第19話 踏み出した令嬢の初仕事――初報告と鼠の正体
レイノルドが部屋から出ると、マインラートを取り巻く空気が一気に和らいだ。
「はあ、本当にお疲れ様、エレナ」
椅子の背もたれに、どかっともたれかかるように座り直す。
「危険分子に目星つけるだけだったのに、こんな魔道具まで登場しちゃって大変だったね」
「あ、あの、わたしは〈影〉採用試験とやらは不合格なんでしょうか?」
「ああ、それね」
クロフォードが座ってから身を乗り出した。
「合否を通達する前にまず、もともとの任務、今回の受験者に危険分子はいたかどうか、それを教えてくれ」
「正直な所感でいいよ」
にこやかにマインラートが付け足す。
「ええと、はい」
エレナはコホンと軽く咳払いをする。
「まずマインラート様がおっしゃってた怪しい三名のうち二名、キムバートン・アイヒヴァルト子爵令息とワルト・チェッカレッチ男爵令息、彼らはちょっと気を付けた方がいいと思います」
「ふうん、何で?」
「マリュードナバロー語を話していましたし、二人は知り合いのようでした」
「ほう、それは剣呑だねぇ」
マインラートが興味をもったように片眉を上げた。
「えっと、一応意味は分からずとも、何を話したのか、その言葉は魔法で憶えています」
「ああ、早速あの魔法を使ったんだな?」
クロフォードが嬉しそうに声を上げた。
「うん、そう。まさかこんなに早く役立つとは思わなかった」
「エレナ嬢、早速だが彼らの会話を聞かせて」
マインラートが急かすように真顔で言うので、エレナはなんだかぎくりとした。
嫌な予感がする。
*
エレナは魔法で憶え聞いたマリュードナバロー語を口にした。
不思議と、いつも使ったことのない発音や単語が自然と自分の口から出て来る。
マインラートはマリュードナバロー語が分かるようで、徐々に顔が険しくなっていって、エレナは、なんとなく自分が悪いことをしているような気分に陥った。
「ありがとう、エレナ」
エレナが青ざめるのに気付いたマインラートは、あえて明るい声を出した。
「よく気付いたね、あれを話しているのがマリュードナバロー語だって」
「いえ、気付いたのは、一緒にいたローゼル・イースティリア嬢です。彼女が気付いたんです」
「へえ」
マインラートとクロフォードが意外そうな顔をした。
「あの子、すごいんですよ。家の事情で魔法をおおぴらに使わないようにしているらしいんですが、魔力感知能力も非常に高くて……」
エレナはローゼルの印象と、婚約者との不和についても打ち明けた。
誰にも言わないとローゼルには約束していたものの、彼女が女官を目指す理由も付け加えた。
エレナにとって彼女が悪い人には見えなかったし、なんとしても合格して欲しいと思ったからだ。
「餌付けされたか」
クロフォードがぼそっと言った。
「違うよ。確かにお菓子をもらったけど、あれは彼女の善意で……」
「はいはい、マインラート様。俺もイースティリア令嬢は恐らく問題ないと思いまーす」
エレナの言葉を遮って、クロフォードが手を挙げてマインラートに進言した。
エレナはきょとんとした。
「ふふ、そうだね。確か彼女、過去最高得点を採っている優等生みたいだし、なによりもイースティリア家は皇帝陛下のお気に入りだ。エレナの所感からも問題なさそうだし、合格は間違いないだろう」
「え、ローゼルが最高得点⁉」
エレナは驚いた。
「うん、そうだって」
マインラートはくすっと笑う。
「びっくりだよね。さっそく秀才の集まりの法務省の大臣、法曹一族のひとり、ジョージ・ライアナース伯爵が彼女を自分の部下にしようと根回しを始めていたよ」
マインラートは悠然と微笑んだ。
すでに上層部たちは、少しでも優秀な合格者を自分のところに置こうと熾烈な競争を始めているようだ。
「そうそう、エレナ。ローゼル・イースティリア嬢も、エレナと同じでアカデミーも卒業していないんだよ」
「そうなんですか?」
エレナはびっくりした。
あれだけ賢いなら、アカデミーでもさぞかし優秀な成績を修めただろうに。
「彼女にはとんでもない悪評はあるみたいだけど、ここまで好成績を採れる子ならちゃんと真面目にやれば、そのうちそんな悪評も消えるはずだよ。いい同期を早々に見つけられたね」
皮肉も嫌味もこもっていないマインラートのその言葉に、エレナは心が温かくなった。
「はい」
思わず笑みが零れた。
(あんなふうにわたしを庇ってくれた子は初めてだった。だからつい援護してしまったけど、うん、知り合えてよかった)
