第17話 踏み出した令嬢の救済――救いの手と特別試験への招待状
ニコライが怒りを爆発させると、さらに、ぐっとエレナの肩を強くつかむ。
エレナは痛みに顔をしかめ、喉から短い息が「うっ」と漏れた。
「おーっと、これはこれは。よくないなあ」
聞き慣れた声がしてエレナはハッとした。
「ひょっとして婦女暴行現場だったかな」
現れたのは青紫の鮮やかなローブを纏ったマインラート・ソシュールだ。
エレナは心底ほっとした。
逆に、エレナとマインラートの関係性を知らないニコライと、ローゼルはぎょっとする。
この高貴な色を王宮内で普段から纏えるのは、皇族と現筆頭王宮魔術師とそれ以上の力を持つ歴代の筆頭王宮魔術師だけだ。
「君、喧嘩はいけませんよ。特に、貴族紳士たるもの令嬢には優しく。ね?」
マインラートは柔和な面差しで、だが、とても鋭い眼光でニコライに近寄った。
その姿は場のざわめきを一瞬で凍りつかせ、彼に見咎められたニコライはサッと手を引っ込めるしかなかった。
「ちなみに、名前は?」
「ニ、ニコライ・イグナートです」
ニコライの声が僅かに震えた。
「ほう。イグナート伯爵のご令息ですか。憶えておきましょう。
あなたが試験会場で令嬢に暴力的行為をしようとしたことを。
イグナート伯爵にもご報告しておきますね」
ニコライの顔から血の気が引き、蒼白に染まった。
周囲がさらにざわめく。
「いいですか、皆さん」
マインラートの声で場が一斉に静まり返った。
「ここは試験会場ですが、皇帝陛下の御前に連なる王城の一角です」
声が凛然と回廊に響く。
「貴族紳士淑女としての品位を忘れる者は、たとえ試験でいかなる高得点を得ようとも、その態度に瑕疵があれば即刻不合格とする。
合格後もまた、帝国公務員としての自覚を欠いた振る舞いをすれば、容赦なく懲戒免職です。
官吏となるとはすなわち、この帝国の民を代表し、陛下に最も近き忠誠なる臣下となることを意味。
その責務を果たす覚悟なき者は、今この場で名乗り出なさい。
我の名で不合格として宰相府に正式に通達しましょう」
よく通る鋭いマインラート・ソシュールの声に一同は押し黙った。
研ぎ澄まされた凄味は、聞く者を平伏させる。
だが、次にマインラートは朗らかな春風のような柔らかな笑顔を浮かべた。
「まあ、お説教はこの辺にしておいて。
ところで、どうでした? 官吏登用試験は?
みんな、解けたかな?」
緊迫した空気が一転、弛緩して受験者たちは安堵の笑みを浮かべた。
魔法使いと思われる受験生たちは、こぞってマインラート・ソシュールに挨拶をしに行く。
自分を売り込むには滅多にないチャンスだ。
また、それらをすべて笑顔でマインラート・ソシュールは適度に相手をし、適当に相槌を打つ。
「ねえねえ、エレナ」
目をキラキラさせてローゼルがエレナのローブの裾を引っ張った。
「すごいね。元王宮魔術師筆頭マインラート・ソシュール様だよ。ご高名な方に助けてもらえてよかったね。きっとこれであの子息、二度とエレナに手出しできないはずよ。
だって、天下の元王宮魔術師筆頭様に名前を覚えられてしまったんだもの。エレナに何かあれば、アイツの仕業だって真っ先に疑われるはずよ」
「そうかな」
「そうだよ」
ローゼルはそう言うけれど、一抹の不安が残る。
ニコライは体裁が悪くなったのか周囲から冷ややかな視線を浴びて、居場所を失ったように立ち尽くしていた。
マインラートの後ろには制服姿のクロフォードが静かに控えていた。
小さな顔。
端正な顔立ち。
撫で付けた髪もスラリとして、しなやかな立ち姿の彼は、そこにいるだけで何か違う空気を漂わせていた。
そして、王宮魔術師の真っ白い制服姿。
まるで光を纏うような佇まいだ。
この白の制服を着ていることは、マインラートの鮮やかな青紫色のローブと同じ、この国に二十四人しかいない王宮魔術師団の証。
クロフォードがエレナの視線に気づくと、エレナを見、ほんのり口角に笑みを浮かべた。
その笑みにエレナの頬は熱を帯びた。
「さて、クロフォード。先程騒ぎとなった魔道具は?」
マインラートに話しかけられたクロフォードは、途端に別人のようにぴりっと顔を引き締め直した。
「はい、もう少し先のお部屋に保管しております」
いつもと違う凛然とした声。
再び場が引き締まった。
「そうか。まったく、あんな物騒なもの、一体どこで手に入れたんだろうねぇ」
にこやかだが、明らかに面倒臭そうにするマインラートが、不意にエレナを指差した。
「君」
エレナはビクッとする。
「はい!」
「そう、君。名前は?」
白々しくマインラートはエレナに尋ね、わざとらしく目を細めて微笑む。
意味深な眼差し。
「エレナ・ヴァービナスです」
エレナも素知らぬ顔をして、素直に名乗った。
つい忘れがちになるが、クロフォード以外ここにいるみんなには
エレナとマインラートとの関係性は誰も知らない。
否、知られてはならない。
〈影〉になるというのは、そういうこと。
「そうか。ヴァービナス侯爵のご令嬢だね。
君、ちょっとついて来てくれる?」
「え?」
「それから、そこの君」
マインラートが少し先にいた灰色の双眸の、エレナが試験会場で魔力が莫大で気になっていた大男を指差した。
男は自分を指名されたことに目を見開く。
「俺ですか?」
心底驚いた顔で、彼は自分を指差す。
「そう、君。君たち、すごい魔力持ってるんだねえ。びっくりしたよ。
君たちの魔力なら魔法省か軍部の即戦力になれるよ」
ざわっ。
賛美と嫉妬、様々な感情のこもった声が広がった。
「君たちのその能力、実に惜しい。
登用試験とは別に特別試験をしたいからついておいで」
マインラートがエレナと灰色の男を手招きした。
「エレナ、すごい。頑張ってね」
ローゼルがやや興奮し気味で、声を潜めながら声援を送った。
「うん、ありがとう」
「ねえねえ、合格したら、一緒に祝い酒、飲みに行こうね」
マインラートとクロフォードは先を歩き進めた。
エレナは、ローゼルに手を振って二人に付き添うように歩く。
やがて指名された大男も加わる。
その際、男と目が合い、エレナが会釈すると男も軽く会釈した。




