第26話 初陣令嬢の訣別――月光の下、亡霊は地に伏す
煙が静かに立ち昇った。
風が一瞬、止まった。
蒼白の月光が頬を撫でる。
ニコライは空を見上げ、言葉を失った。
宙を舞う彼女は、静寂の夜を支配する女神のように佇んでいた。
(あれ? エレナって不細工なんじゃなかったっけ?)
ニコライは今までの出来事を振り返る。
侯爵家の、魔法が使えるだけの女の子。
彼女の母親は、この地域では有名な美女貴婦人だ。
どれほど綺麗な子が俺の婚約者になるんだろう。
そう期待に胸を膨らませた。
高鳴る胸の鼓動。
だが、興奮冷めやらぬニコライの幻想は、脆く崩れ落ちた。
――どこか不格好で、冴えない眼鏡をかけた女の子。
がっかりした。
(なんだ、あれ)
心底、醜い女だと思った。
美丈夫になると幼い頃から持て囃されていた俺に、こんな女はふさわしくない。
宛がわれても迷惑だ。
不快で屈辱的だ。
いくら魔法が使えても、美しい俺にはふさわしくない。
両親に婚約白紙を訴えても、聞き入れてはくれなかった。
「あの子は目が悪いんだ。仕方ないだろ?」
とんでもない。
俺にあんな不細工な相手をしろっていうのか!
アカデミーに入学すると、さっそく分厚い眼鏡をかけたエレナは「不細工令嬢」だと、学園のヒエラルキートップに君臨する公爵令嬢から虐められた。
いじめられているのを見て、俺の気分はすっとした。
――いい気味だ、と。
それなのに、いまは何なんだ。
端正に整った容貌に、陶磁器のようにすべやかな白い肌。
宙を舞って夜風になびく亜麻色の髪は、金糸のように神々しく輝いて見える。
たれ目気味のアメジストの瞳と、妖艶な口元のホクロ。
細フレームの眼鏡も相まって、やけに色っぽく艶やかだ。
――あぁ、泣きたくなるほど美しい。
そして、圧倒的な存在感。
これが、エレナ・ヴァービナスなのか。
「……くそっ」
ニコライは吐き捨てた。
これだけ美しければ、俺の隣を歩くのに相応しい女だと認めてやったのに。
(不細工なフリをして、俺を騙しやがって……!)
屈辱感と身勝手な怒りに苛まれながら、ニコライは再び屋根に飛び乗って攻撃魔法を試みる。
けれど、急に眩暈がした。
身体が不意にぐにゃっと歪む。
頭の中をむっとする吐き気が襲い、胃の中が熱く込み上げた。
ニコライは口元を押さえ、激しく咳込む。
ごほっと大きな音を立てると、どろりと血の塊が吐き出された。
その赤い塊に、ニコライ自身が目を剥いた。
内臓を吐き出したような気がした。
口を拭うと、手元は血だらけだった。
「すごいね、薬でここまで強力な魔法が使えるんだ。けど、何事も代償はつきものよ」
淡々としたエレナの声が降って来る。
「そもそも魔力の少ない人間が、急激にこんな強力な魔法を使ったらどうなるのか。
まともな魔法使いなら、その反動の凄まじさを恐れるでしょうね」
エレナは冷ややかにニコライを見下ろした。
「だけど、正気を失ったあなたには判断できなかった。
いつも、目先のことしか考えていないからだよ」
ニコライはぜいぜいと苦しそうに息をしながら、エレナを睨みつけた。
勝てない。
目の前でまざまざと見せつけられた、
エレナの魔法の数々。
恐ろしく静かで、艶麗。
魔法がきらきらと輝いていた。
本当は、エレナの封印魔法を目の当たりにしたとき、がっつんと頭を殴られたような凄まじい衝撃を受けたのだ。
崇高で荘厳。
途方もない魔力と、有無を言わさぬ圧倒的なパワー。
俺は、それをすべて認めたくなかった。
『お前、逃げたくない?
こんなところ、さっさとおさらばしようぜ』
ロシェが牢獄で手に入れたあの薬をニコライに渡した。
そうだ、この薬を飲めば俺だってパワーアップできる。
口に入れた途端、驚くほどの高揚感と漲る力を感じた。
素晴らしい!
