらうことも謙虚ぶることなく、偉そうに胸を叩いた。
「うんうん、すごく可愛い」
エレナは目を潤ませて、机にかじりつくようにしてしゃがみ込み、視線を小次郎に合わせた。
小次郎は四つん這いになって、ちょこちょこ動いてエレナに近づいて顔を見上げる。
尻尾を振り回すその姿が、また可愛くてたまらない。
『主様の御命令で今後エレナの〈影〉としての指令は俺様が出す。つまり主様がお前の専属の〈影〉の上官になるんだ。よろしく頼むぞ』
なんて可愛い上官なのかしら!
「こちらこそ、不肖の身ですがよろしくお願いします」
エレナがぺこりと頭を下げると、小次郎は尻尾を振って目をキラキラさせた。
『お前は貴族のくせに謙虚でいい奴だなあ』
「そう?」
『ああ、使い魔だからと馬鹿にする奴も中にはいるんだ』
「それは失礼な話だね」
『そうだろ?』
小次郎はコクコクと頷く。
(なんだろう、すごい既視感がある。
このリスを見ていると、なんとなくローゼルを思い出しちゃう)
ローゼルは女官になって以来、明るい栗色の長い髪を頭の高い位置で一つに結い上げている。
法務省では、毎日王宮の執務塔を各省庁の連絡係として駆け巡る予定なんだそうだ。
彼女がちょこまか動く姿は小動物的で、特に彼女の結い上げた艶やかなウェーブのかかった髪がリスの尻尾のように見える。
その姿を思い出すだけでも可愛くて笑えて来る。
この目の前の黒リスの小次郎と色白のローゼルとは色が全然違うけれど、可憐さや愛らしさは同じだ。
特にローゼルは困ったり、緊張したりすると指をこねくり回す癖があって、その仕草は、まるでリスが木の実を持っているときにそっくりだ。
「小次郎くんは人語を喋れる魔物なの?」
『失礼な! 俺は偉大なる主様の使い魔だぞ』
シャァァァと猫が威嚇するみたいに小次郎も毛を逆立てた。
魔物扱いされたのが、相当腹立たしかったようだ。
「ごめんごめん、使い魔なんだね。
そりゃあ魔物って言われたら怒るよね」
エレナが手を拝むようにして謝ると、小次郎はふんと鼻を鳴らし、尻尾を得意気に振る。
『まったく。分かればいいんだよ』
「主様、っていうのは、どなたなの?」
『それは内緒だ。でも言えることは、エレナの魔法省の上官よりもずっと偉い人ってことだ!』
「うむ、なるほど」
『で、〈影〉としての任務はすべてこの小次郎様から伝達するからな!
ちゃんと耳の穴かっぽじってよく聞けよ!
だけど、最初のうちは慣れないだろうからって、主様がお前を手厚くサポートしてやれっていうんだ。
だから、俺様がしばらくは補佐してやる。感謝しろよ』
ふふん、と鼻を鳴らす小次郎にエレナは思わず頬が綻ぶ。
「うん、感謝します」
『よろしい。では、まず明日からの任務だ。
お前は昼食を侍女食堂で食べるように。そう指示があった』
「侍女食堂で?」
エレナは首を捻った。
『ああ、あそこは王宮の中で最も噂が集まる場所だ。
侍女たちの口さがない噂は……なかなかおろそかに出来ないからな』
様々な思惑が渦巻く王宮だ。
自分と対立する皇族の足を引っ張るには、噂という証拠の残らないもので、貶めるのが一番手っ取り早い。
『侍女の服はすでにマインラート・ソシュールの屋敷に届けられてある。
昼食時、用意した部屋で着替え、侍女食堂で情報収集に行くんだ。
情報収集と言っても難しくないぞ、ただそこで食事してみんなの話を盗み聞きしていればいい。簡単だろ?』
「簡単だけど……」
”盗み聞き”は、あまりお行儀よくない。
けど、”情報収集”と置き換えれば、問題ない。
「あの、小次郎くん。質問いいですか?」
『なんだ?』
「情報収集は了解しました。
けど、万が一、他の侍女の方とかに所属を聞かれたらどうすればいい?
