19話
ーーあぁ。
ーーああぁぁ!
ーーサミィッ!
忘れない為に、私は化獣を放った。
哀しみも愚かさも、忘れさせない為に。
私は、私達の怒りを撒くことにした。
振動と共に一部崩れた廃協会だった廃墟から、暫くあってから彼は出てきた。
両腕に横抱きになった厚みのあるマントと、そこから力無く垂れ下がり、逆向きに折れ曲がる細い腕が揺れた時、私はもつれながらも、駆けた。
マントに触ろうとした私を止めたのは、彼の深く濃い翠の目から放たれた慈悲の拒絶。
「っ……」
覚悟したが、弱々しくも僅かに上下しているマントの厚みに、一先ずほっとした。
ーーでも。
「……あぁ…サミィぃぃ…」
優しく、静かに寝かされた彼女に、触れる事は出来ず、膝から崩れ落ちて地面に額を擦り付けた。
顔を上げる事は出来ない。
もう一度見たら、触れたら、そこで消えてしまう微かな命の火の彼女。
快活な笑顔を浮かべる事が出来なくなってしまった顔。
女として、やがては母として子を産むことも育む事も乱雑に奪われしまった身体。
私の手を引いた腕も。
一緒に走った足も。
全ては私の頭の中にしか残ってない。
「っ……ッ……て」
光が明るさを忘れた視界で、呟きが聞こえた。
素早く這って、彼女の捲れた口に耳を近づけた。
生臭さが鼻をつく。
ーー楽にして。
らくにして、ラクニシテ…楽にしてってなに。
本当は意味は分かってる。
だけど、分かりたくなくて無意識に背後で立つゼオバンを見上げた。
彼は、何も言わずに腰裏から一振りの冷たく鈍い輝きのナイフを抜き、刃を持って私に差し出してくる。
「……いや」
自分の首が壊れた様に左右に振られていた。
それでも、ナイフは彼の手にあった。
「…いや…いやだっ!やだっ!いやぁぁっ!」
自分の喉から出たことがない絶叫。
どこか他人事の様にも捉えて俯瞰している私もいた。
「…ミレイア」
彼の低い声が、夢にしかいない優しい神父様のよく似た説く優しさを載せていた。
聞きたくなくて、耳に入れたくなくて、私は頭を振りながら両耳を塞いだ。
「彼女は…サマンサは、君を案じていた」
「情なんて安いものじゃない」
「あれは最も尊いものだと、俺は思う」
「……サマンサは今も、苦しみの中にいる」
ーーもう、助からないの?
「…それを俺にいやせるのか?」
ーー街の教会ならきっと。
「…彼女はそこに居たはずだ。目を、逸らすな」
私は、もう一度サミィを見る。
もう迷っている時がない事は、細く冷たい息をしている彼女が伝えてる。
樹々が、音を出して揺れた。
降り始めた赤い陽が差し込む中で、一陣の風が森を鳴らした時、私は悟った。
世界は、奪うのだ。
私を見下ろすこの男だって、暴力という力で、私から奪ったじゃないか。
ならば、私も奪ってやる。
全てを根刮ぎ、奪ってやる。
憎悪に侵された顔で、男を下から睨む。
そして、差出された柄を握った。
這いずるように彼女へ寄り添い、左胸に刃先を当てる。
ぬっと上から太い腕が伸びてくると、刃先の位置を中央に動かした。
「サミィ。私は、奪うね」
「私達を奪ったこの世界から、全部奪うよ」
「最初は、貴女」
「私が奪うから、私の中でずっと見てて」
力を込めて、沈み始める刃先。
だけど、薄皮を貫く前に苦しくなって、乱れて刃先が震えた。
顔は見ない。
見たら、止まってしまうから。
「…ぁぁぁああああっっっ!!!」
吠え、全体重を刃先に押し付けた。
刃が皮を、肉を、筋を、命を裁ち斬る感触だけが心に遺った。
ーーもう奪わせない。
そう思った時、抜いた切先は彼を向いていた。
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