これだけの力があれば、エレナなんか簡単に凌駕できる。
まずはエレナを俺の前に跪かせよう。
慄き平伏させ、俺が家に戻れるよう進言させてやる。
そう、決めていたのに。
悔しい。
あんな不細工女に負けるなんて。
けれど、胸の奥で別の感情が芽生えていた。
敗北感が駆け巡る。
打ちのめされ、彼女に屈服していく。
「芽吹く命よ、影より伸びて敵を捕らえよ。
蔦の環よ、揺らめきて逃亡を拒め
――月蔦縛鎖」
ニコライの足元の屋根から、植物の蔦が突如として現れた。
抵抗する間もなく、ぐるりと体全体を包んで締め付ける。
バランスを崩したニコライは、屋根から真っ逆さまに地面へと転げ落ちた。
「うわぁぁぁあ!」
「風よ、柔らかな掌となりて
小さき命を抱け、
──手のひらの風」
無様に落下するニコライの体を、地面に激突する直前で柔らかな風がふんわり掬い上げた。
衝突を免れたニコライは、そのまま路地裏へ転がされる。
「し、死ぬかと思った……」
月光を背負ったエレナが、静かにニコライの足元に着地した。
その姿すら、冷たいほどに美しかった。
「さようなら、ニコライ。もうわたしの前に現れないでね」
醒めた声。
「芽吹く蔦よ、雷光を抱きて舞え。
白銀の稲妻よ、絡みて敵を穿て
――月華雷蔦!」
エレナは容赦なく雷魔法を蔦に流した。
ニコライは悲鳴を上げる暇もなく感電し、痺れて失神した。
*
気絶したまま口から涎が流れ、泡がぶくぶくと滴り落ちる。
目も白目を剥いて、地面に打ち上げられた魚のようにぴくぴくと身体を跳ねさせている。
エレナは卒倒しているニコライを冷ややかに見下ろし、結界を解除した。
(わたしは、この人の何に縛られ、怯えていたのかしら?)
途方もない虚無感しかない。
憎悪という感情すら、もう残っていない。
「なんだ、もう倒したのかぁ」
聞き覚えのある明るい声がした。
振り返ると、クロフォードが屋根の上にいた。
「時の理よ、欠けし形を遡れ。
空の環よ、歪みを織り直せ。
我が声に応じ、過去を抱きて今を修めよ
――【時空修復】!」
クロフォードが修復魔法を発動させると、剥がれた屋根がたちまち直っていく。
「随分と派手に壊したなあ」
「これでも手加減したんだよ。
あっちは問答無用で後先考えず、火の魔法を平気で使ってくるしさぁ」
エレナは口を尖らせた。
「エレナも炎魔法で対抗すればよかったじゃん」
「炎はダメ。
こうしてクロフォードが来てくれたからよかったけど、来てくれなかったら修復のしようがないでしょ?」
「まあね。エレナもそろそろ修復魔法を覚えないといけないな。今度教えてやるよ」
「うん! 教えて」
もっと強くなりたい。
クロフォードが地面に降り立った。
エレナの足元で、血と泡を吹いて失神しているニコライを見て、冷笑する。
「これは傑作だな、これ」
クロフォードは薄笑いを浮かべながら、ゴミクズを見るような目つきをした。
「フルボッコじゃん。ざまぁねえなぁ」
「うん。徹底的にやっつけちゃった……」
「どうよ? スッキリした?」
あっけらかんと言うクロフォードに、エレナは首を振った。
「ううん。余計、虚しくなった」
「虚しく?」
ニコライの言うとおり、わたしは彼に好かれる努力をしていただろうか。
言われっぱなしで、それに合わせて、しっかり向き合おうとせず、ずっと逃げ続けていた。
「ニコライをこんなふうにしたのは、わたしかも……」
「え?」
「ニコライは可愛い子が好きだった。だったら、もっと可愛くなるようにお洒落やお化粧を研究すればよかった。眼鏡だって分厚いまま妥協せずに、見栄えのいいものを父にねだればよかった。
……けど、わたしはそんな努力を最低限もしなかった。
好きな魔法ばかりに目がいって、彼に相応しい婚約者になる努力を怠った。
わたしのせいで、ニコライはこんな姿になってしまって……わたしも同罪なんじゃないのかって」
鼻の奥がツーンと痛くなって、じんわりと視界が歪む。
「あのなあ」
クロフォードはため息をついた。
「とにかく落ち着け」
エレナの両肩に自分の手を乗せ、目線を合わせた。
「いいか、怪我をしないと学べない人間もいるんだよ。
それに、怪我しまくっても何も成長しない人間だっているんだ。
俺はそういうのを王宮魔術師になってから、うんざりするほど見てきた。
その人の現状は、その人自身の責任だ。
だから、こうなったのもニコライ自身の責任だよ」
「でも……」
「それに、いくらエレナが努力しても、このクソ男は別の理由をつけてエレナを蔑んださ」
クロフォードは、エレナの頭をポンポンとした。
「人は不幸に遭うと、たいてい人のせいにするんだ。環境とか生い立ちとか。
だけど、エレナは自分のせいにして自分を責める。
逃げずに真っ直ぐ自分の中へ不備がなかったか探す。
