20話
「…それをどうするつもりだ?」
強く風が吹き荒れ、枝葉が踊り狂う様に擦れて森が騒ぐ。
陽は沈み始め、世界が血を流している様に空を赤く染めている。
その中で、私の先には男がいた。
浅黒い肌に、赤錆色の髪と髭を持つ大男。
手にした長柄の鈍器は、男の後ろに倒れている。
私は男に、ナイフの切先を向けていた。
ぶれることも震える事もない切先は、男に向けられている。
だが、男は穏やかな陽だまりに佇む様にただ立っている。
それが、”何も奪われていない”と如実に語っており、憎さで噛み締めた歯が鈍く鳴る。
「黙れ。そもそもお前が最初に奪ったから、始まってしまったんだ」
「…俺は君から何も奪ってはいない」
風のざわめきをすり抜けて聞こえる、まるで諭す様な淡々とした声。
「はっ!何も知らない奴隷じゃそうだろうさっ!お前じゃないっ!私から奪ったのは、”お前”なんだっ!」
怒鳴りながら歩き、切先を顎先に付ける。
「だから今度は私がお前から奪ってやる!」
男がゆっくりと話し始めた。
それは、まるで心という重い荷物を開け解く様に。
「ミレイア。俺に”俺以外”を見ているのは、何となく分かっていた」
「何が起きたのかは分からないが、それでも俺を、俺にしてくれたのは君だ」
「わかるか?十年、十年だぞ?ただ何も思わず、考えていなかったあの十年は、君のおかげで”記憶”になった喜びを」
そこで区切り、彼は長い息を吐いた。
そしてーー痛ましい笑顔を浮かべた。
「…俺は、君から与えられた。好きにしてくれていい」
「それでも”人として”死ねる喜びは奪わせない」
彼は知らないが、分かっている。
竜のせいで、私のせいで、今の彼があるということを。
それでも——幸せだと笑ったのだ。
「…ねぇ。いるんでしょ?」
彼の独白は、私の顔と切先を俯かせた。
話すべきは彼ではないし奪う相手も、違う。
受け止めようとする彼の胸に、拳を当てた。
最初は弱く、だけど言葉の数と共に強く打ち付ける。
「…出てきなさいよ…」
「聞いてるんでしょうっ!”竜”!」
「私も、お前と同じ”奪う者”だっ!」
強く、渾身の力を込めて胸を叩く音。
そして、空気が変わる。
「…大きく出たな小娘」
ざらりと異物が混ざった声。
私を見下す、金の左目を中心に嘲りを浮かべた竜は、私を突き放し、後ろで勝手に作られる前よりも立派な土座に腰を下ろす。
何かを確かめるように、左の掌を力を込めては弛緩させた。
「…我に寄るか。獣の残滓よ」
溢れた呟き。
割って入る事の出来ない悠久の孤独を思わせる間は僅かで終わり、自傷気味に嗤う竜の目が私を射抜く。
「まずは聞こう。小娘のミレイア、我に何用だ?」
赤陽が黒い影を落とす中で、私は強く睨み、口を開いた。
「お前のせいだ。お前のせいで、私の旅は終わり、全部奪われた」
血塗れの全力の呪詛。
聖職者が持ってはいけない感情と思いを煮詰めた言葉。
「始まっていないものが、如何様に終わるのだ?」
「それに、奪うものがない者からは、奪う事はできぬのは、世界の理だ」
些事であり微風。
私のそれを、竜は感じない。
鈍感ではなく、感じる価値すらないと言葉の外で伝わる。
「終わってしまったじゃないっ!サミィは…彼女は、お前と私のせいで死んでしまったじゃないっ!」
「驕るな。強欲な小娘よ。奪われたのは弱者本人の命。貴様は何も奪われていない」
「その因を生んだのは、貴様の虚栄と慢心」
「我を巻き込むな。貴様の薄汚い心の自慰に」
言葉に混ぜる呆れ、向けられる軽蔑の眼差しが心を容赦無く、剣の足で踏み荒らした。
「…だまれ、黙れっ!お前が始めたんだ!お前がぁっ!」
頭を振り乱し、走り寄る。
そしてナイフを両手で振り上げた。
「返せぇぇえっ!」
ーー振り下ろした切先は、刺さる事なく中空で止まった。
見えない手で抑えられている様に、動くことは出来なかった。
「…くだらん。何かあるのかと期待した我の愚かさよ」
「さっさと旅を始めろ。
我が欠片を俯き、拾い歩け。蒙昧で愚かな小娘よ」
そこが、限界だった。
心底軽蔑し、私から目を逸らす竜。
私を始めて認めてくれた金の目が、遠ざかっていく。
身体は動かなかったが、口と頭、心は動いた。
「…じゃあ…どうすれば、よかったの」
「どうしたら…いいの…?」
「…もう、楽になりたい…」
自分の頬に火水が流れている様に、冷た熱さがあった。
目からは、血が滴っている様に痛かった。
耳は、竜の声と言葉を求めていた。
心は、救いを求めていた。
竜は一つ私を見た後、小さく呟いた。
「…稚児の心を見抜けなかった我の不明さか」
そして、盛大に溜息を吐き、言葉を紡ぐ。
顔に浮かぶのは徒労と苦笑。
「…よかろう、座れ」
「傲慢なる簒奪者ウムの徒、我の忠僕たるミレイアよ」
「これまでは令だった。ここからは契約の話をしようではないか」
身体が動き、ふらふらと後退れば受け止めてくれる形で作られた土椅子に、腰を落とした。
赤から黒へ変わり始めた森の中で、私は改めて竜と対面した。
ーー世界は知らない。
片隅で、化獣が息吹を上げるこの時を。
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