第27話 月下令嬢の真実――窓の外の残像とミントの香り
「ごめんなさい、ランス。
あたし、あなたのお嫁さんになれる自信がないの」
婚約者になるはずだった令嬢は涙ながらにそう訴えた。
「ランスはとても有能ですごいわ。
だから逆に一緒にいると、あたし、すごく辛くなるの」
ランス・マクィーンの婚約者候補の彼女は、華奢で色白。
美しいストロベリーシルバーヘアにアメジストの瞳を持つ穏やかな女性だった。
彼女はどちらかといえば、利発ではなく、朴訥で愚鈍。
不器用で気弱。
だけど、とても優しくて純粋な女性だった。
話のテンポや内容、なかなか噛み合わないけれど、時間をかけて互いに歩み寄っていけば、結婚する頃にはうまくやっていける、きっといい夫婦になれる。
そう信じていた。
だが、彼女にはランスの優秀さが仇となり、お茶会では令嬢たちから、
「釣り合っていない」
「身の程を知りなさい」
など責められ、彼女はランスと会う度に気後れし、罪悪感に苛まれ、
やがて心を病んでしまった。
(俺は繊細で傷つきやすい彼女を
もっと早く支えていれば違った未来があったのだろうか)
そんな彼女と、同期となったエレナ・ヴァービナス嬢はなんとなく重なって驚いた。
人見知りなのか、ローブに身を包み、フードを目深に被る。
なんとなく顔の印象が心に残りにくい、顔を思い出そうとして思い出せない。
声はいつも震え、言葉に詰まりながら必死に話そうとする。
見るからに怪しげなのに、彼女と雰囲気が似ていて、不思議な既視感を覚える。
ランスは肩をすくめた。
ひょんなことから、彼女の過去を知り、複雑な思いが胸に広がった。
婚約破棄で傷つくのは男じゃない、むしろ女性の方だ。
醜聞を背負った令嬢の行く末は、決して明るいものではない。
老貴族の後妻や粗野な新興貴族に嫁ぐことが多い。
けれど、ヴァービナス侯爵家の権勢があれば再縁は可能だろう。
とはいえ、やや不憫に思ったりした。
*
――エレナが結界内でニコライと対峙していた頃。
「エレナ嬢、遅いな」
ぼそっとランスが呟くとローゼルが反応した。
「そうだよねえ。私、ちょっと見て来るよ」
ローゼルは腰を浮かそうとするので、ランスは手で制した。
「いいよ。俺もお手洗いに行くから。店員に頼んで女性用化粧室を見て来てもらうよ。
ローゼル嬢はお酒を楽しんで」
ランスはにっこり微笑んで席を立ち上がった。
「ありがとう、ランス様。
でも、もし何かあったらすぐ呼んでくださいね」
「ああ。もちろん」
ローゼル・イースティリア嬢。
噂ではとんでもない悪女。
だが、実際にはちゃんと礼儀作法を学んだ節度を持った淑女だった。
それどころか所作も美しく、謙虚で人懐っこい美少女。
エレナとすぐに打ち解けていたのも、正直意外であり、同時にこの同期会を心地よいものにしていた。
艶めいた噂に事欠かさないネイト・ファーヴァは、さっそくローゼルに声をかけていた。
ネイトは完全にローゼル狙いだ。
(とはいえ、彼はローゼルの婚約者とも懇意だったかと思ったが)
ランスがお手洗いから出、店員に声を掛けようと思ったとき。
窓が、不自然にびりびり揺れた。
突風か?
だけど、外は穏やかな天候で店に入るときも一番星が見えた。
違和感を覚え、窓の外を見る。
景色は霞み、輪郭が溶けていくように曖昧だった。
窓ガラスが汚れているのか?