……それができるエレナは、強くて優しいよ。
すごく素敵だと思う」
その言葉に、エレナは胸がぽわんと温かくなった。
クロフォードは恥ずかしそうにしながらも、えくぼを作って笑う。
ニコライは常に「自分に相応しくない女」と並べ立て、わたしを貶めた。
けど、クロフォードは逃げずに立ち向かったことを「素敵だ」と言ってくれる。
視界が涙でぼやけそうになった。
(わたし、誰かに認めてもらいたかったんだ……)
「でも、まあ、未練はもうないだろ?」
「うん。未練は全然ない」
「だよな。そのうち、なんでこんな自分勝手な奴に振り回されていたのって、不思議でたまらなくなるよ」
にかっと、クロフォードは歯を見せて爽やかに笑った。
「そうかな」
「うん」
クロフォードはあたりを見回す。
「……にしても、派手な魔法をこんな奴でも使えるもんなんだな」
「本当だね。びっくりした。薬の摂取し過ぎで、ここまで強くなれるんだって」
「オーバーメディケイションは、本当すげぇ厄介なんだよ。
無詠唱で魔法を使えちゃうパターンもある。そうなると発動の予測ができなくて、防御のしようがないんだ」
クロフォードが面倒臭そうに後頭部を掻いた。
「ニコライがその無詠唱を使ってきたんだよね……」
ぼそっと呟いたエレナに、クロフォードはぎょっとした。
「マジ?」
「うん、マジだよ」
「よく対処したな」
「頑張ったんだよ、これでも」
クロフォードがエレナの頭を撫でた。
「だな。本当よく頑張った。今度ご褒美、買ってやるよ。なにがいい?」
屈託のない笑顔に、一瞬胸が高鳴った。
「それよりも魔法を教えて欲しい」
エレナが控えめに言うと、クロフォードは苦笑した。
「わかった、いいぜ。ついでに今度魔導書も買いに行こう。
港町のエステアーダ領地に魔導書専門店があるんだ。
それから、海鮮料理を食べて、ケーキ屋へ行こう。
異国のフルーツを使ったケーキがあるんだ」
「行きたい!」
エレナは思わず身を乗り出した。
「よし、決まりだな。奢ってやるから好きなだけ食えばいいさ」
「うん! 絶対ね」
不思議。
さっきまで憂鬱で泣きそうだったのに、楽しそうにしゃべるクロフォードを前にすると、心が浮ついて、すごく嬉しくなる。
もっともっと彼にかまってほしくて、彼にその笑顔を向けて欲しくなってしまう。
自分だけがドキドキしてしまうのが悔しいけれど、すごく満たされる。
「そうそう、コレ」
クロフォードは思い出したように、胸ポケットから皇族の紋章が入ったペンダントを取り出し、エレナの首にかけた。
近づくクロフォードからミントの爽やかな香りがして、エレナはどきっとした。
「〈影〉諜報部隊の証だ。人前では隠しておくこと。万が一の時以外は見せちゃダメだぞ。
いざってときの身分証明書だ」
「あ、ありがとう」
そのとき、大きな魔力がこちらに近づいて来るのを感じた。
魔法騎士団の気配だ。
「あとは俺がやっておくよ。エレナは同期会だろ? 楽しんで来いよ。くれぐれもペンダントは見せないようにな」
「うん、ありがとう!」
エレナは慌てて、店の中へと入った。
店の中へ駆け込むエレナの胸元で、もらったばかりのペンダントが微かに熱を持っていた。
誰かに縛られるためではなく、自分を証明するための証。
(もっと、魔法を教えて。クロフォード!)
*
クロフォードはそのエレナの後ろ姿を、姿が見えなくなるまでじっと見送った。
その瞳から先程までの温かな光が消え、代わりに底冷えするような怜悧な色が宿る。
「――さて。クズ掃除の時間だ」
地面に転がるニコライを見下ろした彼の声は、夜風よりも冷たかった。
ご一読いただき、ありがとうございます!
ついにニコライとの因縁に、
一つの大きな終止符を打ちました。
薬物に頼り、最後まで自分を正当化し続けたニコライ。
そんな彼を「冷徹な魔術師の目」で見下ろしたエレナ。
最後にクロフォードが言った通り、
自分の至らなさを探せるエレナの優しさは、
弱さではなく「強さ」なのだと
作者自身も強く感じながら執筆いたしました。
そして……
何やら美味しそうな「ご褒美」の約束が交わされましたね!
二人のデート回については、
本編が一段落したところで番外編として
じっくりお届けしたいと思っております。
次回、店に戻ったエレナを待つのは――?
引き続き、彼女の歩みを見守っていただければ幸いです!
少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、
★評価や応援をいただけると非常に励みになります。
※本作は「カクヨム」様にも
『カァーム・ビュラクラト ―元引きこもり魔女王宮奮闘録―』
というタイトルで掲載しております。




