第18話 踏み出した令嬢の新特命――赤いルビーと庭園に潜む「鼠」
試験会場を少し歩いた先の部屋に入った。
さすが王宮、重厚な造りの広間は豪華絢爛。
天井からは煌めくシャンデリアが吊るされ、床は大理石。
壁には美しい風景画がいくつも飾られていた。
「さてさて、まずみんな座ろうか」
窓際の一角のテーブルには、すでに人数分のお茶会セットが整えられていた。
マインラートはエレナと大男にそこに座るのを促した。
クロフォードは部屋の外で控えていた侍女にお茶を淹れるよう指示を出し、最後に座った。
「いろいろあったと思うけど、まず試験お疲れ様。それと、紹介をしておこうか」
マインラートは灰色の双眸の男を見た。
「君はレイノルド・ハウルデュース公爵令息だね?」
「はい、初めまして。レイノルド・ハウルデュースです」
大きい図体に似合わず、萎縮した様子でレイノルドはぺこりと頭を下げた。
(え、ハウルデュース……って)
エレナは驚愕した。
軍部最高司令官ラウリス・ハウルデュース総帥の息子だ。
(道理で、こっちが引くほどの圧倒的な魔力を持っているわけだ)
だが、受験者名簿の彼の名前には★印はついていなかった。
(上位貴族のご子息なのに、縁故採用をせずにいたのは、何か理由があるからなのかしら)
「初めまして。で、君はヴァービナス侯爵の娘さんでよかったよね?」
マインラートの視線がわざとらしくエレナに向けられる。
「はい、そうです。エレナ・ヴァービナスです。初めまして」
侍女たちがお茶を淹れ終えて部屋を出ると、マインラートはクロフォードに目配せした。
「クロフォード、それでは防音結界を」
「はい」
クロフォードが詠唱を口ずさむ。
「静寂の理よ、我が声に応じて降り立て。
音を封じ、響きを断ち、秘められし言葉を護れ
――『静寂円蓋』」
その間にマインラートは優雅にお茶を口にして、二人にも勧めた。
エレナとレイノルド・ハウルデュースは躊躇いがちに互いに目配せし、ティーカップを持った。
乾いた喉がお茶で潤う一方、その間に結界が張られ、空気が密閉されるような圧迫感が走った。
外界との隔絶を肌で感じた。
「で、早速だけどね、二人には特別枠で推薦が来ているんだ」
優美な仕草でマインラートは、ティーカップをテーブルに置く。
「レイノルドくんは軍部直轄の文官としてニーズル・ターラント軍師から。
エレナ嬢には魔法省の特別枠としてピーテル・リックランス大臣から。
本来なら、この場で合格通知を出してあげたいんだ」
マインラートは困ったような顔をして肩をすくめた。
「けど、さっきの試験、残念ながら二人とも不合格だったんだよね」
(ああ、やっぱり……)
あれだけ頑張ったけど、付け焼き刃で合格できるほど甘くなかった。
心構えはしていたが、胸に重いものが落ちる。
さっきまでの高揚感が急にくらくらして、空虚な絶望に襲われた。
「え、もう結果が出ているんですか?」
レイノルドが驚いた声を上げた。
彼は不合格だったことよりも、結果がすでに出ていることに興味があるようだ。
(変な人。ふつう、落ち込むよね?)
エレナは奇妙なものを見る目つきで、灰色の大男の端正な横顔を見た。
「うん、試験終了と同時にあの部屋の空間内で瞬時に合否が分かるよう、ちょっとした魔法をかけているんだ」
マインラートもエレナと同じように思ったのか、意外な質問に面食らった様子だった。
「なるほど、その魔法の構成、興味深いですね……。
ですが、それだったら、あの場ですぐ公表すべきではないんでしょうか?