いや、バーンズリー伯爵家の馴染みの店であり、王都の上流貴族が知る人ぞ知る名店だ。
美味しい料理と酒、
気持ちのいい接客、
清潔感をモットーにした高級店が窓清掃を疎かにするわけはない。
まるで何かの結界に包まれているようだな。
外の風景に、木くずが舞い、僅かに魔力の衝突を感じた。
しいていえば、遠くでは大惨事が起きているけれど、自分は無関係だから何も心配ない対岸の火事のような感覚。
あれに似て危機感が全然湧かない。
俺は魔法が得意じゃない。
けど、本来は上級魔術師しか出来ないはずの、結界の中を覗く透視に似た魔法だけはできる。
とてつもなく膨大な魔力を消耗するが、何故か見なければならない。
そう直感した。
窓の外に意識を向ける。
屋根から何かが転げ落ちた。
けれど、落ちた衝動の音はなく、とても静かだった。
そこへ上空から亜麻色の髪の女性が舞い降りた。
(誰だろう?)
興味を惹かれた。
そのとき、何か憑き物が取れたように、ふと身体の緊張感が急に緩和した。
奇妙な感覚だった。
これは結界を解除した時に生じる微々たる変化のひとつだ。
やはり結界がこの店を包んでいたのだと確信する。
(さては、魔法騎士団と犯罪者が魔法で対峙していたかな)
窓の外を何気に見ると、ぎょっとした。
さっきと打って変わって、ガラスは澄み切り、景色が鮮明に浮かび上がっているではないか。
案の定、窓の外には魔法騎士団が何人も現れた。
(きっと犯罪者との戦闘に、一般平民が巻き込まれてはいけないから結界を張っていたんだな)
俺は、悪党と闘えるほどの攻撃魔法を使えない。
魔力量が少ないからだ。
魔力量膨大といえば、レイノルド。
本人は無口で静かな男なのだが、桁違いの魔力量を持っているせいでビシバシとこっちが慄くほど威圧的な存在感がある。
だけど、本人はその自覚が一切ないようだ。
こっちは、あの魔力のせいでなんとなく落ち着かないのに。
(アイツなら魔法騎士でも入団可能なのに、なぜ文官になったのだろうか?)
軍部の総帥の息子で、あれだけの魔力があれば魔法騎士団からのスカウトが来てもおかしくない。
ふと、窓の向こうに視線を投げると、捕縛された男が魔法騎士団に引っ張られているのが目に入った。
そこには王宮魔術師のクロフォードもいた。
最年少で王宮魔術師にスカウトされたクロフォード・ノーエランド。
(一応俺と同級生なんだよなあ)
アカデミーでは、その巨大な魔力量と粗暴さから密かに同級生から恐れられていた。
最近学園内が平和だな、と思っていたら、彼はいつの間にか王宮魔術師にスカウトされて学校を退学、当時王宮魔術師筆頭マインラート・ソシュールの弟子になったと風の噂で聞いた。
(アイツと俺たち新人官吏とは、住む世界が違いすぎる)
そういえば試験当日もマインラート・ソシュールと共に現れた。
エレナとレイノルドを指名して特別試験を行うと言って連れて行ったんだっけ。
毎年、能力が特に優秀な者だけが受けられる特別な試験、話は耳にしたことはあったけれど。
そういえば、マインラートはあの試験の時、エレナを見て魔力量が多いと言っていた。
(ん? いまのエレナ嬢から力の気配が薄いのはどうしてだ?)
