第28話 新人女官令嬢の洗礼――魔法省の「秘密の隣人」
入省最初の一カ月は、同期全員で新人基礎研修を受けた。
官僚としての心得や帝国公務員としての作法、王城での振る舞いを学び、王城巡りをしながら、規則や法律を徹底的に叩き込まれた。
教官に伴われて各省庁の大臣たちに挨拶に行くと、異色の顔ぶれである新参者は何かと目を引くらしく、いろんな官僚たちから好奇心に満ちた視線が集まった。
特にレイノルドは、“文官”というよりは、見た目が騎士や衛兵などの武官っぽい逞しい体格をしているため、遠巻きに注目を浴びていた。
そして、その日の研修を終えると、だいたいみんな、ホキアンお馴染みのあの店に集まって夕食を共にする。
そんな、にぎやかに過ごすのが自然と習慣となった。
エレナも次第に同期と打ち解けることができた。
今では、どもることなく、ふつうに会話が出来るようになったのは、エレナにとって大進歩だった。
ネイトやモレーノからは、
「随分とこの短い期間に進化したよなぁ」
なんて茶化されるが、本当にそのとおり、自分でも驚きの急成長ぶりだ。
一方、〈影〉として何か研修でもあるのかと思えば、特にこれといったリアクションはなく、心配になってマインラートに尋ねるほど。
だが、彼は穏やかに笑って言った。
「焦らない、焦らない。そのうち音沙汰があるから。
まずは王宮に慣れないと〈影〉としての役目が果たせないよ」
うむ、確かに。
王宮に慣れていなければ後々の任務に支障が出る。
(とにかく環境に馴染むのが先決よね)
エレナはそう思うことにし、目の前の新人研修に必死に打ち込んだ。
そうして、無事研修期間を経て、今朝から配属部署で働くことになったのだ。
*
魔法省は王城の北東に位置する。
政務の中心である宰相府棟と隣り合っていた。
王宮魔術師がいる東塔を中心に、四つの重厚な石造りの建屋が渡り廊下で繋がっていて、エレナは、そのうちの西塔へ向かった。
西塔は、まるで大樹そのものが城へ根を下ろしたかのように、幹と枝葉が石造りの壁を貫いていた。
苔むした外壁は長い歳月を物語り、静かな威容を放っている。
自然と魔法が融合したその姿は、ただの研究施設ではなく、神殿にも似た荘厳さを漂わせていた。
魔法省魔法総括調査研究室の室長、モラリス・オーヴァーストリートは穏やかでおおらかな人物で、年寄りにも若者にも見える年齢不詳の気品ある男だ。
「ここが我々、魔法総括調査研究室だよ」
案内される塔の中は想像以上に広い空間が広がっていた。
中央には屋上から伸びた木の幹が根を張り、研究生たちはその周りで本を読み、中には魔法論を熱く語り合ったりしている。
壁際には本棚がずらりと並ぶ。
その蔵書の多さに喜ぶと同時に、ふと、防虫や防カビの結界が施されているのか、本好きのエレナとしては、少しそこが気になった。
窓際には大小の作業机が点在し、個人やグループで実験に励んでいた。
物珍しそうに眺めるエレナに、オーヴァーストリートは微笑む。
「大きいだろ? 最初は戸惑うだろうが、すぐに慣れるよ」
見上げると吹き抜けで七階まで続いていた。
そこには各階、いくつもの個室が並ぶ。
オーヴァーストリートに気付いた研究員たちは、さっとこちらに視線を投げて、揃って頭を下げた。
エレナは、室長の後ろに隠れるように歩いていたが、研究員たちがエレナに注目するのはそんなに時間がかからなかった。
ざわざわ好奇心に満ちた囁き声が広がり、突き刺すようなたくさんの視線が集まって来るのを痛いほど感じた。
「ちょっと、みんな、少しいいかな」
オーヴァーストリートが声を張り上げた。
「今回、魔法省の魔法総括調査研究室として、我々は優秀な仲間を新しく迎えることになったエレナ・ヴァービナス女官だ」
周囲の視線が一斉にエレナに注がれる。
「彼女はね、あの偉大なる元王宮魔術師のマインラート様、リックランス大臣の推薦もあり、特別補佐官として活躍してもらうことになったんだよ」
ざわっ
ざわめきが広がり、値踏みするような眼差しがエレナを射抜いた。