その方が手っ取り早いと思います」
レイノルドが臆することなく堂々と言い切った。
「う~ん、すぐ合否結果を知らせないにも訳があるんだよ」
マインラートはため息をついた。
「合格発表まで二週間置くのは、合格の安堵で羽目を外して、問題を起こす連中が後を絶たないからだよ。
不祥事の取消手続きなんて二度手間だしね。
省庁が求めているのは、家柄より品行方正で有能な者だ」
「なるほど、入省式直前の発表にはそういう意図があったのですね」
レイノルドが納得したように、何度も頷いた。
「そう。合格の安堵で羽目を外す暇を与えないためだよ」
マインラートはローブのポケットから紙を取り出して、その内容を見つめた。
「それにしても、エレナ嬢はあと一歩だったね。
レイノルドくんはもう少しお勉強が必要だったかな」
どうやら手元の紙には試験成績が書いてあるようだ。
その紙をクシャと丸めたマインラートは、魔法の火で燃やした。
灰すら残さず、紙は跡形もなく消え去る。
「まあ、さっきも言ったけど、この際それはそれで置いておいて。
君たちには、君たちにしかない特技――莫大な魔力量がある。
だから、特別試験を実施するよ」
そう言うと、マインラートは手を広げてにっこり微笑んだ。
マインラートはエレナが〈影〉の採用試験を受けることをレイノルドに事情を伏せている。
(たぶん、マインラート様はレイノルド様の特別試験に便乗させる形で、わたしの立場を公に保証しようとしてくれている。なんとも食えない配慮……ありがたい)
「それで、二人とも特別試験を受験するでいいよね?」
最終意思確認をするように、マインラートはエレナとレイノルドの顔を順に見回した。
「もちろんです、チャンスを頂けるのであればお願いしたい」
レイノルドが即答した。
「あの……、確認です。不平等と他の受験者たちに言われないでしょうか?」
エレナは恐る恐る尋ねた。
どうしても気になる点があったからだ。
試験以外で特技があるから推薦をもらえた。
だから特別試験が受けられる。
それはありがたいし、いい制度だと思う。
けれど、上澄みを当然のごとく享受している一部の上級貴族に反感を買われないだろうか?
レイノルドは公爵家の令息だから、身分階級のある貴族社会では特に問題視されないだろうし、本人だってそれを当たり前だと思っている節がある。
(でも、わたしは女だ)
こういった特別試験は男社会である貴族社会では、「特例」は歓迎されないはずだ。
エレナはいままでのいじめを受けた経験で、無用に荒波を立てたくない。
人の恨みや嫉妬はなるべく避けて通りたいと心底願っている。
「うん、確かにそういう声もあるね」
マインラートはエレナに視線を投げ、さらりと言う。
「この国は君主制法治国家だからね、それを盾に『そんなのは卑怯だとか裏口入学だ』と批判する人もいるよ」
椅子の手すりに頬杖をつき、しゃあしゃあとした顔でマインラートは続ける。
「けどね、能力があるからスカウトで採用される王宮魔術師や魔法騎士団もいる。
当然、王宮内務官も特別試験を行うのは、全然おかしなことじゃない」
マインラートはエレナの顔を覗き込む。
「逆に不平等と妬むなら、そんな不平不満を言っている間に、自分の能力を上げるように努力すればいいんだ。
努力せず、能力ある者に『狡い』とかいう奴の気が知れないなあ」
「確かに……」
「でしょ? 権利を訴える前にまず義務を果たせってね。
ああ、ちなみに、こういう試験は君たちだけじゃないよ。
毎年勉学以外に飛びぬけて高い者には、これ相応の試験を受けてもらってるんだよ」
「そうなんですね」
それなら、あとから陰口を叩かれる心配もないか。
「で、受ける? 受けない? どっち? エレナ・ヴァービナス嬢」
柔和な雰囲気の中に、マインラートの眼光が光る。
(結局、わたしは〈影〉の採用試験としては合格? 不合格?)