怪しまれないかな?」
『それは、皇太子殿下の部屋付き侍女と答えろ』
「え、殿下は留学中だよ。
偽物だってすぐばれちゃわないの?」
『問題ない。現在、殿下の身の回りの侍女はいない。清掃魔法が使える偏屈な魔法使いがいるだけだ』
「偏屈……」
『ああ、あれは頑固で偏屈だ。
奴は元武官なんだが、戦争で肩を斬られてしまい、剣を握れなくなった。
今年齢四十の男だが、皇族には相変わらず忠誠心深くてなあ』
小次郎が短い腕を一生懸命組んで、しみじみとしながら説明した。
『あれは実に多彩な魔法を使える男だ、生活魔法も得意。
それでいて武官の頃から陛下の信頼も厚い。
そもそも陛下のいらっしゃる宮殿は、身分のよく分からぬ者、ましてや口が軽い者を陛下や殿下の身の回りの世話や掃除係を務めることはよろしくない』
「そうだね」
『そのため男性皇族親族の王宮は、陛下の信頼が厚い彼が、毎日掃除魔法で隅から隅まで掃除をしている。
皇太子殿下は現在留学中で不在だが、多少の身の周りを整える人間が増えても怪しまれない。
まあ、そういうことで主様経由で王宮侍従長には話を通してあるから。
心置きなく、盗み聞きをしてくれ!』
「……盗み聞き、じゃなくて『情報収集』ね。
それにしても、随分と細かい設定まで考えているのね」
エレナは苦笑を浮かべた。
『当然! 王宮というのは口さがない者は多い。
王宮は魔窟だ、鬼たちがこぞって羊の皮を被っているからな』
魔窟。
――エレナ。覚えておけ。
貴族社会は魔窟だ。
どこに鬼がいるか分からない。
鬼たちが子羊のフリをして、何も知らない本物の子羊を見つけては生贄にして嗤う世界だ。
アカデミーに通っているときに受けた悲惨ないじめの数々、それに真っ先に気づいた兄ノックスがエレナに言った台詞だ。
そのとおりだと思った。
(結局、そんな魔窟が耐えられなくて退学をしたんだけどね)
ここも同じというのか。
そういえば、ディースだって言っていた。
――用心しろ。
小次郎はエレナに一歩近寄る。
『だからこそ、ある程度しっかりした設定が必要なんだぞ。
エレナ嬢も話せる程度の知人を侍女の中で作っても構わないが、あまり深入りせず、ほどほどの仲にしておけ。下世話でお節介、噂好きな侍女は大勢いるからな』
「はい、分かりました」
どこにでも、味方だと思っていたのに、平気で裏切る人はいる。
気を引き締めないと。
その時、どんどん、と乱暴に扉を叩く音がした。
小次郎が慌てて、天井の梁の上に身を隠した。
エレナが扉を開けると、無精髭のリデルが大量のファイルを抱えて、そこにいた。
「おい、新人。コレ、全部明日までやっておけ」
リデルはエレナにファイルを強引に押し付けた。
「え、ちょっとこれ……」
「新人はこれらを全部片づけるのが当たり前だ」
エレナが何かを言い返す前に、リデルはいなくなってしまった。
山のようなファイルを持ったエレナは、作業机の上にため息交じりに置く。
扉を閉めると、隠れていた小次郎が下りてきた。
「さて、どうしようか……」
エレナはファイルと1冊ずつ内容の確認をした。
『おっ、なんだなんだぁ、早速新人いじめか?』
好奇心旺盛なのか小次郎は、エレナが開くページを覗き込んだ。
「いじめじゃないよ。
だって、内容的に全然難しくない。すぐ出来る」
『楽勝ってヤツか?』
小次郎は尻尾をゆらゆら揺らす。
「うん、報告書の書き方がちょっと面倒なだけかな」
報告書の書き方は新人研修のときに教えてもらった。
「研修で習った雛形に当てはめればいいだけから、まあ、なんとかなるでしょ」
なかなか独特の『型』だったけれど、コツとポイントさえ押さえれば問題ない。
最初こそ難しくとも、数をこなせば苦でなくなる。
「たぶん、これ、たくさん報告書を書いて、新人は早く報告書慣れしろってことよね。
ふ~ん、あの人、案外親切なのね」
『そうか? これを明日までって……結構な量があるぞ。
俺様には嫌がらせとしか思えなかったけど?』
小次郎が懐疑的に首を捻るのをよそに、エレナのペン先は滑らかな音を立てて走り始めた。