胃が締め付けられるように痛む。
「よ、よろしくお願いします、エレナ・ヴァービナスです」
エレナが慇懃丁寧に頭を下げると、弛緩したような空気が流れ、パチパチとまだらな拍手が起きた。
「さあ、君の研究室はこっちだよ、行こう」
オーヴァーストリートは木の幹の裏に回り込む。
そこには石造りの階段が上階へ伸びていた。
階段をぐるりと登ると、二階は七つの扉が並んでいた。
「あ~、ちなみに、いまここで作業している者たちは、全員同じ魔法総括調査研究室メンバーだ。
けどね、一階にいるのは一般研究員。
個室が君のように与えられるのは特別補佐官だけなんだよ」
「え? いいんですか? 新人なのに個室って」
見れば、下の広間では研究員たちが各々広げて研究している。
不意にそんな彼らからの視線が突き刺さり、エレナは無意識に胃を押さえた。
どうやらオーヴァーストリートとエレナの会話に耳をそばだてて聞いているようだ。
「全然気にしないで。なにせ君は特別補佐官って括りで採用したってマインラート・ソシュール様もおっしゃっていたからね」
オーヴァーストリートの口調が柔らかくなる。
エレナを安心させるように響いた。
「で、いいかい。
特別補佐官っていうのはね、この国の魔法の研究の最高位だ。当然危険な魔法も扱う。
ひょっとしたら国家機密級の研究もしてもらうかもしれない」
「は、はい」
「で、そういった極秘性を考慮して、また、より一層研究に集中できるよう個室を用意しているんだよ。
くれぐれも一般研究員を部屋に招かないようにね。
彼らは自己防衛魔術に疎い者も多い、むやみに研究物に触らせて怪我でもしたらたまったものじゃないからね」
オーヴァーストリートは部屋の前で、鍵を手渡した。
鍵には魔法がかかっていた。
魔力を込めないと開けられないようにしてあるみたいだ。
「で、ここが君の部屋ね、開けてごらん」
エレナが恐る恐る鍵を開けた。
きっと部屋は狭い、と思っていたら空間魔法で拡張された広い部屋で驚いた。
天井近くの窓から柔らかな光が差し込み、木目の梁と床が温もりを添えている。
調度品は華美ではなく実用的で、机や本棚が整然と並び、中央には落ち着いた色合いのソファが置かれていた。
奥には小ぶりなシャンデリアとちょっとした応接席。
過度な装飾はなく、研究に集中できる静かな気配が漂っている。
なかなかセンスがいい。
エレナの口角が思わず上がる。
「室内には必要だと思われる実験道具、辞書、蔵書、その他魔法備品等々は備付の棚の中に全部用意してあるからね。
足りなかったら申請書を書いて提出してくれ。
蔵書については、王宮内図書館で禁書以外は我々も読むことが出来る。
一度出向いて図書貸出カードを作るといいかもね」
オーヴァーストリート室長は淡々と説明し、突如閃いたように声を上げる。
「あー、そうそう、大事なもの、これを忘れる前に渡しておこう」
オーヴァーストリートが、胸ポケットから取り出したのは、見覚えのある深緑の布だった。
布を広げる。
そこにはエレナが封印した魅了魔法の古代魔道具が包まれていた。
(え……)
エレナは頭が真っ白になった。
オーヴァーストリートのおっとりした声音が鋭くなる。
「これは魅了魔法の古代魔道具。
魔力の弱い男を精神的にかける危険なものだから扱いには気を付けてね」
オーヴァーストリートは声を潜めて、エレナに手渡す。
「魔力を宿すルビーは割れててね……でも、もし修復できたら嬉しいかなあ」
エレナは息を呑み、コクリコクリと頷いて慎重に布を受け取った。
オーヴァーストリートは、この魔道具を封印したのもエレナであることを知らない。
当然、エレナが〈影〉の諜報部隊に所属したことも。
「すごく危険な古代魔道具なんだけどねえ、リックランス大臣が君なら分析することは、何ら問題ないって言うんだよ。一応ね、『入ったばかりの新人には荷が重いです』って言ったんだけどね、あの人は笑顔で『問題ない』の一点張りだね……」
その口調から、オーヴァーストリートがどうやらリックランス大臣が苦手なのは分かった。