どっちだったのだろうか。
それともまだ試験はまだ続いているのかしら。
王宮内務官の女官として不合格。
でも、魔法使いとしては合格。
魔法使いも〈影〉は男だとか女だとか関係なく能力で審査されている。貴族社会にはそうそうないシステム。
仮に〈影〉も不合格だったとしても、ここでもう一度試験受けられるなら……。
(どちらにしろ、尻込みしている暇はない)
「はい、受験させてください」
「よろしい」
マインラートが満足そうに微笑んだ。
「クロフォード」
マインラートがクロフォードの名を呼んだ。
「はい」
クロフォードは、厚手の深緑色のベルベット生地の布包みを部屋の棚から取り出した。
レイノルドとエレナのテーブル前に出された布を覗き込んだ。
ふと、エレナはそこから魔力を感じた。
「魔力封印魔法だ……」
思わず、ぼそっとエレナが呟いた。
マインラートは口元に柔らかな笑みを浮かべ、静かに頷いた。
「さすが、一目で見抜いたね。
そう、この布は中身の魔力を封印する付与魔法を施してある。
それでこの包みの中身はね、さっき一連の騒動を起こしたセインレイム准男爵令嬢が身に着けていたネックレスが包んであるんだ」
そうマインラートが言うと、クロフォードが布を広げた。
先程の騒動の元凶――魅了魔法を秘めた古代魔道具。
留め金の繊細な金細工に中央に飾られた大粒の赤ルビー。
エレナは赤いルビーを直視した。
魔力封印魔法が施してある布の効力か、今は赤い靄は発していない。
それどころか禍々しかった魔力そのものを感じない。
けれど、一瞬ルビーが脈打つように光った気がして、エレナは戦慄が走った。
「さて、ここからが君たちの特別試験だ」
マインラートの眼光が、一段と鋭さを増した。
「これは女性が身に着けると、男性限定に魅了魔法をかけるものらしくてね、効果はそれなりに強い。 さっきみたいに魔力がない者は瞬く間にかかってしまうんだよ」
「それで男性陣だけがあんなふうになったんですね」
エレナが神妙な顔つきで頷く。
「あの、話の腰を折って申し訳ないのですが、これが魅了魔法を秘めた古代魔道具というのは分かりました。ですが、持ち主が准男爵令嬢で、”さっき”というのは?」
おずおずと話の経緯を知らないレイノルドは尋ねた。
「あっ、そっか。レイノルドくんは、試験時間ぎりぎりに会場入りしたらしいから知らないんだっけ。実はちょっとした一悶着があってね」
マインラートがレイノルドに簡単に説明した。
「で、ここのエレナ嬢が咄嗟の判断でその事態を鎮静化したんだ」
「ほう、それは素晴らしい」
レイノルドが素直に感嘆の声を上げた。
そして、まじまじとエレナを見た。エレナは恥ずかしくなって身を縮こまらせる。
「エレナ嬢、あれは見事だったよ」
気を使うようにクロフォードが、すかさずエレナに笑顔を向ける。
「怪我人ゼロ。今のところ精神干渉魔法の後遺症もなし。
まあ、追々後遺症が出たとしても、それはエレナ嬢のせいじゃないから。
この魔道具を身に着けた令嬢も生きて捕縛できただけで儲けもんだ」
「ほ、本当ですか?」
「うん」
クロフォードがエレナに屈託のない笑みを向けるので、エレナの頬に熱が広がり、小恥ずかしくなって視線を逸らした。
「そうだね、これはすごいことだよ。君があの場にいたから事態はあれだけで済んだ。
沈静化してくれてありがとう」
改まったマインラートのお礼にエレナは、さらにほっと胸を撫でおろすと同時に胸が高鳴った。
家族以外に魔法でお礼を言われたのは初めてだ。
(あのとき、魔法を使ってよかった)
「そうそう、レイノルドくん」
マインラートがレイノルドに向き合う。
「あの場を鎮静化させたのがエレナ嬢だというのは秘密ね」
「なぜですか? 表彰レベルの偉業だと思いましたが?」
「もし、公表したら、術にかかった男性陣たちに後遺症が出た場合、エレナ嬢を相手取り、賠償責任を追及してくる輩が現れる可能性があるからね」
「え? 賠償金を? 何故です? 彼女は場を収めた功労者ですよ」
「そうだよ。もちろん、エレナ嬢には非はない。
仮にあの場で収めなかったら、さらに精神は病んでいた。
けどね、中にはそういった常識的な話の通じない貴族もいるんだよ」
たとえば不合格者の上位貴族。
自分がうまくいかなかったのを、特別試験を受けた女性のエレナのせいにする。
「なるほど。賠償金を求めるとしたら、持ち込んだセインレイム准男爵家、とはっきり示すためですね」
「そう」
「承知しました」