ニコライは、いつも外面だけはすごくいい。
みんながニコライの味方だった。
きまって、彼はわたしの祖父母や両親や兄の前ではいい顔をする。
自分の親兄弟に対してもそうだった。
でも、エレナのことは見ていないところで平気でけなすし、白眼視する。
家族も母だけが女の勘か、何か違和感を覚えて大丈夫かと何度も尋ねてきてくれたけど、結局みんな彼を信じてしまうだろうから、言い出すにも言い出せなかった。
――わたしが我慢すればいい。
婚約中はずっとそう思ってきた。
今日だって、ニコライの言い草は明らかにエレナを見下していたし、馬鹿にしていた。
あれだけのことをしたのに、ニコライは何も変わっていなかった。
全然悪びれる様子もなく、すべてエレナのせいにしていた。
兄のノックスがいたらきつく叱られる類だ。だが、ノックスはいない。だから何も言い返せないわたしをいつものとおり見下して大柄な態度で接してきた。
けれど。
ローゼルは小柄であんなに華奢なのに勇気がある、それに正義感も。
「あの、それで、そのローゼルが気になった話を教えてもらったんですけど」
エレナは、ロシェやニコライのグループが令嬢たちに酒を持って強姦している噂があるのを話した。
「それは穏やかじゃないな」
クロフォードが神妙な顔つきで言った。
「そうだね」
マインラートも頷く。
「幸いなことに彼らのグループは全員不合格だ。全然及第点にすら到達していない。
とはいえ、看過できないね。魔法騎士団に話してみよう。
でも、エレナ、いいのかい?
そうしたら元婚約者は下手したら牢獄行きだよ。君に手を挙げるような暴力男でも一応元婚約者……」
「い、いいんです!」
エレナは同情的に心配するマインラートの言葉を遮った。
「言葉は悪いんですが、あんなクズの極みのような男には未練も何もありませんし、むしろ、自分で行った悪行があれば、ちゃんと償ってこいって思います」
「ほう、そうかい」
マインラートは一瞬驚くが、次に含みを持った笑みを浮かべた。
「じゃあ、彼にはエレナの凄さを思い知ってもらった方がいいかもね。二度と悪さが出来ないように」
その時、部屋の扉が開いた。
「放せ!」
男の暴れ回る声と音が響く。
「マインラート・ソシュール様」
軽々と男の首根っこを掴む大男レイノルドが現れた。
「鼠とはこのような者のことでよかったでしょうか?」
「え、ニ、ニコライ⁉」
レイノルドに捕えられた男はついさっき話題にしていたニコライだった。
「おやまあ、これ、どうしたの?」
カシアが扉を静かに閉める一方で、マインラート・ソシュールがのんびりとした口調で白々しく尋ね、レイノルドとニコライの前まで歩き進んだ。
「はい。コイツ、そこの低木の陰に潜み、この部屋へ忍び込もうとしていたので、不届き者の鼠だと思い、捕えました」
「なるほどね」
「なるほど、じゃないですよ」
レイノルドは呆れたような声を出した。
「マインラート様、最初からこの男がこの部屋までつけてきたのにお気づきでしたよね?」
それを聞いたエレナとニコライはぎょっとした。
「あはは、バレていたかあ。まあね。彼、分かりやすい魔力してるからね」
マインラートはニコライの目の前まで来ると、まじまじとその顔を覗き込んだ。
「君さぁ、薬やってるよね?」
マインラートの瞳から温度が消え、低く、這うような声がニコライを射抜く。
ニコライの表情がサッと強張った。
「え? 薬?」
エレナは驚く。
「この反応は……違法薬物の通称ホップラブソングかな?」
びくっとニコライは分かりやすく蒼ざめた。
マインラートはぐっとニコライの顎をつかみ、左右に回して診察する医師のようにじろじろ見つめた。
「そこまで長期依存していないっぽいけど、摂取量が多いね」
はあ、と大きなため息をマインラートはついた。
「まったく、あの薬を誰から購入したのか、どこで手に入れたのか。……いろいろ聞きたいことはあるけど、まずは何故ここに忍びこもうとしたのかな?」
マインラートは魔力を禍々しく発しながら、優しい声で質問をした。
ニコライは魔法使いとしては弱者だ。
その彼でも感じるほどマインラートの魔力は怒りが滲み、制御しているはずの魔力が漏れ出ている。もはや恐怖の対象でしかないだろう。
「そ、それは……」
蒼ざめたニコライは言い淀んで躊躇する。
「ここに忍び込んだ理由、当ててやろうか?」
冷ややかな声でクロフォードが口を挟んだ。
「あんたは元婚約者、エレナ・ヴァービナス嬢になんとしても一矢報いたかったんだろ?」