エレナからはそんなに魔力を感じない。
ランスは考え込んだ。
「あれっ……ランス様?」
ふと呼ばれて、ランスは振り返った。
そこには、ローブを羽織った眼鏡をかけたほっそりとした美女がいた。
思わず目を奪われた。
陶磁器のような白い肌と亜麻色の髪、アメジストのたれ目がなんとも愛らしい。
だが、どこか張り詰めたような緊張感が漂う。
暗い、というわけではないのだが、影がさしているような印象を受けた。
とはいえ、それが悪いというわけではなく、彼女の美しさを全く損なわず、むしろ引き立てている気がして、なんとなくミステリアスで目を引いた。
「ラ、ランス様もお花を摘みに行かれたんですか?」
聞き覚えのある声が彼女の口から漏れ、ランスは目を見開いた。
「え? ひょっとして……エレナ嬢かい?」
「え? あっ、はい」
エレナはきょとんとする。
ランスは焦った。
まさかこんなに美人だったとは。
ほんのり自分の頬が赤く染まった自覚があった。
朴念仁のレイノルドが「美しい」と称しただけはある。
「フード……」
ランスが頭の上を指差すとエレナははっとした。
「あわわわわ……! わたしったらうっかりしてました!!」
彼女はまたフードを目深に被る。
なんとなくそれが残念に思えた。
けど、そのうっかりした仕草がさっきまで一緒に飲んでいたエレナ・ヴァービナスだと確信する。
「レイノルドの言うとおりだな」
ランスは照れくさくなって頭を掻いた。
「もったいないよ。せっかくの美人なのに」
「え、え、え、えええええええ……そ、そんな、び、美人だなんて恐れ多いです」
エレナの顔が一気に真っ赤に染まって慌てる姿に、ランスは思わず笑った。
「恐れ多くないよ、みんなそう思うはずだよ」
「え……みんな?」
「うん。まあ、それにしても、今年は当たり年だよなあ」
ランスは指を組んでうーんと伸びをした。
「当たり年って、外れもあるんですか?」
「そりゃあね。
知り合いの官吏の先輩に話を聞くと、粒ぞろいの、仕事バリバリこなせる人材が入省する年と、見栄や足の引っ張り合いで、不出来な人材しか入って来ない年もあるらしいよ」
「今年はどうなんでしょう……。皆さん、優秀そうですけど」
「俺は粒ぞろいだと思ってる。
ここにいる全員、アカデミーでも上位の成績保持者だからね。
エレナ嬢の兄上ノックス様だって有名だったよ」
「はあ……」
エレナは興味なさそうに生返事をした。
「でも、ま、俺は同期のみんな、いい奴そうだ。
人として真面目な奴ばかりでよかったと思っている」
「そ、そうですね。
少なからず人の揚げ足取りをするような方もいらっしゃいませんし」
「うん、だよね。
俺さ、正直鼻持ちならない貴族子女が同期になったら嫌だなあって思ってたんだ。
けど、みんな、無意味な虚栄心とか美辞麗句も言わないし、なんだかんだざっくばらんでさ、好き勝手しゃべって、なんかそういうの楽しいな。
こういうのってすごく貴族社会では貴重だな、と思った」
「た、確かに」
格式ばった礼儀や作法、おべっかも忖度も言わない、ただみんな楽しくわいわいしながらお酒を呑む。
なかなかこういう関係を築くのは難しい。
「わ、わたし、いままでかつてないほど、最高の仲間に出会えたのかもしれません」
「あはは、大袈裟だよ。でも、そう言ってもらえて光栄だな。
試験勉強、必死で頑張って良かったよ。
これからきっと毎日仕事に追われて大変な日々を過ごすんだろうけど、時間が合えばこうやって飲みに行こう。
改めてよろしく、エレナ・ヴァービナス嬢」
ランスが手を差し出した。
エレナは一瞬びくっとしながら、恐る恐る握手した。
「よ、よろしくお願いします。ランス・マクィーン令息」
ふとランスは思う。
そういえば、さっき結界内で犯罪者とバトルして上空から降り立つ人物。
彼女も亜麻色の髪をしていた。
(まさか、エレナ嬢が魔法で闘い合った?)
試験日にマインラート・ソシュールから指名されたくらいだ、それくらい出来るのかもしれない。
けれど、目の前に立つ彼女がそこまで有能な魔法使いとは、申し訳ないがどうしても思えない。
視線が泳ぎ、落ち着かない様子と緊張してどもった喋り方、魔力量もレイノルドみたいにすごいとはお世辞でも言いきれない。
その点、あの女性は凛然としていてとても美しかった。
といっても朧気に結界を覗いたに過ぎないのだが。
(まあ、いいか)
なにはともあれ、平穏に新生活が始められそうだ。
「戻ろうか、みんなのところへ」
「は、はい」
ランスはフードで隠れたエレナの横顔をちらっと覗き込むように見た。
エレナも元婚約者と同じアメジストの瞳であり、その肩が小さくすぼみ、存在を隠そうとしているように見えるのが、とても既視感があって――そしてとても好ましい。
ふと、エレナから爽やかなミントの香りが漂った。
ランスはギクリとしてエレナを凝視した。
――男性用の香水……。
だが、次の瞬間、その香りは消えていた。
(あれ? 気のせいか?)
ランスは自分の考えを打ち消すように首を振り、彼女を伴って賑やかな宴の席へと戻って行った。