レイノルドが懃懃丁寧にお辞儀をするように頷く。
ふと、彼は思いついたように質問する。
「ちなみに、古代魔道具ってそんなに簡単に入手できるものなんですか?」
「いいや。准男爵位の令嬢なんかが易々と手に入れられない代物だよ。
だからね、彼女がどこでこれを入手し、なぜ試験会場に持ち込んだのか、それを今尋問している最中だよ」
「尋問?」
尋問だなんて穏やかではない。
クロフォードがエレナの考えを見透かしたように言う。
「しかたないよ。皇帝陛下のいらっしゃる王宮内に許可なく危険物を持ち込んだんだから。立派な違反、犯罪行為だ」
マインラートも大きく神妙な顔つきで頷く。
「そうだね、今回はこれで済んだけど、これが皇族に仇をなす組織の策略で王城に持ち込まれていたとしたら?」
「え……」
「今回は受験生だけが術にかかっただけで済んだけど、武官の誰かが魅了魔法にかかったらもっと大変なことになっていた。
彼らの武力、魔力は一人一人凄まじいからね、一歩間違えればとんでもないテロ事件に発展してしまっていたよ」
エレナは蒼ざめた。
マインラートは、渋い表情で淡々と続ける。
「皇族の命を狙う暗殺者はいつどこに潜んでいるか分からないからね。
だから、危険物を持ち込めるのは、魔法騎士団、魔法省、王宮魔術師に限定しているんだ。
医療の研究や治療に使う毒物や病原菌の保管庫も及んでくると、そこに王室医務室が追加される場合もあるかなあ。
まあ、これは王城の絶対ルールだ。覚えておいて」
口元に笑みを湛えつつ強い眼差しで、マインラートが二人を念を押した。
「はい」
エレナとレイノルドが同時に返事をした。
「そう、それでこの場合、持ち主の准男爵令嬢を尋問するのは魔法騎士団の役目なんだ。
殊に王宮内警備担当の第2騎士団が担う。
で、魔道具の処分については魔法省が一任されているんだよね」
途端に飄々とした口ぶりで、マインラートは含蓄ある眼差しでエレナを見た。
「でね、魔法省の大臣リックランス卿から君へ。
『エレナ嬢にはこの古代魔道具の封印を施して欲しい』というのが試験」
「え、私が、ですか?」
「うん、そうだよ。処分するにしても一応貴重な古代魔道具だからね。破壊するのは惜しい。
封印して魔法省の魔道具倉庫に厳重に保管しておくことになったんだ。
それで、この封印するまでの経緯で、君たちの合否を判定しようと思っているんだ」
「あの、俺は何をすればいいんでしょうか?」
「レイノルドくんはこの魔道具を封印する際に、この部屋から逃げ出さないようにして欲しい。最悪、この魔道具、斬ってもいいから」
「斬る? どういう意味なんでしょうか?」
レイノルドが訝しげに表情を曇らせた。
「古代魔道具には、長い年月を経たために意思が宿る場合が多いのは知ってる?」
「はい」
「これにも恐らく宿っているだろう。
彼らは封印されるのを厭い、逃げ惑うんだ」
「ああ、それで斬る、ということですね」
「そうだよ。軍部は君に上層部直轄の補佐官になってもらいたいらしくてね、直轄となると結構剣呑な案件に駆り出されることもなにかと多い。文官といえどもある程度剣の腕がないといけないんだ」
「つまり、剣術で自分の価値を示せと?」
「うん、そういうこと」
「レイノルド・ハウルデュース子息。これを使ってくれ」
クロフォードが部屋の隅に置いてあった剣を両手でレイノルドに投げつけた。
金属音が澄んで響き、レイノルドはそれを軽々と片手で受け止めてぐっと柄を掴んだ。
「あの、すみません。でしたら、素振りをしてこの剣に馴れておきたいのですが、いいでしょうか?」
レイノルドが改まった口調で、マインラートに剣を抜く許可を求めた。
「ああ、そっか。そうだね。それじゃあ、ここをすぐ出た庭園でやるといいよ。でも手短にね」
「ありがとうございます」
レイノルドが深く頭を下げてお礼を言っていると、カシアが扉前にいつの間に控えていた。
「レイノルド・ハウルデュース様、こちらです」
剣を強く握るレイノルドにカシアが声をかけた。
「かたじけない」
「そうそう、レイノルドくん」
思い出したように扉を開けたレイノルドに、マインラートが声をかけた。
「もし鼠がいたら捕獲して連れてきてくれるかい?」
「鼠……。はい、承知しました」
レイノルドは一瞬ぽかんとする。
だが、すぐに何かを思い至ったのか、鋭い眼光を覗かせて頷いた。
エレナにはさっぱり分からなかったが、彼はちゃんと言葉の「真意」を理解したようだった。