「分かりました。や、やってみます。
も、もし駄目でしたら改めてご相談します」
「そう? 無理はしなくていいからね。まだ、君は新人。
古代魔道具はどんな副作用があるか分からないから、体調がおかしくなったら必ず教えてね」
「はい、わかりました。お気遣い痛み入ります」
エレナが謙虚に頭を下げると、室長は嬉しそうに頷いた。
やはり、古代魔道具というのは、ふつうは、おいそれと触れてはいけないものだ。
それなのに封印魔法を初見で成功した自分にエレナは改めて驚き、目の前の古代魔道具をまじまじと見た。
「オーヴァーストリート様、その魔道具、新人には無理でしょう。
だから俺が解析したいでーす」
そのとき、ひょろりと背の高い二十後半くらいの男が手を挙げて階段を昇って来た。
無精髭に、口には煙草をくわえ、火はついていないが、柄の悪さが際立っていた。
面倒臭そうにオーヴァーストリートがその男を見上げた。
「リデルくんは絶対駄目。
君はもう特別補佐官じゃないでしょ。
一般研究員は触れない決まりなんだよ」
リデルという名の男は鼻で笑い、軽口を叩く。
「でも、こんな怪しいローブを着た新人のチビ女官に何ができるんです?
魔力量も大したことなさそうだし、俺の方がマシでしょ」
エレナが魔力制御をし続けているのもあって、魔法省の彼にもエレナの本来魔力量は少ないように見えるらしい。
「彼女はね、君より上級魔法使いなんだ。
なんて言ったって、マインラート様や大臣お墨付きのエリートキャリアなんだからね!」
室長は居丈高に、まるで自分のことのように胸を張る。
(いえいえ、とんでもないです。
わたし、そんな大層な人間じゃないです……)
エレナは居たたまれなくなる。
そんなエレナの心を見透かしたような、一階から突き刺さる一般研究員たちの視線。
「あんな小さい子が特別補佐官ね」
「生意気」
「どうせ縁故採用なんじゃないの?」
「それなら納得。あの魔力量だ」
「いや、縁故はないはずだぜ。
贔屓はされているかもしんねえけどな」
「贔屓は明らかだろ」
ぞっとした。
胃がさらに痛くなる。
「だいたいね、満足に修復魔法も使えず、貴重な魔石を割っちゃった君には任せておけないよ。あのあと、僕がどれだけ謝り回ったのか忘れたのかい?」
「いえいえ、あれはちょっとした力加減を誤っただけですよ。
人間誰しもミスはつきものでしょ?」
オーヴァーストリートの小言に、リデルは飄々と軽口を叩く。
「駄目。この任務はリックランス大臣ご指名なんだからね。
彼女のこの解析を邪魔するようなら次こそ君を懲罰委員会に突きつけるよ」
オーヴァーストリートの鋭い眼差しに、リデルは口を噤んだ。
懲罰査問委員会は、魔法省独自の諮問機関のひとつだ。
危険な魔術を使う魔法省だからこそ規律は絶対であり、違反者は厳しく調査・審議され、場合によっては処罰される。
どうやらこの男は過去にも度々そこへ呼び出されるほどの問題児らしい。
一階の研究員たちがひそひそ声は、止まらない。
エレナがいたたまれなくなる一方、オーヴァーストリートはそんな声に気付かないのか、はたまたあえて無視しているのか、全然気にする素振りなく、隣の部屋の扉をノックした。
その部屋の主は、金髪の美しい青年だった。
少し長い陽に透けて輝くような髪。蒼い瞳。
すっと通った鼻筋に凛々しい眉。
女性的な繊細さと雄々しさが絶妙なバランスで同居している。
(あれ、この人……)
「ディース、いま、いいかな?」
「はい」
ディースと呼ばれた青年がこちらに視線を投げた。
「ディース様ぁ!」
彼が部屋を出て来ると、一階にいる女性陣たちから一斉に黄色い声が上がった。
「今日もカッコ良すぎでーす!」
「素敵!」
さっきまでエレナに向けられていた冷たい視線は、跡形もなく吹き飛んでいた。
その落差に、エレナはぽかんと口を開けるしかなかった。
「ディース、彼女が事前に話してあったエレナ・ヴァービナス女官だ」
「やあ、ヴァービナス女官。久しぶりだね。覚えてる?