ニコライはクロフォードから視線を逸らすだけで、何も答えない。
「お前、彼女と婚約破棄してから散々だったらしいな」
怜悧なクロフォードの瞳がニコライの顔を覗き込む。
「家は勘当されるし、浮気女の実家からも伯爵次期子息でなければいらないと門前払いをくらった。全然いいことなし。
それでも、せめて文官になれたら婿養子に迎えてもらえるという男爵との約束で、この試験に挑んだ。
けれど、結果は散々。試験問題は全然解けなかった。
それなのに、元婚約者は、特別試験が受けられる、俺も受けたい、そう思ってノコノコやって来た。違うか?」
ニコライはますます気まずそうに視線を泳がす。
クロフォードは淡々と続けた。
「もし再試験に受けられなくても、ここでエレナ嬢が一言『自分を許す』と君の父親に言えば家に戻れるかもしれない、そう淡い期待を抱いた。
けど、当然エレナ嬢には拒絶された。
それでも諦めきれず、エレナ嬢となんとか話を付けようとしたんだ」
ニコライは無言で悔しそうに顔を歪めた。
「っていうかさぁ、都合良すぎじゃねぇ?」
クロフォードの口調が砕けた一方、その眼差しは冷たい。
「婚約者そっちのけで余所に女作って子どもを拵えたくせに。
今更その元婚約者に縋るって男としてどうよ?」
「はあ⁉ 貴様はそんな貴族紳士としてあるまじき行為をしたのか⁉」
クロフォードの台詞を聞いたレイノルドが、素っ頓狂な声を上げ、
ぐっとニコライをぐいっとさらに持ち上げて、その顔を睨みつけた。
「ヒィッ」と引きつった声がニコライから漏れた。
「男の風上にも置けん奴だ」
レイノルドが床にニコライを乱暴に投げ捨てた。
ニコライは咄嗟に受け身も取れず、グェッと呻いて床に無様に転がった。
まるで潰れた蛙のようだった。
「へえ、レイノルド様、気が合うじゃん」
クロフォードがレイノルドに笑いかけ、それから二人はニコライを一瞥した。
ニコライは戦々恐々と見下ろす二人を見上げた。
「まあまあ二人とも。一番腹を立てているのはエレナ嬢だよ。
エレナ嬢は彼をどうしたい?」
マインラートが仲裁に入りながらも、したたかな目でエレナを見、ニコライがエレナに縋るような目で視線を投げる。
エレナはぐっと握り締めた拳に力を込めた。
「わ、我がヴァービナス侯爵家は、イグナート伯爵家から婚約破棄の慰謝料をすでに全額貰っております。確かに彼にはいろいろ腹に据えかねるものはあります」
声が震えた。
(けど、ここはわたしの気持ちを代弁してくれた人たちに感謝したい)
「マインラート・ソシュール元王宮魔術師筆頭様、わたしの気持ちを汲み取っていただき、深く感謝いたします」
エレナはマインラートに慇懃丁寧にお辞儀をし、キッとニコライを睨みつけた。
「ですが、ニコライ・イグナート伯爵令息とはすでに赤の他人です。
なので、採用試験をすでに終えているのに、無許可で王宮に無断で入り込んだ罪については、マインラート・ソシュール元王宮魔術師筆頭様、クロフォード・ノーエランド王宮魔術師様に一任いたします」
「ひ、酷いじゃないか! そんな赤の他人だなんて……!」
レイノルドがぐっとニコライの頭を床に押し付けるようにして抑え込んだ。
「黙れっ。ここでの最上位者はマインラート・ソシュール様だ。貴様はお許しが出るまで黙ってろ!」
レイノルドの恫喝の滲む声が部屋中に響き、ニコライは震え上がった。
クロフォードが囃し立てるように口笛を吹く。
「へえ、さすがハウルデュース公爵令息。父親譲りの凄みがあっていいねえ」
マインラートは顎を撫でながら天井を仰ぎ見る。
「う~ん、僕とクロフォードが決めちゃうと、死ぬよりもエグイ処罰しか思いつかないからね。
やっぱ、こういうのは魔法騎士団に処遇を決めてもらおうか。
彼らの方がより厳格に正統な罪を見定めてくれてるはずだ。
それでいいかな? エレナ嬢」
マインラートが確認するようにエレナに視線を投げた。
死ぬよりエグイ処罰、という不穏な言葉が気になりながらも、エレナは頷く。
「はい、承知いたしました」
「それじゃあ、さっさとこの古代魔道具を封印しておこう。
クロフォード、申し訳ないが、封印作業の邪魔にならないように鼠を捕獲しておいてくれ」
マインラートは手をしっしっと振る。
ニッと勝ち誇った笑みをクロフォードは浮かべる。
「了解」
「縛れ、絡めよ、逃すな
――捕縛」
身動きがとれなくなったニコライをクロフォードは、無造作に床に転がした。