ディース・アッシュベリーだ。」
懐かしい陽気な声。
そうだ、兄ノックスの学友だ。
何度か顔を合わせたことはある。
「はい! ご、ご無沙汰です。お、覚えてます。
むしろ、わたしのこと、覚えていらしたんですか?」
「もちろん、ノックスの妹だもの」
人懐っこい笑顔をディースは浮かべ、オーヴァーストリートに視線を投げた。
「んじゃあ、室長、あとは俺が対応しますよ」
「ああ、そうかね。それじゃあ、生活のことやここのルール、細かなそういったことはディースに任せるね。それじゃあ、僕は仕事に戻るから」
オーヴァーストリートは手を軽く振って、階段を降りて行った。
「よ、よろしくお願い致します」
「うん、よろしく」
改めてお辞儀をしたエレナに、ディースは握手を求めた。
(王宮の人たちは、初めての挨拶に握手をするのが流儀なのかしら)
そう思いつつ、エレナもだいぶ慣れてきて握手をする。
気づくと、さっき「俺がその古代魔道具を解析する」と立候補していた無精髭のリデルという男はディースが現れるとさっと姿を消していた。
個室を持つ特別補佐官と、大広間で研修を続ける一般研究員。
どうやらこの魔法省には明確な階級差があるらしい。
一般研究員と言われた人たちは、確かにここからそこまで魔力が強くない。
リデルという彼だけは桁違いに強かったけど。
「キャー、ディース様ぁ」
女性一般研究員たちがディースの名を呼んだ。
ディースは、手摺から覗き込むと一階にいる彼女たちに爽やかな笑顔を浮かべ、手を振った。
(これは、すごい)
ディースに向ける彼女たちの視線は、陶酔に近い。
「みんな、そういうことだから。
俺がヴァービナス女官の教育係だ。
親切にしてあげてよ。
もし彼女に危害を加える奴がいたら、俺は君たちを処罰しないといけなくなるから、そんな哀しい真似はしないでくれよ」
高らかに宣言し、満面の笑顔で手を振った。
「はーい」とさらに甲高い嬌声が響く。
(え、そこまで宣言しないと、わたし、何か攻撃されるの?)
エレナは思わず恐怖で身をすくめた。
「これでよし」
ディース満足そうに独り言を呟いて、怯え戸惑うエレナへ向き合う。
「それじゃあ、早速だけど、以前ノックスに紹介されたときみたいに”エレナちゃん”と呼んでも差し支えないかな?」
「え、っと……はい」
「じゃあ、エレナちゃん。他の特別補佐官をざっと紹介するよ」
ディースは歩きながら特別補佐官たちの個室前を通り、一番奥の部屋に向かった。
「調査室の特別補佐官は、エレナちゃんを入れて全部で六人。
三人はあいにく長期ダンジョン調査や魔物調査で席を外している。
帰ってきたら改めて紹介するよ。あと、一人いるんだけどね……」
エレナの個室よりさらに奥へ進むと、奥の部屋から突如、艶めいた声が響いた。
「……あ~ん!」
「へ⁉」
「……んっ、あっ! やんっ!」
エレナは心臓が飛び出しそうになり、慌ててフードを引き下げる。
どうやら部屋の中で、男女が睦み合っているようだ。
(ただいま就業時間中です。
けど、こんなこと、あってもいいんでしょうか……)
ドギマギするエレナに対して、ディースは平然としていた。
それどころか、どんどん顔が険しくなるではないか。
(なに、ここ、魔法のお仕事をするところよね……)
――魔法省一日目。
不安の幕開けは、まだまだ始まったばかりのようだ。




